第20話 僕と火花
問題はしばらくしてからやってきた。しかしそれは初めは幸福の形をしていたのだから、なお性質が悪い。
リングレットと会うことができた一月後、放課後になったばかりの教室で、僕と巽は方策を出し合っていた。教室には僕達の他には誰もいない。勤勉なスペースの学徒達は皆課外活動に勤しんでいるところだ。誰も訪れる可能性がないそんな場所で、僕達はどうやってリングレットとムドリェーツに会うかを話し合っていた。
一度目は上手くいった。ならば二度目も成功する公算は高い。しかし、二度目が上手くいったからと言って、それで万々歳かと言えばそうでもない。司に用意してもらえた扉の許可証は二枚、一度使えば失効するその許可証の内、僕が持っていた一枚は既に一昨日使っている。残り一度の権利をどう使うか、それを考えなければならない。二度目も一昨日と同じように使えば、リングレットとムドリェーツに会うことはできるが、それまでだ。許可証はなくなり、僕と巽は一昨日までの三週間と同じようにリングレットとムドリェーツには会えなくなってしまう。
同じでは駄目なのだ。二度目は三度目につなげるための方策がなければいけない。だからこそこの一ヶ月は我慢した。会おうと思えば会えるこの状況で、会わずにいることを選択した。無策では駄目だ。二度目が三度目に、三度目が四度目に、つながるように動かなければ。
そういった経緯で、二回目の侵入とそれから先の方策をどうするかについて巽と話し合っていた僕の前にーーしかしふらりと例の教員が現れた。
種本先生である。
断言できるがこの教員兼研究者が現れて事態が好転したことなど一度もない。種本先生の持ってくる情報は不幸の風に乗って現れる。少なくともこの瞬間までの僕と巽の認識はそうだった。
なので、僕達はふいに教室に入ってきた種本先生を見て、少なからず不作法な顔をしたのだろう。
「おいおい、まだ何も言ってないんだけどな」
と、入って僕達の顔を見るなり、種本先生は苦笑した。
「安心しなさい。今日は本当に良い情報を持ってきたから」
「その前置きでよかったことが一度もないんですけどね。そもそも、その口振りから察するに、僕達に用事があるのですか」
研究員を、つまりは大人達を欺く方策を練っていたのだ。声は最小限に落としていたから聞こえちゃいないとは思うけれど、しかしそれでも自然に、僕の態度は硬くなる。
「用事だよ。まごうことなく君たち二人への用事だ」
この一年間でよく見た種本先生の笑顔だ。
「今日のは本当に朗報だって」
「今までのが朗報でなかったことを暗に認めましたね」
「ああ、ついに自供したな」
巽と目を合わせて頷く。
「ほんとに失礼な子供だな、君達は」
「冗談はさておき、私と櫂季にどういったご用件でしょうか」
「リングレットとムドリェーツ、その二頭の所在について」
今更そこか。
僕と巽は落胆する。それは既に、一ヶ月も前に得ている情報だ。所在がわかっているだけでは不十分、そこから先をどうすればいいのかを考えている最中だったのだから。
「どこにいるかは正直なところわかっているのです」
知っているということを告げるかどうか、逡巡したが巽が先に答えた。まあ言わなかったところで種本先生から告げられるわけだから、隠しておく意味はない。
「そこが施錠されていることも承知です」
だからそれをどう破るかを考えていました、とまではさすがに言わなかった。
後を僕が継ぐ。
「ですから、種本先生に言われるまでもなく、僕達はもはや諦めているところなのです」
「おや?諦めるというのがいまいちわからないが。乾とグラフ、何か勘違いしていないか?」
「え?」
てっきり種本先生はリングレットとムドリェーツが研究員しか入ることのできない部屋に隔離されていることを僕達に伝え、二頭と合うことを諦めるように促しにきたものだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
