第9話 戦う堕犬娘
自殺してすぐに藁のベッドで目覚めた私はチュートリアルダンジョンの探索の準備を始めた。
コアストアのショップで探索に役立ちそうなものを物色する。
するとフリーズしていたイヌが小言を言ってきた。
「マスター! いくら死んでも蘇るとはいえ、心臓に悪いですから急に自殺するのは止めてください!」
心臓が無いのに何を言うのかと内心で突っ込むながら軽く聞き流す。
「分かったよ。次自殺する時は気を付けるよ。だけどそんなに言うなら再生スキルを発動すればよかったんじゃない?」
「再生スキルは毒などの状態異常には効果が発揮されません。即死じゃなければどんな怪我も元に戻せますが、再生完了するまで時間が掛かるんです。自分のスキルレベルでも四肢欠損の再生に半日は掛かりますよ」
なるほど。
だから亜空間に怪我した体を置換して、安全かつ時間を掛けて再生させるのか。
万能の回復手段でないのは残念だが、地球の常識からすれば冗談みたいなスキルだ。
ちなみに私が直接触ることで、その相手も再生スキルの効果対象に含まれるのだとか。
「ところでマスターは先ほどから何をしているのですか?」
「買い物だよ。もう終わったけどね」
幾つかの物を購入し終えた私はチュートリアルダンジョンの探索に行くことにした。
ちなみに購入した物は――男女別の古着と靴下と下着を数着、男女別用に使いわける革靴と片手武器用のメイス1本、スキル付与された水筒1個だ。
合計DP500ポイントが懐から出て行った。
堕犬娘の時に胸が邪魔だったからスポーツブラが欲しかったのだ。その時に古着と下着が格安だったのを見つけて他の服も衝動買いしてしまった。
堕犬娘のカップ数をイヌに聞いて答えられた時は恥ずかしかった。女性人格で堕犬娘の体とセットだったから、そこら辺の知識もあるらしく頼りになる相棒だった。
メイスは全鉄製の片手武器で、扱いやすそうだったから選んだ。
スキル付与された水筒は、半日に1リットルの水が湧き出るアイテムだ。
防具やその他道具類は買わない。半日かけて行ける所まで行って、探索とDP稼ぎをしたら死んでマイルームに戻る予定だ。
「イヌ。体を堕犬娘に変えてくれないかな? 服を着たいんだ」
「いいですけど男性の時は服を着ないんですか?」
裸のおじさんのままの私にイヌが疑問を持ったようだ。
どうせ戦闘で破れるだろうから催眠おじさんイチローの時は服を着ないつもりだから問題ない。男性用の古着はマイルームにいる時のみ着るつもりだった。
そう伝えるとイヌは渋々といった様子で従った。
どうやら服を着た私の姿を知りたかったようだ。
物好きな奴だ。
心身置換スキルで置換された体は亜空間で服ごと保管されるので、こうして男女別に服を使い分けとかないといけないのが少しだけ面倒だった。
イヌにスポーツブラの正しい着方を教わり、ついでに堕犬娘の体でいる時の注意点なども聞いた。
女性の体って大変なんだなとしみじみ思った。
「さて、行くか」
高く柔らかい声を発して気合を入れる。
今回は堕犬娘の性能チェックをするため最初から堕犬娘イチローに変わっている。
古着のジャージとズボンを着て、メイス片手に金属扉の前に立つ。
水筒はイヌの亜空間を使わせてもらった。時間経過しない上に学校の教室ほどの広さがある亜空間だ。いざ使ってみるとその便利さが分かる。
ズボンは尻の所に尻尾用の穴を開けといた。その時に失敗して臀部が少し見えるぐらいの大きめの穴になってしまった。
私は気にしなかったがイヌが騒がしかった。
マイルームを出る前に武器を軽く振ってみる。
上下左右から振っていくがメイスの重量に体がつられずしっかり振れた。
催眠おじさんイチローの時はこうも楽にメイスは扱えなかった。肉体的にこちらの方が優秀のようだ。
イヌと時たま会話しながら探索に出る。
初日同様、分かれ道では右側の方を選んで進むとスライムを発見した。
スライムはバスケットボール程の大きさで、半透明の粘液の体をナメクジの様に動かしてこちらにやって来た。
「マスター。スライムです。やっちゃいますか?」
「そりゃあ、倒すに決まってるだろ」
「自分はマスターの服が溶かされて嬉し恥ずかしい展開になるのを希望してます」
「それだと私がやられちゃってるじゃん……」
あいにくイヌの要望には応えられない。
スライムの粘液は服どころか肉と骨まで溶かすから下手に触れると悲惨な目に合う。
人面犬に瀕死状態にされた時にスライムをけしかけられたから知ってるんだ。
すぐに溶かすほど粘液は強力じゃないし、火に弱く動きも遅いのでモンスター単体としては大ダンゴムシと同程度の強さだ。
掲示板の情報で弱点が粘液の中にあるビー玉みたいな核だと知っている。
核となっているそれの位置も半透明の体だと丸わかりだった。
素早く近づきスライムに何かさせる暇を与えず、弱点目掛けて思い切りメイスを叩きつける。
それだけで核は簡単に叩き潰されてスライムの体が粒子となって消え去った。
これでDP10ポイント分の稼ぎのはずだ。
「もう戦闘終了ですか」
「そんな手こずるモンスターでもないし、この体の性能と近接特化スキルだと尚更だね」
スライムは掲示板で知られているモンスターの中でも最弱で有名だ。
とはいえ、まさかここまで弱いとは思わなかった。
堕犬娘の性能を確かめるのは他の2種類のモンスターに期待しよう。
そのまま通路を進むと今度は大ダンゴムシを見つけた。
