第7話 宝箱は欲望がいっぱい

 人面犬との戦いを終えた小部屋。

 薄暗く血だらけの床の上に、負傷した真っ裸のおじさんと銀色の宝箱がある。

 言葉にしてみると何だこれって思う。

 だけど悲しいことに裸おじさんが私だという辛い現実。


「くっひひ」


 戦闘後の興奮と多幸感で変な笑い方をしてしまう。

 この催眠おじさんの体になってから前の私との齟齬を感じる。

 体に精神が引っ張られているのだろうか。

 体液毒化スキルを解除しながらそんなことを考える。


「痛ッ」


 怪我の痛みに頬が引きつった。

 戦闘時は気にもしなかったが、だんだんと頭が冷えてきて痛みを認識しだしたのだ。


 怪我の具合を確認しとこう。

 人面犬に爪を立てられた部位は皮膚を突き破って筋肉まで達して血が出て痛い。

 そして人面犬にトドメの一撃を食らわせた右肘の骨が折れてるのか腫れてきて痛い。

 ちなみに押し倒された時に打った背中もまだ痛い。


「……泣きたくなってきた」


 この程度の怪我は死ねば体は元通りになるし、その際の心理的負担もスキルのおかげで平気だけど痛いものは痛いのだ。

 だからこそ思う。


「ああ、死んで楽になりたい」


 そうすればマイルームに簡単に戻れるし痛みともおさらばできる。

 中年おやじが言うと冗談に聞こえないセリフを吐きつつ、そうできない原因である足元の銀色の宝箱を見る。

 装飾のない銀色の宝箱が鍵も鍵穴もなく床に置かれていた。


 宝箱の存在について掲示板でもいろいろ言われていた。

 ダンジョン物のゲームに似たこの場所はシステム的に類似点が多い。


 宝箱もそのうちの一つだ。

 チュートリアルダンジョンの通路や部屋にランダム配置されているそうだ。

 また、どういう原理か不明だがモンスターを倒すと稀に宝箱が出てくるという報告もされていた。

 つまり私の目の前の銀色の宝箱はドロップアイテム入りの宝箱といわけだ。

 ただし、宝箱と言っても箱自体は木製で染色しただけだからオークションに出す価値は低い。というか宝箱の特徴の一つに、置いてある場所から移動できないというのがあるので宝箱自体を持ち運べない。


