第24話:青空

 雲の上にある魔法使いの都市に、雨の日はない。


 いつもと変わらぬ、爽やかで抜けるような晴天も、今日ばかりは皮肉に映る。

 都市最南端、全ての浮き島の中で、もっとも高い位置にある、その島いっぱいの面積を費やして築かれた慰霊碑広場には、管理収録者委員会に属するすべての賢者と、その麾下にある〈英究機関〉所属の魔法使いたちが集結している。


 「本日、私たち魔法使いは、大きな喜びと、深い悲しみに接することとなりました」


 最高賢者カールハルト・フォン・イフリテスの、静かだが張りのある第一声にて、慰霊祭と銘打たれたその式典は開幕の運びを迎える。


 〈眠り竜〉がこの地上から撃滅されてから、三週間。

 その時間をかけて確認された、地上作戦による戦死者、五八○名。


 竜と戦い、期せずして終の寝床に就くこととなった魔法使いたちを弔うために、多くが集まったのだ。


 「先の地上作戦において、私たちは〈眠り竜〉の撃破という偉業を成し遂げました。しかし──そのために、尊い幾多の命が、犠牲となりました」


 勝利と同じか、より重い事実に、慰霊碑広場は水を打ったような沈黙に包まれている。時折響く鳥の囀りだけを背に聞き、カールハルトは演説を続ける。


 「あまねく何よりも勇敢で、気高い同胞の魂を、ここにその英名とともに刻み、永久に悼み敬うことを誓います」


 締めの文言が、都市全域に、肉声の振動や同時配信を問わず行き渡った後、厳かに、〈英究機関〉所属交響楽団による、鎮魂曲の演奏が始まる。

 実在の楽器を用いての沈痛な音色を背で聞きつつ、カールハルトは、目の前にそびえ立った石碑に向け、指を滑らせた。


 設えられたばかりだと分かる、無垢な光沢の残る黒色の表面に、その指が曳く青白い軌跡によって、ひとり、またひとりと、英名が刻まれていく。そのたびごとに、参列者の一部から悲痛な声が上がった。


 戦死者の遺族は、賢者と同列の最前位置に招かれている。そこからは、愛した者の名が碑に刻まれる様を、何にも遮られること無く目視できるだろう。


 友人、兄弟、恋人──中には、親や子を失った者もいる。その悲しみは、察するに余りある。もはや言葉にならない慟哭に鼓膜を突かれるたびに、幾度も、英名を刻むその指を震わされそうになり、カールハルトは、音が鳴るほどに奥歯を噛み締めた。


 悲しむなかれ──我、その資格なし。

 呪詛か何かのように、繰り返し、脳裏にその言葉を浮かべ続ける。


 厳しい戦いに、魔法使いたちを送り出したのは、自分なのだ。

 戦果に逸る小隊の魔法使いたちを駆り立て、各所に根回しを巡らせ、臨時会議での提議まで打ち上げて管理収録者委員会の承認を得る──その、すべてのプロセスを実行する合間、合間で、この事態は充分に予見できたし、それを差し止めることさえ可能だった。