「すみません、種本先生は何をしにこちらへ?」
「だから言っているだろう。リングレットとムドリェーツの所在を伝えに来た。というか、所在が元に戻ったことを伝えに来た、と言った方が正しいか」
「元に戻った・・・と言うと」
「訓練場横の研究棟に飼育部屋があるだろう。あそこに二頭は戻されたぞ」
種本先生の言葉に、隣で巽が絶句した。
「それは本当ですか」
「嘘を付いてどうする。だから言っただろう、朗報だと。二人ともここ最近、飼育部屋には足を運んでいないだろうから気づかないと思ってな。わざわざ伝えに来てやったんだ」
「まさか、種本先生に感謝する日が来るなんて」
「超天変地異です。避難警報発令ものです」
「お前等・・・、まあいい。で、どうするんだ?特別扱いはできないが、課外活動の時間であれば飼育部屋に行っても差し支えないんじゃないのか」
そうだ、こんな所で時間をつぶしている場合ではない。
種本先生の話に関して、真偽を確かめる意味でも、僕達は研究棟に向かわなくては。
「ありがとうございます、種本先生」
「早速ですが私と櫂季はこれにて」
「ああ、ちゃんと晩飯には戻るようにな」
さっさと行けと手振りをする種本先生に会釈をして、僕達は教室を後にした。
「しかし何でまた、ムドリェーツとリングレットは戻されたのでしょうか」
スペースから研究棟の敷地へ向かって駆けながら、巽は疑問を口にした。
確かにそこは気になる、気にはなるのだが。
「さあな」
と、僕は応える。
「何の研究をしているのかもわからないんだ。考えたところで思いつきやしないだろ」
「それは、そうなのですが。しかしこうも考えてしまいます。これが一時的な措置なのか、恒久的な措置なのか」
「それはなんだ、つまりまたリングレットとムドリェーツはあの三階の部屋に閉じこめられる可能性があるということか?」
巽は無言で頷く。
その可能性があるのならば、答えは出ずとも考えずにはいられない。それはつまり、今ならば何らかの手を打てるかもしれないということなのだ。
種本先生の言うとおりに飼育部屋に二頭が戻されているのなら、障害なく二頭に会えるのならば、細工を施す余地はある。
「どちらにしろ、まずは飼育小屋に向かうしかないな」
「ま、そうでしょうね」
飼育部屋のある研究棟へ向かう僕らは、しかしこの容易な事態にさして疑問は持たなかったのだ。
とは言っても、とんとん拍子で事は進まない。上手い話の前には面倒な話がくるものなのだ。
目的の研究棟まであと少しというところで、僕と巽は声をかけられた。
「見つけたー、櫂季に巽」
声の主は何故か植え込みから出てきた司である。司、本当によく動き回ってるな。
絡まる草を払いつつ、司は僕達に言う。
「よかったー二人一緒にいて。二人とも、今から実験やるよ」
やるよと言われても。どうだろう、一応言うか。
「あのさ、司。悪いんだけどこれから飼育部屋へ向かうんだ。できれば後日にしてもらいたいんだけど・・・。」
「うん、駄目」
即答だ。
「リングレットとムドリェーツが戻されたことは知ってるよ。でもだったら急ぐ必要ないはずでしょ。だってこれからは毎日会いにいけるんだからさ」
「うん、まぁそりゃそうなんだけども」
しかし明日も会えるからといって、今日会わないでいいかと言えばそうではない。できることなら毎日会いに行きたいのだ。今まで不可能だったものが可能になったのだから尚更だ。
しかし僕がそれを伝えて説得しようとする前に、
「手を出して、二人とも」
と司は手を差し伸べてきた。
「・・・ん?」
「はい」
言われるがまま手を出すと、
「えい」
と、軽いかけ声と共に、僕と巽の手に手錠がかけられる。どこから出したのか至って不明なその手錠はとても丈夫で、これ以上はどうにもあらがい難いことを示していた。
