鈍い鉛色の円錐

無秋

第1話 僕と友達

空を見たときに何を思うか。

 訊かれてすぐに答えられる人はそうはいないだろう。天気によって違う、温度によっても違う。時間帯だって大切な要因だ。真昼と黄昏ではまったく違う。深夜となれば尚更である。

 空を見たときに雲に焦点を合わせる者もいれば、そこを飛び交う鳥や虫を見る者だっている。

 空を見るということは上を向くということで。上を向くということは足元から目を離すということだ。そのことに胸躍らせる人もいれば、足場を見失い心細くなる人もいる。

 もちろん、この問いに大きな意味はない。空を見たときに何を思おうと個々人の勝手だし、どう答えようと人それぞれなのだから。

 たとえば、

 慧眼と知性を持った彼女なら花火の残滓を思うかもしれない。

 自尊心と意思を持った彼なら更なる高みを思うかもしれない。

 甘さと強さを持つあの人なら持ち得ない誰かを思うかもしれない。

 実際のところどうかはわからないけれど。仮に的を射ていたとしても、数日後に同じ問いを投げかけて、同じ答えが返ってくるとも限らない。

 つまりそれは人が常に変化し続けているということだ。

 彼女も彼もあの人も、一生一貫して生きていくことなど無理なことだ。

 それこそ空を漂う雲のように、形を変え厚みを変えその上で生きていく。

 空を見たときに何を思うか。

 しかし僕の答えは決まっている。

 鈍い鉛色の円錐。

 この僕、乾櫂季いぬいかいきはいつだってそう答える。



 これは出発前の記録である。個人的にはここまでの記録が必要かどうかはとても判断に迷ったのだけれど、しかし命令側と僕とでは明確な上下関係がある以上、これはやらなければならないこととして数えられているのだろう。流石に何度も断ることはできなかった。

 主観の記録であり客観的事実とはまた異なることをここに宣言しておく。後に関係者の目に触れた場合(その可能性は大いにある)、事実と異なるという謗りは記録者たる僕にではなく実験の主導側に申し伝えてもらいたい。

 なぜこれを記録するのかという問いに命令者側は「当時の事象を明確にしておくため」と言った。これを明確にしておく意味と意義はそれなりにわかるのだが、記録者は僕ではない方がいいという主張は退けられた。当時のことについてまとめるのならば十分に適任者がいるはずなのに。それこそあいつにやらせればいいのではないかと思うのだが。もっとも、当時のもう一つの側面は僕にしか書けないのだから、こんなのは唯単に駄々をこねているだけだ。

 ともあれ、任命された以上はこれも僕の仕事である。出発前の数時間、人生最後の記録になるかもしれないのだから、この機会はともすれば命令者からの心遣いととれなくもないだろう。

 しかし記録をどこから始めればよいものか。

まあいい、思い出したことから綴っていこう。



 目覚まし時計がやかましく鳴っている。

 ぼやける目で確認すると、時刻は七時半を過ぎていた。いつも起床している時間よりも一時間半も遅れている。これでは食堂に行っても朝食は出てこない。なぜこんな時間に目覚まし時計をセットしたのか。

 と、飛び起きたあたりで、今いるのが学校の寮ではなく実家の自室であることを思い出した。

 今日は日曜日、よって学校は休み。そういえば週末に家に戻っていたのだった。

「おはよう」

 誰に言うとなく口にする。いつもなら同室の寮生から返事のある言葉。

 僕の在籍する学校は初等部から中等部に上がると自動的に寮生活に組み込まれる。生徒の私生活含めて教育していくという方針なのか、起床から終身まで逐次管理されており、今年中等部に進学した僕も例に漏れず寮生活を強いられることとなった。とはいっても、義務教育の最中である児童を保護者の下から完全に隔離させるのも精神衛生上、また情操教育上良くないだろうといくことで、現在の僕のように土日の一時帰宅は認められている。

