第22話:消滅

 巨竜の質量──そのまるごとを構成していた、竜の分体の数は、もはや、表現に苦労するほどの莫大なものであった。


 飛蝗ひこうと称される、途轍もない規模の昆虫の群れが、かつてこの地表を覆ったことあったとされるが、見栄えとしてはそれに似ていて──脅威としては、それを遥かに凌ぐものだった。


 「だああぁぁっ!」

 叫びとともに、ショットガンの銃座を、迫り来た竜の額に叩きつけたのは、ウルリカだった。

 もはや、彼女の手にさえ、充分な触媒はない。銃口には砂塵が入り込み、撃つことが出来るか怪しいものだったが、もはやその心配は不要な段階に達していた。


 「くっ──」

 歯を噛むウルリカにとって渾身の一打ではあったものの、竜を粒子に還すには至らない。打ち付けられ、なお止まらない竜の魔手を顔をひねって避けつつ、その脇腹へもう一度、銃座を叩きつけるも、今度はショットガンのほうが砕けてしまう。


 ついに間合いを詰め切られ、鼻先を突き合わせるような位置まで肉迫されたところで、ウルリカは潔くショットガンの残骸を竜に向かって投げ捨てると、そこから生まれた一瞬の隙を活用して帽子を放ち、二丁のハンドガンを取り出した。


  近接戦闘は銃火器使いにとって絶対に避けるべき不得手の分野であるが、逃げられない以上は、応じるしかない。


 殺到する竜の拳の、中指の付け根。

 忠実にそこだけを狙い、弾いていく。弾丸は衝突と同時に霧散してしまうが、竜の一撃もまた慣性を相殺されて停止する。


 自分の弾丸と同程度の威力、速度の攻撃をひとつでも食らえば、障壁など薄布に等しいだろう。

 焦燥と戦慄に染まった表情で、ウルリカは呻き声を上げる。


  ──目を閉じて!

 表示されたメッセージが、一瞬の内に暗転する。防眩モードに切り替わったHUDの向こうでは、オリビアが打ち出した閃光弾が炸裂して、竜の目を灼いている。


 オリビアの機転で作り出された好機の一瞬を充分に活用し、僅かな距離を確保すると、ハンドガンの銃口は、竜の額に向けて整い──ウルリカは引き金を引き絞った。 

 寸分違わぬピンポイントへ何発もの衝撃を打ち込まれ、竜はついに力なく落ちて粒子へと還った。 

 なおも銃口を下ろさないまま、ウルリカは肩を上下させている。触媒はなくとも、戦意はまだ、尽きていない。


  ──次波、到来。

 オリビアの通告は、冷酷とさえ思えるほど。

 爆散した粒子をくぐり、なおも竜の群れが迫りくるのを、獅子守小隊の全員、そしてアンナが共有したHUD経由で認識している。


 「全く、すぐそこにゴールがあるのに! もどかしいものだな!」

 「まったく同感。 さっさと終わらせたいね」

 「あら珍しい。 いつまでも戦い続けたいってカンジかと思ってたけど」


 居並ぶ三名──鼎、トリーシャ、アンナは、いつもの軽口を忘れていないものの、その呼吸はウルリカと大差ないほどに乱れている。


 「ウルリカ、弾丸は大事に取っておいて。いざとなったら、大隊の居る位置まで退いてね」

 「まだ、戦えます!」

 トリーシャの指示に、ウルリカは珍しく食って掛かるような、悔しげな顔で答えた。 


 「知ってるよ。だから弾丸を大切にって言ってるの」

 諭すような声に対し、ウルリカは無念そうに目線を落とすことしか出来ない。


 遠距離から即座に──銃火器に収斂した魔導技術は、戦闘における最適解とさえ言えたが、触媒の尽きた現状においては、翼をもがれたも同然であった。


 それは、大隊の兵器運用にも重大な影響を及ぼしている。雨のごとくだった砲撃も、今や時たまの一滴があればいい方だ。触媒が底を付いたという事実も、まだ伏されてはいるが、いずれ誰もが実情から事実を知るだろう。


