第21話:覚醒

 まるで、時間の停止したような錯覚。


 以前、現象庫の前で、鼎の心をとらえた、緊張と集中で埋め尽くされたような感覚が、今再び彼女を埋め尽くしていた。


 『ほーら、やっぱり。僕の言う通りだったでしょ? 君たちの計画じゃ、上手くいくわけがないって』


 聞きたくもない声が、聞く以外にない耳朶の奥底から、また響いてくる。

 ただでさえ、触れられそうなほどのすぐ頭上に、赤き雷が迫っているというのに。


 『重荷電粒子と、電磁収束の合わせ技ってところかな? 旧人類の絵空事を、禁呪で無理やり成立させたか……いつもながら、君たちって無謀なやり口が好きだよねぇ』


  ──静かにしろ。不愉快だ。

 鼎はそう吐き捨てるが、声は止むことがない。分離し得ぬ、己の奥底に息づくからのささやきは、嘲りと誘惑を帯びている。


 『ま、制御しきれてないみたいだけど──笑えるよ。あの妙な服の魔法使いといい、カールハルトの小僧といい……のこした奴らが無能だと、死んでも苦労が絶えないね? アハハ!』

  ──鬱陶しい。いいから黙っていろ。

 『相変わらず愛想が無いなぁ。また死にそうになってるっていうのに。いいから早く、僕にお願いしなよ──あなたのお力をお貸しください、お願いしますぅ〜ってさぁ!」


  ──必要ない。このまま雷光に貫かれれば、貴様も死ぬ。それで終いだ。

 『……は?』

  ──あの雷の出力なら、申し分ない。貴様を道連れにするのには、絶好の機会だ。

 『何回同じことを言わせる気? 君も、死ぬことになるんだよ?』

  ──それで構わないと言っているんだ、愚か者。


 『はぁ……。格好悪いよ、そういうの。強がってるの丸わかりだよ──君だって、今、死ぬわけには行かない癖に!』

 鼎は何も答えない。ただ、先程よりさらに近づいた雷の先端を眺めて、薄く笑む。

  ──三年間は、長いようで短かったな。辞世の句でも読むか。えー……人生十六年──。


 『ふざけてる場合⁉ 僕が貸すって言ってるんだ、早くしなよ!』

  ──どうしても使って欲しいのなら、貸すのではなく、。貴様の持っている力のすべてを。


 これまで止むのことのなかった、その煽るような声が、ついに押し黙ったのを悟り、鼎は冷たく突き放すように言い放つ。


  ──嫌なら、潔く死を選べ。不本意ながら、私も同道してやる。あのヴァルハラで、祝杯でもあげさせてもらうとするか。


 声は、何も答えない。赤き雷の先端は、少しずつ、しかし確実に近づいてきている。

  ──思い出させてやろうか。貴様はあの時、私に敗北した。その結果が今だ。主が私で、従が貴様なのだ。その上で、主が生きたいかと聞いてやっているんだ……く答えろよ、

 『……よくも、そこまで言ってくれたね。この件は大きいよ? 代償は、きっちりと払ってもらうからね』


 怒りに震える声を聞き、鼎は歯を見せて頷いた。

 決意と共に見開いた両の瞳は、漆黒に染まっている。その目尻からは、轟々と同色の炎が沸き立ち、揺らめいていた。


  ──取引成立だな。もう、貴様は用済みだ。どこへなりと消えて構わんぞ。

 『思い違いも甚だしいね……。僕は消えるわけじゃない──魔法使い、それは君が一番良く分かっているはずだ』

  ──残念ながら、今はな。 

 『君が思っているより、ずっと侵食も進んでるよ。今この瞬間もね──、僕にならないよう、せいぜい気をつけて。残り少ない自由時間を、思いっきり楽しんでよね! アハハハッ!』


 その不愉快な高笑いの残響が消えたのと、瞼の裏まで貫通してきそうな赤光が、もう触れられそうなところまで迫ったのは、ほぼ同時。


 「では──やってみるか」

 時が、元の流れを取り戻した刹那。


 漆黒の炎が、まるで両の拳のような形を作ったかと思うと、それを組み合わせ──到達した重荷電粒子の雷を受け止めた。


 赤と漆黒、互いが打ち消し、散らし合い、衝撃と稲光を撒き散らすその様子を、一瞬の意識途絶を経て自我を取り戻した獅子守の面々──そしてアンナは、言うまでもなく驚愕の表情で見つめている。


