しとしと呼ぶ

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しとしと呼ぶ

 不躾に眺められれば、勿論気づきもするが。


「そうまであからさまなのも、どうであろう? 鱗堂りんどう殿」


 呆れ返って目前の雄を睨めば、鱗堂というまだらな鱗肌の人形ひとがたは、食えない顔で笑む。


「いやぁ、の里の方は生来豊穣の体を持つと聞き及んでいたが、こうも分かりやすいとは……と思いましてね。ところで、触っていいですか?」


 そう言って示されたのがさらしで抑えた己の胸部とくれば、睨む雌の人形――閃也せんやとしても馬鹿らしくなる。

 肺を潰されているのかという程きつい晒があってさえ、閃也の乳房は人目を惹く。

 最早慣れた視線だが、ここまで明け透けな目はこれまでなかった。

 それは閃也が生まれ里の巫卜みことであり、周囲に不躾な扱いを排されてきたのも大きい。

 だが鱗堂に関しては話が別だ。


 軽薄な笑みのこの雄もまた、巫卜。

 閃也と同格、しかも、


つがうお相手の魅惑に惹かれては、触りたいと思っても仕方ないでしょう?」


 この春を待たずして常春とこはるを誓う相手でもあるのだから。



 閃也。


 声が呼ぶ。


 閃也。


 鱗持つ雄がつがいを呼ぶ。


 ねやに二匹、閃也と鱗堂は絡み合って寝そべっている。

 

 冬が逝った。

 今年の月日を全うし、深々土へ沈んで、もうすぐ尾すら消えてゆく。

 だから閃也と鱗堂は番う。

 冬を見送り、季節の境に肌重ね合わせるが務めと、生まれより決まっていたから。


 閃也は繰り返し己を呼ぶ雄を見上げた。

 豊かな体に覆いかぶさる雄は、ずっと番の名を呼び続ける。

 それが務めであるからと。

 冬の終わりの曇る夜。



 鱗堂の故郷に生まれる巫卜は、閃也の里の巫卜を夜通しかき抱きながら名を呼ぶ。



 呼んで呼んで呼び続け、成し遂げろと課せられた務めを果たさねばならない。

 だから、


 ぽたぽた落ちる雫が決して雄からしたたる汗だけではないことを、閃也は寂しく見過ごしていた。


「閃、や」


 掠れる声が、むせび泣く。


 巫卜などと祀り立てられても、その実情など里によって違うと閃也も知っていた。

 水の郷である鱗堂の故郷では、巫卜は手弱女たおやめのように儚い体で生れ落ちる。

 しかも必ず雄の赤子。

 肌に美しい鱗をまとい、優美で妖しげに歳を重ねる巫卜を、不埒な目で見る者も少なくないのだとか。


 『慰め児』と、他の里では侮蔑されるような。

 そんな存在であると、優しい世界で生きてきた閃也ですら知っている。



「私が醜いですか」



 鱗堂が笑う。

 歪に顔を歪めて、閃也を見下ろしている。

 閃也は声を控える。

 熱に浮かさるたび漏れ出でる吐息を、鱗堂が苦しげに聞いているのを知っている。

 

「私に抱かれるのが、汚らわしいですか」


 重ねられた問いは、はっきりと侮蔑であった。

 番う雄の薄暗さを知りつつ、何でもないと肌を合わせる閃也の傲慢を暴く侮蔑だった。

 けれど同時。

 震える雄の細い肩は語っていた。


 汚らわしいですか。

 私は、汚らわしいですか。






 会ったばかりだ。

 務めを果たすため引き合わされ、周囲に望まれるまま番っただけの相手だ。

 閃也は後ろ暗く揶揄される生まれという以外、鱗堂の事など知りもしない。

 知らない、何も。

 それでも、


「これほどまでに痛々しい貴方を、今以上に追い詰めるような性根だと思われるのは、全く心外だ」


 閃也は貫いた。

 激昂すら滲む声で、視線で、鱗堂を刺し殺す。

 慟哭する雄は息を止め、眼を見開いた。


「鱗堂」


 会って初めて、名を呼び捨てた。

 名の音と似た儚い花を思わせる方と。

 閃也は雷鳴を告げた。


「泣くなら泣け。だが、決して己を押し殺そうとするな。私は豊穣を呼ぶ巫卜。あなたの生涯を隣で共に行く者」



 光が轟いた。

 閨の外、雷光が雲海を裂き、瞬く間に空に月を導く。



「雨水の巫卜よ」



 閃也は硬直した鱗堂を押し倒し、萌え広がる閃光の長髪を振り乱した。

 まるで豊かな稲穂畑に似た髪に、そびえ生えるは一本角。

 なめらかで染み一つなかった閃也の額に唐突に芽生えた、雷獣の証。


「私を呼んでくれる人よ。どうか泣け。その悲しみ、尽き果てるまで泣いてくれ。私はその雨を全て受け止めよう。貴方が泣いてくれるなら、その心を私に明け晒してくれるなら、」


 私は全てを受け入れて、いかづち轟かせよう。

 他の誰のためでもない。

 貴方のために春を呼ぼう。


「繰り返される春を、共に生きよう」


 雷獣となった閃也の神気に触発され、鱗堂もまた、人形の殻を破っていた。

 しとねに咲くは、幽美纏うみずち

 麗しい鱗の肌と尾ひれを打ち広げ、呆然と閃也を見上げていた。


 その悲しみが、例えどれ程深くとも。

 尽きぬ悲しみに貴方が泣いて、私を呼んでくれるなら。

 私は何度でも雷鳴と共に春を呼ぶ。

 降りしきれ、雨水の君よ。

 私を空に走らせてくれる、ただ一人の人よ。


「私の、常春の番よ」


 かそけしい人。

 涙に暮れるとも、さぁ、共に春を呼ぼう。



 昔。

 蛟の巫卜と雷獣の巫卜は、幾歳いくとせを誓って冬を見送り、春を呼んでいた。

 伝書にて著されるその様、まさに春雷春雨の如しであったと。

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