第22話 僕と敗北
がたん、と。
扉の開く音がした。
「ーーっ」
息をのむ。
侵入者がリングレットとムドリェーツを狙っているかもしれない、それは万が一の可能性だったはずだ。普通に考えればその可能性は低いのだ。他にいくらでも、侵入者が侵入を試みた研究棟三号棟には有用な研究と記録があるのだから。
だから万が一のはず。
と、そう考えて僕は嘆息する。
なんだよ、本当はびびっているんじゃないか。十代前半のこの年で、成長しきっていない体で、おそらくは大人の侵入者と対峙する事に、怯えているんじゃないのか。
「格好悪すぎるだろ」
小さく小さく、蚊の鳴くような声で一人ごちる。
足音は少しずつこちらに近づいてくる。警戒しているのか、それとも無関係の研究員なのか。
そういえば、侵入者以外がこの飼育棟に入っている可能性をまったく考慮していないということに今気づいた。
僕の格好というと、発電素子を巻いた金属の棒を携え、怪しげな器具を傍らに置き、飼育部屋の前に仁王立ちである。仮に学徒が研究棟への立ち入りを禁止されていなかったとしても、何らかの指導が入るであろうことは考えてあまりある。
どうする、今更ながら器具と雷光丸だけでも隠しておくべきか。いや、しかしどちらにせよ研究員に見つかれば立ち入りを禁じられている僕は罰則を受ける訳でーー。
などと色々と考えはしたが、それらは全て無意味だった。
廊下を曲がって姿を現したのは、侵入者以外、ではなかったからだ。
背丈は高い。父よりももっと大きく見える。白い服を着ているが白衣ではない。見たこともない形の靴を履いている。
笑っているような、泣いているような顔。見覚えのあるようなないような、不思議な表情。でもそれが逆に虚空を掴むような感覚を与えてくる。そもそも日本人かどうかの判別も難しい。
こいつがそうだ。
視界に入った瞬間から感じていた悪寒のようなもの。酷く歪なものが差し込まれた感覚。本の乱丁を見つけたような、音楽の音飛びを聞いたような、根本的な間違いを提示されている錯覚。
認めてはいけない何かが僕の視界に入っている。
確信と共に吐き気が押し寄せる。恐怖か、それとも別のーー。
「わかってはいたけれど」
そいつはしばし僕に向いて静止した後、そう口を開いた。長く伸ばされた髪が顔の上半分を覆っており、顔立ちはよくわからないが、しかし声の調子や体つきから察するに若い。中等部の僕が言えたことではないけれど。おそらくは二十代前半といったところだろうか。
男は言う。
「あまり見て嬉しいものでは・・・。」
「お前が侵入者か?」
男が動き出す前に僕は質問を投げかける。僕の中ではわかりきっていることなのに僕がこの質問をしたのは、間を取るためだ。今戦闘に入るわけにはいかない。相手の異様さに僕の心が構えを取れていないからだ。
無視される可能性もあったが、しかし男は応えた。
「侵入者?あぁそうだった。そうだよ、侵入者だ。そういう君は何者かな。子供がいていい場所でも時間帯でもないだろ」
「あんたの目的は何だ。どうしてここに来た」
相手の質問には答えず、僕は問いを続ける。主導権を握るために。
「君はわかってるはずだ。でなけりゃここに来ることもなかったんだから」
小馬鹿にするような、諭すような、大人のような態度でそいつは続けた。
「だから答えなくともいいんだろうけれど、人生の先輩として答えてあげよう。もちろん、その扉の奥にいる研究試料が目的だ」
そしてそいつは言う。まるで慈しむような口調でその名前を。
「リングレットーーあの犬を貰いに来た」
「そうかよ」
僕は走り出す。手に雷光丸を持って。
雷光丸を背面に隠すようにして侵入者へ近づく。相手は急に動き出した僕に焦ることもなく構えを取った。
「だりゃ!」
雷光丸が届く限界の距離を見極め、背面から死角を付く形で突きを繰り出す。角度、速度共に申し分ない。しかし侵入者はそれを知っていたように、体を少しずらすだけで僕の突きをかわした。
「なっ!」
右手で振り抜いた突きをいなす形でかわされ、無防備な右半身を晒してしまう。侵入者は軽く息を吐きながら僕の脇に拳を振り抜いた。鈍い痛みが体を走る。
