第5話 ―魔女と雨の魔性―

 もっと早く来たかった、とその子供は言った。

 住んでいた場所はひどい山奥で、街灯もなければ人の行き来もない。雨の日は地下倉に閉じ込められ、の薄まる晴れや曇りの日はへとへとになるまで働かされる。終われば夜中で、ろくな食事も当たらない中ではそれから抜け出す元気などなく、倒れるように眠ってしまう。

 だから今日までかかってしまったと。

 今日は晴れなのに力が弱まらず、姉の一人に怪我をさせてしまい親が激怒。散弾銃ショットガンで撃たれ、それから記憶がない、という話だった。

 骨と皮ばかりに痩せたうえにボロ雑巾よりも汚い。服に染みた黒い汚れが撃たれた血なのか、汗染みや脂汚れなのか泥なのかすら判然としない。それでいて突き刺すような力の放射がある。

 間違いなく『魔性』だった。雨の支配下でその力を発揮するタイプ。それが成長とストレスに伴い、雨以外の日にも力を漏らし始めている。

 人の多い街中へ彷徨さまよい出て被害を拡大させず、自分の力を抑える魔法を求めて魔女わたしを探したのはなかなか感心なことだ。魔女の話は森と街を行き来する鳥たちから聞いていたらしい。

 人間になりたい、と子供は言った。

 あまりにも素朴な願いに私は苦笑した。

「確かに、魔法でも使わない限り無理だろうね。このままだとお前はどんどん周りの者どもを薙ぎ倒してしまうだろうから」

 子供は頷いた。子供。いや、子供なのかな。長く生きすぎて大概の人間が幼い子供に思えてくる時期がある。今がそうなのではないだろうか。この子供は私よりも背が高い。

「願いを叶える代償に、必ず何かを失わなきゃならない。それでも、どうしても人間になりたいか?」

 肯定が返ってきた。

「理由は」

 煙草をふかして、唇の隙間から煙を子供に吹きつけた。白い煙は紫に。消え際、星のように細かくきらめいて消えていく。子供はそれを、驚いたように見ていた。魔法を初めて見るのだろう。別にアトラクションを見せたわけじゃなく、子供があまりに汚れ過ぎていて臭いから、匂いだけ無効化する魔法を掛けたのだった。

 屋根に雨粒が打ち付ける音が始まっていた。その夜は大雨の予報で、この子供は雨の魔性で、だからこれは、としりし魔女の私にとってもそこそこハイリスクなお話会だ。私は理論上長命だがそれにはある種のメンテが必要で、その時私はろくにメンテをしていなかった。長く生き過ぎたと思っていた。

 それなのに、いざ巨大な魔性を目の前にすると、命を千切られるのが少し怖い。お笑い草、魔女の名折れだ。まったく、話にならない不出来な魔女。

 そんな魔女の所に駆け込んだこの子供も、たいがい不運の方なんだろう。

 私は内心を見せずに言葉を続ける。

「いいか、世間知らずの雨の坊や。あらゆる魔法は代償を必要とするんだ。私に何を差し出せるのかって、そう訊いてるんだよ。究極、私に命を差し出せるのか?」

 その時の目つきを、表情を、今も思い出せる。

 熱にさいなまれてみ疲れたように、答えたその言葉も。

「いつか必ず死ぬんだから、構わない。ただ、生きている間、人間でいたい。人間になりたいのは、家を出た姉にもう一度会いたいから。傷つけずに会いたいから」

 魔女は、自分の命を代償にしても願いのために魔法を求める人間の感情の、独特に重く粘ついた暑苦しさに慣れなければならない。共感力の弱い者にとって必死にすがり付く人間はひどく無様で醜く下等なものに見える。その嫌悪感や見下しが意識にこびりつき始めたあたりから魔女は魔法倫理のようなものを失い、魔法の適正使用から外れ、やがて闇と欲に喰われて滅びる。

 私は単に、長い間人間の願いを避け続けて暮らしてきたために、雨の子供の言葉が新鮮に突き刺さってしまった。

 それに――雨は、忌まわしい。

 私は遠い昔、雨の朝に殺された子供だ。

 目の前の子供もまた、雨に呪われ、家族にうとまれ撃たれさえしたというのなら。

 私はこの子に、かつての自分が望んだ魔法を与えるべきなのかもしれない。



――愛されないのなら殺してくれたらいいのに、と思っていた。



 私はぱちんと指を鳴らす。手元に新しい紙巻煙草が一本現れる。くわえてもう一度指を鳴らす、火がく。

 深く吸い込んで、煙を吐いた。

 煙は見る間に白から紫へ色を変え、目の前の子供を薄く包み込む。

「望む魔法を掛けてやろう。お前の命が代償だ。私はお前の命を少しずつ使う。私の好きなタイミングで好きな量だけ寿命を前払いさせる、とでも考えておけ。

 そして魔法には副作用が必ずある。お前は、愛した者に愛されなければやがて死ぬ。期限がいつかは分からない」

 それでも魔法を望むか。

 そう聞くと、子供は躊躇なく頷いた。

 諦めない、というのとは違った。他の人間たちもそうだったように、この子供も、そうしなければ生きていけないと信じている。だからそもそも選択すら発生していない。そこまで追い込まれているということ。魔法などという不自然をこいねがうまでに追い詰められているということだ。

「じゃ、一部を除いて力を封じる。全く閉ざせば力の逃げ場がなくなり、内側から破裂するからね。残す力の使い方は、別の魔法使いに習え。そっちは手配してやる」

 だらしなく伸び切った汚いTシャツの首元に、浮き出した鎖骨が見えた。私は煙草を持った手を伸ばし、その鎖骨の下に火を押し付ける。ゆっくりと。火が肉を焼く感触が伝わってきた。

 子供は悲鳴を上げなかった。多分、そう教え込まれている。

「……いいか。愛されなければお前は、路地の煙になって消える。ただし、愛する人を殺せば死をまぬがれ、魔法をかける前の状態に戻る。そのことを決して忘れるな」

 そうして。

 気を失った子供を私は、旧知の魔法使い、石川のところへ放り込んだのだった。


 煙のような儚い時間を、精々楽しむがいい。

 いつか消えるその日まで。




 それきりすっかり忘れていた子供のことを思い出したのは、何年か後の雨の日のことだ。しょうもない裏町の姫を、大事そうに抱えて歩く影のような姿を見た。

 服に隠れていても分かる。鎖骨に小さな紫の星。それは、いずれ私の餌となる者の印。

 戯れに会いに行ってみると子供はすっかり大きくなり、まるで私みたいに煙草を吸い銃で魔法を使い、それなりの猟師ハンターに育っていた。そして私のことを石川にならってねえさんと呼んだ。私たちはお互いの名前を知らなかったから。

 愛されたか、と私は聞いた。

 いいや、と子供は――津々楽つづら如實なおざねは答えた。

 俺は多分、路地の煙になる運命だよと。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る