第5話:主格竜

 禁足区域を脱し、〈英究機関〉本部外壁の傷口から飛び出した獅子守小隊は、久々の陽光に目を細めつつも周辺を見渡す。


 そこには、戦士竜はもちろん、あれだけ〈英究機関〉本部に殺到していた竜たちの姿もない。

 だが、魔法使いたちの表情に安堵はない。

 防衛戦で負傷した魔法使いたちが搬送されてゆく列の長さ、喧騒の大きさも手伝うが、まったく異種の脅威が、新たに顔を覗かせていた為である。


 都市の外れの、そのまた向こう。

 もはや浮島もないような、防衛指定区域の埒外に、それは忽然と現れていた。

 その色は、岩のような明るい茶褐色と、目に眩しい赤色の階調模様グラデーション。質感は艶々として、陽光を鈍く照り返す様は、生命の息吹を感じさせる。


 それは恐らく──竜のうろこ

 凸凹とした表面から察するに、その寄り集まったものという見方が大勢であった。


 「それにしても、大きすぎるだろ」

 眉を吊り下げ、うんざりした様子の鼎だが、同情の余地は十分にあった。

 ウルリカが先行させたドローンから送られてくる映像によらなくとも、それは、遠間から肉眼でも充分に確認できる。


 まるでもうひとつ、数万の住人を擁する浮島が増えたかのようなそこへ向かって、竜たちは雲海の中を進み、集結しつつあるようだった。


 「まさか、あれに逗留する気じゃあるまいな。私は嫌だぞ、あんな隣人」

 「今でも充分、ご近所トラブル発生中でしょ」


 鼎の軽口を切って返すトリーシャの顔色は、落ちていた影を、少なくとも見かけの上では、取り払い終えている。

 そうでなくてはな──鼎は誰にも伝えず独りごちると、改めて竜の動向をHUD上に見る。


 逃走を図っているとしたら、彼らは方向を違えている。竜らの本拠は、空にあらず──旧人類の文明版図であった、地上にあるはずなのだ。

 本拠でないものに集結している以上、その動向は、継続された作戦行動と見るべきものだった。


  ──追撃指令は無し。〈英究機関〉本部周辺の防備再構築が優先とのこと。

 「妥当だな。だが、常に我々はより面白そうな方へ向かう。狂犬の乾き、未だ癒えず! だものな? トリーシャ」

 「誰が狂犬か。好きにすれば? 付いていくよ」

 面々は頷き合うと、トラムは再び滑り出す。目指す先は、無論、竜の鱗である。


  ──あー、もしもし。 獅子守の諸君? 生きてたら応答して。 


 その途上、四名のHUDに通信が届く。その相手は、アンナ・アシュレイと表示されている。


  ──首尾よくやってくれたみたいね。アタシの鼻も高いってもんだわ。

  ──いえいえ、それほどでも。今回の面目躍如に対し、相応の報酬を期待しておりますよ、賢者先生。

  ──そうしてあげたいところだけど、なにせ今回は被害がデカくてね。満額回答とは行かなさそうだわ。

  ──先生、いつも同じことをおっしゃっている気がしますけど……。

  ──気のせいだって、ウルリカちゃん! お姉さん、みんなが頑張ってるの、ちゃんと見てるからね!

  ──気のせいではないぞ、ウルリカ。このおばさんのことを、もっと責めて良いぞ。  

  ──はーい、鼎おばあちゃんは余計なことを言わないでねー。

  ──お、おばっ……?