殴られた勢いのまま侵入者から距離を取り、雷光丸で制するように構える。軽く腕を振るって痛みを確かめてみた。大丈夫、骨は折れてない。
侵入者は少し体を沈め、そして大きく一歩を踏み出し、僕の懐に入ってくる。まずいと思った時には既に雷光丸を満足に振れる距離ではなくなっていた。
「くそっ!」
とっさに柄の部分で侵入者の顔面に殴打を試みる。しかし侵入者は尋常ならざる動体視力を持つのか、雷光丸の柄を左手で捕らえた。
「武器に頼りすぎだ」
言うと共に侵入者は僕の右手首に掌打を加える。鈍い痛みと、雷光丸が手から滑り落ちる感覚がした。
とっさに足で侵入者を蹴り、距離を取る。
「たかだか産業諜報員がなんでそんなに強いんだよ」
「昔それなりに訓練したから」
くそ、格闘訓練なら僕だって、スペースの科目で嫌と言うほど受けているのに。
一旦呼吸を整える。侵入者は数段上の相手、捕らえるためには何としても雷光丸が必要だ。
「終わりか?少年」
「うるせえ!」
声を荒げ、破れかぶれに突進するーーふりをした。侵入者の足に組み付くふりをして近づくと、相手は持ち前の反応速度で身をかわす。僕は組み付く流れのまま地に手を突き、雷光丸の柄を掴んだ。体を起こす勢いのままに雷光丸を振り抜く。
しかし、振ったその手を侵入者はいともたやすく掴んだ。
「ちくしょう、どうして」
完璧に死角から振り抜いたはずだった。しかしその手は届くことなく制されている。
「目が覚めたら考えなさい」
侵入者はそう言って、僕の手首をひねり、雷光丸を僕の首筋に当てた。
火花と衝撃。
首から上がはじけ飛んだような感覚。誰だよ、こんな兵器作ったの。
足に力が込められず、膝から床に崩れ落ちる。床と当たった感覚はないのに、気づけば床に伏している。目が見えず光と闇が入り交じった光景が移る。
ゆっくりと意識が溶け始める。そうか、気絶するときってこんなーー。
落ちきる最後の意識の中で、飼育部屋の扉付近から弾けるような音が聞こえた気がした。
ざまあみろ。
*
気が付けば白い天井を見ていた。
直前まで自分が眠っていたのか、それとも起きて呆けていただけなのかもわからないような感覚。徐々に触覚、嗅覚が働き出し、布団の中で眠っていたのだと気づく。
「うぅっ・・・。」
体を起こそうとして、右腕の痛みに呻いた。
「あれれ、目が覚めたね。時の勇者よ、今がいつかわかるかなー?」
白い天井の他に、司の顔が目に入った。
「司、僕はーー。」
「櫂季がどういう状況か理解できてる?昨日何があったか、覚えてるかな?」
昨日、ってなんだっけ・・・。僕は寝る前に何をしてたんだっけ。確か夕飯を取らずに研究棟へ侵入して。あれ?なんでそんなことーー。
「あっ!あいつは、侵入者は?」
「逃げたよ。っていうか、撃退したの櫂季でしょ。すっごいねー、侵入者を捕らえられないまでも撃退するなんて」
「僕が気絶した後、どうなったんだ?」
「私、昨日の夜に自分の実験室へ行こうと思ったのさ。ところが例の禁止例が出てるからさ、教員に頼み込んだら警備員と同伴なら行動していいってことになったのね。警備員と一緒に歩いてたら九号棟から変な音が聞こえてくるし、中を確認したら櫂季が倒れてるしで、てんやわんやだったよー。その時に雑木林から塀を越えて逃げる大人の姿が見えたの。きっとあれが侵入者だね。なんかふらつきながら逃げてたけど、何したの?」
「罠を張ったんだ。僕が自力で侵入者を確保できればそれでよかったんだけど、もし打ち倒されたときの為に、扉に細工をしておいた。触れたら気を失うような細工をしたつもりだったんだけどーーそうか、逃げれる程度の損傷だったか」
扉越しだったから威力が弱かったのか、それともあの侵入者が何かしら手を講じたのか。今となってはわからずじまいだ。
「私の機械を使ったね?」
少しだけ、司の声の調子が重くなっている。やっぱり無断で借用したのはまずかったか。
「あう・・・、ごめん」
「ま、いいんだけどね。役に立つのが機械の本懐だもんさ」
でも、と司は僕の顔をのぞき込んだ。
「事前に一言もなしってのはどうなのかなーってね」
「司、怒ってる?」
「私は別に。でもでも彼はどうかなー」
「彼?」