 それらの何もかもを振り切って、最後の段を踏み出したのも、魔法使いたちへそれに続けと命じたのも、他ならぬ自分だ。

 叶うなら、今すぐ振り返って遺族たちの足元にすがり、とめどない謝罪の言葉を並べ立てたい。だが、それも己に固く禁じた。


 言葉では、詮ないからだ。大きすぎる喪失に咽ぶ遺族には、何一つ差し戻してやれない。ならば、私にできるのは──。指の震えは、やがて心の動揺とともに止まる。


 滞りなく、英雄となった五八○名の名を刻み終えると、カールハルトは、背筋を伸ばして、慰霊碑に対し大きく金刺繍の防護衣マフラーを引く。


 その場に列席した誰もが、同じ動きで、帰らぬ英雄の冥福を祈った。

 敬礼は一分間ほど続けられると、カールハルトが姿勢を直したのを契機として、楽団の演奏とともに式典は終了する。


 肩を落として会場を辞す者、泣き崩れて動くことも出来ない者──それらの背中を最後まで追うことも出来ないまま、カールハルトは次なる責務と相対せねばならない。


 舞台袖から会場を去る彼を出迎えるように、一台のトラムが音もなく着地する。その乗降扉を内側から開いたのは、リーセロッテだった。


 「お迎えに上がりました。カールハルト様」

 マフラーを引く彼女に同じ動きで答え、歩をトラムに向け進める。


 その時──背後で、何かを叫ぶ声が聞こえたのは、まさにカールハルトがトラムの乗降台に片足を掛けた時だった。


 即座に反応したリーセロッテがトラムから躍り出て、カールハルトを守るように立つ──その眼に写ったのは、会場を去らず残っていた様子の、三○名ほどの集団だった。


 見る限り、全員が防護衣マフラーを身に着けた、小隊クラスの魔法使いであるようだ。その表情はありありとした怒りと苛立ちに染まっており、カールハルトに対して何らかの主張を有することは明白だった。


 舞台の裏で待機していた護衛隊も飛び出し、退散を促すものの、集団は聞く耳を持たない。それどころか護衛隊に迫り、ますます盛んに声を上げだす者も居た。


 「〈英究機関〉は、禁呪を解禁しろ‼」


 そのうちの一名から発された、度し難き一言は、確かに最高賢者の鼓膜を揺らした。

 それは、一度だけの言い間違いではなかった。堰を切ったように、幾度も、そして幾人もから、同じ趣旨の発言が次々とその場に木霊する。


 突然の出来事に、まだ退席していなかった魔法使いたちからも戸惑いの声が上がり、会場は騒然とした空気に包まれつつあった。


 「管理収録者委員会は、アンナ・アシュレイの功績を無視するな‼」

 「失われた命を惜しむなら、禁呪を解禁して、徹底的に竜を撃滅すべきだ‼」


 叫ばれる文言、そのひとつひとつが、口にするのも憚られる禁忌の筈であり──禁呪を取り締まるものの頂点たる、最高賢者の逆鱗を撫で回すに等しい暴挙であった。


 だが、カールハルトが吐き出したのは、激怒の咆哮ではなく、呆れたような嘆息だけだった。

 集団を取り囲む護衛隊の数は見る間に増強され、次第に怒号が遠くへと押しやられていくのを一瞥した後、カールハルトは現場の指揮を執る魔法使いたちに呼びかける。


  ──死者の眠りを妨げる無礼者は、そのまま排除して構わん。彼らを決して、慰霊碑に近づかせるな。今だけでなく、永久に。


 言い切り、今一度、陽光照り返す慰霊碑をしっかりと見つめた後、カールハルトはトラムへと乗り込んだ。

 リーセロッテが続き、乗降扉を閉めると、即座にトラムは発進。〈英究機関〉本館に鼻先を向ける。


 低い稼働音だけが響く中、座席についたカールハルトは、膝の上に載せた両の拳を結び、開く動作を繰り返している。

 決着の瞬間から、一週間もの間、彼は昏睡状態にあった。原因は、〈さとり〉の玉座にて行った一連の行動──それが引き起こした、再生負荷による神経紋の損傷であった。


 意識を取り戻した瞬間は、己が手足でさえ、ここまで自由に動かすことは出来なかった。今も、以前と全く同等とは言い難かったが、この震える手で掴んだ勝利は、決して小さくない。


 最後の主格竜〈眠り竜〉を撃滅したことは、疑いようもない事実と言えた。広範囲に渡る走査を、あの瞬間以来絶えず続けさせているが、再誕の兆候は見られない。


 勝利の報に接し、笑みのひとつもこぼれるかと夢想したこともあったが──新たな苦境の始発点に立たされただけだと気付かされたのは、意識を取り戻してすぐのことだった。


 禁呪解禁論者の急激な勃興──それは、最高賢者不在のわずかな間に、都市を席巻していた。


 今更言及するまでもなく、禁呪とは禁忌そのもの。いかな〈眠り竜〉の撃破という祝事の勢いに助けられたとしても、言及でさえ厳に避けるべきことであるが、あまつさえ、禁呪の解禁を後押しするような出来事が引き起こされていたのだ。


