第2章

第8話:委員会

 話題も尽き果て、その場が沈黙に包まれた時。

 どの程度の時間、耐えることができれば、会話巧者と名乗れるのだろうか。

 トリーシャは、無為な思考に没頭していた。


 つい昨日、完全復旧したばかりの、都市の上空を結ぶトラムネットワーク。

 そのうちの一台に乗り合わせた鼎とトリーシャは、四人がけの席へ向かい合いに座しつつ、トラムが終点に到着するのをじっと待っていた。


 トラムは先日、戦闘の際に借用したような簡易的なものではなく、屋根も壁もある、多人数が乗り込める構造のものである。


 「だいぶ……復旧してきたな。ほら、あの辺り。何日か前は更地だったのに」

 「そうだね──あ、ほら、あそこも。宅地造成されてるから、沈んだ浮島の町が越してくるのかもね」


 時刻は午前九時より少し前。

 車窓から見やるのは、眼下を過ぎゆく、めいめいの浮島の様子である。

 先の襲撃からは、既に二週間と数日が経過していた。


 主格竜らが残していった爪痕は深く、その復旧のために都市は喧騒に揺れていた。

 また、施設インフラ面の被害だけでなく、魔法使い自身の受けた被害も大きい。

 もう二度と帰らぬ運命をたどった魔法使いでさえ、皆無ではない。


 それでも、傷ついたままではいられない。

 次回までにきちんと治して──直しておかねば、瘡蓋かさぶたを剥がされ、えぐられる痛みに悶えることになる。

 それが今日起こるか、あるいは明日かも分からない以上、流すべきは、涙よりも汗の方であった。


 そうした復旧のただ中にある魔法使いの都市の面積は、浮島の分布による中空部分も内数に含めると、約二万平方キロメートルに及ぶ。

 そうした浮島の集う都市に建てられた、それぞれの町は大小も地形も様々で、中には山稜や砂地を有する島もある。 


 このような都市形成の発端、すなわち地上からの脱出、浮上は、古代の魔法使いたちが下した決断だった。

 古代の魔法使いたちが、浮上のための計画を描いていた段階で、かつて地上に存在した旧人類とは、実質的な戦争状態に入っていた。


 理由は様々、領土や資源に関する対立、そして旧人類から見れば非科学的な力を持つ魔法使いたちへの恐怖に起因した差別意識――枚挙に暇はないが、最たるものは、旧人類と竜との衝突が深刻化していたことだろう。


 竜は、突如降って湧いた未知の脅威ではない。

 旧人類が二本の足で歩き始めるよりはるか以前から地上に棲み、定まらぬ何処かをねぐらとする、実在の生命体である。


 そして旧人類と竜の衝突も、それが最初ではなかった。

 栄華を誇ったいくつもの古代旧人類文明が竜に挑み、そして滅んでいったとされている。


 詳細のほどは、竜もその戦果を語らず、旧人類もその文明まるごとを失っているため判然としないが、竜も人も、その因縁は長く続いていた。

 その争いのさなかで、竜が人と似た姿に変容したのではないか、という説が最近まで有力視されていたが、先日の襲撃にて、竜が竜としての身体をそのまま保有している事実が判明した為、研究家たちは現在、混迷の中にある。