司が応える前に、がらりと扉の開く音がした。左手を使った体を起こし、音のした方を向く。
「巽・・・。」
「目を覚ましましたか、櫂季」
巽は後ろ手に扉を締め、早足で近づいてくると、その勢いのまま僕の顔を殴った。
鈍い痛みと鉄の匂いが口の中に広がる。
「痛いよ」
「当然です。さして怒らないということは、私がなぜ拳を振るったのかを理解されていますね」
「まあな」
何となく、こんな展開を予想はしていたのだ。僕一人であの場所に出向いたときからきっと。
「僕が一人で行ったからだろう」
「櫂季が私に声をかけなかった理由はよくわかります。万が一に対する懸念だったことも理解しているつもりです。でもそれでも、酷いではありませんか。私だって、ムドリェーツを守りたかった。私の手で、私の相棒を守りたかったのです」
「わかってる。すまなかった」
珍しく、本当に僕にしては珍しく巽に頭を下げた。
巽は僕のそんな態度に毒気を抜かれたらしく、まあいいですけど、と声を和らげた。
「櫂季の奮闘の甲斐あって侵入者は何も盗み出せず逃げましたよ。リングレットもムドリェーツも無事です」
「ああ、それはよかった」
「今のところ大人達には素性や手引きしてる内部の人間はわかってないみたいだけどさ」
「いたのかな・・・そんなの」
考えて言ったことではない、ただ自然と口がそうついたのだ。
「どういうことですか?」
「いや、ただ何となくそう思った。根拠なんかないんだけど、きっとどうということでもないんだろうけど、ただ、あいつに仲間なんていたのかなって・・・。なんかそんなもの不要に見えたんだよな。昨夜の時点ではそなこと感じてやしなかったんだろうけど、でも今あいつのことを思い出すと、そんな気がするんだ」
強くて、余裕を持って僕をあしらったあいつ。でもそんな表面的なことではなく、もっと根底に強さがあるような気がした。間を置いて俯瞰的にあいつを考えると、ある種の憧憬すら抱くものに感じる。
「手引きもなく宇宙局へ忍び込むことができたと、そんなことがあり得ますか?それも二度もです」
「確かに、理屈で考えればそうなんだけどーー駄目だな、言語化できないや。対峙してみて、なんとなくそう感じたんだよ」
「いるよー、協力者」
司が応える。
「間違いなくいるね。あの侵入者には協力者がさ」
言い切る司の口調がとても気になった。
「何か根拠があるのか?」
「うーん、強いて言うなら経験かなー」
「なんだよそれ」
「乙女心かも」
「司にないだろ」
「協力者についてはともあれ、侵入者の目的は何だったのでしょうか」
ああ、そうか、僕以外にあいつの目的を聞いた人はいないんだ。現れた場所から推測くらいは立てられているのだろうけれど、はっきりとした証言を聞いたのは僕だけで、つまりあいつの目的を正確に把握しているのは僕だけなのだ。
「リングレットが目的だと言っていたな」
「櫂季は犯人と会話をしたのですか?」
驚いた顔の巽だが、むしろ僕の方が驚いた。犯人の目的よりもそっちが気になるのか。
「そりゃ相手も人間なんだから話くらいできるさ」
「そうじゃないよー、ずれずれにずれてるよ。巽が気になってるのはそこじゃなくて、櫂季と犯人は問答無用に争ったんじゃないのってところよ」
「そのとおりです。犯人は貴重な犯行時間を割いてまで、つまり危険を冒してまで、櫂季と何を話していたのですか」
「何をってほどのことでもないさ。九号棟に来た目的と、後はなんか説教臭いことを言っていた気もするけど・・・。覚えてないな。あいまいだ」
犯人の顔もぼんやりとしか思い出せない。覚えて直ぐのことは記憶として定着するまでに時間が掛かると言うが、僕は記憶を固定する前に気を失ってしまった。どうやら記憶の定着にも影響が出てしまったらしい。
「とりあえず覚えてるのはあいつの目的がリングレットだということだけーーって、そうだよ!リングレットだ。早く守りに戻らないと。犯人がまたいつ現れるかわかったもんじゃない」
慌てて立とうとして、立ちくらみにふらついた。長い時間横になりすぎたみたいだ。
「櫂季、落ち着いて」
と、巽が僕の肩に手を掛ける。
「ああ、悪い。ありがとう、大丈夫だ」
そう言って再度立ち上がろうとした僕の肩を巽は掛けたままの手で押さえつけた。