「それじゃ行くよ」
手錠の片側を自分の両手にそれぞれ繋ぎ、司は歩き出す。
「「はぁ・・・。」」
ため息二つ、僕達はもうついて行くしかない。
僕らが司の実験室について何をやらされるか。話にすると他愛もない。単なる荷運びである。問題があるとすれば一点、それが単なる荷物ではないということだ。
真南司のやることだ。単純な作業であっても、簡単な相手ではない。
「それにしてもこれは無理があると思うんだけど」
目の前に転がっているのは金属の筒だった。無骨な鉛色の円柱。中心がくり貫かれたように空洞のそれは、数日前にこの部屋で見た大砲の一部だった。
「大人五人掛かりで運び込んでもらったものだけどさ、分解すれば私たちだけで運べると気づいた。あったまいー私」
本当にあったまいーならまず無計画に部屋へこんなものを運び込まない。
大砲とは言っても、それこそ軍事利用するような大きさの物ではない。せいぜい全長は僕の身長分程しかないのだ。それを分解するのだからそれなりに大きさは抑えられるが、腐っても大砲、紛うことなく金属の塊だ。持ち上げるのには僕と巽が全力で掛かってようやくといった具合である。
「これを何処に運ぶのでしょうか」
「九号棟横の訓練場」
「・・・司、ここからどれだけ距離あると思ってるんだよ」
「訓練場の手前までで七百二十五メートルだね」
「数値が聞きたくて言ったわけじゃない」
「大丈夫、大丈夫。下に台車用意したから、実質そこまで持って降りて、後は積み卸しやるだけだよ。櫂季と巽ならすぐだよ」
階段の昇降だけで腕が砕けそうな気がする。
反論は無駄だと嘆息しつつ、僕達は作業にとりかかる。
しかし重い。
諦めようが決意をしようが、それで金属の重さが変わるわけではない。訓練場までの距離もだ。
気合いを保つために、僕達は現状への恨みを口にしながら、作業をつづける。しかしてどれだけ不満を漏らそうが意に介さずに、司は僕と巽に次々と積み卸しの指示を出してくる。
僕の右腕が感覚を失い、巽の膝が笑い始めた頃にようやく作業は終了した。司は僕達が訓練場に運んだ金属の塊を組み付けていく。器用なもので、持ち上げずとも大砲の形に組み直す事はできるようだ。司の作業中、僕達は休むことができた。
「よし、なかなかどうして格好いいね。やっぱり大砲は屋外にないとね」
背負った鞄に工具をしまいながら、司は再度大砲を見る。
完成品を見て満足げな司であるが、そう思うのなら最初から屋外に設置しておいて欲しかった。
金属の塊抱えて階段下りるのが一番大変だったんだからな。
「それで」
「それでってなんだよー。汗水垂らして運んだんだから、もっと嬉しそうな顔しなよ」
「運んだのは僕と巽だ」
司は楽しそうに指示を出しただけじゃないか。
「じゃなくて、それでその大砲は何に使うのさ」
「もちろん発射に使うよ。大砲と言えば発射、射出が専売特許でしょ」
「何を、打ち出すのですか。砲弾らしきものは見あたりませんが」
「あと的もな。僕も巽もそんなものは運んでないぜ」
「確かに的はないよ、けれど弾はある。弾じゃなくて球だけどね、にひひ」
司は背負った鞄から二つの球体を取り出した。
「あ、それ」
見覚えがある。先週の金曜日に司の実験室で作った火薬球、花火用の球だ。中には星だけじゃなく、異様な薬剤を練り込んでいたはずだが。
「これを打ち上げるの」
「こんな日の出ているうちからですか?」
「うん、そう」
「そろそろ逢魔が時だぞ。一番光に目が慣れない時間帯だ。花火の観賞としては最悪じゃないのか?」
「うーん。とは言っても、夜じゃ目立ち過ぎるし、何より夜だと二人に手伝ってもらえないからね。これもまだ途中だし、とりあえずは試しだね」
そう言って司は火薬と球を二つ、大砲の筒へと押し込んだ。淀みなく準備する姿が逆に怖い。
僕はてっきり準備を終えた後に秒読み等が入るものだと思っていたのだが、どうやら司にそのような作法はないらしく、
「んじゃやっちゃおっか」
と、火種から紙筒に移した火を大砲の筒へ投げ入れた。
直後、轟音。
直近にいた僕と巽(一応、司も)は音を直接食らった。こうして体感すると、音は振動だということがよくわから。事実、僕の体はかつて無いほどに揺さぶられている。
「あれれ」
しかし音の衝撃と比べると射出の威力はそれほどでもなかったようだ。垂直よりは若干傾斜させていた大砲の筒から打ち出された花火の先は、上空というよりは前方、宇宙局外壁近くの林の上だった。敷地の外に出れば事だが、何とか内部に収まったようで、林の真上で花が開いた。
途端、今度は光に覆われた。
花火なら僕も何度か見たことがある。夏になればこの島でも花火が打ち上げられ、波打ち際で綺麗な光の花が開くのだ。
しかし今見える光はそんな生やさしい物ではない。例えるなら閃光。緑色の直視し難い光が目に焼き付いた。二発同時に打ち上げたものの、眩しすぎて一つの光にしか見えない。
「な、何だこれ。花火って言うより信号弾じゃないか」
「うんうん、それなりに成功かな」
「というかこれ、林に燃え移ったりしませんよね。今なにやら木々にぶつかったような鈍い音がしましたが」
口々に声を出しているうちに光は小さくなり、やがて目に焼き付いた残滓だけがそこに残った。巽が危惧した林への着火は起きなかったようだ。
これだけの光が灯ったというのに宇宙局の中は静かなものである。事前に司が試験について報告をあげていたのだろう。実験の段取りや方法は無作為に見えるが、司は意外とこういった配慮は十全に行える性質なのだ。
「とはいっても、やっぱり驚くだろうけどな」
「櫂季の言いたいことはとてもよくわかります」
言わずとも巽も同じ気持ちになっていた。
おそらく司は宇宙局のお偉いさんに対して、花火の実験をするとしか伝えていなかっただろうから、その程度の心づもりで今の花火を見たら、度肝を抜かれるだろう。許可を出した方はそれよりも肝を冷やすかもしれないが。
伝えることは伝えるが正確には伝わらない、それが司という人となりだ。その説明すら不十分な扱いを受けている僕らは更に不遇と言える。
「実験はこれで終わり?」
目が通常の景色に戻ってきたので僕は司に確認する。
「うん、そうだね。今日の実験はこれにて終了だよ。ほんじゃこれ、元の場所に戻してね」
「戻してねって・・・。」
「まあそうなるとは思っていましたが」
司が指さしたのは他ならぬ花火の打ち上げ装置である。つまり大砲。鉄の筒。
「このままじゃ駄目なのか?花火は確か後二発残ってたじゃないか。今日打ち上げないってことは後日打ち上げるってことで、だったらここに設置したままの方がいくらか労働も減るんだけど」
「駄目駄目、この実験はまだ途中だし。次の打ち上げも日取りが決まってないからね。別に今日打ち上げても支障はないけれど、やっぱり適正な間隔ってものがあるからさ。かと言ってここに設置したままにするには許可取ってないものでさ、というわけで片づけよう」
まくし立てるように言われたが、結局のところ片づけろということなのだ。有無は言わせても無は通さない。そんな言い方だった。
「はぁ、仕方ないな」
「どうやらそのようで」
と、そのまま片づけに移行すればそれはそれでひと段落といったところなのだけれど、そうは問屋が下ろさなかった。
僕と巽はあわよくばさっさと片づけを終えてリングレットとムドリェーツのいる九号棟に向かいたかったし、司も司で今の実験に関する記録を付けようとしていただろう。しかし、僕達はそのどれも行うことはできなかった。どころか片づけすらまともにできず、この場を移動することになる。
本当、まったくもって順調な段取りというものは存在しない。
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