 旧人類もまた、そのような苦悩を抱えていたのかもしれず、これを打破して竜との戦争に勝利するため、旧人類は魔法使いの技術を求めていた。

 その手段は、侵略という、極めて短絡的で、しかし効率的なものだったが。


 迫る旧人類文明の権力と戦力、そして有無を言わさず殺到する竜。

 人と人、竜と人──三つ巴の消耗戦を忌避した古代の魔法使いたちの視線は、誰の支配も受け入れていなかった、空に向けられたのだ。


 当時の都市浮上作戦に備えて、開発された防衛用の魔導は一万を超え、そのうちの多数が、現在でも淘汰されることなく伝承されている。

 対して、旧人類にとっては制空権を奪われるか否かの瀬戸際であり、強硬な妨害が加えられたとされる。


 旧人類同士の戦争では使用が躊躇された大量破壊兵器でさえ、魔法使いたちに向けて矢継ぎ早に打ち出されたと伝えられている。

 執拗な妨害から逃れ、都市が旧人類の魔手から逃れるのに要したのは、一昼夜の時間と、おびただしいほどの犠牲であった。


 それ以降、追いすがるようにして空へと攻め来る竜たちとの戦争は続いている。

 一方、竜の脅威を押しとどめる存在を失った地上世界は、現在では全域が竜の支配下にあるとされている。 


 『ご乗車ありがとうございました。まもなく、終点〈英究機関〉本部前。お降りの際はお忘れ物にご注意ください──』


 トラムの自動音声で、二名は旅の終わりを知る。

 対面に居る鼎の肩口の向こうに、〈英究機関〉の本館が見えてくるのが分かった。


 戦士竜によって大口を開けさせられていた壁面は、ひとまず蓋をしたという様子だった。

 意匠性の高い壁面の再現に時間がかかるという発表もあったが、恐らく実情は少し違う。一般市街や、インフラの復旧を最優先にしているのだ。


 その判断をいち早く下したであろう魔法使いに、トリーシャは心当たりがあった。


 「本当……頑固なんだから」 


 その独り言を座席に残し、トリーシャは立ち上がる。

 トラムは庭園を抜け、〈英究機関〉本館正面のエントランス近くまで高度を下げながら飛ぶと、そこに横腹を向け停止する。


 開いたトラムの乗降扉から降り立ち、見上げる本館の威容は、戦時に横目でとらえた眺めとは一線を画す。

 こちらへ倒れこんできそうなほど高く、垂直に屹立する壁面は、慣れぬ者なら首を痛めるまで見上げてしまうほどだ。


 だがトリーシャは目線を正面に向けて動かさず、歩みだした。続く鼎の表情も、今ばかりは引き締まっている。


 エントランスは、高さのあるピロティと、それに覆われた大扉で構成されている。

 そこに立つ守衛の魔法使いは四名。赤をベースにした儀礼服と警帽に身を包み、同じ色合いの防護衣マフラーを引く動作は堂に入ったものである。


 対する鼎とトリーシャも、儀礼用の防護衣マフラーに、出来る限りの正装で応える。

 とはいえ、〈英究機関〉から支給されている、小隊所属者用の制服──紺のブレザーにプリーツスカート以上のものは無いのだが。


 「獅子守小隊クラス、委員会からの招聘しょうへいを受け、参上しました。お目通り願います」


 守衛に用件を伝える鼎。その横顔を眺めつつ、トリーシャは目の前の大扉が開くのを待っていた。

 守衛の開いてくれた大扉をくぐると、数メートル程度の短い廊下を挟んで、もう一枚の扉がすぐに行く手を遮った。

 そこへ向け、二人が廊下の中ほどまで歩んだところで、背後の扉がゆっくりと閉じた。


 陽の光を絶たれ、廊下は薄闇に沈む。

 天井に設置された照明は、節約のためか空間比率から見てやや弱く、外部の意匠に似せた内装の様子も、はっきりとは視認できない。

 〈英究機関〉の本館が、その威厳を保つために纏った芸術的要素は、ここで終着点を迎える。


 エントランスの向こうには、ロビーやホールといった、人類文明の建造物によく見られたような集合案内設備は存在しない──二週間ほど前から。

 戦士竜に破壊の限りを尽くされた〈英究機関〉内部は、費用と効果のバランスに鑑み、その完全な復旧を断念していた。


 華美な装飾の外壁とは裏腹に、内部構造は、効率のみを追求して再設計されている。

 今眼前にある二枚目の扉こそが、新たな〈英究機関〉への入り口なのである。

 ここを通り抜ければ、即座に目的のセクションへと、直接到達できる構造へと改められているということだった。


 それは、先の襲撃時、ウルリカや鼎が帽子を倉庫のように活用していたのと同じ、特殊な空間活用法──魔法使いが向こう側へとアクセスした瞬間、この空の上のどこかに、その向こうの空間が、指定した内包物ごと瞬時に生成されるのだ。