 ただひとつの救いは、少しずつ撤退の途に就きつつある大隊が、紙一重で瓦解を回避していることだった。

 彼らのもとにも竜は殺到しているが、あの赤い雷が降り注ぎ、大隊への接近を許さないのだ。


 振る舞いを見る限り、赤い雷は、敵の放ったそれではないのだろう──しかし、一度射られかけた身としては、文句のひとつも言ってやりたくなるというものだった。


 そんな衝動に駆られるトリーシャではあったが、疑問をぶつけてやりたい相手は、それだけではない。

 鼎とアンナ。肩を並べて戦っているものの、彼女たちの変容した姿を、トリーシャはまだ心底から容認できたわけではない。


 アンナはアンナで、反応を消失させた筈で──そうかと思えば、あの装甲服を身に纏って出てきて。

 鼎も鼎で、一体、この姿は──身を取り巻く炎は何なのだ。 


 疑問は脳裏を渦巻いているが、わずかな雑念をも許さないほどに、竜の再誕速度は凄まじい。

 ウルリカが投げた手榴弾グレネードの炸裂音が呼び水となり、三名はそれぞれに飛び出す。


 対して、折り重なる竜の群れ──その向こうに、まだ、金色の炎は微かに揺らめいている。〈眠り竜〉に到達するまで、彼女たちはこの分厚い壁を掘り続けねばならない。


  ──再誕分布率、計算完了。HUDに展開します。

 オリビアからもたらされた情報で、壁のヒビと呼ぶべき、ほんの僅かな布陣の薄さが見いだされると、三名は身をよじって目線と爪先を向け直した。


 紫電、そして漆黒の炎が群れを吹き散らし、燃やし尽くす。そうして出来たあなを突き抜けて、アンナが振りかぶる──その手には、雷の網のようなものが生成されていた。


 叩きつけるようにして、竜の群れに浴びせかけたそれは、容易く竜の身体に食い込み、そのままサイコロ状に分断した。


 竜の群れの身体、複数が混じり合った大量の肉塊は、粒子に還ることもなく、そのまま落下していく。下方、着地とともに砂煙を上げるのが見えたが、それでも粒子は見えなかった。


 竜を、その肉体の一部を、再誕のサイクルから引き剥がす、禁呪──まさしく竜をたおすための術を改めて目の当たりにして、トリーシャは密かに息を呑む。


 禁呪と関わるべきではない──装甲服の魔法使いたちとの邂逅時、そうトリーシャが断じたのは、己の渇望に直面することを恐れたからに他ならない。

 禁忌であることは、充分に理解している。それが、いかに強力で、自分の願望を満たし得るのかということも。


 正体を失い、暴走していた時期に、あの装甲服と出会っていたら、迷わず纏っていただろう。現時点でさえ、目を離せなくなるほどだというのに。

 ふと差した魔を振り払うように、トリーシャは拳を、脚をひたすら眼前の竜という竜に叩きつけ続けている。


 倒しても倒しても、また竜は湧いて出る。いくら粒子に還しても、意味はない。

 その無為な戦いに、決着をつけたいと──自分ならそれが出来ると、そう思っていた。だが、己を顧みず戦っても、現実に起こせたことは、竜の垢擦りの手伝い程度ではないのか。


 結局、禁忌に触れる以外、不可逆的な勝利を得られないなら。

 これ以上、自分が戦うことに、意味はあるのだろうか──。


 「トリーシャ‼ 前を見ろ‼」

 鼎の絶叫を聞き、トリーシャが我に返ったその刹那──その眼の前には、激怒の形相をした、〈眠り竜〉が居た。


 「囲を返せっ……! 澄ちゃんを──返せぇぇえ‼」

 ナイトドレスの裾から飛び出た、鱗に覆われた指が、トリーシャの首に巻き付く。飛び出た鋭い爪が食い込むと、薄っすらとした血と、苦悶の呼吸が漏れる。


 「こ、の……」

 詰まった息を無理に吐こうとはせず、黒き霧と化し、〈眠り竜〉の手から逃れようとしたが、その凄まじい握力が、トリーシャに充分な集中を許さない。


 やむなく、がら空きになっている鳩尾みぞおちに向け、電磁反発による爪先をめり込ませ続けるが、〈眠り竜〉の手は緩まない。


 血流と酸素を絶たれ、急激に意識が混濁してくる。皆の呼びかけが遠くに聞こえ、オリビアがHUDに表示してくれたアドバイスのようなものが目の端に映るが、ぼやけていて、何かは定かでない。


 「離──ッ!」

 この体勢からできる、最善手。全力で放った蹴り上げが、〈眠り竜〉の顎をとらえた。衝撃で、その首は折れ曲がり、元に戻らなくなったが──それでも、金色の炎は止まず。


 あらぬ方向から、その白目なき瞳はトリーシャを睨みつけ続けて、一層、トリーシャの首を締める力が増していった。


 目尻から流れる炎は、燃え上がることなく、顔を伝って、顎から滴っている──まるで涙のようなそれを、トリーシャが目にした、瞬間。


 何か、突風のような音と衝撃が、トリーシャの耳を掠めたと思うや否や、〈眠り竜〉の首元と肩口は、半ば千切り取られるようにして、金色の粒子となって舞い散った。


 それが、ウルリカの放った弾丸であることを知らせたのは、ややあってから、背後から響いた銃声だった。おそらく、大切に取っておいた、最後の一発であったろう。


 衝撃で、〈眠り竜〉の手がほんの少し弛緩したのを、トリーシャは逃さない。瞬時に最大の電磁反発を蓄え終えたトリーシャの左腕が、爆ぜるようにして〈眠り竜〉の両腕を弾き飛ばした。


