第2話 僕と家族
宇宙局──日本が戦争に敗れた後、最初に作った(というより作らされた)外局機関である。宇宙事業の開拓を主として設立され、外国への技術協力によって国の財政を立て直そうというのが表向きの目的だ。裏向きには米国による国内技術の一方的な搾取を防ぐために、その他の国が日本の技術を共同分配することを目的として作った機関である。どちらにせよ敗戦国には選択肢などなく、気づけば国内の南にある島へ巨額の資金が投資されていた。
僕や巽、そして司が所属しているのはその局内にある児童教育機関である。海外へ流れる技術開発だけでは国力に対し得るものが少ないということで、平衡して優秀者の育成にも手を出しているといった具合だ。入学したての頃に学校の代表が、いずれは人を宇宙へ運び出すなどと言っていたが、それは流石に冗談だと思いたい。
父もその宇宙局の局員だ。局員が教師を担うこともあり、最悪なことに僕達の担当教員は父の直属だったりする。
宇宙局は島の一角を占有しており、児童教育機関だけでも約二十万坪の敷地がある。端から見ればちょっとした町みたいなものだ。この教育機関のことを大人達は堅苦しい名前で『高次防衛教育学校』と呼んでいるが、僕たち児童は外国語で『スペース』と呼んでいる。空間とか宇宙という意味があるらしい。定められた空間に年中押し込められている僕たちにとっては風刺の効いた相応しい名前だろう。僕らはそのスペースで日々教育と鍛錬を続けている。
*
休みが明けて月曜日。十月も下旬に入ったので寒さは日に日に増すばかりだった。何が辛いと言って、寒い日の早朝に暖かい布団から起き上がらなければならない瞬間程辛いことはない。休日の最終日は夕刻までに寮へと戻らなければならない規則なので、月曜日の朝はいつも寮で起床する。
目覚ましの音と格闘すること一分、さすがに起きなければと布団から顔を出したところで巽に額を叩かれた。
「痛い。おはよう」
「いい加減に目を覚ましなさい。隣の部屋にまで迷惑をかけるでしょう」
「ああ、悪い」
枕元の目覚まし時計を焦点の合わない目で見つけて止める。
学校の寮は二人一部屋で、そして僕の同室は巽である。そもそも生徒数が多くはないので確率的には同室になるのはそうありえないというほどのことではないのだけれど、今年の春に掲示板へ張り出された寮の部屋割りを見て、流石に僕と巽は学校側へと直談判した。
軍学校よりは幾分ゆるいとは言え、ここも一応優秀な指導者を養成するための学校なので、僕と巽の反骨精神はことごとくねじ伏せられた。結果、不本意ながらも三年間は僕と巽で寝食を共にすることとなった。
僕のほうが朝は弱いので、今朝のようにしゃっきりしない僕を巽が叩き起こすのが通例になっている。三日に一度はこうやって起こされるのだ。酷いときは冷や水をかけられもするが、それはまあ月に一度くらいである。
でも巽は僕の目覚まし時計を無理矢理止めようとはしない。何か自主的な規律でもあるのだろうかと思っているが、わざわざ確認するまでもないだろう。
かくして、いつも通りの朝だった。
共同厠の洗面台で冷水を頭にかける。一気に視界が明白になった。
「早くしないと朝食に遅れますよ」
僕が起きる前に身支度を済ませている巽が入り口から激を飛ばす。先に行けばいいのに。
「はいよ、ちょっと待って」
適当に頭を布巾で拭い、頬を一度ぱんと張って気合を入れた。
「よし、行こうか」
「急ぎましょう。朝食抜きになれば午後まで持ちませんからね」
「一度それで死にかけたもんな」
できる限りの早足で(走るのは禁止。朝食も貰えなくなる)巽と共に食堂へ入った。
朝特有の澄んでいるのに淀んだような、矛盾した空気が立ち込める中を歩き所定の席に座る。
三列先、三年生の席に司を見つけた。軽く手を上げたので、こちらも二人して挨拶を交わす。
「今日は持久走からだよな。あんまり詰め込みすぎないようにしよ」
「櫂季、先週は途中でリタイヤでしたからね」
「タイヤがどうした?」
「リタイヤ、です。中途退場、ないしは脱落を意味します。すこしは外国語勉強しなさい」
「巽に言われちゃ立つ瀬がないよな──あ、不味い」
雑談が過ぎたのか、監督の教員が無言の圧力を発してきた。目線を外して口をつむぐ。
