第18話 僕と実験
父が指揮を執る研究室で最初の失敗を味わってから、それでも僕らは何度も挑戦をした。日中は学徒である僕たちはスペースを離れるわけにはいかないので、もっぱら放課後の時間ということになるが、それでもその限られた時間の中で何とかリングレットとムドリェーツのいる場所を探そうと躍起になっていた。
研究員に尋ねるというのは二日目にして諦めた。誰に訊いても知らぬ存ぜぬの一点張り。面倒なことに研究棟は各々の棟でそれぞれ独立した分野の研究を行っているらしく、多くの研究員は自分の所属している事業しか知らないのだ。となると、リングレットの居所を訊いたところでその研究員が惚けて知らない振りをしているのか、それとも本当に知らないのかが、僕たちには判別できなかった。それに気づいてからは研究棟の三号棟入り口で通りがかる人にいわば通り魔的に詰問を繰り返したのだが、やはり芳しい答えをえることはできず、どころか一週間が経った頃には三号棟の入り口に警備員が常駐するようになり、僕たちは迂闊に近づくこともできなくなった。
これで父に問い詰めることも難しくなった。最も、もう父から答えが返ってくるとは期待できないので、そこはあまり問題ではなかったが。
ともあれ、リングレットに会えなくなってから既に三週間が経過していた。一切の収穫がないままに。
家には一度も戻っていない。土日は別段強制的に帰省させられるわけではないので、僕はずっと寮に篭っていた。さすがに土日は研究員の数もぐっと減るので、リングレットとムドリェーツのことについて訊いて回ろうにも相手がいない。加えて施錠される設備が多いため、探し回ることもままならない。
結果が伴わないのは努力でなく徒労である。
かつてスペースの教員が言った言葉だが、当時は反発を覚えたその言葉も、今となっては真実味を感じられる。
この三週間、何もなせていない。いや、三号棟の警備が強化されたことを思えば、僕達の目的からすると逆効果でしかなかった。まさに徒労である。
しかしそれで諦めることはできないと、奮起しようとした月曜の放課後、僕は司に呼び出された。
いわく、実験の手伝いが必要だとか。
巽も丁度、別件で所要があるとのことなので、僕はリングレット探しの前に司の実験室へと足を運んだ。
日を重ねる毎に一層異次元に近づいてく司の実験室に分け入ると、あいも変わらず白衣を汚しながら司はものをいじり回していた。それが何かは僕にはわからない。
「司、一応来るには来たけど、僕今とても多忙なんだ。忙殺中と言ってもいい」
「リングレットの件はわかってるよ。でもでも、訓練に一区切りが付いたら実験の手伝いを全力ですると言ったじゃない」
「言ったっけ?そんなこと」
「言ったよー」
まあ司がそういうのならそうなのだろう。僕と司の記憶力など比べるべくもない。しかしそんな約束を軽々にするとは、僕も相当切羽詰っていたのだな。
しかしこれは困った。約束してしまっている以上、日本男児として反故にするのは憚られる。
断るわけにはいかず、また成果の出ないリングレット探しに、若干行き詰まっていたところもあるので、少しくらいならよいだろうと僕は司の実験を手伝うこととした。
「で、今日の実験は一体何をするつもりなんだ?」
「・・・説明してわかるの?」
「一応聞いておかないと不安なんだよ。内容は理解できなくても、雰囲気は知っておきたい」
「そかそか」
そう呟いて司は奥の戸棚から見覚えのある瓶を取り出した。
あれは確か、リングレットの訓練中、本試験の一週間前に塗布された薬瓶ではなかっただろうか。
「はい」
「はいって・・・、え?またこれ遣うの?」
「うん。今日の実験は刺激臭が立つから。櫂季の嗅覚だと刺激のあまり気を失うかもねん」
「何をさせる気なんだよ」
薬瓶を見つめる。司が警告するほどなのだ、疑うべくもなく僕の嗅覚には命取りの実験なのだろう。一度実験を手伝うと言った手前引くわけにもいかない。だがしかし、またあの無味無臭の一週間を過ごさなければならないのかと思うと、どうしても気が引けてしまう。
「大丈夫。前回使ったものを薄めているからさ。持続効果は今日を入れて二日程度」
「二日か、それなら」
我慢できなくはないか。
覚悟を決める。
