第二十六話:怪物

「嬉しいよ、小春。こうして謎の中心で会えたことが」

 大秋はまるで帰省した娘を迎えるような口調で言った。

「まさかだと思ったけど……やっぱり、父さんだったんだね」

 小春は大秋をじっと睨みつける。

「ど、どういうことなんだよ、これ」

「どうもこうもない。これが真実」

 まだ動揺が収まらないおれとは対照的に、高砂は至って冷静だ。

 そういえば昨晩、彼女は言っていた。「芦引小春とはもう二度と会わない方がいい。死にたくなかったら」と。あの時は意識が朦朧としていて、小春の何か重大な秘密を知っているのかもしれない、くらいにしか思っていなかった。

 その意味が今目の前で明らかになった。芦引大秋は、全ての黒幕だった。

「おや、九番じゃないか。そんなところで何をしている。こちらに来い」

「っ!!」

 高砂が自分の胸を強く抑え、苦痛に顔を歪める。

「九番、処分の件は撤回しよう。だから我々の下へ来たまえ」

「黙れ、見くびるな!私は高砂莉子、人間だ!!」

「人形風情が所有者に歯向かうか。やはり貴様は処分だ」

 額に大粒の汗を浮かべて叫ぶ高砂に対し、大秋はただただ愉快そうにしている。

 以前、“きゅう”が自分にはマスターがいると言っていた。それも、芦引大秋だったのか。

「まあ、カイト君が驚くのは無理もないだろう。しかし小春はそうでもないな。何か推測していたのか?」

「あまりボクを舐めないでくれるかな」

 小春は苛立ちを吐き捨てるように言う。

「カイト。キミ、昨日父さんの部屋に入ったよね?行方不明事件の棚は見た?」

「見たけど……」

 確か、六年前から今までのファイルはなくなっていた。大秋はあのとき、それらを小春に渡したと言っていたが……。

「じゃあ次だ。先月ボクの部屋に入ったことは覚えてるよね?そこには何があった?」

「小春の部屋……?」

 思い出す。襖から入って、六畳ほどのスペースに机や本棚、テレビ、ビーズクッションが置いてあった。そして本や赤い紙の表紙のファイルがいくつか畳に転がっていた。

 そう、小春の部屋にあったのは“赤い”紙の表紙のファイルだ。

 そして大秋の部屋にあったのは、“深緑”のファイルだ。

 そのとき、頭に電流が走った。

「まさか……あの部屋には最初から、六年前から今までの行方不明事件のファイルはなかったのか!?」

「その通りだ。ボクも先月、伊谷市の行方不明者の情報を見ようと思って父さんの部屋に入った。けど四年前の五月以降の行方不明に関するファイルが一つも無かった。……ただ行方不明の件に興味がなくなっただけかもしれないし、確定的なことは何も言えなかったけど……こんな単純ですぐバレそうこと、よくも堂々とやってくれる」

「単純かどうかは問題じゃない。人間は大概適当だ。だからちょっと考えればわかるようなことも、考えなければわからない」

 そう言われて、かっと胸の奥が熱くなる。自分が適当だと言われたことだけでなく、小春の隣にいることが相応しくないと切り捨てられたように感じた。

しかし、気づかなかったのは事実である。だから何も言い返せなかった。

「まあ、当然ながらあれはわざとだ。あと、五月に小春とカイト君でこの伊谷高校の現校舎の調査をしただろう?その時、信濃と話をしたな?」

「……あっ!」

 大秋がそう言うと、不意に小春は悔しそうに歯をぐっと噛み締めた。それを見て大秋はにやりと笑う。

「行方不明の件は、咲ねえから聞かされた。あれは、父さんの差し金だったってことか……」

「その通りだよ」

 小春からワンテンポ遅れて、おれの頭の中でも繋がる。そうだ、伊谷高校の調査を引き上げた時、巡回中の信濃がおれ達に声を掛け、伊谷市の行方不明者が増えていることを教えてきた。あれは、芝居だったというわけか。

「どういうことなんだい。それを聞いたら、まるでお父さんはボクに謎を解いて欲しいと言わんばかりじゃないか」

「ああ。私は、この謎を他の誰でもない、小春に暴いて欲しかったのだ。父親から娘へのプレゼントさ。それなりに苦労したぞ、警察や一般人の目を避けつつ、キミだけにヒントを与えるというのは」

「……死体はどうしたんだい。きゅうちゃんが殺した男だ」

「その日の内、二十分足らずで処理したさ。動画を撮られていたことは誤算だったが、それ以外の全てを隠滅してしまえば、いくら警察と言えど証拠を掴むことは不可能だ」

「だからあのとき、警察が全然いなかった。で、それはボクのためってわけか。いらないね、こんなの」

 小春は再び吐き捨てるように言う。

「そんな悲しいことを言わないでくれ。まったく、思春期の娘は難しい」

 大秋は大袈裟に両手を広げ、首を横に振る。場にそぐわない仕草だが、それが返って今の彼の不気味さを醸し出していた。

「だが、私にはわかる。小春にとってこの三ヶ月は今までで一番楽しい期間だっただろう。そして……自分自身が快楽を感じるにつれ、怪物に堕ちて行く感覚も味わっていたはずだ」

