第25話:無縁

 式典から数夜が明け、都市に満ちていた種々雑多なざわめきも、いくらか鳴りを潜めた時分。


 戦闘服姿のトリーシャは、たった一名で、獅子守小隊の寄宿舎が建つ小さな浮島の突端に立ち、防護衣マフラーをはためかせている。


 あまりに、静かな朝だった。

 言われなければ、気づかない者もいるかもしれない。平穏で清涼な空気に包まれている都市は、今まさに──竜の襲撃を受けているのだ。


しかし、敵襲を知らせる早鐘も、飛び立ち戦う魔法使いたちの喧騒も、聞こえては来ない。彼女のみならず、都市全域において〈英究機関〉から待機命令が発出されているのだ。


 下手に竜へ近づけば、現在、小隊の魔法使いに成り代わって都市を守っている存在から放たれる、容赦無い砲撃に巻き込まれかねない。何より、トリーシャが襲撃を受けてなお、戦場に向け飛び立っていないという事実が、状況の異質さを物語っている。


 〈さとり〉の観測精度と〈やじり〉の放つ熱線の威力は、現存するあらゆる魔導技術の常識を覆すものだった。


 これらの機械装置は、地上での戦闘終了後、〈英究機関〉から新型の都市防衛機構という肩書きで紹介された。

 超高空の衛星軌道上に放逐された、旧人類文明の人工衛星を鹵獲、改修したもので、竜の現存位置や、再誕するその座標をも観測し、当該地点を瞬時に赤雷の熱線で射抜くという。


 数えきれないほどの竜の分体たちが、都市に接近することさえできずに撃ち落されていく模様が、未明に配信されたアーカイブニュースで大きく取り上げられていた。


 〈眠り竜〉からの癒やしの波及を断たれ、無制限の行動力と再誕速度を奪われた竜にとって、この追跡者は非常に厄介な存在といえた。

 現段階では、都市防衛用として射程範囲は限定されているが、将来的には地上の全域を照準に収め、一瞬たりとも竜の存在を許可しない殲滅装置へと進化させていく予定だという。


 その方針に応じ、早速、観測精度や熱線の威力向上に関する技術が、何件か管理収録者委員会に上程されたという噂も飛び交っているほどだ。

 地上の戦闘に加わることができなかった学者筋の魔法使いたちは、満たされざる功名心と、拭いきれぬ罪悪感の二脚でもって、既に走り出している。


 〈英究機関〉の虎の子が、そのヴェールを焼き払い、忽然と現れたインパクトは、魔法使い社会に少なくない影響を与え始めているのだ。


 トリーシャは、竜の襲撃と待機命令が知らされた直後からここに立ち、HUDネットワークに常駐し、都市全域を見張っている。その拡張された視界の至る所で、熱線と竜の断末魔が交錯している。


 発見から射撃、消滅に至らしめるプロセス全体で、わずか数秒。中には再誕直後、まだ粒子が実体として結実しない段階で消し飛ばされている光景も見られる。


 その威力のほどを、ごく近い位置で、既に体験しているトリーシャは、首元が粟立つような感覚と、言いようのない腹立たしさを殺しきれずに居る。

 そんなトリーシャの感情など意に介さぬ、不気味なほど安定した〈やじり〉の働きは、もはや伝説のように語られることさえあった平和の二文字を、一挙に現実のものへと近づけている。


 刻々と時間だけが過ぎていく中、トリーシャは不意に顎を下げると、踵を返す──それと同時に、戦闘終了を告げる鐘が重く響いた。

 この日、獅子守小隊を含むすべての魔法使いは、自らの戦史初となる、撃墜記録なしで防衛戦を終えることとなった。


 寄宿舎の方へ歩んでいく途中、トリーシャは何気なく下方へ視点を移す。

 その先には、人工雲を突き抜けて地上から届く、採取された触媒元素の噴出してくる様子が、遠くに小さく見えた。


 竜から奪い取った亡都遺跡を中心に、地上には既に数百台規模の触媒採取機が打ち立てられており、怒涛の勢いで採取を開始しているのだ。

 おかげで、一度は尽きてしまった触媒の貯蔵量は、一転して余剰分の貯蔵場所を検討せねばならないほどに改善している。


 採掘した元素物質を高々と都市付近まで跳ね上げ、人工雲の直上に設置された取り入れ装置にスローインする手法が採用されている。あの元素の噴出は、その途上にあるものだろう。