 自宅に戻って何をするというわけでもないけれど、土日に寮に残っていると共生的にトイレ掃除をさせられるので、皆一様に帰宅するのが当たり前となっていた。

 僕の場合、自宅が学校のすぐ傍にあるので帰宅しても何一つ環境は変わらない。郊外を自由に行動できるのが違いといえば違いだけれど。

「かと言ってこの島にいたらそれもなぁ」

 窓の外、海岸線を眺めながらつぶやく。

 周囲百キロメートルにも満たない島。九州の南西に位置するこの片田舎では、寮にいてもそれ以外の場所でもたいした違いはない。

 何せ人口数が少ないため、何をしたところでいちいち目に付く。学校の名前を一応は背負って生活している以上、羽目を外しすぎてもいいことはない。

 そんなこんなで、昭和三十一年の十月、十二歳の僕は思春期の有り余る活力を惰眠へと変換し直すことに決めた。

「おやすみなさい」

「起きなさい」

 閉じた瞼を開くと父がいた。

「父さん、僕の部屋に入るなら合図くらいしてよ」

「櫂季、そうして欲しいならまずはドアを閉めて寝ることだ」

 呆れ顔の父は正装をしている。

「今日も仕事?」

「ああ、本島からお偉いさんが視察に来るそうでな、その対応で行ってくる」

「視察・・・こんな時期に?」

「気象庁が設立したことと関係してると思うんだが、よくわからん」

「ふうん、そりゃ大変だ」

「朝食は用意してないけどいいか?」

「いいよ。適当に食べとく」

 昨日食べた夕飯の残りが冷蔵庫にあったはずだ。覚醒しきっていない頭で朝食を考える。

「それじゃ行ってくるが、櫂季、休みだからってだらしない生活態度は関心しないぞ」

「だらしなくいられるのは休みだけなんだ、大目に見てよ」

 やかましいと言わんばかりに手を振ると、肩をすくめて父は部屋を出た。しかし何か思い出したように、父は一歩僕の部屋から出た後で振り向いた。

「そう言えば、種本から聞いたんだが、お前、部活動にまだ所属してないのか。いやそれよりも、課題の提出遅れているらしいな」

「うっ・・・。」

 後ろめたいことを正面から糾弾されて言葉が出なかった。

 種本先生、いくら直属の上司だからってそんな情報を父に与えなくても。

「あまり口やかましく言うつもりはないが、果たすべき義務はちゃんと果たすのが一人前の男というものだぞ」

「・・・はい」

 父はそれ以上言うことなく、ただ僕の返事に頷いて部屋を出て行った。少し間を空けて玄関の開く音。

 一人前、ねぇ。

「十二歳の子供に言う台詞かよ」

 起こしていた体を再度布団に預ける。

 子ども扱いされれば怒る癖に、身に余る要求をされればそれもそれで不服に感じる。つまるところ、僕は典型的な思春期という奴なのだろう。

「考察終了」

 結局のところ僕が学校の課題を期日通りに提出していないというそれだけのことなのだ。

 放っておけば減点程度で勘弁してくれるかとも思っていたのだけれど、そう甘くはないらしい。種本先生がと言うよりはこれは学校の体制そのものがということなのだろう。

 厳格にして厳粛。学校の性質を考えればさもありなんといった感じではあるが。

 しかし今から手を付けたのでは指定されている提出の二次期限である月曜日には間に合わない。いや、猶予をもらえただけでも御の字なのに、それにかこつけて昨日一日だらけていた僕が悪いのだけれど。

 間に合わなければどうなるのだろう。

 退学?

「まさかな」

 しかしそれなりの処罰は下るだろうし、それに併せて父からのお叱りも受けることになると考えると、あまり気分のいいものではない。というか普通に嫌だ。

 男手一つということもあって僕に気兼ねしているのか、父はあまり僕のことを叱ったりはしないけれど、それでも間違いを犯しているのなら当然起こるだろう。

 だったらちゃんと課題をこなせという話になるのだけれど。

「うーん、面倒だ」

 とりあえず対策は後回しにしてまずは朝食を食べよう。頭に血が回らなければ思いつくものも思いつかないだろうし。

 十月に入って若干の冷気を帯び始めた板張りの廊下を歩き、台所へと向かう。

 父はそれなりに稼ぎのいい人物なので、我が家にはテレビに冷蔵庫に洗濯機と世間で言うところの三種の神器が既に揃っている。この年でどうこう言えることではないけれど、五十年代に入ってからの日本の成長はすごい、らいし。戦後約十年である程度の復興は果たし、現在は経済成長率も急勾配で上昇している。八年後に東京でオリンピックを開くという話も本当か嘘かは定かではないが耳にした。

