終末バイトの夕日さん

第1話

来月、世界が滅びるらしい。

そう政府が発表した時はまるで映画のように民衆は混乱し、恐怖で泣き叫び、一部の過激な人々が暴動を起こしたりもした。けれど混乱は長続きせず、一ヶ月という微妙な猶予はやがて人類を落ち着かせた。というより、こんなことをするより大事なことがあるだろうと我に帰ったのだ。全人類、余命残り一ヶ月。みんな、平等に遺された余命を精一杯悔いのないように生きようとしていた。

僕ももちろん、その一人、だった。

【死ぬまでにやりたい10のこと】

映画や小説で幾度となく見たその言葉を、新しいノートの一ページ目に書き込んでみる。けれど、何時間悩んでも死ぬまでにやりたいことは一つも浮かんで来ず、どうやら僕は来月どころか明日死んでも悔いのないつまらない人間であるということがわかった。けれど死にたがりではないので、流石に明日死ぬのはいやだ。やり残したことがなくても終末までは生きていたい。

仕方がないので、いつも通りの日々を過ごすことにした。僕は小説を読むのが好きなごく普通の高校生である。そんな僕の世界が滅びるとわかる前の日常は、朝起きて、高校に登校して、授業を受けて、家に帰宅して、小説を読んだりテレビを見たりして時間を潰して、お風呂に入って寝る。そういったものだった。これから世界が滅びるまでの残り一ヶ月も、そうやって過ごすつもりだった。

──そのつもりだったのだが、どうやらそうも行かないようだった。

まず、高校が閉校した。

僕は高校に行くつもりだったのだが、どうやら他の高校生は死ぬとわかっていて勉強をしたくないようだった。それは教師も同じで、死ぬと分かっていて仕事をしたくないようだった。

ならば小説を読むかと思って書店に向かってみれば、閉店していた。書店員もまた、死ぬとわかっていて仕事をしたくないようだった。図書館も同じように閉館しており、僕は家に帰って自分の持つ本を読むしかなくなった。

そうして、家にある本を全て読み終わり、もう一周読み終わり、さらにもう一周めに差し掛かった頃。

ネットである情報を見つけた。

隣のN県にある書店が開いているらしい。若い少女が一人で店番をしているらしく、開店日は週に2日。世界が滅びるまで残り8日しか開いていない事になる。そして今日がその貴重な開店日らしい。

N県までは僕の家から自転車で(電車などの公共交通機関も全て停止してしまった)3時間ほど。決して近い距離ではない。けれどやることがなくなり日常に飽きてしまった僕は、読んだことのない本が買えるという事実に飛びついた。

思い立ったが即実行。僕は財布と携帯電話だけを持って家を飛び出した。

久しぶりに出た家の外は、びっくりするほど静かだった。店はほとんどシャッターが降りており、人は誰もいない。みんな僕のように家にこもって静かに最期の時を待っているのかもしれない。けれど歩いて行くに連れてチラホラと若い集団を見かけたりもした。一ヶ月後には終わってしまう青春を謳歌しようとしているのだろう。

予定より1時間ほど遅れて4時間後。携帯電話の情報と照らし合わせながら目的地までノロノロと自転車を漕いでいた僕は、ようやく目的の書店へと辿り着いた。書店には人の列ができていて、それはこの4時間で僕が見かけた人間の総数よりも多かった。書店の周りは他と変わらず閑散としていて、人類の全てがここにいるのではないかと錯覚してしまうほどだ。

列に並び、周りの人々の顔をそっと覗き見る。彼らは皆、喜びで目を輝かせていた。終末に本を読もうとする人々だ、僕と同じように読書が好きなのだろう。そして僕と同じように、本に飢えていたのだろう。

さらに1時間後、僕はようやく書店に足を踏み入れることができた。その瞬間目に飛び込んできた本棚いっぱいの本、鼻腔をくすぐるインクの匂いに思わず鳥肌が立つ。ぶわりと、様々な感情が湧き上がった。嬉しい。楽しい。幸せだ!自然と笑みが浮かんで、自分でそのことに驚いた。笑うのなんていつぶりだろう。僕は書店内を意味もなくうろうろと徘徊して、十冊の本を厳選した。本当ならもっと買いたいが、これ以上は帰宅が厳しいだろう。

レジに向かうと、これまた長い列ができていた。レジには書店の名前が書かれたエプロンを身につけた少女が一人。他に店員らしき人は見当たらないので、情報の通り、店員は少女一人だけのようだった。僕と同い年くらいの少女だ。黒髪を後ろで一つにまとめていて、切長の瞳が理知的な印象を持たせる。

列に並んでしばらくすると、ようやく僕の番が来た。切長の瞳と目が合う。

「いらっしゃいませ」

涼やかな声が耳を打った。

「あっ、こ、こんにちは」

人と話すのは久々だったので、思わず吃ってしまう。けれど少女はそんなこと気にも留めず、僕がレジカウンターに置いた本のバーコードを順番に読み込んでいった。

ふと、エプロンにつけられた名札が目に入る。夕日さん。

「あの……」

「はい」

「夕日さん、はおいくつですか?」

突然の僕の質問に彼女──夕日さんは顔色ひとつ変えず、「17ですが」と答えた。やっぱり同い年だ。そんな彼女に、むくむくと疑問が湧き上がってくる。

「どうして、夕日さんはここで働いているんですか?」

「どうしてとは?」

「だって、あと一ヶ月で世界は終わるじゃないですか。他の店はみんな閉店している。なぜって、みんな働きたくないから。お金を稼いだってもう何の意味もないから。なのに、どうして」

そんな僕の言葉を、夕日さんはピシャリと切り捨てた。

「お金のために働いてるんじゃありません」

切長の瞳と目が合う。

「あなたは、この書店に来た時、どう思いましたか?何を感じましたか?」

「どうって……」

ぶわりと湧き上がったあの感情を思い出す。自然と湧き上がる笑顔。列に並んでいたお客さんたちの、輝く瞳。

「私、お客さんの喜ぶ顔が好きなんです。世界が滅んで死んでしまうまでの残り一ヶ月で何がしたいかと考えた時、このままアルバイトを続けたいなと思いました。世界が滅ぶと知ってから、みんな笑顔を失ってしまった。その笑顔を取り戻すお手伝いができるなんて、素晴らしいことじゃないですか」

そう言って、夕日さんは笑う。その笑顔があまりにも眩しくて、僕は目が離せなかった。

「一万三千五百円です」

そう言った夕日さんの切長の瞳を見つめる。僕はゴクリと唾を飲み込み、財布を握りしめた。お金を出そうとしない僕に、夕日さんは怪訝そうな表情を向ける。

「ぼ、僕も…」

それは衝動だった。普段なら絶対に身を任せないような、刹那的な感情。けれど、どうせ僕らは余命一ヶ月。この感情を抱えて飛び込んでみても良いんじゃないか?

「僕も、ここで働かせてくれませんか。お給料は入りません」

そんな僕の言葉に夕日さんは目を丸くして、そして笑った。

「とりあえず代金を払っていただけますか。後がつかえておりますので」

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