第17話 僕と捜索
しかして翌日、一つの疑問にはすぐ答えが出た。
わからなかったことがわかった。というかわからされた。
僕らが考え始めるようなことなど既に熟慮されており、それすらも組み込んだ上で予定というものは立てられる。そつのない段取りは研究者に欠くことのできないものであると、僕達はその日理解した。
本試験の翌日、月曜日。昨日の疑問は答えの出せないままに、それでもささやかに三人で祝勝会を終えた次の日、僕と巽はいつものように寮での生活を過ごす。
やることは何も変わらない。
級友達は僕と巽が犬の訓練をしていたことを知らない。極力人には話さないようにと厳命されていたからだ。だからその日、彼らの目には休み時間の度にこそこそと話をする僕達はきっとおかしなものに見えただろう。
気になって仕方がなかったのだ。リングレットやムドリェーツとのこれからがどうなるのか。担任の種元先生に尋ねようかとも考えたが、職員室でもその類の話は禁止されている。結局は放課後を待つしかなかった。
いつものように宇宙局研究棟の立ち並ぶ敷地に入り、飼育部屋のある端の研究棟に足を運んだ。
飼育部屋を開いて、リングレットの区画へと近づく。しかし、そこにリングレットの姿はなかった。
「・・・巽、リングレットがいない」
「リングレットだけではありません」
巽の言葉に振り返る。
「ムドリェーツもです」
割り当てられた区画の中にムドリェーツの姿は無かった。僕が用意したリングレット用の小屋も中にはなく、元のまま残っているものは何もない。ただの空っぽな空間が二つ。
他の区画を見てみたが、先日と変わった様子は見受けられない。見覚えのある犬達が、そのままの姿でそこにいた。
「どうして」
「どうして二頭はいなくなったのか、だろ。乾にグラフが知りたいのは」
扉から声がする。振り向くと種元先生がいた。
「先生、何でリングレットとムドリェーツはここにいないんですか」
「種元先生はご存じなのですか」
僕と巽が慌てて詰め寄る。
「まあ待て、それを説明しに来たんだ」
種元先生は白衣の袂をまさぐり、小さな記章を取り出した。
星の形をした鈍く黒く塗られたそれを僕と巽に手渡す。
とても小さく軽いものだった。
「乾櫂季、グラフ・巽、今日をもって研究試料二頭の訓練担当の任を終了とする」
堅苦しい言い回しで種元先生は訓練の終了を僕達に告げた。
「部活動への不参加に関する減点はこれで帳消しとなる。いや、訓練の成績を鑑みれば充分に加点対象だろう。今後は一層勉学に励むと良い」
種元先生は笑顔でそう言ったが、僕にとってスペースにおける成績の加減は今この時どうでもいい。その前だ、その前に大事なことを僕達は告げられた。
もちろんわかっていた。本試験が終わることで訓練には一つの区切りがつくのだということは言われずともわかっていた。約一年を通しての訓練成果の総まとめ、それが本試験だったのだから。そこに対する異論は持ってはいないはずだった。
けれど。僕は実感する。実感の不足していたことをまざまざと。
手渡された小さな記章が、卒業証書の変わりなのだろう。こんな小さなものが、軽いものが、僕達の一年間を示すのだ。
安堵とは違う、力の抜ける感覚。
その中で巽は言う。
「それでは最初の疑問に対する答えとなっていません。私も櫂季も納得できておりません。論点は一つです。最初から一つでした。ムドリェーツとリングレットはどこにいるのですか。なぜ他の犬と共にいないのですか」
訓練が終わったことと二頭の犬がいないことは別の話だ。ともすれば取り違えそうになるそれを巽は指摘した。さすがに僕よりも切り替えが早い。
「そうだな。言えることと言えないことがある。それをまずは頭に置いてもらいたい」
「僕達が訓練した犬のことなのに、訊くことができないのですか?」
「誰が訓練しようとも変わらない。何より乾とグラフは今を持って訓練者の任を解かれている。流石に部外者とまでは言わないが、直接的な繋がりは薄くなったものと考えてくれ」
それではまるでこの記章がリングレットとの手切れ金のようではないか。
「乾、そう怖い顔をするな。何も話さないとは言っていないだろう。制限があると言っているんだ。少なくとも何処にいるのかは教えられる」
「では、何処にいるのですか?」
「どこにいるかまでは言えない、けれど知っている人なら教えられる。研究棟の三号棟にその人はいる」
「そこって・・・。」
「そう。乾の親父さん、つまり乾室長が指揮を取っている開発室がある棟だ」
「何のためにですか。他の犬を残して何故その二頭だけ別の場所に」