「いい時代に産んでくれたもんだ」

 それだけは母親に感謝してもいいだろう。それ以外は御免こうむるけれど。

 もはや戦後ではない、とは誰が記した言葉だったか。

 数年前までは木枠だった冷蔵庫は鉄製の扉に変わっている。僕はこのガチャリとした扉を開く感覚が結構好きだ。

 冷やされていた煮物を火にかけ暖め、自動式電気釜に残っていたご飯を適当によそう。ちゃぶ台の上に並べて、冷蔵庫の中で冷やしていたお茶も出す。便利は便利だけれど、しかし寒くなり始めた今は暖かいお茶でもよかったかもしれない。

「いただきます」

 手を合わせてまずはお茶を飲む。思った以上に冷たい。

 お茶と言わずともお湯がそのままの温度で保てるような入れ物があればいいのに。冷蔵庫の逆を行く発想。あれ?これ案外売れる発想じゃないのか。

 などど、益体もないことを考えつつ完食。

「ごちそうさま」

 流しで自分の使った分と父の残していった食器を洗う。四十代を目前にした父にはあまり生活力というものが備わっていないようで、そこら辺は僕が補うことにしている。学校近くの家まで毎週帰宅するのはそれが理由だったりもするのだ。

 父は今の日本に数多いる青春を戦地で過ごした世代の一人だ。数多いるというのが不幸なことなのか幸運なことなのかは僕には理解しかねるものだけれど、きっと、その人たちは多くをそこに残してきたのだろう。もしくは、自分というものの多くをそこで決めてしまったのだ。

 と、重みを持たせて表現したところで、結局のところ父には生活力が乏しく、僕にはそれがあるというだけのことである。料理だってそれなりにできる。

 これは母に感謝できないことだ。

 冷気を増してきた水道の蛇口を閉め、布巾で手を拭って一息つく。

 とりあえず腹は膨れた。やることをすませると、僕は当面の問題に向き合わなければならない。

 課題をどうするか。

「うーん・・・・・・。」

 悩む振りだけしてみるが、とっくに答えは出ていた。

 行動を起こすには時間が早かったので、答えを出した後も二時間ほどは自分の部屋で本を読んで過ごす。

 小説が一区切りを付いたところで時間を見ると九時五十分、頃合だろうと判断。適当に身支度を整えて、学校の課題をなめし皮の鞄に詰める。玄関の鏡で変な所が無いか一度確認をし、僕は家を出た。

 晴天だった昨日を更に上回る程の快晴で、太陽が目に痛いくらいだ。室内に篭りがちな僕としてはこの太陽光だけで辟易する。しかし家から歩き出さなければこの鞄に収めた課題は解決することはないと自分を奮起し、砂利道を歩き始めた。

 といってもたいした距離じゃない。というか隣だ。門から門までで五十メートルもないだろう。日差しの重さを感じつつ僕は見知った家の門を叩く。

 少し間を置いて、玄関から女性が出てきた。

「おばさん、おはようございます」

「あら、櫂季君どうも。つかさに用かしら」

「はい、実は勉強を教えてもらおうと思いまして」

「それは関心ね。うちの子だったらいくらでも使って頂戴。自分の部屋にいるだろうから、さあ上がって」

「失礼します」

 玄関で靴を脱ぐときに、端に寄せられた男物のスニーカーを発見した。

 司の父親が革靴以外を履いているところを見たことが無いけれど、これは。それに靴の大きさも成人男性のそれではないような。

 自分で脱いだ靴を揃えて司の部屋に歩きだそうとしたとき、前を歩く司の母親がぼそりと、

「うちの子ったら、櫂季君にも頼られているようで嬉しいわ」

 と言った。

 ふむん。嫌な予感がしてきた。

 司の母親は司の部屋を叩いて合図する。

「司、櫂季君が来たわよ」

 中から抑揚の少ない声で、

「うん、入れていいよ」

 と返事があった。

 それじゃ、と司の母親は引き戸を開ける前に奥の部屋へと消えて行った。

「おはよう司」

 そう言いつつ司の部屋に入る。

「おはよう櫂季」

 答える司は窓辺で壁に背を預け、厚さ十センチはある本を読んでいた。

 真南司まなみつかさ、十四歳。十二月生まれの中等部三学年。

 性別は女。

 僕が司について言えることはこのくらい。それはつまり司のことはよくわからんということだ。

「司が今読んでるそりゃ何だ?」

 初等部から父親の仕事上、家族ぐるみでの付き合いがあったので僕は二歳年上の司に対しても対等に接している。司もそれを諌めることはない。彼女にとってはそういったアレコレはどうでもいいのだろう。