宇宙局の人員である自覚を持て、とは年がら年中指摘されていることだ。
定時になり、全員が号令と共に食事を始める。
いつものように箸で白米をかき込んでいて、ふとあることに気がついた。
「巽、今日は教員の数多くないか」
監督に気づかれないよう小声で話す。巽もこちらに顔を向けないまま、返事をする。
「いや、あれは教員ではないですよ」
「えっ」
「宇宙局の局員証は青字のものですが、あの一角に座っておられる方々は赤字のものを首から提げております。おそらく来客でしょう」
ちらりと目をやると、確かに教員が胸に着けている局員証とはわずかに違いがある。
「朝飯に客が参加するのか」
「前日からいるのでは?」
もう一度来客らしき一角を見る。遠くて瀬を向けているので顔はよくわからないが、その手元に周囲とは違うものを見つけた。
「スプーンとフォーク使ってる」
「ということは、日本人ではないようですね」
それを巽が言うのは若干の違和感を覚えるが、つまりそういうことだ。あれは外国の客人か。
宇宙局の成り立ちがそもそも海外への技術提供なので、外国から客人が来ることはそう珍しくないが、しかし朝食にまで参加している姿はこれまで終ぞ見たことが無い。
違和感は覚えたけれど、かといって別段何がどうということもわからないまま、朝食の時間は終わった。
そしてここからが一日の始まりだ。
午前中は基本的に体力作りになる。男女別で決められた運動をこなし、男女共にそれぞれ記録最下位のものがその日の厠掃除を命じられる。僕は体力面では中の下といったところだが、下位は大体決まっているので最下位に落ちるということはない。巽に至っては常に一位だ。種目によっては勝ることはあっても、日の総合になると巽に敵うものはいない。僕を含めて。それがいつも悔しい。
前に一度、巽に苦手なものはないのかと聞いてみたところ、
「苦手と思ったら克服するようにしてきましたから」
と答えられた。まったく、見上げた奴だよ本当に。
今日も今日とて総合点では巽に敵わないまま、午前中の教練が終了した。
「唯一勝ったのが持久走か」
「櫂季は体力馬鹿を地で進まれるのですね」
「巽、それ誉めてないよな」
「一応は負け惜しみと思ってください」
「それこそ嫌味だな」
そもそも、僕に持久力があるわけではなく、巽が直射日光に弱いというだけの話なのだ。そこはロシア人の血の影響か、もしくは単に十歳まで文字通り北国で過ごしていたせいなのだろう。
その部分で勝ちを得ても、僕としてはあまり勝ったという気はしない。もとからある優位さで勝ちたいのではない。
僕の勝手な対抗意識は気にも留めず、巽は巽として過ごしているので僕としては空回りもいいところだ。かといって巽の方が大人びているというわけでもなく、一旦勝負の土俵に上げれば負けず嫌いはお互い様だったりする。
先週一週間、課題そっちのけで白黒はっきりさせるまで勝負を続けたのがその証拠である。結局、勝負が付くことはなかったけれど。金曜日の夕方に司の仕切りで痛み分けとなった。
「そういえば巽、お前もまだ部活動入ってないだろ。僕もそうだけどいい加減決めないとな」
「そういえばそうでしたね」
「不思議なんだけど、何でどこにも入ってないんだ?言いたかないが巽なら引く手数多だろ」
巽は顎を上げて困ったような顔をする。
「うーん、そうなんですけどね。確かにお声掛けはいただけているのですが、いまいち興味を惹かれるものがなくて。私より、櫂季はどうなのですか」
「僕もあまりしっくりくるものがないな」
しかしこの学校では中等部2年目には全員どこかしらの部活に参加しなければならない。
教育と体作りの一環という説明だったけれど。
「義務じゃなきゃよかったのに」
「免除されてる司さんがうらやましいですね」
「あいつは別格だよ」
答えの出ないまま僕らは歩く。
運動の後、生徒は各々温水を浴びた後に食堂に集合する。朝、昼、夕と食事は生徒全員で食べることが義務付けられているので、小数ながらも三学年が顔を突き合せるこの風景にもなれたものだ。
食堂はお代わり自由だけれど、食べ過ぎれば午後の講義に支障が出る。かといって午前に体を動かしたばかりの健全な成長期男子が抑制を利かせられるわけもなく、午後の講義では毎日誰かが居眠りで罰則を受けている。