慎重に蓋を開き、瓶の中身を以前司がそうしたように鼻の回りに塗った。前回と違いのわからない刺激臭が鼻を突き刺し、反射で瓶を取り落としそうになるのを必死で堪える。
時計の針が数度音を鳴らし、僕は何とか平静を保てるまでに回復した。深呼吸すると世界が変わったことに気付く。
無味無臭。またこの世界に戻ってきた。
「それで、ここまでしなきゃならない実験ってなにさ」
「ついてきてー」
司は白衣を翻し、災害現場のような部屋を奥へと進む。実験室の奥、扉一枚隔てた準備室を開いた。ここへ移動してきた初日に大半の荷物を詰め込んだ後はただの物置になっているとばかり思っていたが、どうやら中身は入れ替えたらしい。
というか、物置の中身を実験室にぶちまけたのが今の参上というところだろう。では空になった部屋に何が置かれているのかと言えばーー。
「司、いや司さん。流石に僕も貴女の奇行にはそれなりに慣れてるし、理解ーーはできないけどーーしたいとは思ってるんだ。しかしそうは言ってもこれはもうどうにも付いていけないというか、ぶっ飛んでるというか、ぶっ飛ばしてるというか、むしろぶっ飛ばすものだよな」
目の前に黒々と鎮座する鉄の塊。僕が抱えてやっとという大きさの筒。台座があり、筒と台座は可変式の接合部品で繋がれている。接合部には一本の主軸があり、筒が水平から垂直に向きを変えれるようにできていた。
僕はこれを知っている。座学で学んだからだ。なんとなれば使うこともできるだろう。産業革命以降の発明品。人類を一歩押し上げ、そして原始的な存在に押し下げたそれは、
「大砲、だよなこれ」
触れて、あまりの重厚さに寒気がした。質感が物語っている、本物であると。
「何に使うつもりだよこんなもの」
「これだよ。はい」
木枠の棚から鞠ほどの大きさをした球体を取り出し、それを僕に放り投げた。その玉は表面に紙布が巻いてあり、一本の線が垂れていた。
形状と重みから一つの推測が生まれる。
「まさか、これ」
「ふふふ、打ち上げ花火ですよ」
「投げるなよそんなもの。火薬の塊じゃないか」
冗談でなくこれが花火の玉なら、中には星と呼ばれる火薬が大量に積められているはずだ。それを片手で放るとは。
「大丈夫、それは試作品。それもまだ途中だから」
「余計怖いよ」
しかしまあ、司が大砲で何をしたいのかはわかった。危ない思想ではなく、ただの打ち上げ花火だというのは行幸である。
そして僕に何をさせたいのかも同時に理解できた。花火の玉を作るに当たって、中に積める火薬の調合を手伝わせたいのだろう。花火の色は炎色反応の結果だ。火薬に様々な化学物質を調合することでできるが、火薬の塊、つまり星を作るのは力仕事だと聞いたことがある。そこで男手を欲したというところだろう。
「しかし普通の化学物質を混ぜ込むくらいなら別に僕の嗅覚を麻痺させる必要はなかったんじゃないのか。火薬や混ぜ込む科学物質はそりゃ確かに刺激臭がするけれど、僕が気を失うって程ではないだろう」
「櫂季、何言ってるの。今日扱うのは火薬じゃないよ。使うのはこれ」
司は机の上に置かれていた銀製の容器を逆さまにし、別の容器に中身を移す。中からは決して自然色ではあり得ない鮮やかな青い液体がこぼれ落ちていた。更にその液体の上に、樹脂製の筒から赤い粉末を取り出して振りかけた。
気付けば司は布を口元に当てている。おそらく今この部屋には匂いが立ちこめているのだろう。司が僕の嗅覚には危険と称した匂いが。
「この液体をかき混ぜて花火に溶かし込んで飛ばすの。ただ混ぜれば混ぜるほどに硬化してくるから、櫂季にはその混ぜ合わせをやって欲しいかなーって」
「それくらいならできそうだけど」
容器に浸かっている撹拌棒で液体をくるりと混ぜる。見た目よりは抵抗を感じるが、苦になるような粘度ではなかった。しかしそのまま数度撹拌すると、徐々に回す腕に抵抗が増えてくる。
なるほど、混ぜれば混ぜるほどに、である。
見た目は液体のままなのに赤い粉末が混ぜ合わさるほどに手に掛かる負荷は増え続けた。
「それで、これを花火に混ぜて打ち上げるのか?」
気を紛らわすために司に話しかける。司は司で別の試薬を瓶に混ぜ合わせていた。あちらは楽そうだ。
「そうそう」
と司は肯定する。
「それで何ができるんだ?珍しい花火か?」