 訊かれた司は本の背表紙をついと僕に向ける。そこに書いてあるのは日本語ではなかったので、僕は反応に困る。他国語の成績は酷く低いのだ。

 反応が芳しくないのを見て取って(実際は本に目を向けたままだったけれど)司は、

「ギネスブック・オブ・レコーズ」

 と言った。

「ぎね・・・何だって?」

「ギネスブック・オブ・レコーズですよ。物事の世界一を収集している書籍」

 応えたのは司ではなく、部屋の真ん中にある机で書き物をしていた奴だった。

「ご回答どうも、たつみ

「私への挨拶が遅いのでは、櫂季」

 いるのを認めたくなかったから無視してたんだよ。

 玄関で靴を見たときから薄々気づいてはいたけれど、やはり巽も来ていたか。

 たつみ・グラフ、十二歳。二月生まれの同級生。

 ロシア人の父親と日本人の母親を持つ混血男児。しかし日本人の血が色濃く出ているのか、僕とさして身長は変わらない。日本での生活は四年目。

 乾櫂季との反り悪し。

「それで、櫂季は何の用なのでしょう?」

「何で巽にそれを訊かれなきゃいけないんだよ」

「どうせ課題のことで司さんの助けを請いに来たのでしょう」

 見透かしたような物言いで巽は僕を指摘する。こういうところが嫌いだ。

 母親の影響なのか、日本語は流暢にしゃべれるけれど馬鹿丁寧で、僕としては自分より成績が優秀な同級生にそのような物言いをされると馬鹿にされるように感じてしまう。

わかってる、これは僕の身勝手な僻みだ。けれど自然と言葉は刺々しくなってしまう。

「間違っちゃいないけどさ」

「大丈夫だよー、巽も櫂季と同じ用事で来たから」

 本に目を向けたままで司は器用に僕と巽を交互に指差す。

「似たもの同士なので、喧嘩しないようにねー」

 言われてお互い嫌そうな顔を向け合った。ただ実際、司に怒られるのはあまり喜ばしいことではないので、喧々とした雰囲気だけは消し去るようにした。

 怖いんだよ。普段おとなしい人が怒ると。

「それで、巽はもう課題を終えたのか」

「あと少しというところ。櫂季はその様子だと手も付けていないのでしょうね。多分明日提出しないと本気でまずいことになりますよ」

 言われずともわかっている。だからここに来たのだ。

「まあ丁度良いや。終わりかけだと言うのなら完成したら巽のを写させてくれよ」

「それは承諾しかねます」

「言ってみただけだよ」

 なめし皮の鞄から課題を取り出し、巽と向かい合う形で机の上に広げる。司の呼んでいるギネス何とかをすっと取り上げて、

「司、課題教えて」

 とお願いした。

「無理だよ」

 司はそう言って笑いながら僕の手から本を奪い返す。

「無理ってことはないだろ。どうせ司は二年前にやった内容なんだから」

「そうではありませんよ、櫂季」

「え?」

「あなた課題も読んでいないのですか。今回の課題は、ワトキンス報告書に関する検討文です」

「ワトキンス報告書──。」

 海外や日本の首都圏でも一部では道が黒い板でできているという話を聞いたのはいつだったか。二ヶ月前に外国人が日本の道路を最悪だと罵る報告書を書いたらしい。そういえば学校で先生がそれについて講釈を垂れていたようにも思う。その報告書を読み解いて日本の道路に関して改善点とその手法を記述するのが今回の課題とのこと。

