第4話:漆黒

 まるで時間の停止したような、そんな錯覚。


 集中した戦闘のさなか、緊張が頭の中を埋め尽くしたような、この独特の感覚。

 鼎はこれまでも幾度か同じような体験していたが、今日のそれは、一層はっきりと自覚できた。


 『ねえ、君。分かってると思うけど、このままだと、この子に殺されるよ?』


 降ってくる戦士竜の矛。まじまじと観察する機会など今までなかったが、中々美しい意匠だと思えた。


 『聞こえてるよね。無視はよくないと思うよ? 礼儀の上でも、君の身にとっても』


 一体、何の様式だったか──旧人類の遺した資料の中に、似たようなものを見た覚えがあった。


 『ああ、これね。あれでしょ、確か──』


 そうだ、旧人類の古代王朝。

 長ったらしい名前の芸術家が編み出した。 流行が長く続きすぎた為、後世の旧人類が遺物の年代特定に苦労したという──。


 『そうそう。洒落てるけど、いい迷惑だよね。──じゃあ疑問も解決したところで、いい加減に、と向き合ってもらえるかな?』


 目の前に迫る矛の紋様は、いっそう明確になってくる。何とかしなければ。

 今はまだ、死ぬわけには行かない。


 『そうだよね。も、今じゃ困るんだ。だから、ほんの少しだけ、貸してあげるよ』


 その時が訪れ、いよいよ鼎の額に、冷たいものが触れた。

 そして──止まる。  


 何かの力で差し止められたのではない。

 矛は完全に、鼎の額に突き当たっているにも関わらず、些かの影響も見て取れない。

 獅子守の面々からすれば、戦士竜が攻撃をやめたように見えただろう。


 転倒した際に、鼎のウィザードハットは頭から外れ、その顔を半ば隠していた。

 そのため、彼女の──右の瞳だけが、白目を喪失し、漆黒に染まっているのを、目撃できたものはいなかった。


 全力の一撃が、何の痛痒にもならなかったことに、戦士竜の顔貌が、驚愕と疑念に染まる。

 その皺が寄った眉間に、音もなく赤熱点が灯ったのに戦士竜が気づくのは、爆炎が迸ったあとのことだった。


 戦士竜は咆哮を上げて、矛を取り落す。

 同時に、逆の横合いに転がって体勢を整えると、鼎は戦士竜へと躍りかかった。


 「下がれ! 下郎がっ……!」


 炎を振り払った戦士竜の罵倒を遮り、瞬く間に間合いを詰めた鼎は、有無を言わせず戦士竜の素っ首を掴むと、そこから爆発的な火炎を発生させた。

 場に溢れ返った高音が、あまりにも強力な火炎から生じた気流によるものか、戦士竜のあげた悲鳴なのかは判然としない。


  ──周辺温度、急上昇。酸素濃度低下。


 危機を察知したオリビアが、障壁を重ねる。

 乳白色に染まりきり、障壁の強度、密度が高まりきった状態でも、 その向こうでなお盛る赤き旋風の様子が伺えた。

 なればこそ、露出した頬に感ずる高熱が、気のせいでないことも分かる。

 禍々しき光景に圧倒されながらも、ウルリカは手を止めない。


 すでに終えかけていたトリーシャへの処置を完了させると、すぐさまベレー帽から人数分の救命キットを掴み出し、酸素吸入の準備をしている。

 HUDの表示を信じるなら、そう遠くないうちに、獅子守小隊は呼吸困難に陥りかねない。


 しかし、唐突に炎は止む。

 刹那、残響を残し消えた高音に成り代わり、何か硬質のものが擦れ合うような、耳障りな音が鳴り渡る。


 ほんの少し遅れて鼻先を掠めたのは、凍えるほどの冷気だった。

 視界を閉ざす障壁のその向こうで、鼎の両掌に、極小の氷河が如き、深き青の軌跡が幾重にも走っている。


 恐らく物理的限界まで、ほんの一瞬で冷却されきったそれを、焼き焦がされた戦士竜の首へ突き当てるのを、HUDの輪郭ビジョンで気取ったトリーシャは、左腕を突き出して障壁を二重にし、さらに自身らを包み込んだ。