「珍しいといえば珍しいけれど、きっと櫂季が想像するような花火とは違うね。七色に変わるとか、長時間光続けるとか、そんな陳腐なものではないよ」
「それはそれで十分すごいと思うけれど。なら、どんなものなんだ?」
「まず、混ぜ合わせた二液は内部で極小の気泡を保ったまま火薬にとけ込む事になる。二液にはそれぞれ撹拌と収束の役割があって、花火として上空に打ち上げると同時に空中に二液がまき散らされることによる相対的な気泡の分散が同時に空気の共振を引き起こして、その後に形成される三次元的な曲線をーー」
「うん、ごめん。いいや」
やぶ蛇。
そこから先、僕は無言で液体を混ぜ続けた。
二時間程経過して、そろそろ寮に帰らなければならない時間になった。長居しすぎると夕食に遅れてしまう。スペースでは指定時間までに着座していなければ夕食に食いっぱぐれる。司は特別枠なので問題にならないが、犬の訓練というある種の特権を失った僕は、もう融通は訊いてもらえないだろう。
疲弊した腕を曲げ伸ばししつつ、僕は花火の出来具合を確認した。液体を混ぜ込んだ花火の玉は、今僕が混ぜ終えたのを会わせて四つできていた。
「司、これ何個作るつもりなんだ?もっと数がいるのなら後日手伝うけれど」
「まだ途中だけれど、上限を決めていなかったから、うん、これでいいや。偶数だし。四つできたし上出来上出来」
見た目にわかりづらいが、どうやら満足げであるようだ。上限はなくても下限はあったのだろうか。そのあたりを事前に伝えてくれないのが司らしいと言えば司らしいのだが。
ともあれ、作業を翌日に持ち越すことなく終了できたのは幸いだ。明日は土曜だし、実験の手伝いではなくリングレットを探したい。そういえば、巽の方はどうなのだろうか。用事を終えて一人で探していたのなら悪いことをした。それも司の手伝いと言えば巽は気にしないのだろうけど。
「それじゃ、僕はそろそろ寮に戻るよ。もう他に用事はないよな?」
一通り片づけを終えて、完成した花火を眺めていた司は、
「おっと、用事・・・一つだけあるんだった。リングレットとムドリェーツの居場所がわかったよ」
と、こちらも見ずに言った。さらりと、とても大事なことを。
「・・・待って、ちょっと待って。今、居場所がわかったって言った?」
「言った」
僕としては色々と司に言いたいことはある。
もっと早く教えてくれよ、とか、花火なんか作ってる場合じゃないだろ、とか。
しかしそれすらも今は惜しい。
「だったら直ぐに行きたい」
今からでも寮の閉門時間までは十分に余裕がある。夕食には間に合わなくなるけれど、そんなものはこの際二の次だ。
巽は、呼びに行く時間はないか。抜け駆けすることになるが後で教えてやればいい。
「なあ司、どこにいるんだ?」
「それは明日教えるから、明日は巽と一緒にここに来てよ」
「今教えてくれよ、もったいぶらずに」
「もったいぶってるわけじゃないですー。今教えても会えないから、櫂季はリングレットに。会える場所じゃないもの」
「意味わかんないよ。なんで今日は駄目で明日はいいんだ」
「明日が休日だからだよ。平日は無理だけど休日ならなんとかなるの。でも櫂季は今知ったら、今直ぐに会いに行こうとするでしょ。だから今は駄目―」
「ーーそっか」
確かに、リングレットの居場所を今聞き出せば、僕は自制することができないだろう。平日は駄目で休日ならいいという理屈は受け入れかねるが、仮にそれを理解したとしても僕はきっと会いに行く。
そこで失敗しようものなら目も当てられない。司が言いたいのはそういうことだ。
「わかったよ。明日は必ず教えてくれよ、司」
「うん」
頷く司を見て、今日はこれでよしとする。まったく手がかりのなかった中に舞い込んできた幸運だ。これ以上は望むべくもない。それでも体がうずくのは止められなかったが、そこは理性で押しつけて、僕は司の実験室を後にした。
結局のところ司はそれを告げるために、実験の手伝いを口実として僕を呼び出したのだろうか。それともそれすらもやはり口実としてその実単純に力仕事をさせたかったのか。
彼女の真意はやはりわからない。
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