舞え、高天のウロボロス

葉隠ガンマ

第1章

第1話:紫電

 夜は、誰にとっても、有利な状況である。


 追う者は、自分の影を闇の中に消してしまえるし、追われる者は、その足跡を気にせずに済む。


 だが、今宵現れた来訪者が、そのセオリーに基づいているのか否かは、濃紺の茂みに息浅く潜む、四名の少女たちの知りうるところではなかった。


 「隊長。十時の方向。ひょっとして、アレじゃないでしょうか」


 ささやくような報告をしたのは、地面に寝そべってスナイパーライフルの照準を覗く、ひときわ小柄な少女だった。


 彼女たちの格好は、一様に黒装束。もう少しの月明かりがあれば、その独特の編まれ方から、戦闘服だと分かっただろう。


 衣擦れ音のひとつもなく、隊長と呼ばれた少女は、提示された方向へと向き直る。

 目線はその先──ズームアップと画像補正は一瞬で終了する。

 視界に浮かんだ薄緑色のHUDヘッドアップディスプレイ、その中央に表示された、アレの姿は実に明瞭であった。


 彼女たちの潜む茂みの遙か先、小高い丘のような地形。

 その頂上付近に、佇む影が居た。


 姿形や身にまとう衣服は、かつて地上に存在したという旧文明種族──旧人類と非常によく似ている。理由は、アレとの闘争が始まって以来、明かされていないが、無論、その中身は旧人類とは全く異なる。


 その証左として、アレらには、目や口といった顔貌がなかった。

 陰影と輪郭を強調するHUDの補助のおかげで、鼻筋は見て取れるが、そこに呼吸のための穴はない。

 模しただけの人形といったほうが、まだ説明のしやすい容姿であった。


 「確認した。アレだな。相変わらず、見れば見るほど意味の分からん存在だ」


 それらの数は、視認可能な範囲内に四体。各々、顔なき顔を揺らすのみで、動かない。

 うち一体はこちらに背を向けており、いかにも無防備に見えた。


 「探っているか……誘っている、か? しかし最近のりゅうは、潜伏任務までこなすのだな。相変わらず、羨ましい万能ぶりだ」


 隊長と呼ばれた少女は、忌々しげにつぶやき、肩をすくめる。

 その体格はさほど大きくなく、華奢と言えた。


 眉の上で綺麗に揃えられた、腰までの黒髪や、夜闇の中でもかすかに浮く白い肌を持つその風貌は、戦闘服に身を包むような存在とは思い難い、儚ささえ感じさせる。


 「起きろ、トリーシャ。お客様のご来店だ」


 観察を終え、再び向き直ると、隊長は足元に視線を落とす。

 声をかけた先には、膝を抱えてうずくまる影があった。


 その脳天の辺りを撫でるようにして軽く押してやると、ぴくりと軽い反応が帰ってくる。

 やや不服そうな呻き声を上げた後、その影は緩慢な動作で立ち上がった。


 隊長よりも、頭ひとつほど高いところから周囲に振り撒かれる視線は、いまだ鋭さを欠いているが、それでも状況を忘れてはいないらしく、第一声は隊長に向けて静かに紡がれる。


 「かなえ……私、どのくらい寝てた?」

 「三十分ほどだ。今日は随分ごゆっくりとお休みだったな」


 隊長──鼎からの軽口に対し、乾いた笑いを漏らし、トリーシャと呼ばれた少女は、深いくまの刻まれた、印象的な真紅の瞳を宿す目元を擦りながら、背を伸ばして、喉を鳴らす。