「成績がよかったからだ。もとから主席と次席を研究対象として実験記録を・・・っと、ここから先は言えないな」
種元先生が口ごもる。
「実験記録って何ですか。何かの実験として使われているのですか。犬の生態でも研究しようとされているのですか。まさか」
「落ち着けグラフ。実験と言ったが別に犬達に直接手を加えるということではない。非人道的な行いはやっていない。犬の尊厳を汚すような真似はな。詳細は語れないがそれだけは本当だ」
「だといいのですが」
「今行っている研究は職員の多くにとって誇り高い仕事だ。誓ってグラフの想像するようなことはない。ただ、二人は今後、犬達に会うことは難しい」
難しい、と言葉尻をぼかしたが、それは実質無理だと言っているのだ。僕は詰め寄る。
「どうしてですか」
「影響が出るからだ。犬達にとって乾とグラフは特別なんだ。心理部分に影響を与えられても困る。それだけ精細さを求める研究だかな」
「もう、僕はリングレットに会えないんですか?」
「少なくとも現状の方針ではそうだ。ただし室長が許可を出せば別だが」
室長、つまりは僕の父さん。
「父さんがそう決めたんですか?リングレットとムドリェーツを隔離して僕達に会わせないって」
「研究の行程を決めたのは室長ではないが、遵守させているのは室長だ。訓練が終了した今もなお犬達に会いたいというのなら、室長の許可を取る他ない」
できるだろうか。
父の許可を得るーー字面だけで言えばそう難しいことでもなさそうに思える。何せ僕は実子だ、ふつうの父親なら息子の願いに対し多少のお目こぼしは認めてくれるものだろう。
しかし相手は乾四季、実直さにおいて未だ右に出る者を僕は知らない。父が自ら定めたことを曲げるなど、あり得ないのではないだろうか。
息子ならば解き伏せることもできると種本先生は考えているのかもしれないが、むしろ息子だからこそ無理だとわかる。それに、父はきっと規則を曲げることを、曲げる姿を僕に見せたくはないだろう。きっとすげなく却下される。そういう人なのだ乾四季という父親は。
しかしそれはつまり諦めるということか。父の父らしさをどうにもできないのならば、僕は今後リングレットに会うこともできず、訓練者を終了してただの学徒に戻るということなのか。そして数年後にスペースを出て、その先の人生を歩むと。
想像して、寒気が走った。
これから先どんな人生を歩むのかはわからない。司の後を追って宇宙局の研究者になるかもしれない。島の外に足を延ばすのかもしれない。そのどちらにせよ、またはそれ以外の道を選ぶにしろ、その中にもうリングレットと共にいる僕はいない。
それはあんまりじゃないか。
一年間連れだったのだ、情も湧く。一日に一度様子を見なければ落ち着かないくらいなのだ。だったら行こう。駄目で元々。ならば子供らしく我がままくらい言わせてもらおう。
「行くのですか。お父上の元へ」
「行く。それでリングレットとムドリェーツに会おう」
「わかりました」
入り口前に立つ種本先生の横を通る。
すれ違い様に、種本先生は言う。
「可能性はあると思うが期待はしないほうがいい。乾室長はこれと決めたら梃子でも動かないからな」
「それは僕が一番わかってますよ」
巽と二人、棟から出て父の勤務する三号棟へと向かう。立ち並ぶ棟の中には司の実験室が入っている研究棟も含まれている。
一瞬、司も連れていこうかと考えた。普段は奇異な行動の目立つ司ではあるが、スペースから特別に研究棟での実験を許可されてた唯一の人材だ。訓練者としてたまたま要請された僕達とは違い、文句なしの特別扱いである。その司がいれば幾分無茶も訊いて貰えるかと考えたが、しかし無理だろう。僕はすぐにその考えを捨てる。特別意識に特権階級、例外というものを父は嫌う。司に対してどうかはわからないが、しかし特例をかさにきた態度を示してはおそらく快諾などしてもらえないだろう。むしろ連れていっった方が交渉が難しくなるというものだ。
よって三号棟に入ったのは僕と巽の二人のみであった。ある意味ではここに来るのを唆した種本先生ではあるが、同行はしてくれないらしい。まあいい、あの人にも立場というものがある。
父の研究室までの道のりで、前回ここに来たときに見た物を思い出した。あの鈍い鉛色の円錐は一体何だったのか。父はあれについて質問することも、周りに話すことも許可しなかった。僕はその約束を破っていない。巽はおろか司にだって話をしていないのだ。
その部屋の前を通るとき、巽に気付かれないように中を覗いてみた。しかし部屋の中はがらんどうの空間があるのみだった。無骨な金属でできたあれは陰も形もなくなっていた。
