第20話:赤光

  ──隊長、当方への接近反応を検知。これは……獅子守小隊かと。


 隊員からの報告にも、アンナは驚かなかった。


  ──アイツら……やっぱり、無茶してたか。今回はしっかりと接近禁止を申し渡したのに、まったくもう。


 無論、逃げ惑い、こちらを頼ってくるなどということではないだろう。彼女たちはいつも通り、その手で事態に決着をつけるべく、挑みかかってこようとしているのだ。


 どこまでも無茶な──決して、嫌いではないが。アンナは頭部装甲の中でにやりとするが、一方では自身の発出した指示を忘れたわけではない。HUD上のネットワークを経由して、通信回線を開く。


 獅子守小隊に直接ではなく、高位魔法使いのみに許された秘匿回線──いつもの通話相手を呼び出してみるが、珍しく応答が遅い。沈黙の後、ようやく開かれた通話の端緒にも、挨拶めいたものはない。


  ──やっと出た。遅いじゃない?


 呼びかけにも、答えはない。さすがに訝しさを覚えるアンナに、ようやく向こう側の声が漏れ聞こえ始める。


  ──そう、そのまま。デバイスの随時追加も許可します。、〝コア〟のバイタルチェックも怠らないで! 最短間隔、全項目よ。

  ──あのさ、何か立て込んでるの? じゃあ用件だけ伝えるけど、お宅のデアトリーティアちゃんが、こっちへ来ちゃいそうなのよ。どうする?


  ──由々しき事態ですね。大隊長命令で、〈眠り竜〉への接近は禁止していた筈ですが。

  ──そうね。まぁ、〈眠り竜〉の出現が急すぎたわね、おかげで予定外の出動を隠すために、反応をロスト──ってコトにしちゃったからね。

  ──それで、自分の手で決着を、ですか。まったく、あの子らしいですね。


  ──でしょ? だから憎めないっていうか、血は争えないっていうか、ね。

  ──ええ、本当に……何? 今、現場と通話中なの。後に……何ですって⁉


 慌てた声と、なにか金属がぶつかり合うような音が響く。状況は知れないが、少なくとも、吉兆でないことだけは確かで、アンナは眉をひそめる。


  ──カールハルト様! お気を、お気を確かに!


 しっかりと聞き取れたのは、そこまで。

 あとは、遠くぼやけた慌ただしいやり取り、そして──何者かの苦悶の咆哮が響いている。


  ──ちょっと、もしもし?

  ──自動照準をカットして! 早く──出来ないとはどういう事なの⁉


 先方のいつにない取り乱し方に内心では驚きながらも、アンナはつとめて冷静な口調を保ち、一度獅子守小隊との回線を切断してから聞き直す。 


  ──何かあったの?


 明確な答えはなく、代わりに疑問へ答えるかのように──まるでスポットライトの如く、上空から注いだのは、一条の赤光しゃっこうだった。

 それが、〈眠り竜〉と、巨大な竜の頭部を捉えた刹那、HUDの表示が一斉に慌ただしさを増していく。


  ──上空から高エネルギー反応、レーダー照射を受けてます!


 叫びを上げたのは、装甲服をまとった、部隊内の管制魔法使いだった。


  ──総員、〈眠り竜〉との距離を取って!


 アンナの指示に基づき、装甲服たちの陣容が変化し、巨竜の咆哮波を受け止めつつ、次第に遠巻きの構えをとってゆく。


 その様子を認め、獅子守小隊も何かの異変を感じ取ったらしく、上空と地表を交互に見やる姿が、アンナのHUDのズームアップ映像を介してよく見える。

 一方、赤光の向く先は、やがて、ひとつの座標に向かって急速に収斂していく。


  ──装甲服デバイス・スーツ部隊より、〈さとり〉指揮所へ。状況の説明を請う!


 改めて、アンナが呼びかけるが、それをさえ遮ったのは、突如、悲鳴のような叫びを上げた、通話先の魔法使いだった。

 止まれ、戻れ──具体的な説明もなく、ただ指示のみの絶叫からは、尋常ならざる事態が推測された。


 なおも迫る竜、そして不穏な警告──止めようもない焦りと昂奮をも押し隠さんばかりに、赤光が広がった、その直後。


 視界が、赤に染まった。


 一閃──直進する、赤き極太の落雷。

まさしく高天から降り注いだそれは、躊躇ためらいなく一直線に、巨大な竜の脳天を直撃した。


 切り裂かれた空気の悲鳴、そして轟音──地上に到達した衝撃波が、地表の砂をえぐり返し、その上を雷の余波が駆け抜けていく。 

 炎を吐き出し続けていた竜の大口は、上方からの一撃を受けて強制的に閉口。漏れ出た極高温のため息で、自身の頭部を巻くことになった。


 〈眠り竜〉の悲鳴が聞こえたような気がしたが、確認する間もなく、次弾が天から注いだ。

 しかも、それは、一度や二度ではなかったのだ。


 堰を切ったように、同様の一閃が、いくつもの方向から、幾度となく注いでくる。その全てが巨大な竜を撃ち、爆ぜさせ、焦がし尽くしていく。

 〈眠り竜〉から吹き出ていた金色の炎もいつしか止み、竜の巨体は、ついに動きを止めた。


 咄嗟に防御姿勢を取っていたようで、四本の腕はすべて〈眠り竜〉の乗っていた頭部に集められていた。それらが隠した部分を除けば、体表の全体が溶岩を塗りたくられたように痛々しく焼けただれていて、粒子の放散している部分さえ見つけられる。