僕は昨日何とか仕上げた課題を種本先生へ提出し、それなりにお叱りを受けた。個別の指導室でみっちり人の指導者たる立場に着く人間はどのように行動すべきかを説かれた。放課後の自由時間くらいしか提出に行けなかったので、巽も一緒に行くのかと思っていたが、しかし午後の講義が終わった後は巽の姿が見当たらなかった。
「乾、少し時間をもらえるか」
一通りのお叱りを受けた後、僕が個別指導室を去ろうと踵を返したところで、種本先生が僕を引きとめた。
「えっと、何でしょう先生。よもや僕の課題は一文目から誤りがありましたか」
「いや、そんな話じゃない。間違いだというのなら表紙から間違いが含まれるけれど今それはおいておこう」
文章以前の問題だった。
「ではどういったご用件で?」
「それは乾本人からあの方に聞いてくれ」
種本先生が指差す先、個別指導室の出入り口に僕の父親がいた。学校に親、とても嫌な構図であることは言うまでも無い。
種本先生は自分の仕事は終わったとばかりに指導室から父の横を通って出て行った。違うか、種本先生にとっては研究職こそが本業であり、教員としての立場は副次的なものだ。だとしたら先生にとっては今からが仕事の時間といえるだろう。つまり何が言いたいかといえば、それ以上の説明を種本先生から受けることは叶わないということだ。
僕は嫌々ながらも父の傍に寄る。
「学校で親父登場とか本気で格好悪いんだけど」
「我慢しなさい。寮生活の櫂季と平日に会おうと思えばこうするしかないだろう」
「そりゃまあそうだろうけど。それで、わざわざ『スペース』まで足を運んできたのはどういった理由があるのさ?」
僕の言葉に父は眉をひそめる。
「あまり敵性言語の愛称は好ましくないんだがな」
父は俗に言う横文字というやつをあまり好ましく思っていない。研究職として生計を立てている以上、またその内容からも外国語に触れる機会は多分にあるというのに。これも一つの戦争による後遺症というものなのだろうか。
僕がさして反省もしていない様子なのを見て取って、父は一つため息をついた。
「まあいい、とりあえず座りなさい。話を始める前にまだ人が揃っていない」
「ん?僕に用事があったんじゃないの?」
「櫂季に用事があるのは間違いないが、櫂季だけではないんだよ──入ってきなさい」
父が扉の向こうに声をかける。
「失礼します」
会釈をしつつ扉から入ってきたのは巽だった。
「座って」
父が僕の横を指差し、巽が指示通りに腰を落とす。何だろう、一体これから何を始めようというのか。
以前状況がつかめずに困惑する僕。巽の方を見るが、巽も巽でよくわからない複雑な表情をしていた。
「巽、これどういう状況だよ」
「わかりかねます。種本先生に課題を提出しに来たら櫂季の父君に呼ばれたので。話は二人揃ったらとおっしゃっているので伺っておりませんし」
情報なし。小言や叱責ならすぐにでも逃げ出したいのだけれど。
僕と巽が耳打ちしている間に父は扉を閉め、錠を落とした。そして家ではめったに目にすることの無い真剣な面持ちで切り出した。
「櫂季、それに巽君──二人は動物は好きか?」
「・・・・・・・・・は?」
まるで親戚のおじさんが精一杯身内の子供に話しかけようとするようなそんな話題に、僕と巽は揃えて間の抜けた声を出した。
「まあ櫂季が別に動物嫌いではないということは当然知っているのだが、どうだろう、巽君は動物が苦手か?」
「いえ、苦手ではありません。動物の種類にもよりますが好きか嫌いかで申し上げるのならば、私は動物好きに含まれるでしょう」
「種類ね。『犬』とかはどうだ?」
「犬ならば好きだと即答できます」
「よかった、これで決まりだな」
父は満足いったように長椅子に腰を深く落とした。
いやいや待て待て、僕達はまだ何も納得していない。見ろ、巽が初めて見るようなぽかんとした顔だ。
「父さん、とりあえず説明して。この質問は何さ」
「簡単に言うとだな。櫂季と巽君には犬の世話をしてもらいたいんだ」
「うちでペットを飼うってこと?」
いや、だとしたら巽が含まれるのはおかしいか。
父は首を横に振る。
「そうじゃなくて、宇宙局の犬を飼育してもらいたいんだ。一人につき一頭ずつ」
父の言葉に先に声をあげたのは巽だった。
「櫂季のお父さん、それにはどういった意味があるのでしょうか」