  ──んで、どうせ今は、あの鱗みたいなモノに向かってるんでしょ? どんだけ厄介事が好きかね、まったく。まあ、せいぜい気をつけなさいね。〈英究機関〉は小隊クラスの接近を推奨してないから、自己責任でね。


 その後も他愛ないやり取りが続いてから、アンナとの通話は打ち切られる──その直前、オリビアのHUDにだけ、最後のメッセージが送付される


  ──オリビア。特権符号コード三○八が発令中だから。注意なさいな。


 短くに告げられたメッセージに対し、オリビアは眉一つ動かさない。ただ受信した旨のみ返信すると、送受信の痕跡を完全に消去した。

 やがて、鱗の集合体がHUDのズームアップで見渡せそうな距離にまで接近したところで、トラムは減速する。


 周辺には、獅子守小隊と同じ選択した小隊や、念の為、状況確認に訪れた〈英究機関〉の魔法使いと思しき小集団がいくつも確認できる。


  ──竜の反応を走査中。各員、まだ警戒は維持願います。


 その場の誰もが、未だ見えない竜を探す。

 しばらくの間、風の音だけを聞く時間が過ぎ去った後、何かを見つけた様子のウルリカが、覗いていたライフルのスコープから目を離さずに言う。


 「あの鱗、段々と……大きくなってませんか?」

  ──ウルリカもそう思う?

 「ええ、間違いないかと」


 はっきりとした答えを受け取ったオリビアは、何も言わずトラムを静止させた。それが合図となって、他の三名は、身を低くする。

 他の小隊も、僅かな異変に気づいたのか、にわかにHUD上の交信状況が忙しくなり始める。


 確かにそれは、次第に大きくなっている。

 もはや浮島などではなく、尖塔──丘、山峰へと。

 みるみるうちに、雲海に没していたその姿が露わになっていく。


 「大きくなるっていうか──起き上がってるんだ」


 ぽつりと、トリーシャが呟いた瞬間。  

 遠間から轟音が聞こえたのと同時に、それは急速に屹立を開始した。

 怒涛の勢いは雲を巻き込み、広い範囲を一瞬で煙に巻く。まるで、旧人類が宇宙に向けて打ち上げていたという何かの飛翔する姿を思わせるが、過去を省みる余裕のある者はなかった。


 見渡す限りの光景が、そのまま一気に、こちら側へとめくれ上がった──そんな錯覚を呼び起こすほどの、巨大な鱗の集合体。

 それが、眼前に立ちはだかる。


 警告に埋め尽くされたHUDの向こうに、その威容を収めたまま、魔法使いたちは絶句し驚愕、そして、予感に打ち震えている。

 上げた拳が、必ずどこかに振り落とされるように。

 起き上がった鱗が、何を為すのか。


 緊張に満ちた数秒──それは、鱗の上端部付近に浮かぶ、何者かの姿を、全ての魔法使いに捉えさせるのに、充分な時間だった。


 「……かこい〜? どこぉー?」


 まるで、起き抜けの掠れ声であった。

 弱々しく、 虚空に向かって呼びかけるその何者かに向けて、突如、竜たちが雲海から飛び出してくる。


 竜たちは次々と空中で円環状に整列しつつ──その何者かに対し、波をなしてひざまずいていく。

 これまで観測されなかった、竜の社会的行動に驚く声もHUD上のネットワークに散見されたが、問題の本質はそこではない。


 多数の軍勢にかしずかれる──より上位の存在。それが出現したということは、事態が一段と差し迫ったことを表している。


 「しず様──!」


 他の竜たちと同様、雲海を脱し、飛来する影は、姿の見えなかった戦士竜であった。鼎から受けた傷はそのまま残っていることから、どうやら、慌てて飛び去った理由は、この跪く先の存在にあるようだった。