軽くなった体で試しに通路の壁を三角飛びして大ダンゴムシの背後に回る。
この体なら出来るという妙な自信があってのことだった。
本当に背後に回れた時は忍者にでもなった気分だった。軽業スキルのおかげだろう。
その流れで初日の倒し方をすると両手でひっくり返していた大ダンゴムシを片手でひっくり返せれた。
メイスで片手がふさがれていたのを直前になって気づいての咄嗟の行動だったが以前ほど重く感じなかった。
「はっ」
大ダンゴムシの腹に大きく振りかぶったメイスを一息に振り下ろす。
その一撃でたやすく腹は破壊されて二度目の打撃で大ダンゴムシは絶命した。
実にあっけない終わりだった。
私は目の前の粒子を眺めて考える。
大ダンゴムシを倒した経験があるので比べて分かる。
堕犬娘は強い。
レベル1のスキルでこの結果だ。おそらく素で強いのだろう。
だがここで疑問となることがある。
堕犬娘のステータスの数値を思い出すと攻撃力が32だった。
対して催眠おじさんイチローのステータスの数値――攻撃力は2しかない。
単純な計算の見方をすれば堕犬娘は催眠おじさんイチローの16倍の攻撃ができることになるが、私はそんなかけ離れた攻撃力があったとは思えないのだ。
一般男性より少し下回る程度の身体能力の催眠おじさんイチロー。その16倍の攻撃力を出せる身体能力は堕犬娘にはなかった。
つまり両方の数値は比較すべきじゃないということだ。
今はそれだけ分かればいい。
数値は目安だと思っておけばいいのだから気にしすぎても仕方がない。
実際にどんな性能なのかは実地で試していけばいいだろう。
その後、スライムと大ダンゴムシを何体か倒しながら探索を続けた。
今の私にとってこの2種類のモンスターは敵ではなかった。
安いがDP稼ぎには都合がよかった。
体感的に半日が過ぎただろうか。
そろそろお腹も減った来たから死のうかと思っていると足音と何かを引きずる音がした。
「音からして中型の新手のモンスターのようですね」
「しっ。静かに」
ああ。
私はこの音に聞き覚えがある。
近くの曲がり角から鱗に覆われた体が現れた。
リザードマンだ。
あの時見たのと同じか分からないが身長が2mはある大柄な奴だった。
素手のようだが鉄製の胴鎧を着て腰布を巻いている。時折長い舌を出し入れしていた。
「キシャ―」
独特な鳴き声を聞きながら身構えて、メイスを握る手を強くする。
リザードマンがじっと私を見つめてくる。感情のうかがえない瞳はこちらを品定めしているようだ。
あの時あれほど恐怖したモンスターだが、今の私に恐れも怯みも無かった。
これまでの経験と精神耐性スキル。それに自身の強さを知る私は戦う意思を既に持ち合わせていた。
動いたのは同時だった。
巨体を活かした大きな一歩で距離を詰めてくるリザードマン。
私はその場から天井すれすれの高さまで跳躍して、襲い掛かるリザードマンを飛び越える。
背後を取った私はすかさず顔面にメイスの打撃を与えた。
硬質な音がメイスの先から聞こえた。
腕で防御されてしまったか。反応速度が速いな。
それに鱗が思ったよりも硬く大ダンゴムシ以上の防御力があるようだ。
リザードマンのもう片方の腕が横殴りしてくる。
ギリギリ反応して後ろに避けると爪先が顔をかすめて頬がざっくりと切れた。
頬が焼けたように痛みだして血が流れる。
種族ゆえだろうか。これまで以上に五感が冴えてきた。
身を低くして懐に入ろうとすると蹴りが正面から放たれる。
リザードマンのその蹴りをゆっくりとした動きで感じ取り身をねじって避ける。
顔の横を足が通り過ぎるのを見ながら軸足の指先へとメイスを叩き込む。
ひき肉を叩き潰したような感触と音がした。
倒れるように通り過ぎた私がリザードマンの方を向くと足の指が何本か潰れていた。
「キシャ―!!」
怒りを多分に含んだ声が上がる。
リザードマンが無事な足を掲げて倒れていた私の顔を踏みつぶそうとしてきた。
体を転がせて死の危険から逃れる。
そしてすぐに立ち上がりリザードマンの顔にメイスの一撃をお見舞いする。
ガツンと鼻先を叩かれたリザードマンが悶える。
私はメイスを両手で持ちゴルフのスイングの要領でリザードマンの顔面を打ち上げる。
たたら踏むリザードマンの頭頂部に力の限りメイスを追撃させる。
膝をつくリザードマン。
更に攻撃しようと腕を振り上げようとしたら左腕を掴まれた。
引き剥がそうとこちらが動く前に万力の様な力が左腕に掛かった。
「うぐっ!?」
骨の軋み左腕が握りつぶされそうになる。
私は奥歯を噛み締めて痛みをこらえるとメイスを再度リザードマンの頭に叩きつけた。
渾身の一撃はリザードマンの頭蓋をを叩き割り血と脳漿を巻き散らせた。
粒子となって崩れ去るリザードマンを一瞥した私は大きなため息をついてその場に座り込む。
「つっかれたー」
「白熱の戦いでしたねマスター。怪我をしたことですし体を置換して再生しましょうか?」
イヌが心配げに聞いてくる。
私は無事だった左腕を動かして頬の傷に触れる。
「イテテ。頼むよ。だけどお腹も減ったから死んでマイルームに戻るろうかな」
イヌには行く前にどうやって戻るか言っていたのですんなりと聞き入れてくれた。
催眠おじさんイチローに変わった私は、毒で自殺を図ってマイルームに戻るのだった。
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