 ──あれが、の威力。以前、それで自分を焼いてくれなどという冗談をアンナは漏らしたが、大声で訂正してやりたくなった。あれに射られたら、塵も残らないだろう。


 禁呪の危険性が、社会の混乱に繋がる──ごもっともな御高説であり、アンナも別段の異論はなかった。

 それでも以前、禁呪を解禁された鳳小隊が、反乱でも起こしたらどうするつもりか、問うたことがあった。


 その時、禁呪の提供元であるところの、通話の向こうの魔法使いは、薄く笑うだけで何も答えなかったが──こういうことだったのか。

 管理ができないのなら、断絶。

 断絶ができないなら──処断。というわけか。


 神罰を下す雷──禁呪の使い手をさえ震え上がらせる、怒涛の衝撃が一度止み、遠雷のような音が響くのを、地上部隊の誰もが愕然としながら聞いていた。


 雷が止んだ後、巨竜はしばらくの間、動かなかったが、粒子に還ることはなく、その場に留まっていた。


 確認するまでもなく、戦いは終わってなどいない──焼き焦がされ、一度は項垂うなだれていた竜が、おもむろにそのおもてを上げたことで、魔法使いたちは再び身を固くする。


 同時に、それまで巨竜が挙げていた四本の腕が下ろされると、そこには既に〈眠り竜〉や戦士竜の姿はなかった。

 ただ──見開かれた巨竜のまなこから、猛々しく金色の炎が溢れ出したことで、アンナの脳裏には最悪の予感がよぎった。


  ──最終形態ってワケ? バケモンはポンポン強くなれるから、羨ましいわ。


 アンナの皮肉は、届かないどころか、轟き渡った咆哮にかき消されてしまう。

 〈眠り竜〉と融合した巨竜の上げた雄叫びは、地響きと衝撃波さえ伴って、付近の魔法使い達全員にその怒りを物理的に叩きつけたかのようだった。


  ──聞きたいことは山ほどあるけど、まず、きちんとした説明と指示をくれる? リーセロッテ・フォン・ハイドヘルド上級賢者殿。


 その光景に注視しつつ、まだ、秘匿回線の途切れていないことを確認した上で、皮肉をたっぷり込め、改めて呼びかける。


 これまで、アンナと密談を重ねてきた通話相手──リーセロッテは、叫びを上げて以来、音声を無効ミュートにしていたようだが、やや遠慮がちな咳払いをしたのが聞こえた。


  ──必要な情報は、後日、提供します。ひとまず、現場から離れてください。

  ──いや、何言ってんの。まだ戦闘中でしょ!

  ──いいえ。少なくとも、小隊の魔法使いが行う戦闘は、終結しました。


  ──バカなこと言ってんじゃないわよ! 〈眠り竜〉が! 主格竜がそこに居んのよ⁉ 放って帰れっての⁉

  ──調が、いつまで保つか分かりません! 一刻も早く、都市に撤退を!

  ──言いたいことは分かるけどね、ここで退くってことが、どういうことか分かってる? もう触媒は無いんでしょ⁉


 反論の代わりに聞こえたのは、何か硬い音だった。観測知覚の拡張した今なら、相手がどこかに拳を振り落とした音だとはっきり分かる。


  ──選ぶしか無いとしたら、守るべきは、命のほうでしょう……!


 絞り出すような、震えた声で示された決意は、アンナにも届く。

 数秒間の逡巡を経て、彼女は部下たちに向き直る。


   ──装甲服部隊は撤退する! 再集合地点、時刻は事前ブリーフィング通り! 解散‼


 アンナから飛んだ指令。隊員たちにとっては唐突であったが、疑問を呈す者は居ない。即座に踵を返して散開、大隊とは別の方向に向け、飛んで行った。

 練度の高さを伺わせる動きを見送ると、残ったアンナは獅子守小隊へ向き直る。


 今、強襲偵察大隊への撤退命令を出せるのは、トリーシャだけだ。直接、話を通すしか無い。後の面倒が予想されるが、大隊全員の命と天秤にかけられるほどのことではない。

 呼びかけのためのメッセージをHUD経由で送ろうとした、その時。


 今一度、視界が赤に染まる。

 しかも、先程よりも色が濃い──より、自身が標的の近くにあることを知らせるが、アンナの腑には落ちない。


 竜は動いていないのに、どこへ向けて、新たに照準している?

 仰ぎ見た上空、雲海を突き抜けて射落とされたレーダー照射は、鍔迫り合いの最中である巨竜の方でもなく──獅子守小隊、そしてアンナ自身へと、まっすぐに注がれていた。


  ──ちょっと! 一体、どこ狙ってんの⁉


 非難の声は、虚しく響く。秘匿回線の向こうからは、再び悲鳴と騒乱が漏れてくるのみだった。

 四の五の言っていられる段は過ぎた──アンナは獅子守小隊に向かって飛び、その最中に──自身の頭部装甲をパージして見せた。


 久々の外気が、頬に心地良い。これで、この忌々しい赤い光がなければ最高だったのだが。

 獅子守の面々の驚く顔が、よく見える。


 「アンタたち! 逃げ──」


 言葉を紡げたのは、そこまで。

 とてつもない、圧と熱。

 感覚の全てが、一瞬の内に蒸発するような──その最中で、アンナの意識は途絶した。

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