4
「櫻子から離れなさい」
トイレの入口に凛が立っていた。眉間に深い皺を刻み、つり目勝ちの目がさらにつり上がっている。彼女が怒っているのが一目見てわかる。
いつの間にトイレへ入ってきたのだろうか?気配を全く感じる事が出来なかった。
しかし、夕顔はそんな凛の姿を見ても少しも動揺する事なく、それどころか、凛と対照的ににたぁっとした笑みを顔中に浮かべている。
「なんや黒猫やないかい?」
「夕顔……その手を離しなさい」
「嫌や言うたら……どないするつもりなん?」
その言葉を聞いた凛の眉間の皺がさらに深く刻まれていく。ふへっと顔に似合わず下品に笑う夕顔。
「離さないのなら……」
「……おもろいわ、ふへっ」
どんっ!!
大きな音が二人の間に流れる張り詰めた空気を打ち破る。先程まで床の上で伸びていた紫陽花が勢い良く起き上がると、そのまま私へと襲い掛かってきたのだ。しかし、夕顔が私から離れ、その襟首をわしっと掴み止めた。そして、夕顔が私から離れたのを確認した凛が私の元へと駆け寄った。
「なんで止めるんや、夕顔っ!!離さんかいっ!!」
「落ち着かんかい、紫陽花」
暴れる紫陽花を難なく抑え込む夕顔は、またあの下品な笑みを浮かべ凛と私を見ている。
「私は黒猫とやる理由があらへん。でもな……紫陽花は別や。突然投げられて、無様に気ぃ失ってしまったんやさかいなぁ」
「そうやっ!!そこのまな板娘とやらせんかいっ!!」
今すぐ喉元に喰らいつこうかとする勢いで怒鳴る紫陽花は、まるで鎖に繋がれた狂犬のようである。
しかし……私は聞き逃さなかった。
紫陽花の一言を。
言ってはならない、一言を。
まな板娘……だと?
それは私の事か?
そうかそうか……紫陽花、貴様は踏んではならぬ虎の尾を踏んだぞ。誰がまな板だ。誰が寄せて上げてもすとーんっな胸だ。誰が……
「……ふへっふへっふへっ。なんや、さっきと比べ物にならんくらいに気が膨らみよるぞ」
「構うことはないわ、櫻子。さっさと教室へと戻りましょう」
凛も私の様子が変わった事に気付いたのか、この場から離れさせ様としている。しかし、私はそのつもりはなかった。そして、凛の方を向いた。
「凛、女にはどうしても避けられない戦いがあるわ……そう、今がそれよ」
私はそう凛へと伝えると、凛も私の覚悟が伝わったのか大きな溜息を一つついた。
「分かったわ、櫻子。でも、危ないと思った時は止めるわよ」
そっと心配そうに私の腕を握る凛。
ずきゅーんっ!!
やだやだやだやだ矢田亜希子っ!!
なに、その可愛い仕草……
まるで戦場に赴く彼氏を案ずる恋人みたじゃないっ!!
「ふへっ、いい目や。戦士の目ぇしてんで」
今にも私へと飛び掛かろうとしている紫陽花の襟首を掴み押さえている夕顔がにたぁっと笑った。
否、違うぞ。確かに私は紫陽花の一言で戦士としての心に火がついた。しかし、今、夕顔が見ていた私の目は、妄想にどっぷり使って凛の彼氏役になりきっていた目だぞ。
「まぁ……焦んなや。ここはちぃっとばかり狭すやろ、場所移そっか?」
私の妄想など知る由もない夕顔は、相変わらずじたばたと暴れる紫陽花を引きずりながら歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます