第3話 壁内実習
◇ ◆ ◇
魔法士学院から壁までは徒歩でおよそ10分ほど。つまりは学院はかなり壁に近いところに位置していることになる。これは不測の事態に備えて、蝕に唯一対抗できる存在である魔法士をすぐに派遣できるようにとの理由であるらしいが、養成機関の魔法士学院に所属している、いわゆる『ひよっこ』の魔法士に何ができるのか、甚だ疑問だ。
とはいえ、この立地は壁内に家族を残してきた俺にとっては好都合であった。隙を見て壁の近くに寄ることができたのだから。
しかし、学院に入ってから幾度も壁の近くをウロウロとしてみたものの、その中に入ることはおろか、中の様子を確かめることすらできなかった。まあ、蝕の危険性から考えれば当然のことだろう。
そして今日、やっとこの壁内実習で俺は壁の中に入ることができるのだ。
クラスごとに分けられて教官に引率された俺たちは、壁のすぐ前にやってきた。黒くそびえる壁は相変わらず威圧感を放っている。数十メートルもの巨大な構造物が見渡す限りずっと左右に続いているのだから、少し離れた学院から眺めているのとはスケールが違う。
「いいか、何度も言うがこの中は『壁内』だ。つまり蝕がいるということだ。いつでも我々が守ってやれるとも限らん。これまで学んできたことを決して忘れず、いざという時は周りの仲間と助け合って切り抜けろ」
俺たち3組担当の厳つい男性教官はそれだけ言うと自分のハンドガン型のデバイスを構える。俺の『雷電』によく似ているが、あちらは少し大振りだ。──というより、俺のデバイスは魔法士の中でもかなり小型の部類に入る。そしてデバイスの大きさはそのままマナの出力にも比例してくるわけで……。
男性教官の仕草に釣られるようにして自分のデバイスを確認し始めた生徒たち。すると突然目の前の黒い壁が轟音を立てて割れ始めた。
「──っ!」
ゴゴゴゴゴッ! と地を揺るがすような大きな音。だが、開いたのは人が数人横に並んで入れる程度の小さな隙間だった。その中から壁内の荒んだ様子がチラッと見える。
俺は思わず息を飲んだ。
「──行くぞ、決してはぐれるなよ?」
男性教官の言葉と共に、俺たち3組は緊迫した空気をたたえながら壁内に入っていった。
「……嘘だろ」
誰かが呆然とつぶやく。無理もない。壁内は一面荒廃した風景が広がっていたのだから。
亀裂の入ったアスファルト。無惨に折られた電柱。荒れ果てた家屋は何か大きなものが屋根に衝突したかのように不自然な壊れ方をしていた。
(ここにも蝕が来たのか……)
ここに住んでいた人たちも、蝕にやられてしまったのだろう。もしくは運良く生き残って壁外へ逃れたか……。そういえばあのリオンとかいうやつはどうした? あいつが壁内の人間だとして、あいつは今どんな顔をしているのだろうか?