 事実のみを拾えば、それは単なる土砂の奔流に過ぎないが、遠くから見れば、内に交じる鉱石の欠片などが日光を照り返し、星屑のような趣さえのぞかせる。

 しばしの間、それに見とれた後、トリーシャは息をつき、大きく伸びをしてから、首を左右に振って筋を伸ばす。


 最近は待機指示の連続で、ろくに身体を動かしていない。

 戦果の面でも、変動はない。そもそも撃墜数という評価に興味はなかったが、停滞した状況そのものに飽いているのだ。


  ──苛々した時は、お茶でもどうぞ。

 呼びかけに振り返った先には、邸宅からティーポットとふたつのカップをトレイに乗せて出てきた、オリビアの姿があった。彼女は支給の制服姿で、〈英究機関〉の待機指示を真面目に守っていた格好である。


 「別に、そんなことないけど……」

 反論してみるものの、思うところは見抜かれているらしく、オリビアはそのまま邸宅の前に置かれた白のテーブルに、ポットとカップを乗せ、いそいそと茶会の準備を始めてしまう。


 咳払いで照れた気配を押しのけると、トリーシャは観念してテーブルに歩み寄る。その上には、お茶請けに用意された菓子類が並んでいた。


  ──好みに合っているか、分からないけど。

 「いいチョイスだよ。ありがたく頂きましょう」


 ゆっくりとベンチに腰を落としてから、トリーシャは静まり返った邸宅の方を見やる。

 甘い菓子とくれば、いつもなら歓声が響き渡るところだが、今に限っては静かなものである。

 騒がしい捕食者たちである鼎とウルリカは、ここにはいない。


 「ウルリカは──今日は、勉強会って言ってたっけ」

  ──そう。銃火器使いの同好の士で集まって、訓練をすると言ってた。


 ウルリカは、このところ頻繁に外出している。地上戦で、触媒の不足による弾切れを経験したことが本人にとってはよほど悔やまれたらしく、一から鍛え直してきます、というのが本人の弁であった。


 彼女の目指すところは、今より、もっと高い場所にあるのだろう。そこへ一心に向かうのを、心強く、そして少しだけ羨ましく思いながらも、トリーシャは、今後について心配な点があった。

 ウルリカの努力が報われるか、ということと──そもそも、戦闘ができるかどうか、ということであった。


 〈さとり〉と〈やじり〉の威力については言うに及ばず、小隊の魔法使いたちが出動する機会は激減しているが、この獅子守小隊には、さらなる枷が嵌められていた。


 小隊長である鼎の不在──彼女が入院してしまったことで、小隊は事実上の休眠状態に追い込まれていた。


 突如、鼎が意識を失ったのは、〈眠り竜〉の消滅直後だったという。トリーシャが小隊と合流した時には、既にウルリカに抱えられ、力なく手足を垂らしていた。


 取り急ぎ担ぎ込んだ、野戦病院の所見によれば、身体的には特段の異状もなく──覚醒を待つしか無いという。

 〈やじり〉の熱線を受け止めた時、再生負荷による神経紋の損傷を受けたのか──あるいは、あの謎深き漆黒の炎を生じさせたことの影響なのか。


 先日、都市の中央病院に身柄を移されたものの、いまだに意識を取り戻さないため、その口からは、何も聞くことが出来ずに居る。

 どちらかといえば、静かな環境の方を好むトリーシャではあったが、今の状況は、少なからず彼女に寂寥を覚えさせていた。


 ごまかすように、オリビアが用意してくれた菓子類を次々とつまむ。

  ──今日はお見舞いに行かないの?

