第二十八話:相互コントロール

 小春の朝食と出かける準備を待ち、その後それぞれの自転車に乗って出発。その頃には小春の表情は少し張り詰めていた。

 それもそのはずだ。今日はあそこに向かうのだから。

 伊谷の中心から離れて、畑と緑が増えてきた頃にその場所は見えてきた。

 フェンスの周りはぐるりと黄色のテープで封鎖されていて、あれから一ヶ月経った今もなお、瓦礫の山を前に警察が現場検証に当たっている。

 そう、ここは伊谷高校旧校舎があった場所だ。

 あの日、おれと小春、そして彼女が関わった事件。全てが終わり、全てが始まったこの場所。

「……やっぱり思い出すな、色々と」

「……そうだね」

 黄色いテープの手前から、中の様子を伺う小春。その横顔は、悲しみとも、怒りとも言えない複雑な色を示している。

 この事件、田舎の学校が焼失したというB級の珍事件は、芦引大秋、信濃咲音の行方不明と共に大々的に報道された。緑の少女、突如爆発した旧校舎、それと同時に行方不明になった二人の人間。これらの奇妙な符号がウケたのかもしれない。一時期は小春の家にも警察・マスコミが押し寄せ、おれの部屋に彼女が避難していたこともあった。

「芦引さん、木瀬さん」

 こちらの存在に気づいた一人の若い男性が、旧校舎の敷地内からこちらに向かって近づいてくる。

「こんにちは、小原さん」

 短髪で少し大人しそうだが、芯の通った印象を持つ彼の名は、小原誠。伊谷署の刑事で、信濃咲音と以前バディを組んでいた。

「こんにちは。木瀬さんも」

 おれも彼に向かって会釈する。

 信濃咲音から色々聞いていたのか、彼はおれ達のことを気にかけてくれていた。おれ達が現場に赴いても拒んだりはせず、むしろ可能な範囲で情報を伝えてくれていた。

「何か進展はありましたか」

「いや、さっぱりだ」

 小原はゆるゆると首を横に振る。彼の顔には疲労の色が見て取れる。

「やっぱり焼失した部分が多すぎてね。調べようにもできない。鑑識も手をこまねいている。大秋さんのことも、信濃さんのことも何も出てこない。人がいたという痕跡すらほとんどない」

 警察は同時に起きた二つの事件には関係があると見て捜査を続けていた。しかし大秋の準備は周到だったようで、出てくるものはほぼ解析できないような状態らしい。

 地下にはたくさんのボタニカロイドがいて、たくさんの染色機があったはずなのに、ただの一つも。

「けど、あの旧校舎に謎の地下があったことは確かだ。調べたところ、ここが伊谷高校だった時は地下は一切なかった。地下が新たに作られた空間ということだけは確かだ」

 あそこで何がなされていたかを知るのは、あの場に居合わせた者だけ、というわけだ。

 おれと小春は、施設の情報を警察に垂れ込もうと思えばいつでもできた。しかし染色機のことも、あの施設の目的も、スズメの涙ほども漏らさなかった。

 これはボク達が解決すべき事件だ。小春はそう言った。おれもその気でいる。

「そうですか……ありがとうございます」

 小春は頭を下げる。

 その姿に、おれはいまだに違和感を覚えていた。

 以前までの、ボタニカロイド事件が終わるまでの彼女なら、周りに何を言われようと封鎖テープを乗り越えていたはずだ。けど今の小春からは、かつての姿はなりを潜めている。

 彼女なりに、父親に言われたことの意味と、この事件の大きさを受け止めたのかもしれない。ただの遊びではない、と考えているのだろう。全く別人になったわけではないが、彼女は変わろうとしている。

「おい小原!こっち来てくれ!」

 瓦礫の方から声が投げられる。小原は「今行きます!」と返して、ふう、と手に持っていたハンカチで汗を拭った。

「じゃあ、僕はこれで。もし何かあったらすぐ教えてほしい。あと、暑いから気をつけて!」

 そう言うと、小原は旧校舎の跡へ駆けて行った。

「一ヶ月経っても進展はなしか……ま、そう簡単に手掛かりが掴めたら苦労しないね」

「だな。さて、学校行くか」

 自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。

 ほどなくして学校に到着する。外出禁止レベルの猛暑の中、グラウンドでは運動部の息切れ寸前の声が聞こえてきた。人は少ないが、校舎全体には吹奏楽部の演奏が鳴り響いている。

 B棟の三階、音楽室の真反対に、オカルト研究部の部室があった。

「何か、部活として来るのは久々な気がするな」

「確かにね」

 小春が苦笑いする。

 マスコミは伊谷高校の現校舎にまで来ていた。部活で夜遅くなり、校門を出た所で彼らに捕まるのは嫌だった。そのため、しばらくは他の生徒に紛れ、授業が終了すると同時に学校からおれの家に直行していた。

 鍵を開けて、部室に。広さは普通の教室の半分くらい。中央に古い長机が配置され、それを挟むように二脚のパイプ椅子。ドアから見て左右の壁には棚が並んでいて、向こう側には窓。カーテンを閉めていなかったため、部室は日光に熱せられてサウナのような状態だった。

