僕たちのエンドロール ③

「急に路線変えた?」

 8歳の息子が僕が書いた話を読み終えた後言った。

 高架線の近くのアパートに住んでいるために、電車が通るたびに大きな音がする。その音と声が重なるのが嫌で、少し黙り込んでしまう。あまりよくない環境ではあるが、僕の安月給ではこれが精いっぱいだった。

 共働きだが妻との休日が合わず、今日は僕が家にいる日だった。

「どうしてそう思う?」

 静粛がきて、ようやく僕は口を開いた。また少し息子の背が伸びたように思える。瞬きをする間にも、大きくなっていく。

「急に派手な戦闘シーンとか出てきたしさ。なんか心境の変化とかあった?」

「いやまあうん。そうでもないんだけどさ」

 年齢にしては冷静で大人びているのでもしかしたら、転生者かもしれないと思い、過去のことを自作小説と偽って読んでもらってみたのだった。だが今のところその様子はなさそうだ。

「ふーん。で最近マンネリ化で面白くないから、続きはいいかな」

 そんなことを言われて僕は少し傷つく。別に僕が考えた話でもないからよかったのだが。息子は立ち上がり、喉が渇いたと言って冷蔵庫に麦茶を取りに行った。僕は去年職場でうっかり圧搾機に手を挟んだことにより、欠けてしまった薬指のあった場所の付け根を撫でた。

「そういえば」と息子振り返った。「今日の晩ごはんはなに?」

「チンジャオロース」

「好きだね小さな中華料理屋にありそうな中華。前はホイコーロー。その前はムーシーロー。エビチリ、ラーメン、ハッポウサイ」

「生意気な……」

 と、そこで電話がかかってくる。上司からトラブルがあったので、出休日出勤してほしいというものだった。「ちょっと……厳しいですね」と答えたけれども、「無理じゃなく厳しいってことは、無理すればいけるってことか?」と押し切られてしまった。ため息をついて、息子に謝る。

「僕より謝らなくちゃいけない人がいるでしょ」

 とか彼は大人びたことを言ったが、少し考えたところ一番謝らなくてはならないのはやっぱり息子だった。ただ、しっかりしてはいるが、病気を患いがちで、少し前に大熱を出したところなのまだ一人にするのは心配だった。

 義母に息子を預かってもらえないか連絡をする。

「んん……昨日や明日なら大丈夫だったんだけど、やっぱり今日はちょっと……」

「はい、そうですか。突然申し訳ありませんでした」

「いえいいのよ。ただねえ私たちもねえ、結構な歳だから、いつでも託児所みたいな期待されるとちょっと困るっていうか。だったらもうちょっと休日をいい感じの日に取れる職場に変えたほうが……」

「はい、おっしゃる通りです。申し訳ありません」

 ここは『結構な歳だから』の部分を否定するべきだったかと悩んだが結局そのまま話を終えて通話を切った。

 しかしどうしようか。

 この世は僕にとって止まり木のようなものだと思っていた。だから誰かに愛される必要もないし、誰も愛する必要もない。ただ死ぬためのたったの数十年だ。だから本気で勉強などせずに、生きていけるほどほどの職場についたことがいまさらになって僕の首を絞めてきている気がした。何かの間違えで結婚することになって、子供を育てることになった。600年生きてきたといっても、そのほとんどが成長を阻害されて生きていた。そんな僕が誰かを育てるなんて、できるはずがなかったのかもしれない。

「別に一人でも大丈夫だけど」と息子は言う。

「そういうわけにはいかない」と僕は無理していった。

 息子はいつもニュースを悲しそうな目で見ている。ただそれでも目をそらさずに、しっかりと画面を見つめていることが多かった。軽口は言うが、目が笑っておらず笑顔が下手だ。そのあたりは僕に似てしまったのかもしれない。

