第14話:ご内密
飛び去っていく鼎とトリーシャの後ろ姿を、アンナ・アシュレイは執務室の窓から眺めている。
その表情は、珍しく思い悩んでいるように見えた。
憔悴したトリーシャの姿は、一時期の最悪な状態に比べれば、いくらか緩和されているが、それでも安堵するにはほど遠い。
「妹さんが苦しんでるってのに……一体、どこへ消えちゃったんですか? 見過ごすなんて、らしくないですよ」
ひとつ、誰にも届かぬ呟きを漏らした後、HUD上の通信を要求する通知に気づき、反応する。
──今回は、想定していた禁呪の再生回数には至らなかったようですね。計画の進捗に影響が出なければよいのですが。
挨拶もなく始まった、そのHUD上の通信は、アンナにしか伝わらないよう厳密に設定されていた。
しかも、特別な秘匿暗号で幾重にも傍受・漏洩への対策が為されたものだ。
高位の魔法使いにしか使用を許され得ぬ方法にて伝えられてきたその口調は、極めて落ち着いていたが、その平坦さが余計に言葉そのものの刺々しさを増幅させている。
お相手は、よほどご立腹のようだ──アンナは後ろ頭を掻きながら答える。
──そう怒らないでよ。こっちも色々と
──仰る通りです。だからこそ、一度の好機に成果を集中させる必要があるのです。
──ごもっとも。以後気を付けます。
──よろしく頼みます。あなた自身の安全確保も含めてのお願いです。
──これ以上ヘマすれば、身の保証はしないって? おお、怖い怖い。
おどけたようなアンナの口調に、向こうは呆れたのか怒ったのか、数瞬の沈黙が訪れる。
静かに息をつき、アンナはそれまでのにやついた表情を消し去って答えた。
──もちろん、反省はしてるわ。こんなことじゃ……隊長には、いつまでたっても、絶対に追いつけないから。
決意を伺わせる、強い言葉。
何よりその証左となったのは、そこに混じった、何者かを指すであろう役職名だった。
それを感じ取ったのか、声の主はそれまでの尖った雰囲気を霧消させて、短く告げた。
──期待しています。今、頼れるのは、あなた方しかいないから。
──恐悦至極。……あ、そうそう。例の映像ね、送っておいたんだけど。見てくれた?
──拝見しました。思いの外、しっかりと撮られていましたね。しかも、選りにも選って、あの子達に。
──そうなのよ、見つけたときはビックリしたわ、思わず手ェ振りそうになったもの。
──冗談だと信じたいところです。
──勿論よ、映像見たなら分かるでしょ? そもそも、あの作戦空域、もうちょっと立入り規制を徹底して欲しかったんだけど。やり辛くて仕方なかったわ。
──過度に作戦へ干渉すれば、何らかの疑いをかけられる可能性がありましたので。私達の立場を、今一度自覚してください。
──へいへい。あとは……そうだ、例の虎の子の調子はどうなのよ? ウチらの命、アレにかかってるも同然なんだから。
──概ね順調に推移しています。近日中にも、最終稼働試験を実施予定です。それがつつがなく済めば、いよいよ作戦決行の時かと。
──なるほどね。楽しみにしてる。でも、一つ確認しておきたいことがあるんだけど。
──何でしょうか?
そこで、アンナは無意識に固められていた拳を、窓に押し当てた。
──可能なら、アタシが喰っちゃってもいいのよね。戦士竜も、主格竜も。
その問いかけから、しばらく沈黙だけが流れたが、やがて先方の大きな嘆息がアンナの耳朶を打つ。
──そもそも貴女には、大隊長という大任があるはずなのですが。まさかとは思いますが、自ら
──主に
──集中させる。
──そうそう、そういうこと。
──仰ることは理解できますが、今回の作戦の趣旨を今一度理解してください。あくまでも、地上の探索と触媒の採取が主務です。
──分かってるって。でも、それじゃ禁呪の再生機会なんて無い。アンタのご希望には沿いきれないわよ?
先方が一瞬、沈黙したのをいいことに、アンナは固めたままの拳を窓にぶつけながら、言葉を続ける。
──それに、こんだけ大仰にお邪魔するのよ? 向こうの親玉が、出張ってこないわけがないでしょ。少なくともこっちの親玉は、準備万端整えてるってのに。
──いいでしょう。もしそれが、本当に可能というのなら、あえて禁止しません。
──ずいぶん話が分かるじゃない!
──ただし。触媒探索と採取の任務に支障を来さないことと、〈さとり〉が本稼働するより前に、決着をつけること。何より、私達の計画が露見するような無茶をしないこと。これが条件です。
──なーんだ、宿題のオマケ付きか。
──当然でしょう。それに、主格竜が相手だとしても、敗北して屍を晒すことは許されません。考えたくはありませんが、最悪の場合は、機密を保持するため……然るべき処置を取らせてもらいます。
──大いに結構。もしもの時は、消し炭にでもしちゃって。虎の子の火力なら、大丈夫でしょ。
──確かに、〈やじり〉の威力なら、十分に可能かと。ただ、あれは同胞を撃つためのものではありません。それに……射手たるあのお方に、そのようなことをさせないで頂きたいですね。
──同感だわ。そして、あのお方を、その辛苦から真に開放し奉るには、アタシらの挙げる成果が必要かつ重要、と。そういうわけね。
──お見事。脱線したお話を、よくぞ元のレールに戻しましたね。今後は、そのように精妙なパフォーマンスを期待しています。
──そりゃどうも。……あのさ、身も蓋もない話していい?
──何でしょうか?
──虎の子さえあれば、アタシ達がわざわざ出張る必要もないんじゃない? 高空から、ドバーっと仕掛けちゃえば。
意地悪な顔での問いかけに、先方はまたうんざりしたような吐息を漏らす。
──その手の指摘は聞き飽きましたが、あえて触れて差し上げましょうか。
──お願いいたしますわ、大先生。
咳払い一つで揶揄を吹き飛ばし、解説は続く。
──現在、現象庫にアーカイブされている地上の地形データは数百年前のもので、〈さとり〉が使用するに値しません。一度はそこに降り立ち、詳細を把握する必要があります。地上の探索は、そこに意味があるのです。
──古い地図じゃ、お宝も狙えないってか。触媒も拾わなきゃいけないしねえ。
──その通り。それに、ひとたび〈さとり〉が稼働してしまったら、もう、禁呪を再生する機会など無いかも知れません。それでは……貴女と私の、真の目的は、果たされない可能性がある。
──地上作戦は最後のチャンスってわけね。いいじゃん、そういうの大好きよ。
──貴女の戦意を高揚せしめたのなら光栄です。万事くれぐれも怠らぬよう願います。それでは。
その言葉を最後に、通信は途絶した。履歴を見ても、その形跡は残っていない。
「戦意高揚、ね。ありがたいけど、余計なお世話だわ」
硬く握り込んだままの拳が、擦れた音を立てる。
戦意など、一人残されたことの気づいた、あの日から衰えたことはない。
自分ひとりだけ生き残ってしまった、その無念が消えることはないのと同じように。
隊長、副長、みんな──自分をかばって、散っていった魔法使いたちのことを、決して忘れられないのと同じように。
死に損なった者として、この戦いを終わらせることでしか、恩に報いることも、苦しみに悶える者を救うことも出来ない。
アンナは握り込んだままの拳を解き、掌を窓に押し当てた。
「隊長、見ててください。アタシが全部──終わらせるんで」
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