 同時に──爆発。超高温に超低温を触れさせれば、何が起きるか語る必要はない。

 そして、一挙に酸素の心配もなくなったので、衝撃に細かく揺さぶられる障壁の中で、ウルリカはまた急いで救命キットをベレー帽に次々と放り込んだ。


 もやが晴れた後には、片膝を突き動けず、荒い息を何とか鎮めんとする戦士竜の姿があった。

 その損傷は激しく、鎧のような自己組織の前面部は大半が吹き飛んでいて、目も開くことができないようだった。


 さらに、急所をかばったらしく、左腕は肩口よりすぐ下のところで破断していて、断面からは、竜が倒れる際に散らす粒子が盛んに漏れ出ていた。


 「馬鹿な……このようなことが……!」


 戦士竜は震えた声を漏らす。

 その際、幾度かの激しい咳、粒子も同時に吐き出されるのを、その面前に仁王立ちする鼎が見下ろしている。


 自ら引き起こした大爆発を面前で受けたにも関わらず、露出した顔面には傷の一つもない。ただ、戦闘服は衝撃で所々裂けており、ウィザードハットはどこかに吹き飛んでしまっていた。


 いまだ障壁の向こう側に居るトリーシャたちには目撃し得ないが、漆黒に沈んだ右の瞳からは、同じ色をした、まるで炎のような何かが溢れんばかりに迸っていた。

 その表情は、幽鬼の如く。未だ立ち上がれない戦士竜を、無表情のまま睥睨している。


 『おめでとう、君の勝ちだよ』


 その声が、再び脳裏でささやく。


 『君が普段から、もう少し僕に心を許してくれれば、もっと色々と、手伝ってあげられるんだけどなぁ……?』

 ──黙れ。

 『命の恩人に対して随分な態度だね? あ、今の恩っていうのは、君にも分かるように配慮した言い回しに過ぎないのであって、僕があんな脆弱な存在と同レベルってわけじゃないからね。そこだけは、くれぐれも勘違いしないで──』

 ──黙れと言ってるだろうが!


 漆黒の炎、迸る右の瞳へ、鼎は自らの拳を無言のまま叩きつけた。

 聞こえなくなった声を、さらに首を振って払うと、さらなる攻め手を食らわせるべく、鼎が一歩を踏み出す。


 戦士竜はそこで、戦闘の勃発以来、初めて魔法使い達から視線を外し、未だ開かぬ目でどこか遠くを伺うような動きを見せた。

 その隙を誰かが突くよりも早く、取り落していた矛を獣の動きで拾い上げると、床を蹴って上昇していった。


 逃げたと言うより、別の重要な目的を見出した者の、どこか慌てたような動き。

 手当り次第に触れたものを打ち壊し、新たな道のりを切り開きつつ飛び去った戦士竜の背も見えなくなる頃、一転、場に静寂が落ちる。


 トリーシャもそれらの影を追おうと一歩を踏み出したが、そこで自制したようだった。

 剥き出しになった犬歯が、本音と行動の乖離を雄弁に語るが、戦士竜がそれを省みることはなかった。


  ──当該竜の反応、軽微。少なくとも、〈英究機関〉本部からは離れた模様。


 報告し、オリビアは障壁を消し去り、トリーシャもそれにならう。開けた視界には、両膝をついてうなだれる鼎の姿があった。


 「鼎! しっかりして!」


 すぐさま駆け寄って、トリーシャはその肩を抱き寄せる。

 鼎の表情はやや虚ろだったが、既にその瞳から、迸るものは何もなかった。


 「……トリーシャ、傷の具合はどうだ」

 「私のことなんかより、鼎は⁉」


 慌てながらも、額や、戦闘服の裂けた箇所を観察する。

 冷静に見れば、不自然なほど傷は浅い──というより、無い。だが、不審感よりも、同僚が無事であった喜びと安堵が勝る。  

 

