第12話:暴走


 三年前の若きトリーシャには、大きな不満があった。


 どうして竜は、倒した側から消えてしまうのだ。

 これでは、竜の首の一つも、姉様の墓前に捧げられないではないか。


 「……おい。消えんな」


 首元をひねり潰され、もはや絶息して崩壊寸前状態にある眼前の竜にそう呼びかけるものの、当然ながら応答はない。

 その直後、至近の真正面で発生した、粒子爆散の衝撃波に顔面を叩かれても、トリーシャの血走った眼が閉じられることはない。


 むしろそれを怒りのまま広げ、唇を歪め、大きな舌打ちを放った。

 もはや何も掴まぬ手を振り戻すと、反転して飛翔を開始する。


 まだ、防衛戦の終了を告げる鐘は鳴っていない。


 どこかに、竜がいる。


 それを殺す。殺す。殺す──意志を埋め尽くし、否、意志そのものとなった殺意だけが、彼女の行く末を決定する。


  ──警告する。デアトリーティア・フォン・イフリテス。貴殿は防衛担当区分を逸脱しており、作戦運営に支障を来している。


 だからこそ、その警告も当然ながら意に介さない。

 雑音を遮断するため、HUDの対話チャンネルは常時閉鎖してあったが、そこを押して割り込んできたそれはトリーシャよりも高位の魔法使い、すなわち〈英究機関〉上層部からの連絡に違いなかった。


  ──繰り返す。貴殿は作戦運営に支障を来している。直ちに戦闘を停止し帰投せよ。


 再三の呼びかけ。それでも、彼女は応答しない。

 音が五月蝿いからと風に文句を並べる者がいないのと同義で、彼女には、への意思表示の選択肢さえ浮かばないのだ。


 礼拝堂で直視させられた、あの悲劇を受け入れることが出来なかったトリーシャは、そこを飛び出した後、竜を狩り続けていた。


 さりとて、何処かの小隊に属したわけではない。ただ、独断で戦場へ割り込み、勝手気ままに憎しみを叩きつけているに過ぎない。


 誰がいくら引き止めても、襲撃のあるたび繰り返される、目に余る行動に、断絶の罰でさえ仄めかされたこともあったが、彼女はそれさえ無視した。

 〈英究機関〉から名指しで査問会議に呼び出された回数も、両手では足りない。


 しかも、一度として反省の弁を発さず、再発なきことを誓う文言ものたまわない始末。

 酷い例では、ただ唇を引き結んだまま査問官と目も合わせず、襲撃と襲撃の合間の数日間を会議室で直立したまま過ごしたこともあった。


 その会議が襲撃で強制閉幕となる際、以後絶対に前線へ出ないように──と固く言い含められたが、議場から出たその足で、禁じられたはずのそこへ飛んでいく彼女の姿が多数の目によって確認されている。

 皮肉というべきか、その襲撃における竜の撃破数、首位は、他でもないトリーシャだった。


 この誰も追随し得ぬ圧倒的な戦果がなければ、本当に断絶されていたかもしれない。

 戦闘服を自らの血と爆炎で赤黒く汚し、防護衣マフラーの末端は焦げ解れて、儚く揺れている。


 艶やかだった銀の長髪は、単に邪魔という理由だけで揃えもせず肩口で切断されていて、かつて大切にしていたとは誰も想像すらしないだろう。

 そして、ただでさえ赤く鮮やかな眼でさえ、どこまでが白目で、どこからが虹彩なのかも定かでなくなるほど血走らせている。


 こうなる以前の清楚な風貌など連想できない、まるで悪魔のような風体に自らを変貌させて、思うのは、竜、憎し──その一念だけだった。


 如何にしても止まらぬ問題児の接近を、〈英究機関〉は近傍で作戦行動に当たっている小隊に警告する。

 まもなくが、貴小隊に接近する。注意されたし──唐突に送りつけられたそれに、首を傾げる者、何かを気取り身構える者、様々な反応を示す魔法使いたち。


 その真横を、凄まじい速度で通過して行くのは、特殊事案──問題行動中の魔法使い、トリーシャに他ならない。

 管制魔法使いたちは狼狽にネットワークを沸かせるが、当のトリーシャは他へ思いを致すことなどない。


 次の竜。目当てはそれだけである。


 その突撃が怒りと勢いに任せた野放図なものであったなら、思わぬ侵入者を迎え撃つ竜にとってはまだ隙を突くことも可能であっただろう。

 しかしトリーシャの戦法は、酷薄なほど基本に忠実である。


 腕の伸ばし、脚の運び、それらを繋ぐ体捌きに至るまで、そのまま教材としても不足ないほどの流麗さであった。


 全ては姉と居並び、戦うため鍛え上げたもの。

 わずかの恥ずべき点もなく、共にあるため、己に刻みつけたもの。

 その誇れるほどの戦いぶりが、拭いがたい虚しさを帯びているのは、もう認めてくれる者は、居ないという事実による。


 「姉様を……どこへやったんだ」


 数え切れぬ──否、数えてさえ居ない、今日のおびただしい戦果。

 最後に残った竜の胴体に、腕を深々と突き刺し、逆の手でその頭蓋を鷲掴みにして、トリーシャは問いかける。


 竜から答えはない。主格竜を除いて、彼らに言語を解する能力はない。

 ただ身を裂かれ、苦痛に歪むかのような無貌が、トリーシャの怒りを無尽蔵に増幅させていく。


 「どこへ! どこへ! どこへ‼ どこへやったんだって、聞いてるんだよッ‼ なんでお前らがこんな所にいて! 姉様が、どこにも──いないんだよ‼」


 叫ぶたび、腕を竜の胴から引きぬき、再び貫く。

 それでもなお動けぬままの竜は、苦悶に言葉ならぬ声で叫び、ある時、力なくうなだれたが、トリーシャの問いには答えていない。


 だからこそ、拳も止まらない。


 その凄惨な光景を、割り込まれた格好の魔法使いたちは、呆然と見守るしかなかった。


 その悲嘆を共有していない限り、復讐者の姿は、傍観者にとっては、ひたすらに異質。

 こみ上げるのは、同情より忌避。賛同より拒絶であろう。

 しかし、この時のトリーシャには、そのことに気づく余裕さえない。

 

 ついに爆散した竜の粒子を追いかけるように、拳が、脚が、空を切る。

 それも消えて、また、目の前に何もなくなった時。

 のけぞり、ただ空に吠えるトリーシャだけが残されていた。


 このような、トリーシャの無為で無謀な独争は、もうしばらく続くことになる。

 今は、孤独ではなくなったが、無謀ではあり続けていた。

 そして、無為か否かは──これから、決まることだろう。


 その決着を、トリーシャは、自分自身で付けることにこだわっている。

 他の誰かに、この戦いを、勝手に終わりにされて──たまるか。

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