 そして用件が済み、そこを出れば、一切は消滅する。


 建造物の外枠は、その向こうの空間を構成するのに必要な触媒を、単に収納するためのものと割り切られたとのことだ。


 「しかし、直接のお呼び出しとは、何とも珍しい。君が無茶をしすぎるから、ついに我らも断絶の罰を受ける時が来たのだろうか」

 「それなら、予告なしでやればいい話でしょ」

 「今日の用件がその予告だったら……君はどうする?」


 これもまたいつもの冗談に違いなかったのだが、トリーシャは腕を組んで瞠目したあと、真剣な様子でうめき声を上げた。


 「どうしようか……。私たち二人で、委員会の全員に勝てるかな」

 「真顔でとんでもないことを言うな」


 他愛もないつつき合いを交わしながらも、大きな扉が開き始めに鳴らす蝶番のきしみを聴かされるや、二名の顔に真剣味が宿る。

 次第に開けていく視界は、逆光で閉ざされているが、トリーシャは臆さず踏み出し、鼎もそれに続いた。


 背中まで光に埋没したところで、踏み締める靴底の感触が、不意に柔らかくなる。

 二名が通されたのは、どこか広い邸宅の裏庭にありそうな、温室のような場所だった。


 床はそれまでの石造りから様変わりし、靴底をわずかに隠すほどの背の低い草が、全面を覆っている。

 透明な天井と壁面からは、柔らかな日の光が差し込んできており、空間の中央にある白い円卓と、そこに座す八名の魔法使いを照らしていた。


 「獅子守小隊長、ならびに副長。ご下命により参上しました」


 言葉と共に、二名は揃って踵を揃え、防護衣マフラーを引いてみせた。

 それを受け取った魔法使いたちは、各々ひとつだけ鷹揚に頷いた。

 その全員が、目深にフードをかぶっており、その表情は知れない。


 「管理収録者かんりしゅうろくしゃ委員会から直々のお呼び出しを受け、大変恐縮でございます」


 鼎が呼んだその名こそが、鼎たちをここまでいざなった集団の公式名称である。

 賢者を統べる賢者──上級賢者の防護衣マフラーは、複雑な刺繍のあしらわれた金一色。あらゆる模様種別の中でも、最高峰の地位を示すものだ。


 現象庫の管理全権を有する──すなわち、都市の根幹を掌握する、〈英究機関〉の最上位にあたる委員会組織である。

 だからこそ、彼らの担う業務、雑務の量は半端なものではなく、直属の麾下でもない二名が、こうして彼らと直接相対するというのは、非常に珍しい例なのである。


 「足労をかけて申し訳ない。で失礼するが、判断は違えないように注意するよ」


 上級賢者の言葉は、謙遜以外の何物でもない。

 読んで字のごとく、代理の人格。

 どこか別の場所に居る、魔法使いの本体が運用するアバターといえたが、賢者の域に達した者が、触媒一粒ごとの挙動をも完全に掌握し操る代理人格は、オリジナルと隔絶された環境でもそれと同じ能力を有する、まさに分身となれる。


 この場に実体として座すこと自体が、まさにそうした賢者の英知を見せつけるものでもあった。

 さらに、それらの代理人格を何体も並行運用し、こうして二人と会見している間にも、その裏では──あるいはこちらが裏かも知れないが──いくつもの会合を持ち、厳然と果断を下しているに違いなかった。


 「けいらの活躍は、我々の知るところです。まずはその多大な戦果に謝意を表します」

 「勿体無いお言葉、恐悦の至りです」

 「……さて、挨拶はこの程度で。諸姉らもご賢察の通り、昨今の戦況は、激化の一途をたどっています。それに押され、触媒の残り貯蓄量もまた、逼迫しています」

 「この状況改善のため、我々としては抜本的な一手を打たねばならないと考えている」

 「御意──」


 無難な返答の裏では、鼎とトリーシャのやりとりが続いている。


  ──ふむ。予防線を張る所からスタートか。

  ──よほど切り出しにくい話題なんでしょ。やっぱり断絶か。鼎、あんたは後衛をやってね。

  ──後衛って、あの中の誰がそうなんだ? 第一、相手は殆ど代理人格だぞ。君と同じで、殴っても手応えナシだ。

  ──そんなのどうでもいい。ずっと前から、一発ずつお見舞いしてやりたいとは思ってたから。特に……一番奥の。


 鼎は気付きつつ放置していたが、トリーシャの目線はここに入ってきてから、今この瞬間まで、円卓の上座にある、一人の賢者に突き刺さったまま動いていない。

 それは、この賢者だけは代理人格でなく、他でもない本人がこの場に座しているということと無関係ではなかった。 


  ──頼むから、いきなり飛びかかるような真似をしてくれるなよ。

  ──どっちの心配をしてるの?