 「静様、ご機嫌麗しゅう。ですが、このような所へお出ましになるとは」

 「だって、囲、どこにも居ないんだもん……。起きたら、髪を梳いてくれる約束だったのに」

 「危急の状況につき、何卒ご容赦下さい」

 「ふうん……」


 全く気のない、生返事だった。小さな鼻から息を漏らすと、それきり何もかもへの関心を失ったように目を伏せた。 

 もはやこの存在が竜であることは疑いようもない。さらに、顔貌かおを有していることから、並のそれでないことは明白だった。


 体格は、戦士竜とは比較にならないほど小さい。薄紅色をした長袖のナイトドレスをまとっているが、明らかにオーバーサイズで、その裾からは手首も足首も覗かない。


 今にも閉じてしまいそうな、白目のない金色の瞳は、白色をした、爪先までをも隠してしまうほど長い頭髪のような組織に、半ば覆われていた。


  ──竜検知反応、強烈。主格竜の可能性、きわめて……高い。

  ──新たな主格竜ってことですか⁉

  ──そうだな。先祖の伝承を信じるなら……あれが、最新で最後の主格竜だ。


 目を剥くウルリカはもちろん、オリビアと鼎でさえ、いつもの冷静さを引き剥がされかけている。

 主格竜──その存在と、魔法使いが邂逅したのは、実に三年ぶりのことである。


 それなるは、竜の支配者。

 竜の核たる機能を象徴する存在。 

 竜を滅ぼすことを期するのなら、絶対に避けては通れない──宿敵。 

 ただ一名、この邂逅に感想の一つも表明しないトリーシャの拳足は、既に紫電を蓄えており、泡の弾けるような音を小さく響かせている。


  ──トリーシャ、まだだ! 分かるだろ、あそこに飛びかかれば、命はないぞ!


 言葉での返答はない。ただ、約束は二度破らない──行き場のない紫電の、弾けるような音が、トリーシャの意思を代弁した。


 「……ねえ、囲。すみちゃんは?」

 「残念ながら、いまだご帰還の途にあらせられません。今しばらく、御辛抱の程を」

 「おかしいなぁ。帰ってきたと思ったのに……だからここまで来たんだよ?」

 「お気持ちお察し申し上げます。なればこそ、澄様のためにも、ここはお下がりください」

 「んー……。つまんないの」

 平伏する戦士竜。しかしそれ以上の追求はなく、少しの沈黙が流れる。

 「……囲、よく見たらボロボロだね。どうしたの?」

 「いえ、これは──お見苦しい姿をお見せしてしまい、恐れ入ります」

 「仕方ないなぁ……ほら、じっとして」


 戦士竜に向けて、ナイトドレスの袖口から覗いたその白い手は小さく、しかし黒く伸びた爪は鋭利で、艶を帯びていた。

 その先端から、粒子が流れ出て行き、戦士竜の負っていた損傷に触れると、瞬く間に修復されていった。


 竜を修復する竜──状況を観察していた魔法使いたちに衝撃が走る。あの主格竜の司る機能が、詳らかにされたのだ。

 それは、あの主格を打ち倒せば、竜の、どのような生理機能を崩壊させられるかということを表している。


 「はい、もう平気だね」

 「ありがたき幸せ! 御慈悲に預かり恐悦の至りです」

 「いいんだよ。それじゃあ……一緒に澄ちゃんを探そうか」


 主からの施しを受け、子犬のような笑顔で居た戦士竜の表情が驚愕に歪む。


 「いえ、静様。恐れながら申し上げます。澄様は、いまだ──」

 「静には分かるの。絶対に澄ちゃんがいたの!」


 両手を胸の前で揃えて抗弁する、その金色の瞳は、今や、しかと見開かれている。

 その両の目尻から、同じ色をした、炎のようなものが、盛んに吹き出し始めたのを見て、戦士竜は何も言い返さず跪いた。


 まるで大きく開いた翼のように、あるいは天を衝く角のように。

 王冠のごとく展開された金色の炎を纏い、主格竜は雲海を、その向こうにある魔法使いの都市をゆっくりと見やった。

 その姿に、周囲の竜たちも改めて平伏し、再び中空に大きな波を形作った。


  ──ようやくお目覚めってことかな。


 トリーシャは鼎に訊いたつもりだったが、珍しく彼女からは何の返答もなかった。

 ただ、つばの取れかけたウィザードハットの奥には、険しい目つきが見て取れた。


  ──あんたが気圧されることもあるんだね、珍しい。

  ──何を言うか。私は普通の魔法使いだぞ。あんな物を見せられたら、いくらでもビビるさ。


 何かを予感させるように、吹き抜けゆく一陣の気流が、魔法使いたちの防護衣マフラーをいいように揺さぶるが、それを押さえるのにも気が行かないほど、全ての魔法使いたちの視線は一点に集中していた。