 しかし、鼎に説明の暇はない。漆黒の瞳でアンナに目配せをすると、察した彼女は獅子守の面々を抱きかかえ、脱兎の勢いで鼎の近辺を脱する。

 それと、全く同時と行っていいタイミングで、巨竜の咆哮波が、それまで彼女たちのいた場所を薙ぎ払う。


 当然、そこには鼎も居たはずだ──と、自分を抱きかかえたアンナの、逞しい肩口の向こうに、雷と炎に挟まれた彼女を案ずる視線を送るトリーシャだったが、数瞬後にその目はまた驚愕に見開かれることになる。


 まるで波を割るように。漆黒の炎で形作られた拳が、片方ずつの掌で、差し向けられたふたつの熱線を遮っている。


 「並んで──順番に──来なさいっての!」


 鼎の叫びと同時に、その場に漆黒の炎が溢れかえった。

 巨竜の咆哮波、そして天からの雷は吹き散らされ、霧消。その隙を縫って、鼎が巨竜の直上に飛ぶと、なおもその金色の瞳は標的を追いかけ続ける。


 そのまま、尖ったあぎとを上空に向けて──おそらくその全力で、火炎の咆哮波が放たれるも、予期していたかのように、天井からの豪雷が再び、迎え撃つように注いだ。

 寸出のところで、鼎は場を脱する──その背後で、熱線同士が衝突し、競り合いを始めた。


 その余波が、雲海の下面部を吹き散らしながらどこまでも波及していく様子は、神話か、あるいは悪夢の一幕を垣間見るかのようであったが、鼎がそれに見惚れることはない。


 身を翻し、漆黒の炎拳を翼のように広げて一挙に接近するのは、巨竜の懐。そのまま振りかぶり、殴りつける──が、金色の瞳は見逃さない。四本の巨竜の腕、そのうちの一本が、鼎の打撃を迎え撃つ。


 一度、互いに拳を引き、改めて引き絞った一打を、重ねてぶつけ合う。それが何合目か、今一度、巨竜が大きく振りかぶって放った拳を、鼎は受け止めずに避ける。


 巨竜の腕を軸とし、回転しながら飛翔すると、その勢いも乗せて──未だ全開の咆哮を続ける巨竜の横面よこつらへ、漆黒の炎拳を叩き込んだ。


 その衝撃は、強いものだったが、巨竜の大質量を弾き飛ばすには至らない。しかし、目的を達するには充分だった。わずかにずれた咆哮波の射線を跳ね除け、天上からの雷はついに、巨竜を直撃した。


 轟音と閃光が、その場を埋め尽くすのを、瞬きもせずに漆黒の瞳で見つめながら、鼎は自身の両腕と、漆黒の炎拳を、焼かれゆく巨竜に差し向ける。

 豪雨を受け止める、水溜りの表面に似て──巨竜の表面に、大小無数の赤熱点が、群れなし灯りゆく。


 その最後、巨竜の脳天に、点の一つが落とされた刹那。

 天上からの雷が止み──鼎が、四つの拳を握りしめたのを合図に、赤熱点が、大爆発を引き起こした。


 雷に焼き焦がされ、脆化していた鱗の間へ、爆発は楔のように打ち込まれ、巨竜を打ち崩していく。多点同時に巻き起こる衝撃に、巨竜はまるで踊らされるように身を震わせ続けている。


 そして、最後に残された脳天の赤熱点が、それまでに起きた、どれよりも苛烈に爆ぜて──巨竜は、頭部を喪失。そのまま、巨体は爆散した。

 器を失い、あふれ返った粒子が、地表の砂上をどこまでも滑り、広がっていくのを、鼎はしかめた表情で見下ろしている。


 この場に、獅子守小隊が──トリーシャが居なければ、鼎は間違いなく雷に貫かれての死を選んでいただろう。それこそ、彼女が己の終着点として定めているものである為だ。


 命あるものは、そこに辿り着くか否かを案ずる必要など無い。

 ただ──既に亡き者は、敢えて意図せねばならない。この身を、この身に潜む諸共に、確実に滅ぼす為に。

 それを確実に成し遂げるには、今少しの努力が必要と思えた。


 溢れかえった巨竜の粒子は、流れ消えていくと同時に、新たな竜の分体群を次々に再誕させていく。

 そして、その中には、何体もの竜に支えられ浮かぶ、〈眠り竜〉の姿もある。憔悴した様子ではあるものの、未だ金色の炎は絶やしていない。


 「……澄ちゃんを、返して」


 鼎をまっすぐに睨み、ようやく吐き出された、その怨嗟の声にも、怖じることはない。

 「返せるものなら──そうしている」

 こぼれた一言は、自嘲と、幾ばくかの後悔を含んでいた。

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