 ほんの少し緩んだのか、後ろで編みまとめた銀髪を、慣れた手付きで結わえ直すと、ようやく目の焦点が定まったようだった。


 「最近、なんだか眠くて。いよいよ、死期が近いのかも」

 「それは気の毒に。安らかに眠れよ? もう奴らをほふるのにも飽いたろう」

 「……飽いた? そんなわけないでしょ」


 低くなりきった声音で悪態をつくトリーシャを待っていたかのように、竜はまだ、その場にとどまっている。


 その方向に爪先を向け、トリーシャはそれきり微動だにしなくなった。

 まっすぐに、アレ──鼎が竜と呼んだそれを射る視線には、警戒のみならず、様々な感情が凝集されている。


 腹を空かせた、獣の焦れたようなそれにも似ていたが、彼女に獲物を狩る自由はない。

 鎖を握る主は、トリーシャよりも目覚めが悪いか、あるいは、より深く思慮している。


  ──現時点で、〈英究機関えいきゅうきかん〉から特段の指示は発令されていません。

 「呑気なことだ。お偉方はお休み中か?」

  ──索敵結果は、すでに報告済み。他の小隊クラスからも、同様の報告がある模様。


 鼎と横目同士を合わせ、一切の声を発さず、HUD上のメッセージでの対話に徹する三人目の少女は、見上げるような長身だった。

 トリーシャよりも、頭二つは抜けている。


 横並びで居ると、私達、階段みたいだな──と、その一段目が定位置である、最初に鼎へと声をかけた、いっそう小柄な少女はいつも思っている。


  ──報告。他地点にて動き有り。陣形形成の予兆を確認。

 「頃合いだな。では、本日のスターティングオーダーを発表する」

 「オーダーも何も、いつもの四人しかいないでしょ」

 「こういうのは気分だ。というわけでオリビア、管制は任せる」

  ──了解。


 短く、鋭く頷いたのは、オリビアと呼ばれた長身の少女だった。やや大きめの丸眼鏡、その奥に鈍く閃く切れ長の瞳に、つんと高く尖った鼻先。


 その美貌と冷静な態度は、芸術的な塑像を思わせる。肩口にかかる紺色の髪の上には、ふさふさとした黒い毛皮をたたえた、小ぶりのシルクハットが鎮座していた。


 「ウルリカ。遠慮なく撃ちまくれ。触媒のことは気にするな」

 「承知しました!」


 小声ながらも元気よく返したのは、最も小柄な少女。

 明るく波がかった金髪を三編みにして、胸のあたりに垂らしている。


 小顔の中央へわずかに沸いた雀斑そばかすは紛れもなくチャームポイントだったが、本人は気にしているらしい。

 その頭上には、濃緑のベレー帽が可愛らしく乗せられていた。


 「そして、トリーシャ。君は──まぁ、好きにやれ」

 「指令オーダーで放任って、どういう事?」

 「君は指令を出したところで、聞かないだろ。私なりの優しさだと思ってくれ」


 「指令だろうが命令だろうが、私は何だって聞くよ。あいつらを、確実に倒せるなら」

 「その目的に沿うならば、君自身の感覚に頼るのが最も確実だろう。そうした意味も含めてのオーダーだ」

 「そりゃ、どうも」


 鼎の軽口を短い言葉で遮断すると、改めてトリーシャは帽子を被り直した。

 その意匠は、魔女の被るようなウィザードハットであったが、ひどく薄汚れ、つばの外周には無数の傷や破け痕が残されていた。


 交換を推奨されて止まないものであろうが、彼女は、頑としてそれを受け入れることはなかった。


  ──各員へ。〈英究機関〉より通達。敵性勢力の存在を正式に認定。まもなく、全ての魔法使い小隊クラスに対し戦闘許可が下ります。


 「良かったな、トリーシャ。もうすぐ頂きますの時間だぞ」


 鼎にからかわれても、トリーシャから返答はない。

 ただまっすぐにアレへと向けた視線は揺るがず、見えない首輪や鎖を、今にも引きちぎらんとする猛獣の表情だった。


 「やれやれ……。各員、防護衣マフラー展開。臨戦態勢を取れ。戦闘許可と同時に仕掛けるぞ」


 指示を受けた三名の首肯を見届け、鼎は自身の首元を軽く押さえる。

 それぞれの首元に添えられた手の内から展開されたのは、戦闘用の防護衣マフラーである。


 その形格好が、寒さを凌ぐのに使われた服飾品と似ていることから、そう呼ばれている。


 ケープを思わせるたっぷりとした黒の生地に真紅の紋様──彼女たちの所属を示す”獅子守ししもり小隊クラス”の文字が刻みつけられたそれを首元にまとえば、もう、後顧の時間は終わりを告げる。


 短く呼吸を整え、鼎は最後に自分の帽子を頭に乗せた。その意匠はトリーシャのものと同じだったが、こちらは目立った傷もない。 さほど新しいものでもないと見えるそれが無傷であることは、鼎の矜持に違いなかった。


 心音だけが響く。HUDの待機指示が赤くゆっくりと明滅している。

 空は既に青白さを帯び始めていた。この時間帯が最も冷え、空気が澄む。

 おあつらえ向きの舞台。これから始まる、楽しいお遊戯にはうってつけだった。


  ──戦闘、許可。

 オリビアの報告と、タイミングを完全に一致させ──飛び出す二つの影があった。


 一つはウルリカの放った、弾丸。

 もう一つは、トリーシャ自身だった。


 共に競るような速度で、音もなく飛びゆく中、トリーシャは身をわずかにひねって軌道をずらし、竜の横合いに滑り込む。


 先頭を譲り受けた弾丸が、戦端を開く。

 射手に背を向けていた竜の後頭部を、それは綺麗に射抜いた。

 一瞬の間があって、その身体は粒子となって溶け、爆散する。


 その直後には、すでにそこへ追いついたトリーシャの拳が、突然の事態に硬直した、その横の竜を真正面から殴打、吹き飛ばした。


 すでに形跡さえ消し飛んだ一体目、そして吹き飛んでいく二体目へ交互に視線を走らせるだけの虚しい時間を与えられて、三体目の竜はウルリカの次弾によって腹部に風穴を穿たれて硬直。


