第13話:備えあれど
悪夢からの目覚めは、必ず悪い。
それがまるで通例のように言われるが、常日頃から熟睡できないトリーシャには、共感しづらいものがあった。
目覚めなんて、いつでも悪いに決まっている。この現実と、向き合わねばならない限りは。
「鼎……。私、どのくらい寝てた?」
いつもならば、隣りにいるはずの魔法使いに向けて、ぼそぼそとした口調で訊いてみるが、答えが帰ってこない。
若干、苛ついたような目を隣に向けてみると、そこには全く別の魔法使いが座っていた。
「大体、二十分くらいよ。……アンタ、マジでこれしか寝てないの? だから消えないのよ、その目の
「余計なお世話だよ、先生」
「はいはい、愛しのカノジョでなくて申し訳ないわね」
からかいの言葉には言い返さず。
トリーシャは、二名がけのソファの上で折りたたんでいた手足を伸ばした。
そこは、広い室内だった。
ともすれば獅子守小隊の一軒家と同程度の面積を有するそこは、鳳小隊の有する施設の一室──隊長代行であるアンナの執務室だった。
壁、床、用具の類を落ち着いた濃い茶の色合いで統一し、そのまま賓客をもてなすことも出来そうな内装で飾り付けられている。
時刻は既に午後一○時を過ぎているが、そこでは、トリーシャの寝入る数十分前まで、今回の作戦における事前説明のため、HUD上のネットワークを介した配信が数時間に渡り行われていた。
トリーシャは、故あってその配信へ参加するために、単身、アンナの執務室を訪れていたのだ。
今回の作戦──地上へ降下し、触媒の探索を行うとともに、主格竜を撃破するという企みに際し、参加を表明した小隊は、全体の三分の一に迫るほどだった。
都市のため、親しき者のため、あるいは自分自身の栄達のためか──危険な戦場へと身を投じる覚悟を決めた彼らに、謝意が述べられるとともに、編成の草案などが配信上で案内された。
大隊長、鳳小隊より、アンナ・アシュレイ。
大隊副長、獅子守小隊より、デアトリーティア・フォン・イフリテス。
紹介の際、ネットワーク上には驚きを含んだざわめきが起こったという。
賢者であるアンナが指揮を執ることは、大方の予想と違わなかったが、あのデアトリーティア・フォン・イフリテスが──経緯を鑑みれば無理からぬ反応ではあった。
しかし、紛れもなく勇名を馳せた戦士であり、最高賢者の実娘であり、あの悲劇の当事者でもある──主格竜への侵攻を目論む者たちの旗印として、これ以上の適任はないと言えた。
配信上、淡々と説明を行うアンナの傍らで、トリーシャは一言をも発することはなく、不動のまま直立し前を見据えていただけだった。
しかし、それが凛として堂々と映り、戦いへの不安など微塵も感じさせなかったことから、視聴者たる参加小隊の面々の士気を高めることになったのは、アンナをして苦笑を禁じえない出来事だった。
「もう、二度と出ませんから」
「いやいや、そのカリスマ性、捨てがたいわ。定期配信して欲しいくらい」
「やらないって言ってるのに……」
あくび混じりのまま立ち上がると、トリーシャは執務室の中央、大ぶりな正方形の机に歩み寄る。
そこには、配信中の説明でも使われた、戦線に投入される予定の機器・兵器類のホログラムモデルが羅列されたままになっていた。
ウルリカのような銃火器使いが用いるような、装備できるものから、恐らく自動操作で援護射撃に用いられるであろう、乗り物のようなサイズの巨大な砲まで。
多種多様な兵器類がラインナップされ、そして、実際に準備されつつあるのだ。
地上侵攻の手はずは、着々と進められている。その古今比類なき規模は、作戦の成功にかかる期待の大きさと似ている。
「こんなものを作らにゃならんほど触媒に困ってるのか、こんなものを作ってるからこそ触媒に困ってるのか……。ま、デキちゃったもんは仕方ないでしょ、使い倒すまでよ」
カラカラと笑い飛ばすアンナの率いる鳳小隊は、都市最大の小隊である。
〈英究機関〉本館が設置された浮島にも劣らない、都市最大級のサイズを誇るそこに構えられた本拠の趣は、まるで城塞。
浮島の縁の外周いっぱいまでフェンスで囲い、広大な敷地内には、防衛戦を主眼とした設備──兵器類そのものだけでなく、それらを生産、整備する施設までもが敷き詰められている。
特に、三年前──創始者にして初代隊長を失ってからの勃興には目を
そこまで自らの隊を大きく成長させようとも、筆頭者たるアンナが頑なに隊長代行を名乗るのには、今なお尽きぬ、カタリーナへの敬意があるに違いなかった。
あの悲劇を経て、かつて親しく肩を並べていた彼女たちは、亡くなったもの、残されたもの、死に損なったものとして分断されてしまった。
動かし得ぬ立場の違いから、訊くに訊けぬままの問いは積もっている。
何のわだかまりもない──そう言えば嘘になる。
だが、引き継いだ地位に甘んじることなく、前線に立ち、小隊の魔法使い達のために動き続けるアンナには共感できたし、その原動力が何であるか、語らずとも分かっていたので、次第に、トリーシャの中に巣食っていた責めるような気持ちは薄れていった。
今はただ、共に戦ってくれることを心強く思う。
「先生は、今回の作戦、勝てると思う?」