 「よかった……無事で」

 「隊長ぉ〜っ! 大丈夫ですかぁー!」


 満面の笑みで駆け寄ってきたのはウルリカだった。鼎とトリーシャを、小さな腕でまとめて抱きしめてしまう。


 「障壁の向こうで、よく見えなくて……心配しましたよ!」

 「うむ、悪かった。トリーシャのこと、ありがとう」


 満面の笑みで応えたウルリカの向こうから、長い影がのぞく。


 ──隊長、これを。


 オリビアが届けてくれたのは、吹き飛んでいた鼎のウィザードハットだった。

 戦士竜の矛に裂かれ、爆風に巻かれ、トリーシャのそれよりもずっと酷い、見るも無残な状態であった。

 装備を傷つけず、戦闘でリスクを冒さず。

 鼎の密かな矜持が傷つけられた証明でもあった。


 「ありがとう。情けないな……まったく」


 挨拶と交換でウィザードハットを受け取り、被り直してみるも、途端につばの部分が破けて落ちたので、鼎はもう、苦笑するしかなかった。


  ──とにかく、みんな、無事で良かった。今、トラムを回す。各員待機して。 


 オリビアが再度トラムを転回させている途中、トリーシャは、破壊の憂き目を免れた現象庫を見つめている。

 幾度も衝撃に晒されはしたものの、目立った損傷はない。

 もっとも、現象庫に何か異常が生じれば、即座に悪影響となって魔法使いの身に跳ね返ってくる。


 そうした意味でも、魔法使いの都市の根幹が無事であることは確認できた。

 最悪の事態は回避したにも関わらず、トリーシャは浮かない顔で沈思していた。


 「……戦士竜アイツ、悟り竜を開放するのが目的だって言ってたよね」

 「そうだな。で、その目的を帯びて訪れたのが、何故──この現象庫の元だったかというのが気になるわけか」

 「その、人のセリフを取っちゃうやつ。他の人の前でやっちゃダメだよ。嫌われるから」 

 「交わした約束を平気で破ろうとする方が、よほど好感を損ねると思うが?」

 返す刀の皮肉に、トリーシャは憤慨した様子で、すぐにメッセージを投げ返してくる。

  ──さっき無茶するなって言ってた話? どの口が言ってるの? 鼎のほうがよっぽど危なかったでしょ!

  ──心配をかけたのは謝る。追い詰められたのは、単に私の弱き故。だが君はどうだ? 我を忘れ、守りを疎かにし、傷を追う……これが何度目だ?

  ──それは……覚えてないけど。

  ──竜と重ねるなというのは、戦うな、ということにあらず。勝つためなら死んでもいいなどとは、考えるなということだ。

  ──分かってるよ、そんなこと……。


 仏頂面で顔をそらすトリーシャの目線を追いかけるように、鼎はその横合いに立つ。


  ──私の言葉は、そんなにも軽いのか?


 トリーシャの肩が少し震えたのは、そう投げかけてきた鼎の表情が、あまりにも悲しそうだったからかもしれない。


  ──私がどれだけ言っても、意味はないのか。 耳を傾けはしても、れてはくれないのか。


 横並びになったまま、鼎はしっかりとトリーシャの目を見据えている。


  ──私では、君の心のなかに、一瞬だけでも、居座ることはできないのか。


 トリーシャにだけ届いているメッセージは、幾層にも積もった感情のせいで、いつもよりずっと長い。

 だが、トリーシャは何も答えない。

 戦いをくぐり抜けた後の彼女が、晴れやかであったことなど一度もない。


 問い詰められたから、負傷したから──そうした云々に関わらず、たとえどれほどの戦果を挙げていても、最後はいつもこの表情──後悔とも不満とも取れる表情をしていた。


 いつも通り──分かりきっているからこそ、今日も鼎の方が先に折れる。

 鼎は咳払いをすると、トリーシャの背中を軽く叩く。そして踵を返すと、


  ──僥倖ぎょうこうとはいえ、せっかくを訪れたのだ。祈りの一つも捧げておくといい。


 それを最後のメッセージにして、トリーシャから離れていった。

 それに追随しようとするトリーシャの歩みはいつもより幾分、鈍かった。

 その心情をいくらか知っている面々は、殊更に彼女を急かしはしない。

 この場所で、姉様は、最期を迎えた。


 どんな気持ちだったのだろう。

 どんな風に戦ったのだろう。

 現象庫を、魔法使いを守るために。

 そんな事を思いながら、数秒の間、トリーシャは瞑目する。


 過去、この場所で。今日のように、脅威に晒されたもののために戦い、そして──喪われたものに向けて。

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