「宇宙局のお偉方からの命令でな。宇宙局の中で今後の研究に必要な犬を二十頭ばかし集めたのだが、如何せん職員の数が足りていない。ただ育てるだけでなく躾や訓練を行わなければならないから、経験のある大人でも一人に付き三頭が限界なんだ。何とか十八頭までは担当が決まったから、櫂季と巽君には残りの二頭の世話をしてもらいたい」
「人が足りていないって言っても、外から臨時を雇ったりもできるんじゃないの?自分で言うのもなんだけれど、わざわざ巽や僕のような子供二人に任せるなんて」
「いや、分担を決める前から一頭くらいは高次防衛教育学校の生徒に預けるという案は出ていた。念のため程度の記録の予定だったのだけれどな。それもあって、二頭の配分が余ったのならと二人に預けることにしたんだ。息子である櫂季と学年一位の巽君なら、いろいろと融通が利くからな」
さも名案のように言うが。
「その言い方だとさ、これ、お願いじゃなくてただの任命で来たんだよね。父さんは」
「気付いたか」
「そりゃわかるさ」
「まあそういうことだ。既に寮の監督と教員には話を通してある。二人にしてもらうのは世話というよりは躾と訓練の部分だから、基本は放課後の時間を割いてもらうことになるか」
僕は卒倒しそうになるのを必死で押しとどめた。放課後の時間を持っていかれるのは厳しい。こんな学校だ、自由といえる時間は放課後の自由時間くらいなのだ。
しかし横目で見た巽の顔は何故か気色ばんでいた。
「事後承諾の形になって申し訳ないが如何せん急遽決まったことだ。一年間の辛抱だと思って我慢してもらいたい」
「一年間?犬の面倒を見るのは一年間だけなのですか?」
巽の問いに父は首肯する。
「一年だけだ。一年後には研究がそれなりの形で成果を出す予定だからな。それ以上は必要ない」
気のせいだろうか。成果を出す、そう言った父の顔は憂いを帯びているように見えた。しかし一瞬の後には父の顔は朗らかなものになっていたので、僕はそれをただの錯覚だと判断した。
父は懐から二枚の許可証を出した。一枚には僕の顔写真が、もう一枚には巽の顔写真が張ってある。
一応確認。
「これは?」
「宇宙局の立ち入り許可証だ。今二人が持っているのは高次防衛教育学校の敷地に限定されたものだが、この許可証があれば宇宙局の大半の施設に入ることができる。犬の訓練は基本的に宇宙局の研究棟の敷地中で行ってもらうことになるから、そのためにはこれが必要だ」
これだけ用意がされているのだ。こちらがどんな思いであっても断るという選択肢は基よりなかったようだ。もっとも、宇宙局が『スペース』の上位機関である以上、それはある意味当然のことなのだろう。
「受け取ってくれ」
二枚を僕と巽に向けて差し出す。
「わかったよ」
「光栄です」
不承不承受け取った僕。恭しく受け取った巽。
「巽、お前やる気がありすぎじゃないか。おかしいぞこんな面倒事。僕の父親だからって遠慮することないんだぞ。そりゃ断るのは無理にしてもいくらか不満は示しておかないと」
「いえ、不満なんてありませんよ。むしろ櫂季の態度こそおかしいと申し上げさせていただきます。宇宙局の研究に末端ながら関わることができるのですよ。これを喜ばずして何を喜びましょうか」
「根っからの優等生なんだな巽は」
つまりは意識の有無なのだろうか。組織として宇宙局(の中の教育機関)に属しているという意識。それは有能な人員であるという自意識にも似た認識ということだろう。巽にはそれがあり、僕にはそれがない?
もっとも、父が宇宙局で働いているという理由である意味お情けに近い形で入学させて貰っている僕に、そんな意識を持てという方が土台無理な話だ。
自ら勝ち取ったものと自ずと与えられたもの。この場合幸福なのはどちらか。
「話は以上だ。訓練は明日から始めるが、今日はこれから二人にそれぞれ飼育する犬を見せる。その上で、最初の仕事をやってもらう」
父は立ち上がり、僕と巽に着いてくるよう手招きする。父が指導室から出る前に僕は訊く。
「訓練は明日からなんでしょ。仕事って何なの?」
父は顔だけこちらに向けて応える。
「そりゃもちろん、顔合わせだ」
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