第14話 【佃=マンハッタン】

東京都中央区つくだ


ここが私の生まれ育った町だ。


この町と地球の裏側にあるManhattanマンハッタンには意外にも数多くの共通点が存在する。


現在の佃は隅田川の中州である佃島を成り立ちとしており、一方のManhattanマンハッタンもまたハドソン川の中洲を成り立ちとしている。


佃では明治時代の初めより約100年もの間、石川島播磨重工業の東京工場が操業していた。


佃はかつて造船の町だったのだ。


一方、Manhattanマンハッタンからイースト川をへだてた対岸には、ニューヨーク海軍造船所が存在していた。


今から40年以上前の1979年、9万2000㎡に及ぶ広大な東京工場跡地が払い下げられ、官民が共同で開発する、当時としては最先端の大規模再開発が始まった。


それが今の「大川端リバーシティ21」である。


「大川端リバーシティ21」は現在まで続く東京ウオーターフロント開発の出発点であり、そこに建設されたタワーマンション群は、その後日本中に数多く建設されるタワーマンションの原型ともなっている。


そのため高層ビル群というのは、私にとって原風景と言えるものだ。


このように元々川の中州であった事、そして海が近い事、さらには高層ビルが林立している事、私が住む佃とManhattanマンハッタンは、驚くほど似たような環境だった。


私がニューヨークに行った時に、何故か懐かしさを覚えたのは、そのせいもあるのかもしれない。


そんな風に考えるようになったのも、ニューヨークに行ったおかげだろう。


私の家は佃で江戸時代から続く老舗しにせの佃煮屋だ。


忙しい時間だけパートの従業員に来てもらってはいるが、基本的には父が製造、母が接客、私と妹が接客の手伝いという、昔ながらの家族経営の店である。


恐らく先祖代々似たような形で200年以上、店は受け継がれて来たのだろう。


佃は戦災をまぬがれたため、現在の店舗は関東大震災で焼失しょうしつした際に再建されたものが、そのまま使われている。


そのレトロな店構えから、情報番組の取材を受けたり、テレビドラマのロケ地として使われた事も一度や二度ではなかった。


大学からの帰り道、その日の私は一人ではない。


「真夕さん、本当に来るの?」


「ええ」


私が大学で佃の店の話をした時の彼女まゆさんの反応は、私の予想をはるかに上回るものだった。


ただ私としては彼女まゆさんをいきなり連れていく事に抵抗を感じていた。


麗央れいおうと下町の文化の違いについては、私自身が日々痛感しており、私は下町文化の洗礼を受けた彼女まゆさんがショックを受けるのではないかと恐れていたのだ。


「あのさ、レトロと言えば聞こえは良いけど、本当に年季ねんきの入った店だからびっくりしないでね・・・」


「それはさっき聞いたわ。」


彼女まゆさんの意思は明確であり、今まで何かしら理由を付けて結論を先延ばしにしていた私は、ついに彼女に押し切られる形で家に招待する事になった。


いつもとは逆のパターンである。


「あれが私の家」


角を曲がった私が指差した先には木造二階建ての店舗が姿を現し、彼女まゆさんは目を輝かせながら店に近付いて行った。

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