第16話:苦難

 時刻は、正午をとうに過ぎていた。

 作戦の正式な発動時刻を過ぎ去っても特段のアナウンスはなく、そこに注目する魔法使いもまた、皆無であった。事態は、作戦の開始前から、すでに危急の状況を迎えている。

 竜の攻め手は、すでに亡都遺跡の間際まで迫っていた。あと一枚でも鱗が倒れ込めば、その先端が、遺跡外縁の建造物を貫通し、魔法使いの計画ごと崩壊させるだろう。


  ──照準よし。撃ち方、よしファイア・イン・ザ・ホール


 建造物の屋上に陣取った、オリビアのコールと同時に、ウルリカが引き金を引く。

 彼女が構えた円筒状の火器から放たれるやいなや、小さな翼を持つ弾頭ミサイルは、上空に向け、煙を引きつつ舞い上がる。そして鱗の直上に到達すると、取って返して一直線にその先端へと直撃した。


 爆炎、白煙──そして、血液。おそらくそう呼んでも差し支えない色合いをした、おそろしく粘つく液体を撒き散らしながら、鱗は向こう側に倒れて粒子へと還った。


  ──弾着確認。次弾を。

 「了解です!」


 大慌てて返答しながら、ウルリカは同じ円筒状の火器をベレー帽から引っ張り出し、構えている。

 その間にオリビアは、同じように鱗を砲撃している他の小隊と、照準先の調整を瞬時に行っている。狙い被りの防止に気を配るのは、その僅かな無駄でさえも、勝負の向きを左右しかねない為である。


 揺れる綱の上を行くが如き魔法使いたちにとって、鱗が破壊可能ということが、唯一の救いであった。しかし、それが無限といえる頻度で生え来ることが、最大の障害でもあった。


  ──副長、七時方向、三本。行けますか?

  ──当然。


 返答とともに迸った紫電の鳴る音が、数百メートルを隔てた建造物の屋上まで轟くかのようだった。

 身長の何倍もある、三角錐の突起物──剣と呼べなくもない、黒色の塊を携えたトリーシャは、オリビアから指示された方向に突進する。その先には、今まさに建造物へ向かって倒れ込まんとする鱗の三本の居並ぶ姿が見つけられる。


 振りかぶり、固定の後──電光の如き勢いで振るわれた黒色の塊が鱗を切断、破砕した。断面から吹き出した血糊が雨となってトリーシャの体表面を流れ落ちるが、塊を振り払う動きとともに発生した紫電が、その全てを蒸発させる。


 その間に、ウルリカが放っていた次弾が、近傍の新たな鱗を爆散させたのを認めて、トリーシャはオリビアに次の目標を催促する。

 湯水の如く触媒を消費し、怒涛の攻め手を押し留めているが、竜の再誕は、鱗の突出とともに、勢いを増す一方だった。


 いつもとは異なり、竜たちの上空から襲来する様子は、まるで豪雪を思わせる。大群に為すすべなく、倒れゆく魔法使いは、もはや一人や二人ではない。

 それどころか、攻撃に晒され、せっかく陣取った場所から立ちのぼる黒煙も散見される。状況は、決して好ましくない。


  ──オリビア、引き続き案内を頼む!


 鼎からの呼びかけに、オリビアは小さく頷く。瞬時にHUDへ表示された情報に基づき、鼎は泳ぎ出す魚のごとく身を捻りながら飛び出した。

 鼎は、鱗の迎撃をトリーシャとウルリカに任せ、視界内に散在する負傷者たちを救護する側に回っていた。


 複雑な飛行軌道を描き、力なくうなだれ、または倒れ込む彼らを障壁で包んで保護する。当初の予定を越えた行動だったが、オリビアはその都度、瞬時に必要な情報をHUDへ供給し続ける。


