第2話:再誕

 竜が何故、旧人類と似た姿をしているのか。

 それが本来の姿なのか、あるいは何らかの要因を経て変容した末のことか。 

 現在の魔法使いたちにとっては、重要ではなかった。


 この厄介極まる襲撃者たちを、今まさに、いかに扱うか。関心事はそこに集中していた。

 平時であれば、朝の到来を静かに報せる鐘の音も、けたたましい騒音へと豹変している。


 完全に顔を表した太陽に照らされて、勢いも衰えることなく次々と襲来する竜の姿がよく見えた。

 今回の襲撃は、随分と腰の入った規模のようだ。


 視界の限りに広がる、分厚く密度の高い雲海を足下にし、高空に浮かぶ浮島の集合体、魔法使いの都市に住まう総数は、最新の集計によれば、およそ三百万名。

 そのうち前線へ飛び立つ戦闘部隊──小隊クラスの魔法使いは、合計で二万名程度である。

 それらが入り混じり、押し寄せる竜の波に対応するためには、情報の管理と共有が肝要となる。


 そのために、管制を専任とする魔法使いがどの小隊にも存在する。獅子守小隊では、それがオリビアにあたる。

 それぞれの小隊の戦闘管制担当魔法使いは、魔法使いの統括組織である〈英究機関〉からの戦術指示への応答や、近傍で戦端を開いている小隊との連絡調整に追われている。


 情報の激しく飛び交うネットワーク通信網に飛び込み、受け答えの奔流に身を預けながら、オリビアは必要な情報のみを拾い上げて、他の面々に随時、情報展開を行っている。


 そして、そのサポートを受けた本職の戦闘魔法使い達も、座して待つことはない。

 獅子守小隊の三名は、未明の戦闘も含めると、すでに両手では到底足りない数の竜を撃ち落としてなお意気軒昂である。


 遠間から飛来してくる竜、三体。

 トリーシャはその内二体の首を、紫電を伴い飛ばした両手首で掴んでねじ伏せ、残る一体を揃えた両脚で蹴り飛ばす。

 体勢を崩した三体の鼻先に、分身したかのようなタイミングで出没し、電光石火の拳を見舞うと、同時に粒子へと帰った三体分の粒子を吹き飛ばし、再び全身を閃光とともに顕現させた。


 そうして応戦していれば、トリーシャをさらに取り巻いて数の有利に立とうとする竜の群体に、降り注ぐウルリカの弾丸が冷徹な教育を施していく。

 ウルリカの銃火器は、旧人類の用いていた兵器から着想を得た、似て非なる魔導具の一種である。


 その武装は、アサルトライフル主体の中近距離対応用から、すでに遠距離対応用に切り替わっている。長銃身の内部で充分な回転と加速を得た弾丸は、数百メートルを隔てた、次、あるいはそのまた次の竜を矢継ぎ早に撃ち落としていく。


 着弾精度を向上させるため、飛び行く最中の弾丸形状を随時調整することも忘れていない。旧人類の兵器と比較し、異なる点として大きなものは、そうした柔軟性にあろう。


 とにかく、可能な限りの速度で、可能な限りの衝撃を、可能な限りの頻度と精度で加える。そうすれば、竜は倒せる。

 ただ純粋に結果を追い求めた末の、攻性魔導技術におけるひとつの結論、収斂先といえる戦法であった。


 「今日も絶好調だな! ウルリカ!」

 「ありがとうございます! でもちょっと飛ばしすぎかもしれません、想定よりも弾薬消費が早くて……」

 「お客の数が多いからな、致し方なかろう。さっきも言ったが触媒のことは気にするな! 遠慮して堕とされても、誰も褒めてはくれんのだからな!」


 鼎の飛ばした檄に大きく頷き、更に射撃を継続するウルリカの射線上、竜たちは各々に飛び回り、照準を絞らせまいとする。

 その軽やかな挙動に、鼎は冷水を浴びせる。例え話ではなく、実際に。

 進行軌上に突如出現した水塊に衝突し、竜たちはほしいままにしていた慣性を喪失する。


 一瞬の後、水は重力に引かれ落ちていき──残された静止中の標的に、一発ずつ、素敵なプレゼントが送られた。

 鼎の扱うのは、かつて旧人類から弾圧を受けた原因ともなった、炎、氷、水、風──伝統的な元素魔導である。


 旧人類がしたためた様々な書物が、僅少ではあるがこの都市にも伝わっているが、その中に、ウィザードハットを身に着けた魔法使いたちの活躍──旧人類にとっては暗躍する姿をいくつも見つけられる。