 宝箱の中身についてはいろいろ報告されていて、強力な武器からサイズの合わない片足サンダルまで発見されている。

 要は開けて見なければ分からないというわけだ。

 ただし宝箱の色で中身が推察できる。


 掲示板で今のところ判明している宝箱の色は3つ。

 銅色の宝箱。銀色の宝箱。金色の宝箱だ。

 銅、銀、金の順に性能の良い物が入っている可能性が高くなる。


「銀色の宝箱ならそう悪い物が入っていないはずだけど……」


 正直、片腕動かしたくないし若干面倒だなと思っている。


 宝箱は百科事典ほどの大きさだ。中身に比例してサイズが変わるそうなので、持ち運べないような大きい物ではなさそうだ。

 銅色の宝箱なら放って帰るし、金色宝箱なら絶対中身を持ち出して帰る。銀色の宝箱は判断に迷う微妙なラインだよな。


「まあ、開けるんだけどね」


 ごちゃごちゃ考えるのも飽きた。中身を見てからどうするか決めよう。

 この時、気を付けるべきことはゲームの宝箱同様、チュートリアルダンジョンの宝箱にも罠があることだ。

 全ての宝箱に罠があるわけではないそうだが一応気を付けとこう。


 銀色の宝箱の蓋に手を掛ける。

 心臓の鼓動が少し早くなるのは期待と不安からか。

 立ち位置を銀色の宝箱の後ろ側。蝶番ちょうつがいの方に変えて蓋を開ける。

 その瞬間、歯車がかみ合う音がしたと思ったら何かが宝箱正面側に向けて素早く飛び出していった。

 そして正面側の石壁に何かが突き刺さる甲高い音がする。

 宝箱の背後からその光景を見てた私は、石壁に突き立った金属矢を見て安堵した。


「やっぱり罠があったか」


 人面犬から出た宝箱が安全なわけない。

 けれどもこれでもう大丈夫かな。


 身を乗り出して宝箱の中を覗く。

 銀色の派手な外側と異なり、内側は白布を貼り付けた簡素な作りだった。

 その箱の底には、革製の黒いベルトが1本だけ入っている。


「これは首輪か?」


 手に持って伸ばすと胴に回すベルトにしては短すぎだった。留め具に犬の横顔のアクセサリーがある。

 長さ的に首輪にしか見えなかった。


 こんな物でもオークションで売ればDPの足しになるだろうか。

 鑑定スキルがないからどんな物かも分からないが、このままだとただの首輪としてオークションに売らなければいけない。

 銀色の宝箱から出た首輪だと売り出しても果たして買う奴はいるのだろうか。

 仕方ない。試しに首輪をはめてみるか。


「バケツも持ち帰りたいから両手は空けときたいし……あれ? 意外と簡単にはめれたな」


 片手で首にベルトを巻くと、もたつくことなく留め具を止められた。

 拍子抜けするほどだった。

 首の締め付けに苦しい所は無い。それだけジャストフィットしているのだろう。


「悪くないな」


「起動。インテリジェンスアーマー<堕犬だけんの首輪>の装着を確認。装着者の身体状況を把握します」


「ほぇ?」


 突然の女性の声。

 機械的な口調に対して力の抜けた声が出てしまう。

 声の発声元は付けたばかりの首輪からだった。


「把握完了。身体状況:危険と判断。能力の強制発動を実行する」


「ちょっ。待って――」


 嫌な予感がして静止の声がけをする。

 だがそんな発言を無視して首輪は能力とやらを発動させてしまう。


 首輪の締め付けが少しきつくなる。


 私は咄嗟に首輪を外そうと手を動かした。

 白魚の様な細い指先が首輪にかかり、肘を曲げた腕が柔らかな胸を押し潰す。

 その体の違和感に手が止まる。


「なんだこれ?」


 おじさんらしくないアルトボイス。

 目線の高さもいつもより低くなっている。

 分かりやすい違和感として、耳と尻に黒い獣耳と尻尾が生えていた。

 そして最も大事な部分。

 男性の象徴が――無かった。


 思い起こされるのは堕犬の首輪という先ほどの首輪の発言。

 そして自身の体の変化。


「私は女になったのか?」


 小首を傾げると肩に掛かっていた長髪の黒髪が流れる様に落ちた。


「イエス、マスター。ただし正しくはマスターの体は置換されたと言うべきです」


 私の疑問に首元からスラリと答える声がする。

 あぁ、やっぱり首輪が喋ってるんだな。


 置換という事は、私の体が変化したのではなく、別の体に置き換わったのか。


 心が凪の様に静かになっていく。

 性別転換した強い動揺が嘘のようにしなくなった。


 この場所に連れ去られてから突発的かつ危険な出来事が多すぎた。精神耐性スキルもあるのでマイナス方向に感情が振り切れないや。


「聞きたいことがいっぱいあるけど、まず君は何?」


「自分はインテリジェンスアーマー<堕犬の首輪>。知性ある防具です」 


 知性ある防具。

 ファンタジー小説に出てくるインテリジェンスウェポンの防具版というわけだ。

 首輪を防具と言い張るのは変だと思うが凄い物が宝箱から出てきたな。


「そっか。自己紹介ありがとう。私の名前は催眠おじさんイチローだ。私の事は好きに呼んで構わないよ」


「問題ありませんマスター。自分のことはイヌと呼んでください。興奮しますので」


 マスター呼びは固定なんだな。

 むず痒い感じがするが私の方で呼び慣れるしかないようだ。


 だけど凄いなこいつ。

 私がステータスの名前通りに催眠おじさんイチローと名乗ったのに驚きもしないとは。しかも逆に自己紹介でセクハラしてきたし。

 いや。今は女の体になってるからこの場合はどうなるのだろうか。


「それじゃあイヌ。私の体って元に戻せれるのかな?」


 これが一番聞きたかった。

 ずっと女のままとか辛すぎる。

 若い男性だったのに中年おじさんに変わり、その次はケモミミ娘になるとか意味不明な事態だ。


「マスターの体は元に戻せます。残り時間34分で男性体の再生が完了します。その後に体の置換を実行する予定です」


「へぇ、私の体を治してくれるんだ」


「知性ある防具の自分は、高レベルの亜空間と再生と心身置換スキルを持っています。装着者の体を置換し、亜空間に保管した体の再生をすることができます」


 なるほど。

 再生に時間が掛かるものの、怪我した体を入れ替えてけば負傷退場しなくて済むのか。

 最初の発言と能力からすると、私の体を治すために無理やり動いてしまったようだが悪い首輪じゃなさそうだ。


「ところで、なんで置換する体がケモミミ娘なの?」


 ユニークモンスターである人面犬を倒して手に入れたアイテム。

 モンスターを倒して出現する宝箱の中身の傾向は、倒したモンスターに関係する物が出やすいとあったが悪意を感じる。


「それは自分の創造主が決めた事なので詳しくは分かりません。おそらく変態願望の持ち主だったのではないかと考えてますが」


 おう。創造主相手に毒を吐くとは。

 本当にいい性格をしているようだ。

 オークションで売ろうか迷ってたけど能力と性格的にも手放すのは惜しくなってきたな。

 女性の体になるのは抵抗感があるし胸が邪魔だったけれども、中年おじさんの体よりも活力があって体が軽い。

 身体能力が高く、ジャンプしたら天井に頭をぶつけてしまった。


「素晴らしい動きですマスター。眼福であります」


「……眼がないのに眼福とはこれ如何いかに」


「外界の把握に眼は使用してませんが、心の目で見て感じてますので」


 全く知的じゃない会話をする私とイヌ。

 裸のケモミミ娘とインテリジェンスアーマーの残念会話というがっかりなシチュエーションだ。


 こんな会話をしてたら34分という時間はあっという間だった。

 ケモミミ娘から催眠おじさんイチローに変わった私は、バケツを両手にマイルームに戻ることにした。

 その時にどんなマスターでもウエルカムですと発言する知性ある防具。


 今日は色々な事が起こり過ぎて疲れた。

 藁のベッドで早く寝たいものだ。

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