「あっつ……」

 小春が窓を開け、机の傍に置かれた扇風機を強にする。そしてその前に陣取った。

「あ゛ぁ゛……」

 地獄の窯から湧き出たようなため息をつく小春。

「なんちゅう声出してんだ……」

「しょうがないだろ……ただでさえクソ暑いのに、ストレス溜まりまくってるのだよこっちは……!」

 そう言うと小春は勢いよく立ち上がり、両手を広げてこちらを向いた。

「なんだよあの黄色いテープ!!ボクは旧校舎の調査をしたいんだ!なのに警察のせいで話を聞くことしかできない!それを抑えるのがどれだけ辛いことか!ああああぁぁぁぁぁ!」

 小春は咆哮する。それに合わせて吹奏楽部の演奏が激しくなった。彼女の声に合わせてトランペットの音が鳴り響く。ついでに胸の谷間も全開だった。

「って何してんだ!ボタン閉めろ!」

 急いで部室のドアを閉める。磨りガラスでよかった。普通のガラスだったら大変だ。

「男にはわからないだろう!おっぱいが大きいとね、谷間とか下乳に熱と汗が溜まって大変なんだよ!」

 シャツとキャミソールを脱ごうとする小春。夏の暑さと調査できないストレスのコンボは彼女に効くらしい。

「あーっ!わかった、わかったから落ち着け!」

 今度はカーテンに飛びついて閉める。最上階だからグラウンドからは見えないが、かと言ってモロ見えにしておくわけにもいかない。

「くっそおおおお!!」

 小春は机に突っ伏し、上半身だけ乗せたままごろごろと転がり出した。

「やーめーろ!余計に汗かくぞ!」

 とは言いつつも、手は出さずに見守る。

 そう、小春は別人に変わったわけではない。いまだに謎があれば飛びつこうとするし、父親の件は何を犠牲にしても解決したいと常に思っている。ただ、それを自分自身でコントロールしようとし始めていた。彼女は決して狂人ではない。一般的な倫理観は持っている。今まではそれを無視し、好奇心に身を委ねていた。その欠点を意識するようになったのだ。

 ただ、そうやって頑張っているからこそ、反動は大きいというわけで。

「あああああぁぁぁぁぁ!」

 まだ叫びながら転がっている。吹奏楽部の演奏中で助かった。事情を知らない人がこれを聞いて飛び込んできたらちょっと説明しきれない。

 そのままどれくらい経っただろう、ちょうど曲のフィナーレが終わったくらいで、ようやく小春は止まった。

「はあ、はあ……さっきより暑くなった」

「そりゃそうだ」

 小春のカバンから水筒を取り出して渡す。

「ありがとう……」

 それを受け取ってガブ飲みし、再び扇風機の風を浴びる。

「気は済んだか?」

「……うん、とりあえずは」

 そう言う小春のシャツは汗で完全に透けていて、キャミソールにも染みができている。ちなみに、机の上もびしょびしょである。持っていたティッシュで拭いていくが、二、三枚ではどうにもなりそうにない。結局全部使う羽目になった。

「……ごめん」

「気にするな。わかってるつもりだ」

 元々、小春に好奇心をコントロールするよう言い出したのはおれだ。それをどうにかしなければ彼女は確実に怪物になってしまう。しかし心のコントロールというのはとんでもなく難しい。単に抑えるだけでなく、状況によっては発散しなければいけない。今までは何のリミッターもかけていなかった。コントロールの過程でストレスが溜まるのは当然だ。

 そんなことを強いるのだから、おれもただ眺めているわけにはいかない。

「おれと二人だけの時は、そうじゃなくても抑えきれなくなったら、存分に発散してもらって大丈夫だ。後のことはどうにかする」

 大抵のことは対応するつもりだ。それが芦引小春の相棒の役割だと思っている。

 お互いがお互いに尊重できなければ、おれたちはまた破滅に向かう。

 信濃咲音と芦引小春のように。

 信濃は自分の愛を小春に一方的に押しつけ続けた。だから小春はそれを受け止めきれずに破綻した。ブレーキを失った信濃の愛はそれでも小春に流れ続け、小春は信濃の愛に潰された。そのアンバランスさがあの信濃を招いたのだろう。

 そんな気持ちは、依存でしかない。

 だから、二人の間で常に心のキャッチボールをしておく必要がある。

「何だか、ボクがキミから貰うばかりだね」

「そんなことはない。おれだって小春から色々貰ってるよ。この状況が既にそうだ」

「この状況が?」

 小春がシャツを閉じつつ、首を傾げる。

「ああ。小春に会わなかったら、多分高校もう来てないだろうし」

 ただの推測でしかないが、多分当たっている。元々何かを成すために進学したわけではない。友達を作り、楽しい高校生活を送る気もなかった。入学式の日ですら、別に行かなくてもいいな、と思っていた。

 そんなおれが今、夏休み初日に学校に来ている。しかも自分から進んで。外出自体面倒だと思うことはあるが、一度来てしまえば楽しいし、何より充実しているのだと実感する。小春と出会っていなかったら、こんな気持ちにはならなかった。

「おれがここにいるのは、小春が受け入れてくれたからなんだ。……あんな風に裏切ったのに」

 そう。

 ただ受け入れてくれただけじゃない。謎を解決する鍵になる情報を隠し、一度は見限ったおれを小春は大事な相棒だと呼んでくれた。それだけでも、おれにとってはとても大きいことなのだ。

「……そうかい」

 小春はにっこりと笑った。

「……さて。気も済んだことだし、情報でも集めようか。先は長いけど、いつか」

「ああ」

 この謎は、二人で解決する。

 それが、おれたちに課せられた使命なのだ。

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