 本当に人は人を育てることができるほど愛することができるのだろうか。ニュースで虐待が報じられるたびに、憤りを感じつつも、何かの間違いで僕もするほうに回るかもしれないと恐怖に包まれる。強く力を籠めたら折れそうな首を見るたびに、こんな小さなものを折っただけで人は死んでしまうという事実に驚く。何もかもを投げ出して、ほかの地へ逃げ出したくもなる。

 歯を食いしばることが多くなった。手を強く握ることが多くなった。

 時折そのことに気が付いて、そしてまたずっと同じことを続けるという事実に虚脱感を覚える。つかの間の休息は、海から頭を出しただけにすぎなくて、また深海へ潜らなければならない。


「ねえ、お父さん」


 少年の声が聞こえた。耳鳴りが晴れ、現実に戻ってきたような感覚がした。

 

 たれ目がちちで柔らかい瞳。少し硬い髪は義父の遺伝子の影響だろうか。

 ああ、そうだ。この子は僕の息子だ。

 この小さな首を絞めたりなんてすることはなく、逃げ出したりすることなんてない。そのことにようやく気が付き、深呼吸をした。

 この子が生まれたのが間違いだなんてあるはずがない。

 誰か、信用できる人はいないだろうか。やはりここはもう一度会社に連絡して断ろう。そうして会社への連絡をしようとしたところで、息子にとめられる。

「いやだから、一人にするわけには」

 僕はいらだった声を出しそうになり住んでのことで耐える。

芽亜里杏めありあんおねえちゃんにたのむのはどう?」

「……彼女は……そうか、彼女は……」

 一瞬さすがにそれはないと思ったが、別に問題はなかった。数年前から軍全それなりに近い場所に住んでいたから距離も問題はない。妻への言い訳を考えなくてはいけないこと以外は。

 百年近く一緒にいたのだから、信用はしている。早速連絡を取ることにした。

「ん。まあいいよ。存分に預けてくれたまえ。命一杯可愛がってあげよう」


というわけで、息子を魔女様に預け、職場へ向かった。冗談交じりで、「今日来なかったら、クビにしてたよ。いや冗談だけど。いや本当に冗談だって、そんな権限ないって」と言われた。なんとか夜八時くらいに魔女様の家に向かう。妻にはすでに連絡してあったが、まだ残業が続いているようだった。

 海沿いの家の前で光が躍っている。何かと思って近づいてみると、花火をして遊んでいるようだった。

 影は二つ。8歳くらいの男の子は僕の息子だ。あと一人は12歳くらいの女の子だった。

「楽しく遊んでいるよ」と魔女様はこちらに気が付き、手を振った。息子も駆け寄ってくる。

「それで、人を殺したくなったから来たのか?」

 息子がそれを聞いて、奥の書いた小説のネタだと思ったのか、強く笑った。そのまままた浜辺に近づいていく。

「ある意味そうかもしれません」

「それで私を殺してみるか? 私だけは不死だからな」

「大丈夫。大丈夫です」

 浜辺で光をもって踊る息子を見た。足取りは軽やかで、不安定な砂浜でも、優雅に踊って見せていた。対岸の町の光をバックに、花火の光が揺れている。久しぶりに笑っているのを見た気がする。

「きれいだ」

 海がきれいだ。町の光がきれいだ。命がきれいだ。

 僕は大丈夫だ。彼が大人になるまでは、決して逃げだしたりはしない。たとえそれがごまかしだとしても、絶対に数十年間だけは全力でごまかす。

「そうか」魔女様は短く言った。「なんだか、つまらなくなったな」

「そうかもしれません。楽しかったかでいえば、あなたと旅をしているときのほうが楽しかった。命より綺麗なものも向こうでは見ました。でも今が必要なんです」

「そうかい」

 魔女様は髪の束を手で巻いて見せる。

 私も踊るかと言いながら魔女様もまた浜辺にかけていった。

 少年と少女の形をした者が、遊んでいた。

 僕は花火を人に向けないよう注意した後、黙ってそれを見つめていた。

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