 無理やり柔肌から引き剥がされた〈眠り竜〉の爪が、引いた軌道のままにトリーシャの首と頬を傷つけるが、彼女がそれに構うことはない。


 激怒──そうとしか表現しようのない、険しくひそめ切った真紅の瞳。一点に〈眠り竜〉の金色の瞳をめつけた後──トリーシャはそこに、紫電を引く右拳を突き入れた。


 〈眠り竜〉は吹き飛び、そのまま地表へと叩きつけられ、二度、三度とバウンドしていく。


 その終着点めがけ、絶叫を上げながらトリーシャは飛びかかっていく。

 その手には、彼女にとっても最後の触媒を用いて作り上げた、刃のような黒い塊が生成され、硬く握りしめられていた。


 砂地に飛び飛びのクレーターを作りながらようやく停止した〈眠り竜〉。その真上から──トリーシャは弓なりになって振りかぶり、叩きつけた刃は、眠り竜の胸部を串刺しにした。


 唐突な斬撃に、見開かれる目。それが、自分に振り落とされたものだと気づくまでに、竜は数瞬を要した。


 そのすぐ後──つんざくような悲鳴が、大きく響き渡ったが、委細構わず、トリーシャは刃を引き抜くと、再度渾身の力で振り下ろす。


 一度ではない。何度も。何度も。何度も何度も、刃を突き立てた。

 突き立て続けた。


 〈眠り竜〉の悲鳴を掻き消すほどの絶叫を上げ、土を掘る子供のように飽きもせず、ついに馬乗りになって、その目尻に……大粒の涙を浮かべながら。


 「返せって……何なんだよ」

 胸部を原型をとどめぬほどに破砕され、〈眠り竜〉はもはや微動だにしない。

 だが刃の雨は止む気配もなく、ついには身体を貫通して、地面を薄く砕いた。

 舞い散る粒子に、湿った土が混じり始めた。雨はまだ、止まない。


 「そっちこそ──姉様を返せよ──ッッ‼」

 ひときわ、大きく振りかぶった、最後の一滴が注いだ。特大の雨粒──全力を込めた薙ぎ下ろしが貫いたのは、わずかに残った最後の破片と、大きく掘り返された地面。


 爆砕かと見まごう土煙が上がって、それきり、雨は止んだ。

 その衝撃に吹かれるように粒子となって、眠り竜は周囲へと溶け出し始める。


 「澄……ちゃん──どう、して……」

 断末魔は、きわめて静かなものだった。呟きだけを遺して、〈眠り竜〉は爆散、金色の粒子へと還った。


 「──先生ッ‼」

 鼎が上げた声に応じて、アンナは頷いた。


 一度は散った、その金色の粒子が、再度結実する──その、トリーシャの直近位置めがけて、雷の網が今一度展開、勢いよく浴びせかけられた。


 眼前で。トリーシャは、その魔導の作用を目のあたりにすることとなった。

 眠り竜を構成していた粒子に向け、それと大差ないサイズに極限まで圧縮された触媒が、一直線に衝突している。それも一つではなく、無数の正面衝突が極小の場において大乱発しているのだ。


 そして、そのアクシデントが為った後には、何も残ってはいなかった。粒子は削り取られて消滅し、触媒も、そのまま溶けて無くなってゆく。

 天雷の禁呪を応用した固縛網によって竜の分体──その粒子を固定し、重圧の禁呪で超凝縮した触媒をそこへ打ち当てる。


 根幹をなす二つの禁呪の奏功を加速させるため、いくつもの魔導が取り巻くようにして展開されている。どれも、再生の事実が判明すれば即刻断絶級の禁呪を、あまつさえ複合再生し、究極的に、そして根本的に竜を撃滅せしめる、対消滅の魔導技術──それが、断アンナの振るう禁呪の正体だった。


 己の身体が、削られ、消えゆくのを、〈眠り竜〉は折れ曲がった首のまま見ている。その表情は、もはや金色の炎をたたえることもなく虚ろで──そして、寝入る直前のように、青白かった。


 「これで……終わりだ‼」

 その、残された青白き面へ、アンナは超凝縮された触媒を差し向けた。

 待って。お願い──終わらせないで。私の戦いを、勝手に終わらせないで──。

 まだ私は、自分の命の意味を、理解していないのに──。


 トリーシャが、何かを欲するように広げた手を、もはや肩口と頭部しか残されていない、〈眠り竜〉に向けた、その時。


 蒲公英たんぽぽの、吹き散らされる姿のように──最後の粒子が、大気に薄く溶け、消えていくのを、その場の誰もがはっきりと目撃した。


 最後の主格竜〈眠り竜〉の消滅──ついに広がったこの静けさは、数え切れぬ試練の果て、魔法使いが、この戦いに勝利したことの、動かしようのない証左。


そして、哀れなトリーシャの戦いが、他の誰かの手によって終わってしまったことを──もはや変えようもない、現実として知らしめるものだった。

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