 主格竜の鎮座する鱗の上端。それが、次第に形を変え始めている。


 「竜の、手……ですか、あれ⁉」


 折り曲げられていた、あるいは力なく放り出されていたそれが、意志を持って駆動させられ始めている。

 鱗の集合体と思われていたものは、手──あるいは、竜の上腕部。そう呼んで差し支えのないものだった。


 裏手から起き上がってきた掌のような部分には、隆々とした筋組織をまとった図太い指のようなものが四本、その先端に黒々とした爪を輝かせている。


 「澄ちゃ〜ん、いるんでしょ〜? 静はここだよぉ〜」


 主格竜が、その手を振るのに合わせて、竜の上腕は、ならうように揺れ始めた。

 ただ、この巨大な質量が、何の容赦もなく振り回されるということは、魔法使いたちにとって、決して好ましくない結果を招く。


 「まさか……やめろよ──おい!」


 鼎の呼びかけも虚しく──竜の上腕は、魔法使い達の居る方に向け、熱い抱擁を交わさんとばかりに倒れ込んできた。

 瞬く間に周囲を覆い尽くす影、巻き起こる奇妙な風音。到来した危機は、唐突で、しかもあまりに圧倒的だった。


 退避──指示の声を上げるべく吸った、鼎の息が詰まる。唐突に、身体が足元ごと後方へ急速に引き戻されたためだ。


  ──緊急離脱します。どこかにつかまっていて!


 オリビアの咄嗟の判断により、トラムは急速転身。全速力で逃避の途に就くが、安否の境目である影の切れ目までは、まだ遥かに遠い。


 他の小隊も、散る蜘蛛の子の様相で逃れていく。出遅れたか、あるいは突出しすぎていたか、いまだ獅子守小隊のはるか後方にある小隊もまばらに見えるが、差し伸べようにも助けの手はあまりにも小さすぎた。


 上腕の落下が巻き起こす烈風の中、荒れる水面を行くかのごとく、トラムは揺れに揺れるが、面々は揉み合いになりつつ、何とか耐えている。


 一秒ごと、時間を追うたびに、加速度は増していく。もはや、その表面に走る細かな皺まではっきりと見て取れる距離にまで迫っていた。


 間一髪──とも行かず。

 ベストを尽くした逃避行ではあったが、まさにその先端、指先とも言うべき部分に引っ掛けられ、獅子守小隊は空中で瓦解した。 


 最後の抵抗として、オリビアがトラムを反転させて盾にし、小隊の面々への直撃だけは避けていたものの、巨大質量の伴ってきた威力は決して小さなものではない。

 弾き飛ばされ、四名はめいめいの悲鳴を上げながら、出鱈目な方向に投げ出されてしまう。


 「澄ちゃあ〜〜ん! どこにいるのぉ〜」


 主格竜の声も、上腕の動きも止むことを知らない。一度振り切った上腕を、また振り戻す──それを繰り返すうち、千切られた雲海が指先から尾を引き、幾重にも巨大なアーチを作り出す。


 壮麗な光景だったが、魔法使いたちに感銘に酔う時間は無い。

 魔法使いの都市もまた、主格竜の巻き起こした烈風により、強烈な揺さぶりを食らっていた。

 その衝撃は、これまでで間違いなく最大の、災厄に達するものだった。

 損壊した浮島は数知れず、中には弾き飛ばされ、そのまま墜落したものまで観測された。


 曲がりなりにも地形であるところの浮島でさえ、そのような状況である。いわんや、魔法使いの木の葉の如き身をや──である。

 しかし、こうまで激甚の仕打ちであっても、それは、攻撃でさえ無いのだ。

 主格の竜──まさに、その真なる姿を駆動させるものの、単なる身じろきに、圧倒されようとしている。


 こんなものを──倒すというのか。

 魔法使いの都市は今、未曾有の状況と、絶望感に包み込まれようとしていた。

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