「おい、なにしてるんだよ」
「櫂季、落ち着いて、落ち着いてーー聞いてください」
さっきまでとは違う、暗い低い声音で巽は言った。
「なにかあったのか」
「正直、私はこう思っていたのです。櫂季には今日一日寝てていただいた方がいい。そうすれば、そう、もしそうなら、苦しみが少ないのですから」
「意味がわかんねぇよ。いいから何があったのか言えよ」
「まだ起きてはいません。これから行われるのです」
「だから何が!」
「打ち上げだよ」
巽の代わりに司が応える。
「打ち上げ?」
単語の意味がわからず、そのまま反芻する僕を意に介さず司は続ける。
「実験があるの。ここが何処かは知っているでしょう」
「どこかって、この建物がってことか。それともこの施設そのものってことか」
「施設の方」
「そりゃ、宇宙局だろ。宇宙局の医療棟だとばかり思っていたけれど、違うのか」
「違わないよ。正解。そうだよ、ここは宇宙局。そう宇宙局なんだよ櫂季」
司は繰り返す。まるで子供に言い聞かせる母親のように。それは普段の司の様子とは似ても似付かなく、僕を不安にさせた。
「日本の技術、その粋を集めたのがこの宇宙局だってこと。何をするかなんて、打ち上げがどういう意味を持つかなんて、それこそ考える必要もないんじゃないかな」
「まさか、人工衛星の打ち上げか?」
「正解」
「ありえないだろ、日本でなんて」
「どうしてかな?」
「だって、先週ロシアが世界で初めて打ち上げに成功したばかりじゃないか。四本の柱が立った電離層の観測衛星。日本にそこまでの技術があるはずが・・・。」
ーーいや、問題はそうじゃない。
「許されるはずがないだろ。人工衛星は兵器開発に繋がりうる技術だ。敗戦国の日本がこの時勢にそんな技術開発を行えるはずがない」
僕の言葉に、巽は首を横に振る。
「忘れましたか、この宇宙局ができるにあたった成り立ちを。表だって喧伝されてはいませんが、この宇宙局は日本の技術を戦勝の各国が吸い上げるための施設です。兵器開発はむしろ推奨されているんです」
確かに、言われてみればそうだ。とすれば宇宙局が人工衛星を開発しているのは至って自然なことと言っていい。
「しかし、それが僕になんの関係があるんだ。言われてみれば確かに驚くことだし、何なら見学にでも行きたいと思うけれど、それと僕を抑え付けることに関係があるのかよ」
「あります、大いに」
巽が僕の肩へ置いた手に更に力を込めた。
「櫂季」
と、司が先を紡ぐ。
「櫂季が言ったとおり、先週ロシアが行った実験で人工衛星を打ち上げるという人類初の偉業は成し遂げられたの。でも、それで終わりではないでしょ」
「次の目標ってことか」
「そう。宇宙開拓技術を志す者の、次の目標は人を宇宙空間へ送ること。でももちろん、何のデータもなしにそんなことはできないのよ。それじゃただの人体実験になっちゃう。だから、当面の目標は、生物を宇宙空間へ送ることとされてるの」
この時点で、察していなかったと言えば嘘になる。まさかという気持ちは、心のどこかにきっとあったのだ。しかしそれを口にしてしまえばそのまま事実になるような気がして、僕は遠回しに質問をした。
「生物を宇宙へ送る装置って、それはどんな形をしているんだ?」
「見てはいませんが、話で聞くに円錐型ということです」
「大きいのか」
「高さが四メートル、直径が二メートル程度」
「そんなんじゃ大きな動物は入れないな」
「ええ、せいぜい犬くらいのものです」
「っ・・・。で、でも、それが限界ってことだろ。安全性を考慮するならもっと小型の動物の方が」
「動き回る必要はないからね。むしろ限界の大きさぴったりの方がいいんじゃないかな」
「それじゃろくな計測機器も積めないじゃないか」
「ええ、映像や音声での記録は考慮していないそうです。あくまで温度や振動などの基礎記録のみとのことですが」
「でも、でもそれじゃ」
「櫂季、もうわかるでしょ」
司が言う。言われたくなかったその言葉を。
「その中にリングレットが乗るのよ」
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