 意識ごと戦意を刈り取られ、落ちていく者の座標、呼吸や拍動の有無とその回数や強弱さえも、鼎の行動の一助とすべく読み取っている。

 戦線から負傷者たちをピックアップした鼎は、とある場所へと視線と針路を向け直す。


 苦痛に呻く者、あるいはその余裕さえなく目も口も閉じたまま動かない者、状態は様々だ。そんな彼らを伴って目指すのは、鳳小隊の開設した野戦病院である。

 その途中、鼎のHUDに、これまで表示されていたものとは別種の警告が鳴り響く。


  ──強力な反応を検出。まだ距離はありますが、おそらく、〈眠り竜〉かと。

  ──そういえば、あの蜥蜴野郎どもの実家にお邪魔しているんだったな。この忙しいのに、招かれざる客め。


 毒づきつつ、鼎は先を急ぐ。病院の周囲には、魔法使いたちによる防衛線が張り巡らされており、そこを破らんと殺到する竜の群衆と激しく衝突しているのが見える。

 竜たちも、そこがどのような場所であるか理解しているようで、攻め手は特に激しい。


 専任の防衛部隊は、すでに殆どが撃ち落とされていて、使命とは逆に、守られる患者として院内に収容されているようだった。

 それに成り代わり、鼎のような有志や、同僚を担ぎ込んだ魔法使いがそのまま、臨時の守衛として防衛戦を張り、急場を凌いでいた。

 その急造部隊の脇を縫って、竜を飛び石のように蹴って撃破しながら、鼎は病院のエントランスを目指した。


 『最悪の場合。そういう想定だったのに、あの子が出てきちゃったね。残念だったね?』

  ──勝手に喋りだすな。

 『ねえ、君も向かったほうが良いんじゃない? あの子の相手は、誰でも出来るものじゃないでしょ?』

  ──貴様に心配されるようなことではない。

 『またまた……。やせ我慢は良くないよ?』


 声を振り払うように、鼎は急降下。その爪先に、ようやく目的の野戦病院が重なる。

 旧人類の遺した施設ビルをそのまま活用したものだが、開戦からわずか数十分で、病室代わりのフロアはおろか、廊下までもが負傷者で埋め尽くされている。


 建築の魔導技術に明るい者が、協力して特殊構造による増築を繰り返し、収容可能人数を引き上げてはいるが、建築された向こう側の病室を護衛する手が足りず、そちらもいいように攻撃されている。


 さらに触媒の組み上げ構造を強化する魔導技術を並行して再生し、どうにか病室の崩壊を抑えているものの、いつまで保つかは分からない。それに、攻撃による震動は、折角塞いだ魔法使いたちの傷を、再び開いてしまうかも知れない。

 引き連れてきた負傷者を引き渡しつつ、野戦病院を辞し再び戦域に舞い上がった鼎は、大きく舌打ちをする。


 『ほらほら、お仲間が大変だよ? とーっても痛そうだよ? 苦しそうだよ? 救えるのは、君だけだよ?』

  ──無駄口を叩くな。で、こんなことになっていると思っている。


 思わず言い返した途端、脳裏に苛立たしい哄笑が響く。それと同時に、オリビアからの優先メッセージがHUD上に現れると、声はまた聞こえなくなった。


  ──隊長。先生が、〈眠り竜〉を肉眼で確認したとのことです。先立せんだって合流した主力とともに迎撃する、大隊各位は、自身の生存を最優先とし、主格竜には接近しないこと──受領した指示は以上です。

  ──……了解した。私は、もう少し負傷者の救護にあたる。

  ──お気をつけて……待って。状況に変化あり、鱗が……。


 珍しくメッセージを詰まらせたオリビアの狼狽は、無理からぬものだった。

 まるで、引いていく波のように。

 前触れ無く、地表を覆い、迫っていた鱗が、動きを止めた。そして、亡都遺跡から離れ始めていたのだ。他の竜たちも、それに気づくや否や、身を翻して鱗に追従し飛び去っていく。


 濛々もうもうとした砂埃を上げて鱗や竜たちがが退いた後には、荒涼とした砂地が隠されているのが確認できた。

 質量としては申し分なく、これを触媒として回収できれば、作戦の一端は達成できるかも知れない。HUDネットワーク上には歓喜の声が沸き始めた。


 早速、列をなして露出した地表へ向かう魔法使いたちを見送りながら、鼎は首を傾げる。


  ──どういう風の吹き回しだ? 休憩の時間か?