「ってことは」

「二年前にはこの課題は出ておりませんし、何より自己見解を述べる報告書なので、私のを写したとしても意味がありません。櫂季と私がまとめて処罰をいただくだけでしょう」

 呆れたと言わんばかりに巽は肩を竦めて首を振る。こういう過剰な反応も巽の嫌な部分だ。

 課題を確認もせずに司に頼ろうとしたことがばれてしまった。これはばつが悪い。こんなことなら家で少しはやってみるべきだったか、とそこまで考えて気づく。

「巽がここにいるってことは、巽も僕と同じで・・・。」

「うん。巽も櫂季と同様、何も確認せずにうちに来たんだよ。あっはは、阿呆だねー二人は」

 読みながらも会話は耳に入っているらしく、司は巽にとってはまったくありがたくない説明をする。

「むしろ櫂季より酷かったくらい。課題の紙も持ってこずに二年前のこの時期に出された課題を確認しに来たから。で、一回自宅に帰って持ってきたところ。櫂季が来る数分前にね。課題終了まであと少しって言ったのも見栄。よくないよ、そういうの、よくないなー」

「ちょっと、司さん」

 巽は心底恥ずかしそうに机に突っ伏した。

「二人の現状がはっきりしたところで、はいこれ」

 司は手書きの記録紙を僕と巽の間に置いた。

「ワトキンス報告書の要約文。ちょうど先月読んで趣味としてまとめてみたの。多分課題の用紙を読むよりも早く内容理解できると思うけど」

 そう言って司はすぐにまたギネス何とかに目を戻す。

 課題として配られた用紙は二十枚ほどあり、一方司のそれは二枚。どちらを手に取るかは考えるまでもない。

「ありがとう司」

「ご配慮痛み入ります司さん」

 同時に手を伸ばすが残念なことに司の要約文は一組しかない。

 一枚目に手を伸ばした巽をやんわりと押しのけて取ろうとする。すると巽も反対の手で僕の方をゆっくりとしかし万力を込めて押しのける。

 小競り合い開始。

「おいおいおい、これは今、司が僕に渡してくれたものだぞ」

「いやいや櫂季。これは司さんが私に貸してくださったものです」

「巽は終わりかけって言っていたんだから別にいらないだろ。自分で言ったよな、あと少しって」

「大雑把な櫂季にはわからないでしょうが、自分の理解が正しいかどうかを検討するためにも司さんのような優秀な方の要約文というものは一度目を通しておく必要があると思いまして」

「素直に司の要約文使いたいって言えよ」

「言えば櫂季は先を譲ってくれるのでしょうか」

「絶対嫌だ」

 もはや要約文に手を伸ばす振りはやめてお互い相手の手を捕まえて組み合う体制。ひざ立ちで臨戦態勢である。

「そもそも巽のせいで課題の提出遅れてるんだからここは譲れよ」

「記憶違いですかね。櫂季のせいで遅れているはずですけれど。そもそもと言うのなら櫂季が勝負を仕掛けてきたのが原因では?」

「先週の放課後が潰れたのは巽が負けを認めないからだろうが。僕は一日で終わらせるつもりだったのに」

「最初に三本勝負と言っておきながら、櫂季が一本取ったくらいで勝ちの名乗りをあげるからおかしなことになるのですよ」

「最終的に僕が二本取っただろう」

「いいえ、二本目は私の勝ち。三本目は分けでした。むしろどちらかと言うと三本目は私優勢です」

「何基準だよ」

「国際基準です」

 お互いの手にこもる力が最大値に近づいたあたりで、

「うーんと、喧嘩になるなら燃やそうか」

 と、司は呟いた。

 見ると、司は本から目を離して僕と巽を見据えていた。

「燃やそうかって・・・・・・。」

 どっちだ。要約文か、それとも僕達をか。

 見ると巽はあまりの緊張に脂汗をかいている。きっと僕も一緒だろう。

 巽と目を合わせ、言葉を出さずに意思統一をして同時に言った。

「ごめんなさい、仲良くします」

「申し訳ありません、仲良くします」

 それを受けて司は満足そうに、

「いいよー。仲良くねん」

 と言って本に目を戻した。

 巽と僕は目を合わせ、どちらからともなく、

「やろうか」

 と合意して要約文を読み始めた。僕たち三人の力関係はこんなもので、そして三年前からそれは続いている。

互いに肩を寄せ合いながらで心底苦笑いだったが、その後日暮れまでに課題は終了した。

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