ふと周りを見回してみたが、講堂での席位置が近かったせいですぐ近くをちょこちょこと歩いていたはずのリオンの姿が見えなくなっていた。あんな銀髪だから目立つはずなのだが、いかんせん背が低いのでクラスの連中の中に紛れてしまったのだろうか。
まあどうでもいい。今はあんな奴に構っている暇はない。
クラスの連中の最後尾につけていた俺は、教官の目を盗んでこっそり集団から離れ脇道に入った。
3組の連中が実習を終えて壁の外に戻るまでおよそ1時間。それまでは点呼はない。つまり、クラスの中で目立たないように立ち回っていた俺は、1時間以内に目的を達してクラスの奴らと合流すれば良いわけだ。
(で、その『目的』だが……)
家族の行方、そのヒントを探る。それが目的だった。
もちろん、闇雲に歩き回ったところで有力な情報が掴めるとは思っていない。
俺は壁内の生き残った人間たちは例えば頑丈な建物や地下など避難できそうな場所に逃れていると予想していた。──あくまでも「生き残りがいれば」の話なのだが。
「いや、でも死んだという証拠がないということは生きている可能性があるということ……」
ブツブツと呟きながら裏路地を歩き、ひとまずは少し離れたところに見える大きな建物を目指すことにした。ガラス張りの商業施設だったようで、表面を覆っていたであろうガラスはところどころ割られているが、建物の骨組みは健在のようだった。これは希望が持てる。
生き残りがいなかったとしても何かしらの手がかりがあるかもしれない。
「いずれにせよ、急がないとな」
腕時計を確認しながら先を急いだ。1時間というのは意外と短い。往復の時間や不測の事態に備えたマージンを考慮すれば、探索の時間はせいぜい20分といったところか。
とそのとき、俺はなんとも言えない違和感を感じた。背中をゾワっとした悪寒が駆け抜けるような──まさか蝕……いや、そんなはずは……!
──チャキッ
近くで金属が鳴る微かな音がした。同時に何か硬いものが背中に押し付けられる。
「……動くな」
背後からかけられたその声に聞き覚えがあった。──その鈴の鳴るような透き通った声は……。この状況では確かめるすべはない。
「へぇー、あなた、真面目そうに見えて意外と先生の言うことは聞かないタイプ?」
「──里見・ウルスラ・リオン」
絞り出した自分の声は恐ろしく掠れていた。だが、どうやら正解だったようだ。背後で俺の背中にデバイスの銃口を押し付けていた人物がクスッと笑う気配がした。
「正解。──ちなみにあなたの名前は?」
「名乗る必要は無いだろ?」
なんの目的があってリオンがここにいるのか分からないが、彼女に目をつけられてしまったということは、俺の単独行動を教官に告げ口されてしまう可能性もあるということだ。それに、無償で情報を与えるほど俺はリオンを信用している訳ではない。当たり前だ。
「必要あるよ? あなたこれから私と組んで行動するんだから。名乗らないなら適当に『バカ』とか『アホ』とかいう名前で呼ぶけれど、それでも──」
「おいちょっと待て!」
聞き捨てならないことを聞いてしまった気がする。気のせいでなければ、こいつは俺と『組んで行動する』みたいなことを言わなかったか?
「聞き間違いかもしれないが、俺はお前何かと組──」
「組むの。いい? 拒否権はないから」
「なんで……」
「なんでも。ほら、時間ないんじゃないの?」
リオンは少しイライラしたようで、俺の背中に押し付けた銃口をグリグリと押し込んでくる。──なるほど、あくまでも決定権は向こうにあるということか。蝕に有効打を与えるためのマナが人体にどれほど影響を与えるか定かではないが、彼女の得物であるスナイパーライフルでこれほど至近距離からぶっぱなされたら無事では済まないだろう。
それに、時間が無いのは事実だ。ここで油を売っている余裕はない。次の壁内実習はいつになるか分からないからだ。
「──ったく、とんだ貧乏くじを引いちまったか……俺の名前は
「ハルトね。よろしく」
こともあろうに、俺が名乗るとリオンはすんなりとデバイスを下ろし、俺に握手を求めてきた。俺は振り返って彼女の小さな白い手を軽く握る。すると、彼女はプイッとそっぽを向きながら手を振り払ってきた。なんだろう、ツンケンしたりいきなりデレたりよく分からないやつだ。
(どちらにせよ、あまり信用はできないな。いつ裏切られるか分かったものではないし……)
「どうやら私たちは同じ場所が気になっているようね」
リオンは前方のガラス張りの商業施設を指さした。
「──のようだな」
「探し物なら一人で探すより二人で探した方が効率的よね。私にとっても、ハルトにとっても」
「……それはどういう?」
──それはどういう意味だ? という俺の問いには答えずに、彼女は大きなライフルを背負いながらスタスタと歩き始めた。
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