 「昨日も行ったし、今日は……別にいいでしょ」

  ──一昨日は行ってたけど。その前の日も、その前も……。


 「防衛戦もないし、暇つぶしのついでだよ。──ま、今日は行かないけどね!」

  ──そうですね。今日くらいは控えて欲しい。毎日、泣き腫らして帰ってくるのを見るのも、少し辛いから。

 「う……うるさいな……そんなところまで観察しなくていいっての」


 赤面を隠すように、トリーシャはティーカップをあおった。一杯目のぬるさに助けられて火傷はしなかったが、それでもオリビアの苦笑を向けられるのは免れ得ない。


  ──隊長は、きっとよくなるから。心配しすぎずに待ちましょう。

 トリーシャは、小さく頷いて、空になったカップを置く。そこへすかさずオリビアが二杯目を注ぎ入れるのを、静かに見つめている。


  ──これで、戦争は終わりだと思う?

 オリビアから差し出された、ティーカップと問いかけ。都市の誰もが、この状況を前にして、脳裏に浮かべたであろう甘い空想。それを、オリビアは短く表現してみせた。


 「戦争の終わりか……。想像できないね。竜のいない世界なんて」

 魔法使いと竜との戦争が始まってから、すでに数百年が経過している。いかに年かさの魔法使いといえど、その素直なトリーシャの感想に倣うだろう。


  ──とはいえ、竜がいなくなったわけじゃない。ただ、存在を塗りつぶしてるだけ。


 オリビアがこぼした現実的な否定に、トリーシャはうなずいて、今度はゆっくりとティーカップを傾ける。温度と風味は、いつもながら完璧だった。

 トリーシャは、この二つ年上の魔法使いを、戦闘時だけでなく、日常的な面でも密かに頼りにしている。


 いかなるときも冷静な彼女を見習い、直すべき点が、自分の中にはいくつもあるように思えた。具体的に何を真似たらいいのか分からないのが、偽らざる現状ではあったが。


 「ところで……先生は、まだ見つからないの?」

 オリビアが、ひとつだけ頷く。

 〈眠り竜〉を消滅させた直後、アンナは、何も言い残さず飛び去ってしまったのだ。


 それ以来、姿も見せず、連絡もなく──気づけば、戦時行方不明M・I・Aということになっていた。


 彼女が禁呪を再生していた事実──それは、何者かが流出させた動画ファイルによって都市に知れ渡ってしまった。〈眠り竜〉の撃破という最大級の勲功をもってしても、禁忌に触れた事実をそそぐには至らず──おそらく、断絶は免れない。


 だが、トリーシャはそれを対岸の火事とは思っていない。作戦中、地上の大隊に、禁呪の傘に隠れて生き延びよと指示した、副長としての立場もある。もしも断絶されるなら、アンナと同罪、同時の処断となるだろう。それは、あの時から覚悟している。


 〈さとり〉と〈やじり〉によって、戦う場を奪われるのが先か──断絶の罰を賜って、戦う術を奪われるのが先か。

 どちらもトリーシャにとって歓迎すべき事態ではないが、何より、またしても自分の戦いが勝手に終わらされそうになっていることについて、彼女は密かに立腹していた。


 さりとて、今何ができるかというと──考え込みそうになった刹那、オリビアからHUDを経由した警告メッセージが届く。


 戦時でもない今、何故──驚きを押し隠しつつ、指示された方向に目を向けると、この浮島をめがけて飛来する魔法使い一名の姿を見つけられた。

 身につけた防護衣マフラーは、白色に黒文字の刺繍が入った、〈英究機関〉の職員を示すものだった。


 トリーシャは組んでいた脚を解き、立ち上がる。オリビアも、来たる使者に身体を向けて目を逸らさない。

 〈英究機関〉の職員がわざわざ小隊の寄宿舎を訪れるということは少ない。なにか特別の用件でもないかぎり──そう、例えば、断絶の罰を告げるというような。

 次第に心音がうるさくなるのを自覚するトリーシャとオリビアの眼前で、職員は浮島に着地すると、恭しい所作で防護衣マフラーを引いた。

 「獅子守小隊副長はおいででしょうか」

 「──ここに」


 職員の前に歩み出て、トリーシャは防護衣マフラーを引いて返礼する。

 そこに差し出されたのは──一通の手紙だった。反射的に受け取るトリーシャを確認すると、職員は、静かに告げる。


 「最高賢者様からのお手紙、たしかにお届けいたしました」 

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