そこから少し進めば父のいる研究室である。扉に施錠はなく、透明な硝子越しに中の様子が見えた。幾人もの研究員がばたばたと歩き回っている。中央窓よりの席に父はいた。机の上にある資料を食い入るように見ている。
邪魔をすべきではない。
そんな思いがよぎった。リングレットとムドリェーツのことは僕や巽にとっては大切なことだが、この中にいる研究員はどれをとっても多忙な人たちで、僕達のいわば些細なお願いを聞く時間すらもったいないのではないのだろうか。
中の様子はそんな考えをわずかながら僕に抱かせた。
それでも、と僕は動く。いつまでも扉の前にいたってどうしようもないのだ。
数度戸を叩き、反応を待たずに僕と巽はその部屋へ入る。話をする相手は決まっている。研究者達が足を止めて怪訝な目で僕と巽を見るが、僕らはそれに取り合わず、窓際へと向かった。
「父さん」
机の正面に立ち、声を掛けた段階になってようやく父は顔を上げ、僕と巽の姿を捉えた。
「どうした、櫂季に巽君。何か用か?」
一昨日の口論など覚えていないかのように父は振る舞う。これでは季にしていた僕が馬鹿みたいだ。
「父さん、それ、わかってて言ってない?僕達が何をしに来たか、っていうか何をしに来るかくらい想像できただろ」
「ムドリェーツとリングレット、私と櫂季が訓練を担当していた犬達のことでお伺いしました」
剣呑な空気を察してか、巽が割ってはいるようにそう言った。
「犬のことか」
「はい。今申し上げた二頭は本日より飼育部屋から移されたと聞きました。それはどちらの研究棟に移動されたのでしょうか」
父はそのときようやく表情らしい表情を見せた。顔に書いてある、厄介な話だと。
「何処に移したかは言うことができない。業務上の守秘義務が課せられている」
「それは種本先生から聞いたよ。その上で、訊いてるんだ、どこにいるのか。僕も巽も会いたいんだ、犬達に」
「昨日の本試験の後に飼育部屋に連れて行かれてそれきりです。約一年訓練をしてきた上でこの対応はあまりにも」
「心ない、ということか?」
「はい。他の訓練者が担当していた犬は飼育部屋に行けば会うことができます。だというのに私と櫂季だけそれが認められないというのは公平さに欠けると考えます」
「公平も何も、二頭は主席と次席で研究対象に選ばれたのだから、他の犬とは扱いが異なって当然だろう」
「だからって隔離する必要があるのか」
「ある」
「どうして」
「それは言うことができない。言わないのではない、言うことができないのだ」
「それは父さんが決めた規則だろう。だったらーー」
「違う、決めたのはもっと上の役員だ。乾四季の独断ではない」
そのとき、父は悔しそうな顔を見せた。
規則を押しつけられている事に対する悔しさか、それとも別のものなのか、僕にはまるでわからない。
わかっているのは、室長たる父よりも上の人間が指示を出しており、そして規則として決められたそれを父が厳守するつもりでいるということだけだ。
「二人の気持ちはわからんでもないが、しかしできれば二人には訓練のことは忘れてもらいたい」
「忘れろって、そんな」
「二人が研究員でない以上、これから先は関わらせることはできない。理解しなさい」
「一年近くも僕達の時間を使っておいて、無関係だからどっかいけって言うのかよ!」
「それが親に口を利く態度か!」
「今、親がどうとかそれこそ関係ないだろうが!無茶苦茶言ってんじゃねぇぞこのーー」
熱くたぎった僕の言葉はしかし最後まで言い切ることはできなかった。巽が片手で僕の口を押さえ、もう片手で父を制したからだ。
「落ち着いて下さい。櫂季もそれに御父上もです。不躾に現れてお願い事をしてしまい申し訳ありませんでした。この辺りで引かせていただきます、今日のところは」
「ーー!、んーっ!」
「しつこいですね。現状、どうしようもないでしょう。とりあえずスペースに戻りましょう」
言うが早いか、父の言葉も待たずに巽は僕を引きずって部屋を出る。
納得はいかないが、こうやって一旦気を削がれると確かにどうしようもないということは理解できた。よって僕は黙って引きずられることにした。
扉が閉まりきる前に僕は一言だけ口にする。
「リングレットに会えるまで家には帰らないからな」
父は抑揚のない声で応えた。
「・・・好きにしろ」
去り際、父の表情を見ると、困ったようで頑なな、どうにも理解しがたいものだった。
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