第二十七話:やりたいこと、やらなきゃいけないこと
目が覚める。
アラームを気にせず寝ると深く眠れるが、どうしても起きるのが億劫になってしまう。
スマホで時間を確認する。午前九時三十分。そろそろ起きるか。
体を起こしてベッドから降り、カーテンを開ける。強い日差しに思わず目を細めた。
テレビをつけると、ちょうど天気予報をやっていた。太陽のマークが四十七都道府県全てに並び、気温は毒々しいほどに真っ赤な色で表示されていた。
――あれから一ヶ月が過ぎていた。
今日から夏休み。
適当に朝食を済ませ、諸々準備をして手早く制服に着替える。
断じて教室に行くのではない。面倒な補習があるわけでもない。
部活だ。
外に出ると、人を殺さんばかりの熱波に襲われた。午前でこれとは。午後はもう外出してはいけないかもしれない。
そして同時に思い出す。あの炎を。
燃え盛り、全てを焼き尽くしたあの業火を。
自転車に乗り、ペダルを踏む。程なくして学校に到着するが、通り過ぎる。向かう先は彼女の家だ。
住宅街を進んでいくと、周囲とは違う和風の家が現れる。塀や柱に何も色が付けられておらず、素材でどこか温かな印象の家。
インターホンを押し、しばらくの間待っていると夏花さんが迎えに来た。
「あら、こんにちは開人君」
「こんにちは」
「さあ入って。暑いでしょ」
「ありがとうございます」
夏花さんが薄く微笑む。ただ、以前に会った時と比べて、少し浮かない表情をしている。彼女とて、あの事件の当事者なのだ。それも当然だろう。
「小春まだ寝てるから、少し待っててもらってもいい?」
「あ、はい。大丈夫です」
夏花さんの後を行き、芦引家のリビングへ。
「どうぞ」
テーブルにつくと、麦茶を出してくれた。
「いただきます」
ちょうど汗をかき、喉が乾いていたところだった。冷たさが火照った体に染み渡る。
「……はあ」
向かいの席に着いた夏花さんは、浅くはないため息をついた。
彼女のことを思うと、気が気ではなかった。けどこういう時、何を言うべきかはわからなかった。
「ねえ、開人君」
おれが逡巡していると、夏花さんが徐に口を開く。
「はい」
「……当然だとは思うけど、お父さん……芦引大秋のことは、知ってるよね?」
「……ええ」
頷き、コップをテーブルに置く。
あの地下施設での出来事以来、芦引大秋は姿をくらましていた。世間的には行方不明という扱いになっており、夏花さんにもそのように伝えられたらしい。
「その……心中お察しします、というか……」
「ありがとう。ごめんね、気を遣わせちゃって」
夏花さんは笑みを浮かべる。それが本心からの表情ではないことは容易にわかる。
「本当、どこ行っちゃったんだろうね。……けど、なんとなくだけど、いつかこうなるんじゃないかな、っていうのもわかってた気がする」
「わかっていた……ですか」
「うん。あの人、昔からそうだから」
目を細めて、どこか遠いところを見る夏花さん。
「何ていうか、自分がやりたい事に本当に素直な人で。そんなところに惹かれて結婚したんだけど……いつか、私の手の届かない所に行っちゃうんじゃないかって」
「……」
この人は自分の夫を心から愛しているのだ、と感じる。
だからこそ、考えてもいないだろう。芦引大秋が、非人道的な実験に加担する怪物だなんてことは。
「開人君、お願いがあるの」
夏花さんはじっとおれを見つめる。その強い視線を受け、おれも居住まいを正す。
「はい」
「ずっと、小春のそばにいてあげてほしい」
ボタニカロイドの事件を追っていた時、夏花さんに小春を頼むと言われた。あの時も他人に娘を預ける決意をしていたが、それはあくまで調査が終わるまでの一時的なものだった。今回はそれとは異なる覚悟を感じる。親としてのプライドもあるだろうに、それよりもおれに任せたほうが良いと、本気で思っていることの証左だろう。
「勿論です。それがおれのやりたいことですし、やらなきゃいけないことですから」
おれは人にものを頼まれるのが苦手だ。その責任を果たせるほどの力はないし、自分の至らなさで依頼者が傷つくのも、自分が傷つくのも避けたい。
だけど、何があろうとも小春の隣にいようと思う。
彼女が深淵に飲み込まれないように、最後のリミッターになる。必ず。
「本当にありがとう。何だか、貴方には助けられてばかりね」
再び淡く微笑む夏花さん。ほんの少し彼女の苦悩が和らいだように見えた。
「……おれに出来ることで、お母さんがそう思えるのなら、これ以上のことはないです」
「ありがとうね。……いつか貴方に、小春との仲が毒にならないように、って言ったことがあったね」
「ああ、そういえば」
初めてこの家に呼ばれた時のことか。
あの時は、何を言われたのか正直わかっていなかった。けれど今は理解している。彼女の言う毒が、一体何であるのか。
「気づけていなかったおれは間抜けだったな、と思います。そのせいで、小春のことをとても傷つけてしまった。本当に、申し訳ありません」
「私に謝る必要はないの。それに、貴方達が互いにとっての毒でも薬でもなくなったことは、もうわかっているから。だから、私は開人君に安心して小春を任せられる。よろしくね」
「はい」
そう口に出すと同時に、夏花さんから向けられた信頼を胸に留めた。他の面倒な事は何も背負いたくない。けれど小春のことだけは、全て受け止める。
あの日、小春が燃え盛る炎に向かって誓ったように、おれもそう誓ったのだ。
「……おはよお……」
寝ぼけなまこを擦りながら、小春がリビングに入ってきた。
「おはよう小春ちゃん」
「小春、おはよう。今日調査に行く日だろ」
「ああ……そうか、そうだったね。ごめんごめん」
元々今日は調査に行く予定で、小春の家に集合だったのだ。まあ彼女は今までずっと寝ていたわけだが。ただ、それは決して怠惰によるものではない。そもそも、謎を調べることが大好きな小春が、何の理由もなしに寝坊するはずがない。
「調べるのもいいけど、体壊すなよ。せっかくの夏休み、倒れちゃ出来るものも出来ない」
調べものとは、父親のことだ。ここ最近、小春は普段の部活動での謎の調査もしつつ、父親の件も追い続けている。
「うん、気をつけるー」
頭を揺ら揺らさせながら、小春はぼんやりと返事をしておれの隣に座る。話を理解しているのかはいまいち定かではない。
「朝ごはんの準備するね。開人君も何か食べる?それとも飲み物でいい?」
「あ、じゃあ麦茶をもう一杯ください」
「はーい」
夏花さんは台所へ向かう。
「ふわぁ〜」
小春が口元が波打ちそうなほど大きなあくびをし、おれの左肩にがっつりと頭を乗せる。
「小春、もう起きとけー」
前々から思っていたが、小春の寝起きは色々な意味で無防備だ。たまに心配になる。
「大丈夫、起きてるよ」
ただ、不意に変わったその声は、いつもの彼女だった。
「そうなのか。なんでわざわざ」
「いいじゃない、たまには。それに……」
小春がおれの肩から離れる。こちらを向き、にかっと笑った。
「キミの言葉が、とても、とても嬉しかったんだ。だからなのかな、今はキミに触れていたい」
そう言うと、小春はまたおれの肩に頭を置いた。
「……さっきの話、聞いてたのか?」
「さあね……」
見えなくても、その表情は穏やかだとわかった。
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