「負けると思って殴りかかるバカがこの世に居るの? あったりまえでしょ、絶対に勝ってやるわよ」
「そう言うと思った」
「そりゃそうよ。不安げな大将を担がせるなんて、そんな失礼な真似はできないわよ」
今後、大規模な大隊を指揮することになる将帥として、理想的な姿勢だった。
今のトリーシャがアンナに対して抱くのは、素直な敬意と──複雑な憧憬である。
この賢者は、どうやって、悲しみを乗り越えたのだろう。
アンナの事も無げな態度を見るにつけ思うことだった。自分はこんなにも、過去に拘泥し、もがき苦しんでいるのに。
責めているのでも、拗ねているのでもない──だからこそ、複雑なのだ。
「……ありがとう、先生。お邪魔しました」
「いえいえ。帰ったらアンタ、もう少し寝なさいよ」
結局、今日も何一つ訊きたいことを訊けぬまま、トリーシャは
執務室のあった建造物の外に出ると、そこには見覚えのある、華奢な魔法使いが立っていた。
「よう、大隊副長どの」
「……鼎。待っててくれたの?」
「君のことだから、単身で地上に攻め込んでしまうかもと心配だったのでね」
「いくらなんでも、ありえないでしょ」
「君の場合は前科がありすぎてな……」
ひとしきりつつき合った後、彼女たちは歩みだす。
獅子守小隊の浮島は、今後、激増するであろう行き来に備えて、鳳小隊の近隣に移動済みである。
飛んでいけば、いくらも時間はかからないが、まだどちらも地を蹴ろうとはしない。
「鳳小隊はこんな時間でも賑やかだな。ましてや彼らも打診を受けた身分だ、準備に忙しかろう」
見晴らしのいい位置からは、各種プラント煙と光を吐き出し、装備品や兵器を合成するために稼働を続けている様子がよく見えた。
また、それらへの対応のためだろうか、上空を勢いよく鳳小隊の魔法使いたちが行き交っている姿も散見される。
「本当に、攻め込むんだね、私達」
「地上の捜索が主務だったはずなんだがなぁ……まあ、いつか、こういう日が来ると思っていたが」
「鼎は、地上行きに反対すると思ってた。付いてきてくれて、その──ありがとうね」
少し気恥ずかしかったが、何とか絞り出せた感謝の言葉に、鼎は目を丸くしていた。
「礼には及ばんよ。……なあ、今日はちょっと疲れてるんじゃないか? 君らしくないぞ」
「失敬な。お礼くらい、いつでも言えるし……」
「はいはい──まあ、本音を言えば、今でも反対だ。しかし、触媒が尽きてからでは全てが遅きに失する。タイミングは、今しかない」
「うん……あのさ、鼎。今回の作戦、私達は──勝てると思う?」
「勝てるかは分からん。君も見ただろう、あの強大な主格竜──慎重にも慎重を期して当たらねば。いざとなったら触媒だけでも持ち帰って、兵站を安定させる策も検討せねばならんかもしれん、あとは……」
つらつらと語りだす鼎の横顔を、トリーシャはじっと見ていたが、そのうち、うつむいて──大きく息を吐いた。
「おい、私が真剣に話しているのに、吹き出すとは何事だ」
「絶対、そうやって語りだすと思ったから。なんとかどうのこうのーって」
「なんとか……って、きちんと聞いていて欲しいな! これは大隊副長に対する具申でもあるんだぞ」
「作戦案なら先生に送ってあげてよ、配信中にも言ってたでしょ?」
「もう既に何十通もメッセージを送ってるとも。まだ、一通も返信がないがね」
「ボツにされたんじゃないの、それ」
「そんなはずはない! 作戦の成功率を高める奇策ばかりを詰め込んでだな──」
『──本当に、成功するとでも思ってる?』
鼎の肩が震えて、その足が止まる。
トリーシャが、突如黙りこくった鼎に気づくまでの、数秒間──それはまるで、今後いくばくかの未来が分かりきっているかのように畳み掛けてきた。
『種の寿命を、
──黙れ。勝手に出てくるな。
『この前も言ったけど、今じゃないんだよね。まだ死なれると困るんだよ。君だけでも、何とか逃げ延びられないかな?』
──ほざいていろ。事が全て終わったら……貴様など、現象庫に突き落としてやる。
『言ってくれるね。でも忘れないでほしいな、君と僕は一蓮托生──半分だけ死ぬってことは、無いんだからね』
──百も承知だ。
『それは重畳。困ったらまた貸してあげるから、いつでも呼んでよね』
「黙れ……二度と出てくるな」
「何ブツブツ言ってるの? 大丈夫?」
気づいた時、数歩先を進んでいたトリーシャが、不思議そうにこちらを見ていた。
「ああ……、すまん。何でもない」
「──寝不足なんじゃない?」
「君にだけは言われたくないな」
笑い声を残し、鼎は地を蹴って重力アンカーに体重を投げ渡す。
トリーシャが苦笑しながら続いてくるのを横目に見ながら、鼎は、あの声が聞こえなくなっていることに束の間の安堵を覚える。
確かに、今、死ぬわけには行かない。
あの時交わした、最後の約束を果たすために。
憎々しいが、利害が一致している以上、この煩わしい存在も、甘受せざるを得ない。
だが、死線をくぐり抜けた先、その時がついに訪れたなら。
「半分だけが無理なら──全部、やるまでだろうが」
鼎は、誰にも聞こえないように、一言だけ呟いた。
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