 その無防備な顎先に、トリーシャの蹴り上げを重ねられて、一体目と同じ運命を辿った。

 その様子を確認することなく、今なお体勢を戻せない二体目を横目で視認し、トリーシャはそこへ向け、腕を振りかぶった。


 まるで殴りかかる、その予備動作のような姿勢。しかし彼女と竜との間隔は、互いの顔が確認できないほどに開いている。


 近接攻撃の予兆にしては大仰なその構えが固まってから、数瞬。

 トリーシャの腕が、振り下げられると同時に、霧散した。


 拳速による視覚効果や比喩ではなく、文字通り掻き消えた腕は、正面、ようやく態勢を整え、トリーシャに向かって突撃すべく前傾した竜の脳天を直撃していた。

 硬質な物体同士が高速で衝突する甲高い音と火花が、派手に散って、遠く離れたトリーシャにも攻撃の成果を告げる。


 その一撃目の時点で、すでに竜の意識は途絶していたようだが、トリーシャは満足できない様子で、固まった目標をなおも遠間から打ち付ける。打ち付け続ける。


 抵抗なき相手に、一瞬の溜め動作の後、一挙に解き放った下方からの拳が、竜の顎を打ち抜く。


 衝撃のあまり持ち上げられた目標から目を離さず、また振り切った腕の勢いも殺さず。今度は、本体──トリーシャの体そのものが、離れていた拳と同時に霧散した。


 紫電をまとって、トリーシャの全身が再び現れたのは、竜の吹き飛んだその今少し先。 既に脚を振りかぶった構えを終えており、その十二分に勢いの蓄えられた踵を、渾身の力を込めて振り落とした。


 それが、とどめの一撃となる。

 落雷を思わせる一撃にて脳天を粉砕された竜の分体は、その箇所からまるで血液のように粒子を吹き出し、爆散した。


 一方的な勝利だったが、トリーシャは不満そうに奥歯を噛み締める。

 残る一体の姿が、視認範囲から消失していた為だ。


 「おい、気を抜くな! 追加のご注文だ!」


 左後方、ごく近く。

 耳障りで硬い高音が耳朶を打ったかと振り向けば、そこには消えていた残り一体が見えた。


 突出したトリーシャを狙って肉薄してきたものの、その攻撃は薄壁一枚届かずに終わったようだ。


 「接客中に余所見をするな。勤務評定に響くぞ」


 防いだのは、鼎だった。両手の五指をいっぱいに広げ、トリーシャのすぐ側に、白く濁った膜のような障壁を形成している。


 「ごめん。考え事してて」

 「ああ、構わんが、それでさえも生きてこその特権だ。大事にしてくれよな!」


 広げた五指を横合いに薙ぐと、障壁に押され、同じ方向へと竜の群体は吹き飛ばされる。

 それらが体制を立て直すよりも、追い打ちに鼎が放った、赤熱した光球の方が速い。


 もっとも手近にいた竜にそれが付着した刹那、鈍い爆発音とともに発生した猛火が、呵責なく近傍のすべてを焼き焦がした。

 黒煙と、竜の粒子と障壁が、露のように夜空へと流れて消えて、場に束の間の静寂が訪れる。


 邂逅の結果は上々であったが、安堵の表情を浮かべる者はない。 


  ──獅子守小隊各員へ通達。〈英究機関〉より、防衛戦時発令あり。これより正規戦に入ります。


 オリビアからの通達通り、口火の切られた戦況は急激に変動し始めている。

 時間の経過とともに、夜を押しのけ登り来るわずかな陽光が、少しずつ、それまで夜闇に沈んでいた周囲の光景を露わにしていく。

 竜が居た場所、丘のように見えていたのは、島の先端部に当たる箇所であった。


 だが、島といえど、それに喫水部はない。

 硬く尖る基底部までが、陽光に照らされている。水ではなく、宙に浮いているのだ。

 そうした浮島が、大小織り成し、夜明けに暴かれて視界の限りに展開していく。


 地上であれば、水平線──地平線、何某なにがしかの限界線に消えゆくまでの広さを見て取れるだろうが、ここは空の上。

 雲を超えた高空においては、その景色は、青空の向こう、果て無いところまで続いているような錯覚さえ呼び起こした。


  ──群体反応を検知。直下方向。数、不明。


 絶景を詠みたくなるような気分を打ち壊すほど、現実は慌ただしい。

 ますます盛んになる陽光を背にして、下方から迫り来るのは、今ほど打ち倒したような、僅少な集まりではない。


 数え切れぬほどの竜たちが、次々と雲海を突き抜けて、上昇してくる。

 その様子を目の当たりにして、トリーシャが浮かべるのは、これから起こる事態を歓迎するかのような、上気した薄い笑みだった。


 生きてこその特権。もしもそんなものがあるというなら、存分に使い倒してやる。

 そして、全ての竜を打ち倒してやる。

 竜があの人から奪ったそれを、同じようにもぎ取ってやる。だから──。


 「……見ていて。姉様」


 誰にも聞こえないようにつぶやいた唇の奥から、犬歯が覗く。解き放たれた猛獣のかおで、トリーシャは言った。


 「──あなたの仇は、私が取る」

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