 HUDネットワーク上に流出した、たったひとつの動画ファイル。

 数百年、竜の襲撃にも堅固に絶え続けた魔法使いの都市を、すっかり変貌させるには、皮肉なことにそれだけで充分であった。


 そのファイルに映っていたのは──禁呪を行使し〈眠り竜〉を消滅させる、アンナ・アシュレイの姿だったのだ。


 英雄として数えられるに至った五八○名以外に、戦時行方不明M・I・Aとなった魔法使いが相当数存在する。


 その中に、強襲偵察大隊長のアンナ・アシュレイが含まれ、未だ発見されていないことは、戦闘中から周知であったが──その裏で、装甲服の魔法使いとして暗躍していたという事実は、動画を目撃した者に大きな衝撃を与えた。


 結果だけを見れば、二度に渡り、巨竜から都市を守り、あまつさえ〈眠り竜〉を消滅せしめたということになる。


 それは、古今あらゆる魔法使いのそれと居並んでもなお際立って輝く偉業であったが、そのことが、元来の禁呪解禁論者のみならず、一般の魔法使いをも熱に浮かせる結果となってしまったのだ。


 彼らが望むのは、さらなる侵攻と、徹底的な復讐である。その最も効果的な手段として、あるいは竜を殺すための明確な方策として、禁呪は脚光さえ浴び始めているのだ。


 無論それは、〈英究機関〉の定めた方針ではない。だからこそ、現在、都市は深刻な分断の様相を呈している。慰霊式典の会場に現れた集団が、その発露と言えた。


 これからカールハルトが向かう先も、爆発的に増加しつつある、断絶の罰を受ける者についての処遇を協議する場なのだ。


 現在、リストアップされているだけでも、百名近い容疑者が拘束、あるいは検挙されている。すぐに先刻の三十名も、ここに追加されることになるだろう。


 全力で戦わねばならぬ反面、禁呪を戒め、己にかせめねばならぬその理由を、充分に周知してきたつもりだったが──カールハルトは震えの収まらない手を、さらに握り込む。


 力に酔いしれた社会において、本当に恐るべきは、破壊と殺戮に特化した魔導が重視され、何をどれほど害したか、傷つけられるかという競争が、必要以上に高じてしまうことである。

 それは、竜との闘争を超え、魔法使いの同士討ちさえ引き起こしかねない。


 闘争に関する魔導技術の評価そのものを、管理収録者委員会として差し止めてしまえば対処は可能だが、いまだ、竜という生命そのものを殺しきったわけではない──この段において、魔導技術の研究開発に関する意欲の減退を招くことは、都市の存続、魔導技術開発の展望に対し大きな影響を与えかねない。


 努力や研鑽に対し確実な報酬がもたらされる体制の崩壊を招く決断は、是が非でも、避けねばならない。刃と鞘の利害が一致しなくなった瞬間。

 それこそが、種の滅亡への大きなきっかけ──魔導という牙は、永遠にその尾を追い続け、自身を拘束管理してこそ永らえる。


 〈英究機関〉のシンボルたるウロボロスの紋様には、その思想が込められているはずであったが──苦々しく歪む最高賢者の表情が、現状の虚しさ、難しさを物語る。


 嘆息の止まらないカールハルトを見て、眼前のリーセロッテが困ったように眉根を下げたので、彼は咳払いをするが、脳裏では自責の念のとどまるを知らない。


 「の件について、何か進捗はあっただろうか」

 問いかけに、リーセロッテの肩が微かに揺れたのが見えた。


 「引き続き、確認を進めさせております。いずれにせよ、次回のご搭乗までには、再発なきよう徹底させます」

 「ああ、頼む」


 小声で指示するカールハルトがおぼろげながらに思い起こせるのは、再生負荷による苦痛に歪みきった視界の中、ただひたすらに竜へ向けて雷を浴びせかけていたことだけである。


 ただ、その最中──どれほど霞んでいようとも、竜以外の反応に向けて、引き金を引いた記憶は無かった。


 射られた存在──竜であったという認識で、〈さとり〉に残されたログ類もカールハルトのそれを漏れなく追認している。


 現時点、何の裏付けもないが──もしもそれが、誤射ではなかったとしたら。

 〈さとり〉の内部で見た、あの揺らめく漆黒の炎が、瞼の奥に蘇ると同時に、手の震えがまた少し強くなる。


 一難去って、また一難──旧人類の故事が頭をよぎり、カールハルトは額を押さえた。

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