 各々が様々な戦法を駆使し全力を賭して戦う一方、その行為には虚しさがつきまとう。

 それは、竜に関して、ただ一つの明らかな点──彼らが、分体に過ぎないということだ。


 打ち倒された竜は、光の粒となって流れ去ってゆく。が、それは彼らの死ではない。 彼らはあくまで一部であり、例えるなら、細胞である。新陳代謝にも似たサイクルで、彼らは寄せては返し絶えず襲い来る。

 未明の戦いで塵に還った竜たちも、間を置かず、再び肉体と敵意を帯びて襲い来るだろう。


 いつ終わるとも知れない消耗戦だと知りつつも、いじけて匙を投げる魔法使いは居ない。

 今この戦いに勝たねば、次さえ無いのだから。


  ──本区域の竜、完全に掃滅。再誕さいたん分布率解析中。次周期襲撃予測地点、まもなく判明。


 白熱の戦闘に影響されることなく、役割を淡々と果たすオリビアから次なる情報を受け取るまで、ほんの僅かな休息となるはずだった、その刹那。

 HUDが、突如として赤く明滅する。それが、〈英究機関〉からの緊急通達──全ての魔法使いに向けた警告だと分かるまでに、時間はかからなかった。

 曰く、〈英究機関〉本部に、大群の急襲あり。至急増援を請う──とのことだった。


 その報を即座にオリビアからも受け取り、トリーシャは半歩踏み出した。

 第一報に続けて舞い込んでくる、敵の布陣を含めた続報を夢中で閲覧する様子を横目で確認すると、鼎は周囲へ目配せする。


 「ウルリカ、弾はまだ残っているか?」

 「問題ありません!」

 「オリビア、戦況はどうだ?」

  ──全体的には徐々に好転。敵方は残存戦力で密集陣形を形成しつつあり、その目標が〈英究機関〉本部と予測される。

 「了解。これより獅子守小隊は、〈英究機関〉本部の救援に向かう。誰ぞ異存は無いな」

 「……ありません」


 鼎のわざとらしい口調に、トリーシャは苦々しくもはっきりとした声で応じる。


 「よろしい。では、出発進行」

 つい、と伸ばした人差し指の方向へ、音もなく滑り込んでくる物体があった。

  ──移動用臨時トラムは既に申請済み。ランデブーまでマイナス5秒、各員準備されたし。


 手回しの完璧なオリビアの差配で用意された移動用トラムは、戦時の急速行動用に貸し出される平板状の設備である。風を切るように先鋭化された機首を持ち、底面は逆三角形のシルエットを帯びていて、両サイドには可変翼を模したプレートまで設置されている。