  ──君の心配に決まってるだろ。

  ──珍しく優しいんだね。

  ──勝てるわけがないからな。それは、君が一番良く知ってるだろ。


 トリーシャの返答はない。それを同意と受け取り、鼎は再び委員会の面々へと傾注する。


 「その一手をいつ、どこに打つかという事について、愚かな我々は思い悩んでいてね。そこで、君たちにいくつか訊かせてほしいと思っている。構わないかな?」

 「御意。何なりとお尋ねください」

 「それはよかった。ではひとつめだ……卿らは、最近──禁呪を再生する集団を目撃したね?」

 「は──」


 さしもの鼎も、息を詰まらせる問いかけだった。

 主格竜に向け色々な勢力が集ったあの空域は、通信妨害されていた──誰の目もないと思っていたが、さすが、為政者のそれは並々ならぬ見通しを有すらしい。


 誤魔化しは無意味──さりとて真実を答えるべきか、否か。

 鼎が目配せした先のトリーシャは、既に息を吸い込んでいた。


 「はい、仰るとおりです。襲撃の日、主格竜の周辺で。それが何か?」

 「どのような禁呪だったかね?」

 「分子観測、制御、身体強化、自然現象──およそ戦闘に用いる全て。その出力は禁呪の域に達していたかと。──なぜこのようなご質問を? 現象庫の再生履歴と照合して頂ければ、すぐにも詳細が判明するのでは?」


 トリーシャの返す刀に、賢者たちは沈黙した。獅子守の二名の及ばぬところで、密議が開始された証左である。


  ──おい、無駄に噛み付くんじゃない。

  ──怒らせちゃったか。やっぱり、やるしかないね。一番奥の奴からボコボコにしよう。

  ──少し落ち着け。気持ちは分かる。ただ、これ以上──に失礼な態度は控えるべきだ。

  ──別に、失礼を働いているつもりは無いんだけど。

  ──そうか、ならばそれを継続してくれ。


 委員会と獅子守小隊の密談は同時に終わったようで、賢者たちはフードの奥の見通せぬ顔を改めて鼎たちに向けた。


 「さすがの慧眼と称すべきかな。卿の言う通り、現象庫側から走査すれば、魔導の種別も、その再生者も一目瞭然である」

 「それができず、あなた方にわざわざお尋ねしなければならない理由──そこまでも、卿はお気づきなのでは?」


 誘うような口調に、トリーシャは少しの苛立ちを覚える。

 現象庫と魔法使いは、この上なく密接に繋がっている。その接続路を通ってこそ、魔導は魔法使いの面前で再生されるのだから。


 しかし、その接続路を混乱させ、迂回し、あるいはそれさえも経由せず魔導を再生させる存在──それが、以前から噂されていた。


 「疑似神経紋しんけいもんデバイス──ですか」

 「……その通りだ」


 詰め寄るように投げた問い。それを正面から打ち返したのは、円卓の上座に座し、面会の当初からトリーシャの視線を受け止め続けた、魔法使いであった。


 犬猿、呉越、不倶戴天──旧人類の言葉の中で、一体どれを、この二名の間に当てはめるべきだろうか。

 迷ってしまうほどの険悪な空気が、一瞬にして場を満たし、誰の言葉をも打ち切ってしまう。


 真正面から睨み合う視線の絡まり様は、まるで大蛇が雌雄を決すべく争うがごとく。

 僅かな物音さえも禁じられたような空間に息の詰まった鼎は、


  ──なあ、私、帰っていいか?


 そうトリーシャに投げてみたが、完全に無視されてしまい、密かにため息をついた。

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