第19話:疑似

 主と仰いでいた魔法使いが、突然居なくなったら、残された者は、どう思うだろう。

 混乱、狼狽、悲嘆、寂寥──感情の選択肢は様々だろう。アンナ自身、それらを一通り味わってきた。


 しかし、それが自分に対しての感情と考えると、急に何だか申し訳なく、そこまで思わなくとも──と、他人事のように考えてしまう。

 カタリーナも、そうだったのだろうか。答えの出そうもない独白は舌に乗せず、代わりにHUD上のメッセージで、周りに聞いてみる。


  ──アンナ・アシュレイ大隊長の反応が消失、か。みんな、ビビってるかな。 


 途端に、問いかけを肯定する旨のメッセージが並んだ。

  ──後で出ていくときが辛いわね、あっちから見たら、負け犬がノコノコ帰ってきた格好になるんだもの。


 苦笑しながら、何の気無しにそむけた視線の先には、巨大な竜の頭部がある。

 大隊をはるか背にし、その装甲服の魔法使いの集団は、巨大な竜から百メートルもない位置に陣取り、飽くなき咆哮を中和し続けている。


 指揮を執るのは、その現場から少し離れた位置で中空に佇む、装甲服の魔法使い──アンナ・アシュレイだった。 

 彼らは、疑似神経紋デバイスによる禁呪──並列意思の魔導技術で互いを繋ぎ、超高速演算ユニットを形成していた。


 この恩恵があれば、再生負荷を軽減できる上、白熱炎のもたらす影響をつぶさに予測し、ある程度を中和、無効化することも可能である。


 無論、一歩間違えば、並列した数知れぬ意思同士が混濁し、二度と元の人格を取り戻せなくなるというリスクを孕んでいる。

 主と従の明らかで、触媒無しでは増発も出来ない、上級賢者の扱う代理人格とは明確に異なるピーキーな魔導技術だからこその禁呪認定と言えた。


 そのような危険性があるとはいえ、数々の禁呪を複合再生し、およそ魔法使いの極地に至るかのような万能感に飲み込まれそうになるのを、幾度、冷や冷やとしながら振り払ったか知れない。


 自分とともにこの装甲服デバイス・スーツを纏うのは、魔法使いとしての能力のみならず、自制心の有無を重視して選定した、鳳小隊の隊員である。


 ──みんな、改めて調子は大丈夫? デバイスも、中身も含めて。 


 回答は即座。問題ある隊員は現状無く、またも放たれた、もう何回目か分からない咆哮波を見事に散らしてみせたので、アンナはひとまず安堵する。

 一方、対峙している〈眠り竜〉は、なおも唸りをあげる。


 「……囲をいじめた魔法使い、出てこい」


 巨大な竜の頭頂部に爪先を乗せ、その腕に抱いているのは、戦士竜の身体だった。

 いつもならば主を守るべく躍動していた竜は、今微動だにせず。表情に生気もなく──その身体は、崩壊の途上にあるようだった。


 細かな網目に過ぎなかった、禁呪による傷跡は、今や体表の大半を焦がし尽くしている。粒子の漏出は滝のごとくであり、その予後は、知れたものと言えた。


 「出てこいって……言ってるのに‼」


 傷つき死の淵にある同胞を抱きかかえた〈眠り竜〉は、狂乱状態にあるようだった。

 目尻から吹き出る金色の炎は、今やその身長を遥かに超え、まるで巨大な竜の頭部を象るように高く、大きく展開されている。


 その威容たるや、禁呪をほしいままにする隊員をして、心胆を寒からしめたらしく、モニタリングされた各員の心拍数や血圧に変動が生じる。


 だが、アンナだけは、さらに別の衝撃を振り払えずにいる。

 ほんの一瞬、巻きつけただけで、あの有様──本当に、竜を殺せるかもしれないのか。脳裏に蘇るのは、前回の防衛戦で、彼女が戦士竜に仕掛けた禁呪のことだった。


 竜を、いっとき砕く術なら数知れず。しかし、これを深く、動けぬほどまでに傷つける魔導技術を、彼女は他に知らなかった。

 だからこそ、戦士竜は血相を変えて、無理矢理にでも主たる〈眠り竜〉逃したのだろう。


 かつて、アンナの眼前で、たった一度だけ再生された禁呪。カタリーナが、〈悟り竜〉に放ったそれ。

 あの場に居なかった戦士竜が、どうやってそのことを知り得たのかは分からないが、おおかた主格竜からの感覚共有を経由したのだろう。


 「許さない……絶対に許さないから」


 凄まじき怒気と、金色の炎を盛んに上げて、こちらを睨む〈眠り竜〉から目を離せず、アンナは目眩めまいにも似た感覚を覚える。


 戦争が、何故引き起こされるのか。

その解釈はいくつもの文明が各々なりの回答を導き、あるいはそれさえ出来ず、そしていずれにせよ戦争自体を廃絶するに至らないまま滅んでいった。


 この危急の場にあって、アンナにその遠大な思いを起想させたのは、魔法使いと竜との戦争の発端と行く末を、この場に縮図として見た気がしたためだ。


 魔法使いのみならず、竜にもどうやら、感情がある。


 その感情が生じさせる軋轢があるからこそ、この戦争は双方いずれかが片一方の手によって完全に撃滅されない限り、終結など迎えるべくもないのだと。

 傷つき、今にも朽ち果てようとしている戦士竜の姿は、この戦争において、差し戻しの出来ない決定的な一手となったのかもしれない。


 ほんの少し、腹の下に冷たいものが流れたが、それはアンナの膝を屈させるには至らない。

 それどころか、鬼気に満ちた〈眠り竜〉の表情そのものが絶えがたいほど腹立たしく思えてきた。


 大切な者を失いたくないという、その思いがわかるのなら、何故、魔法使いを襲うのだ。どうして、魔法使いの大事なものは、ためらいなく奪うのだ。


 死ぬこともない、イージー・モードのくせに──。

 「泣いてんじゃ……ないわよ」


 そうとしか形容しようのない、〈眠り竜〉の表情を目の当たりにし、今すぐにでも横面を張り倒してやりたい衝動に駆られるが、アンナたちの目的に、〈眠り竜〉の直接攻撃は含まれていない。


 当初、自分が〈眠り竜〉を倒すと息巻いていたアンナではあったが、竜の攻め手が予想より遥かに早く、結局、その機会は失われてしまっていた。 


 大隊総勢、一万名弱の命脈を守るためとはいえ、極秘のはずだった装甲服姿を、一般の耳目に晒すこととなった以上は、少なくとも、竜の敵ではあっても、魔法使いのそれではないという、身の証を立てておく必要がある──その為として受領している指示は、とにかく竜の攻撃を押しとどめろというものだった。


 その間に、かねてより準備していた虎の子にて、〈眠り竜〉を撃つ──修正を織り込み通達された計画は、そうしたものであった。

 それに則り、作戦行動自体は、問題なく遂行している。ただ、詰めの一手がいつまでも来ないことに、正直、焦れたような思いがくすぶりつつあった。


 隊員たちの体力、集中力は、装甲服に仕組まれた各種のギミックや関連する禁呪の効能もあって飛躍的に高まっているが、無限ではない。

 少しずつではあるが、後方に漏れる火炎の奔流が増えている。加えて、残してきた後方の大隊の様子も気になる。


 無茶をしていなければいいが──具体的な思いが至るのは、やはり、あの四名のことであった。

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