第28話 【Himalayan】

「そう言えば、さっきの話に出てきた『ケリー』って何?」


真夕さんを相手に知ったかぶりをしても仕方がないので、私は昼間から気になっている疑問を素直にぶつける事にした。


「バッグの名前よ。ケリーバッグとも言うわね。元々は『サック・ア・クロア』という名前だったけど、モナコ王妃だったグレース・ケリーが愛用していた事から『ケリーバッグ』という愛称で呼ばれるようになったの。ところが元の名前より愛称の方が有名になってしまったために、結局正式な名前も『ケリー』になったのよ。」


「へぇー、そんな由来ゆらいがあるんだ・・・でも遠山さんは自分のバッグを『ヒマラヤ』って言ってたけど、あのバッグは『ケリー』なんだよね?」


「一口に『ケリー』と言っても実際には色々なバリエーションがあるのよ。『ヒマラヤ』はその一つなの。」


「そうなんだ。じゃあ『ヒマラヤ』という名前にも何か由来ゆらいがあるの?」


「ヒマラヤの特徴は何と言っても色ね。かがやくような白銀がヒマラヤ山脈の雪を連想させるので『ヒマラヤ』と呼ばれるようになったのよ。使われる素材も決まっていて、ナイル川流域のクロコダイルしか使用しない。とても稀少きしょうなバッグで新品を購入するのは困難だから、彼女が自慢したくなるのも分からなくはないわ。」


「・・・・・・」


彼女まゆさんとしては説明を終えたつもりだったのだろうが、私は話の続きが聞きたくてウズウズしていた。


「・・・分かったわ珊瑚、少し長くなるわよ。」


私は黙ってコクコクうなずく。


「珊瑚、エキゾチックレザーって知ってる?」


「エキゾチックレザー?」


「簡単に言えば牛や羊のような家畜以外の動物の皮の事よ、爬虫類やダチョウ、象などがそうね。」


「『ヒマラヤ』はクロコダイルを使っているんだよね?」


「そう、クロコダイルはエキゾチックレザーの代表格よ。その中でもナイル川流域に生息するクロコダイルのレザーは『ニロティカス』と呼ばれているわ。それからもう一つ、東南アジアに生息するスモールクロコダイルのレザーが『ポロサス』ね。」


「2種類あるんだ。」


「後はアメリカのミシシッピ川流域に生息するのが『アリゲーター』で、クロコダイルとは少し種類が違うわね。これが一番手に入りやすい素材よ。」


「値段も安いという事?」


「3種類の中ではね。逆に一番希少きしょうなのがポロサスになるわ。」


「あれ?『ヒマラヤ』はナイル川のクロコダイルを使っているんだよね?『ポロサス』じゃないんだ?」


「そうね。一般的には『ポロサス』が最も希少きしょうだけど、『ヒマラヤ』は『ニロティカス』中でも別格なのよ。『ヒマラヤ』の特徴的な白銀色には秘密があって、クロコダイルレザーは染色して使うのが一般的だけど『ヒマラヤ』の場合は染色ではなく、脱色するのよ。」


「染色も脱色も、手間は変わらないんじゃないの。」


「手間の問題と言うより、染色しないからこそ出てくる問題があるの。」


「どういう事?」


「クロコダイルレザーには自然の生き物が元々持っているグラデーションが必ずあるけど、染色するなら特に問題にはならない。だけど無染色の場合だとそうはいかないわ。素材のグラデーションがそのまま出てしまうから、美しいグラデーションを持つ素材を厳選げんせんする必要があるの。だから『ヒマラヤ』は素材が『ニロティカス』でも『ポロサス』以上に希少きしょうになるのよ。」


「なるほどねぇ・・・」


「それに染色しないからといって、そのまま使える訳ではないわ。レザーの表面にマット仕上げをほどこす必要があるの。それをおこなって初めて、あの美しい白銀色を出す事が出来るのよ。」


「マット仕上げ?」


「簡単に言えば、クロコダイルレザーの表面をウールのフェルトで研磨けんまする処理の事ね。クロコダイルやアリゲーターに対しては、フェルトではなくメノウ石で研磨けんまするフィニッシング方法もあって、これは『リゼ仕上げ』と呼ばれているわ。」


「どこが違うの?」


「リゼ仕上げがつや出し処理で、マット仕上げの方がつや消し処理になるけど、『ヒマラヤ』の場合は必ずマット仕上げが選択されるわね。」


「うーん・・・つまり染色していないニロティカスにマット仕上げをほどこしたもので作ったケリーバッグが『ヒマラヤ』という事で合ってる?」


「正確にはケリー以外のモデルでも、無染色のニロティカスマットであれば『ヒマラヤ』と呼ばれているわね。染色していないから、同じ白銀色でも厳密には全て色が異なるのよ。はんの形も微妙に違うので、同じバッグは2つと存在しないわ。」


『真夕さんがここまでくわしいという事は・・・』


私の脳裏のうりに一つの直感がひらめいた。

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