  ──目的は不明。ただ、鱗は、どこかを目指して集結している可能性あり。

  ──普通に考えたら、それって、〈眠り竜〉のところだよね。  

  ──アンナ先生は、〈眠り竜〉と接敵したって仰ってましたよね……それじゃあ……!

  ──ふむ。大隊副長、どうするね?

  ──本当はそちらへ行きたいけど、最新の指示は、来るなってことでしょ。任せるしかないよ。


 明らかに不満そうな口調のトリーシャ。

 その視線は、未だ砂煙の晴れない、鱗が引き去っていった先に突き刺したまま離さないものの、HUDのズームアップを駆使しても、その先はようとして知れない。


  ──今のうちに、戦力の再編を行います。規則は大隊長の事前指示通りに。負傷者は野戦病院へ。あと、触媒の確認に向かった各位は、今いる位置より〈眠り竜〉のいる方向へ移動しないようにお願いします。


 自身の感情を押し隠すかのように、大隊副長の仮面を被ったトリーシャに、オリビアはそっと笑みかけるが、トリーシャは恥ずかしそうに手を一つ振るのみだった。


  ──さすが、堂々としていらっしゃる。

  「からかわないでよ……。こんなの、ただの真似事だよ」


 誰の真似事か──オリビアは無粋な問いかけを決してしない。

 ただ、大隊副長のさらなる指示の一助となれるよう、あらゆる魔法使い、ドローンと情報を共有し、少しでも場を明らかにしようと静かなる闘争を続けている。

 その成果が出たのは、竜の攻め手が止んでから、数分後のことだった。


 「だから……大きすぎるって、言ってるだろ……」

 未だ獅子守小隊とは合流せず、救護に当たり続けていた鼎が、思わず肩に担いでいた負傷者を取り落しそうなほど脱力しながら漏らした一言。


 ようやく晴れてきた、砂煙の向こう側。

 そこに佇んでいたのは、竜だった。


 いや、竜は、ずっと前から居る。ただ、そこに新しく出現した竜は、今、戦場に参加している、どの魔法使いの記憶にもない竜だった。

 本来、己を竜と呼ばしむる、鱗をまとう魔獣。伝説上の存在──まさにそれを体現した存在が、遥か向こうに忽然と現れていたのだ。


 ほんの一瞬、触媒を採取できる可能性に沸いた魔法使いたちを戦慄させる要素は他にもある。


 露骨に首をひねって見せなければ、その竜は視界から外せないほど巨大であったこと。

 その状態で、まだ上半身のみ地表から生えているに過ぎない状態であったこと。

 都市を一度は崩壊の危機に陥れた上腕は、左右に二本ずつの四本が備わるうちの一つに過ぎなかったこと。

 そして──その竜は盛んな豪炎をたたえた大口を開けていて、今にも何かを魔法使いたちに向けて解き放とうとしていることだった。


 『。どう⁉ 中々いい見栄えだろう⁉』


 またも脳裏に響く嘲笑に、鼎は顔をしかめる。

 竜は、その真なる躯体は、まるで照準光のように、もはや白く色が飛んで見えるほど昂ぶった炎の灯りを、魔法使いたちにその熱量ごと叩きつけている。

 これを一気に放出されたら──トリーシャの背筋を、かつてない戦慄が走り抜ける。


  ──『大隊全員! 防御姿勢‼』


 奇しくも、一言一句まで同じ指示。

 HUD上ネットワークの全チャンネルに向けて発信された、アンナとトリーシャの絶叫を掻き消すかのように、白熱炎は竜の口から一挙にほとばしった。

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