第18話:円陣
地獄という概念が、旧人類の間に深く浸透していたということは、魔導学院の授業で習ったことがある。
途方も無い、逃れようもない苦難を言い表すものだったようだが──あるいは、地上というのは、そうとしか説明しようのない領域だったのかも知れない。
──大隊副長、負傷者救援のため、〈眠り竜〉方面への接近許可を願います!
耳をつんざくような報告は、もう何件目なのか数え切れない。
大隊副長なんて、やっぱり、引き受けなければよかった。
心の中に溢れ返る、後悔。それを味わうことさえ、今のトリーシャには許されない。
──触媒不足のため、兵器類の運用率が低下! 陣容の再編を提案します!
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ──物事の外周辺から処理せよという、旧人類の故事があるらしいが、最初に将を射られてしまった場合は、どうなるのか。
そして、残された馬は、どこへ向け走るべきなのか──明らかなのは、その答えを、己で出さねばならないということだけだった。
──救援のための接近は許可しますが、最小の時間に留めること。陣容の再編は、大隊長の指示通りに行ってください。裁量は現場に一任します。各位、動きを止めないで。指示の欲しい事があれば、すぐにも連絡を。
大隊幹部からの、悲鳴に近い報告や提案を、次々に打ち返しながら、トリーシャは嘆息する。
似合わない、柄ではない、それは分かりきっている。それでも、求める声へ応じないわけにはいかない。
アンナの反応を消失させた、正体不明の竜から放たれた白熱炎は、大隊にも甚大な被害をもたらしていた。亡都遺跡に張り巡らせた防衛陣地も、大半が周辺の建造物ごと吹き飛ばされ、今や見る影もない。
残るは、トリーシャら獅子守小隊の面々がその屋上に陣取っている野戦病院を含む僅少なエリアくらいなものであった。
負傷者の数など今や知れない状況──風前の灯火となった大隊を、首の皮一枚で繋ぎ止めているのは、トリーシャの下した英断であろう。
──正気ですか、大隊副長⁉ あいつら、禁呪を使ってるんですよ? そんな奴らに守ってもらうだなんて……!
同じような疑問の声は、数え切れないほどに届いている。
その原因は、未だ健在の巨大な竜の姿と──そこへ果敢に取り付き、大隊への攻撃を逸らし続ける、装甲服の魔法使いたちの姿であった。
以前の防衛戦では、一部の魔法使いにしか知らされなかったが、今回はあらゆる意味で偽装もなくその姿、能力を白日のもとに晒している。
禁忌の術を迷いなく振るう彼らへの戸惑いと非難は止まないが、トリーシャは頑なに持論を曲げない。
──彼らがいなければ、私達は全滅します。繰り返し伝えます。装甲服の魔法使いを先鋒に防衛陣地を再構築。必要であれば、彼らを支援すること。
──ですが、禁呪の使用者を幇助すれば……我々にも罰があるかもしれません。
──その時は、私が断絶の罰を引き受けます。
間髪入れずの返答は、大隊全員、そして送付先を限定していないため、恐らく装甲服の魔法使いたちにも届いている。
──強襲偵察大隊の副長として、皆さんに命じます。装甲服の魔法使いを先鋒に防衛陣地を再構築。必要であれば、彼らを支援すること。復唱が必要なら、何度でも繰り返すから、そのつもりで。
そう言い切り、仰ぎ見たその向こうでは、今一度、白熱の咆哮が轟き渡っている。
HUDの防眩機能を介してなお膨大な光量その波動は、大きな振動と熱風を伴っており、凄絶な威力の程を想像させて止まない。
装甲服の魔法使いたちが方向を逸らし、中和し続けていなければ、その圧倒的な光景を悠長に眺めていることさえ出来なかっただろう。
──装甲服の部隊、返答不要だから聞いて。貴方達の奮闘に感謝します。願わくば、大隊のために引き続き力を貸して。
トリーシャの呼びかけに応じるように、おずおずとしながらではあるが、大隊の陣容が整い始める。
──賛同できない隊員は、いつでも戦線を離脱して構わない。私はそれを罰さないし、数えもしない。だけどもしも、賛同してくれるなら、ともに生き残ろう。そのために、今は力を合わせよう。大隊長の指示通り、生存を最優先とし、あらゆる手段を尽くすこと。以上。
迷うものの背中を押すように、さらに一言を添えて、トリーシャは全体へのメッセージを一旦打ち切った。
生きて帰ろう──呼びかけたは良いが、実現させる保証などどこにもない。
その絶望的な気分に追い打ちかけるような事実は、他にもある。
先程、〈英究機関〉本部から届いた連絡──極秘事項という札付きで送られてきた、そのメッセージには、貯蔵触媒の全量が消費された旨が、簡潔に記されていた。
もはや、ここで戦おうが、都市に帰ろうが、同じこと。
膝でも折って、泣き崩れるべきか──こんな無謀な戦いの片棒を担いだことを、深く嘆くべきか。
いくら考えても、トリーシャは、そうする気になれなかった。
戦って、あの竜にさえ打ち勝ち。今日を生きる権利を掴み取る。
それ以外に、道はない。いつもと同じではないか。気づけば、薄く笑んでさえいるのを自覚し、トリーシャが感じるのは、喜びだった。
ずっと分からなかった、自分の命の価値が、明らかに出来る気がした。ここで折れなければ──初めて、誇れるかも知れない。
待ち望んだ、容赦のない真の敵、戦場が目の前に広がったことに、トリーシャは紫電の鳴る音で感情を表明した。
「黙って見ててくれて、ありがとう」
振り返った先には、獅子守の面々がいる。
「逃げるなら、今だよ」
冗談が半分、真剣な配慮が半分。投げかけた言葉には、全員が無言だった。
「……あのさ、みんなには伝えておきたいんだけど……実は、触媒が──」
──皆まで言わないで。
「都市から全く増援が無い時点で、想像はつく」
苦笑気味な鼎とオリビアに対し、ウルリカはやや不安げな表情を隠さない。
「副長、これから……どうされるおつもりですか?」
頷いて、トリーシャは迷わず返答する。
「──装甲服の魔法使いたちと共闘する」
「ま、それしかないよな」
──ルールに照らせば最悪の判断ですが、現時点で生存を期すのであれば、最善の手かと。
「でも、副長、本当に断絶されちゃいますよ! それで良いんですか⁉ もう、戦えなくなっちゃうかも知れないんですよ⁉」
「今日、負けて死ぬなら同じことでしょ」
強がっていないといえば嘘になる。断絶の罰は、甘いものではない。ウルリカの懸念が現実のものになる可能性も、充分に考えられる。ただ、一度腹を決めたら、トリーシャは覆さない。
血は争えない──か。自嘲気味に漏らした息は、なおも吹き付けてきた熱風に吹き飛ばされてしまう。
「ウルリカ、ありがとうね。せっかくだから……円陣でも組む?」
冗談のつもりで言ってみたトリーシャだったが、状況がそれを許しそうもない。
装甲服の魔法使いたちの奮戦は賞賛に値するものだったが、それでも徐々に圧され始めている。加勢するのなら、急ぐべきなのは明らかだった。
「勝って帰ったら、組む約束ですよね。発声は頼みます、副長」
「仕方ない、引き受けましょう」
──
「参加してくれるのならな!」
「ますます断絶されちゃいますってば!」
それでも、いつものように、笑い合いながら。まさに崩れ落ちんとする背水の陣から、獅子守小隊は、飛び立っていった。
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