 オリビアの予告した通り、ちょうど5秒後に、トラムは面々とのランデブーを果たす。

平板の上に降り立つ四つの影は、一挙の推進力を得て目的地へと飛び出した。


 「少しは成長したな、トリーシャ。三年前の君だったら、何も言わず、誰も伴わず、勝手に飛び出していただろう」

 「それはどうも」

 「どういたしまして! きちんと礼まで言えるようになるとは、いやはや大した成長ぶりだな!」

 「うるさいな……もう」


 かしましい面々を尻目に、オリビアの刻みつけるような操舵で、トラムの機首は一気に都市中央、〈英究機関〉へと向けられる。

 全速前進の最中、決して少なくない数の竜が、その突進に巻き込まれ、音もなく爆散してゆく。


 掻き分けられた荒波のように、崩壊した分体から噴出した粒子が、町の底面を滑って上空に吹き抜けていく。

 それだけでも多大な戦果だったが、オリビアの表情には、驚きも喜びもない。

 ただ、竜の分布程度を観測し、その動向をつぶさに探り、確実に多くを巻き込めるよう、あらかじめ町の進行軌道を調整しているに違いなかった。


 「これは楽でいいな、オリビア、構うことはない。順次轢殺せよ!」

  ──了解。


 いっそ涼しげな返答に伴い、速度はさらに上昇してゆく。

 その最中、白地一色のマフラーをまとった魔法使いの数名が、獅子守小隊を追って飛んできた。


 四人の居並ぶ姿を、指で作った四角形に収めている。記録の魔導技術の使い手である、報道の魔法使いたちだろう。


 「ほら、カメラが見てるよ。ピースサインでもしてあげたら?」

 「いやいや、こういう場合は腕でも組んで、締まった横顔を見せたほうが映えるというものだ」

 「みんなで写真を撮ってもらうなんて、初めてじゃないですか⁉」


 騒ぎ立てる三人をよそに、最後方のオリビアはカメラを一瞥もせず、目線は前に向けたまま。

 しかし、大きく腕を振り上げ、指を二本、ファインダーに向けて立てていた。


 やがて、目的を果たした報道の魔法使いたちが離れていくのと同じ頃、獅子守小隊の面々が視程に収めたのは、彼女たちの目的地──〈英究機関〉の本部であった。


 壁面の意匠部は、幾多の支柱が縦横に一定の間隔で連続しており、まるで石造りの巨大な窓を積み重ねて建てたようにも見える。

 それらの装飾を足元にし、天を指すようにそびえる三つの尖塔の頂点には、左右に翼持つ蛇、そして中央に真円をあしらった紋章が掲げられている。


 左右の蛇が意味するのは、互いの尾を食む双喰蛇ウロボロス。中央の真円は蛇らが形作る円環と、それが意味する繁栄や永久をなぞらえたものとも言われている。


 旧人類文明におけるシンボルとしてのウロボロスは、一匹の蛇が自らの尾を食むものであったが、これを二匹の蛇が相食む紋様としたのは、魔導技術という一匹の蛇の取り扱いそのものが、もう一匹──魔法使いの運命をも決定づけるという意味合いが込められているためだ。


 魔導の開発や発展に際し、厳格な管理と方向付けを行う〈英究機関〉のシンボルとしては、適切といえるだろう。


 豪奢で厳粛な趣の本部の正面には、庭園が広がっている。

 ひときわ巨大な浮島の全面積を、計算されたデザインで覆い尽くすそれは、中央に建つ本館に端を発し、背の低い芝生、植え込み、そして木々の生い茂る森と、外縁へと向かうごとに濃くなってゆく緑のコントラストを描き、〈英究機関〉本部を白色のアクセントとしたキャンバスを構成している。


 しかし残念なことに、典麗なる庭園は戦場と化しており、数え切れぬ程の竜と魔法使いが入り乱れている。本部を急襲した竜の勢力との正面衝突の結果であろう。

 さらに、〈英究機関〉本部のアーティスティックな外壁は瓦解し焼け焦げ、痛々しい傷口を晒している。


 周囲には防衛線が展開されていたようだが、引き破られた後のようだ。

 この様子では、本館内部の深くまで、竜の侵攻を許していることだろう。


 ──緊急事態につき、このまま進行します。恐らく、にも侵入の要があるかと。

 「ああ、やむを得ん! このまま行けるところまで突っ込んでいけ!」


 鼎の一声のもと、破けた防衛戦の中央、〈英究機関〉本館の傷口へ向けて、さらにオリビアはトラムを加速させる。 

 建物の内部は、設備も破壊されたのか照明もなく、様子は見えづらかったが、HUDのサポートで輪郭のみ視認可能だった。


 いかな巨大とはいえ屋内であるため、普段はトラムで飛行するなど手狭に過ぎる空間だが、壁も天井も破壊しつくされ、皮肉な可動域が形成されている状態だ。

 闇に沈んだ鼻先からは、微かに戦闘の気配、衝撃や爆発が起こす空気の振動が伝わってくる。

 全員の視線が集まるその先へ、トラムは一気に加速していった。


 内部を行く中、侵入した何者かを食い止めるべく善戦し、あえなく倒れ込んだ魔法使いの数のおびただしいことは、獅子守小隊の行き足を緩めることはなかったが、事態の深刻さを知らしめるに充分であった。

 幾重もの防衛戦、堅固な〈英究機関〉の外壁をも容易く打ち破り、この最奥まで至るを可能とする力を持つ存在。


 そこまで思えば、この先に居るであろう竜には、獅子守小隊の全員に心当たりがあった。


 「生きていたんですね、あいつ……」

 ウルリカの嘆息に、トリーシャは頷いて応える。

 「竜だからね。死ぬことはない」

  ──だからこそ、何度でも殺してやる。か?


  HUDに割り込んできた鼎のメッセージは、トリーシャにしか伝わらないように工夫されている。

 目線を合わせず、トリーシャは鼻息ひとつで応えた。


  ──さすが、よく分かってる。手伝ってくれるよね。

  ──任せておけと言いたいところだが、条件がある。

  ──何?

  ──自分と、あのバケモノを重ねるな。君の命は一つしか無いことを、忘れるな。

  ──はいはい、了解。

  ──返事は一度でいい。行くぞ。


 密談が終わると、行き先に強い明かりが灯っているのが見え始めた。


  ──もうすぐ終着点。各員、準備を。


 オリビアからのメッセージが届くと同時に、急激な光量の増大を検知してHUDが防眩モードへと切り替わる。

 その先にあるものを、トリーシャは瞬きもせずに見つめていた。

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