「……っ!ボクが怪物だと!ふざけるな、怪物は壊れてる父さんの方じゃないか!人を拉致して、ボタニカロイドにして、死体を処理して!」

「ほう、よくわかってるじゃないか。自分自身が経験していると理解も早いものだな」

「違う!ボクはそんな人間じゃない!」

「どうかな。その答えは小春自身が一番知っているんじゃないか?」

「そんなの、知ってるわけが……!」

 小春は強く唇を噛み締める。必死に言い返そうとしているが、言葉が紡がれない。

「現にお前は非倫理的なボタニカロイドの存在を知った時、こう感じたはずだ。面白くなってきた、と」

「っ!」

 小春は目を大きく見開く。両肩が、わなわなと震えている。

「 “普通の”人間はな、自分の近くで起きた殺人に対して恐怖を抱くものなのだ。仮に面白さを感じたとしても、それを矢面には出さない。面白いと言ってしまうことがどれほど異端であるかを理解しているからだ。しかし私たちは現実の事件に対し、まるで映画のワンシーンのように“面白い”と感じ、人にそれを吹聴し、自分から飛び込んでいく。このことは、小春自身が一番知っているんじゃないか?」

「……」

 おれも以前から薄々気付いていた。

 小春は調査をしている時、異様な光を瞳に宿す事があった。都市伝説とはいえ怪しい実験をしている旧校舎に侵入しようとしたり、拉致される可能性があるのに“悩みを解決するアカウント”に会いに行ったり。人を殺している“緑の不審者”を探したり。

 それこそが、大秋の言うところの小春が怪物たる所以ということだろう。

「……違う」

 小春が拳を握りしめ、何度も首を横に振る。

「違う、違う違う違う……!ボクはそんな人間じゃない!」

「いいや。キミは怪物だ、小春。もう今更戻れないことはわかっているだろう。怪物になりたくなかったら、謎の調査をやめるしかない。実際、私はキミが幾度となく調査をやめようとしたのを見てきた。しかし結果はどうだった?キミの試みは、全て失敗した。だからキミはここにいる」

「違う違う違う違う!やめてよ父さん!」

 頭を抱え、必死に訴える小春。大秋は彼女の元に近づき、その震える肩に手を置く。

「小春、自分の心に従いなさい。今か今かと機を窺っているはずだ。全てを投げ捨て、堕ちる時を」

 その口調だけは、紛れもなく父親のそれだった。大秋は本気で娘を思って、自分の側に来いと誘っている。

 小春の目は揺れていた。

 彼女自身が自覚し始めているのだ。自分の中にある、抗い難いうねりを。

「ふざけるな」

 しかしそんなことを許すわけにはいかなかった。

 おれは大秋を突き飛ばし、小春との間に割って入った。

「カイト君。親子の会話を邪魔しないでくれないか」

「嫌です。貴方が父親なら、おれは相棒として彼女を守ります。それがおれの役目です」

 預かっていたナイフを構える。

「たかが他人に小春の何がわかると?」

「別に小春の全てを知ったとは思いません。けど今の小春はまず間違いなく怪物じゃない。たしかに高砂に会う前は小春はこの事件を楽しんでた。けど高砂と会ってから、彼女は事の重大さをはっきりと理解して、怖さを感じていた。だから彼女は貴方のような怪物じゃない。おれだからわかります」

「……面白い」

 大秋はおれを見て、からからと笑った。

「面白いよカイト君。しかし今は怪物じゃなかったとして、明日はどうだろうな?一か月後は、一年後は?小春の将来は、怪物になるか、謎を捨てて抜け殻になるか、その2つしか残されていない。覚えておきたまえ。キミは後ろにいるそいつに、いつ背中を刺されてもおかしくないのだ」

 背後の小春を一瞥する。彼女は不安げな視線を送ってきている。

 今までおれにとって芦引小春は過去の傷を癒すための薬でしかなかった。けど今は違う。互いに正面から向き合い、支え合う。ただ縛り合うだけじゃない、真の意味での相棒だ。

「じゃあおれは3つ目を見せます。小春が怪物にもならず、抜け殻にもならない、そんな未来を」

「……いいだろう」

 にやりと笑い、大秋はあごでおれの背後の小春を指す。

「小春はキミにくれてやる。好きにしたまえ。……ただし、ここから出られたらの話だがな」

「何だと……?」

 高砂が進み出て、大秋と対峙する。

「まさか、壊す気か……?」

「その通りだよ。……おい!」

 大秋が背後に向かって叫ぶ。

「高砂、壊すって何のことだ?」

 今の僅かな会話に不穏なものを感じ、たまらず高砂に尋ねる。

「くそっ!二人とも、逃げよう!」

 高砂が強い力でおれの腕を掴み、入ってきた側に向かって駆け出す。

「なっ、ちょっと待てよ高砂!小春、とにかく行くぞ!走れ!」

「あ……う、うん……!」

 高砂はおれを引きずり、おれは小春を引きずるようにして、染色機の間を駆け抜ける。

「どういうことだよ高砂!説明してくれ!」

「潰れる!」

「潰れるって……まさかこの旧校舎が!?」

「そう!この施設には爆弾が仕掛けられてる!何かあったら、10分以内にドア全部閉めて潰すことになってる!だから逃げる!……っ!」

 高砂がよろめく。その場に転倒しそうになるのを何とかこらえ、再び走り出す。先ほどまで立つこともままならなかったのだから、急に走り出して体がついてくるはずがない。

「高砂、だいじょう……」

「私のことはいいから!今はとにかく逃げるの!」

「わ、わかった!」

 この0の部屋の出入り口まで急ぐ。しかし。

「くっ!」

 どこに隠れていたのか、ぞろぞろとボタニカロイド達が現れ、ドアを塞ぐ。

「ボタニカロイドを知ってしまったお前達を逃すわけがないだろう。ここで埋まってもらう」

 部屋の奥から悠々と大秋が歩いてくる。染色機の間からボタニカロイドも溢れている。このままでは進むことも戻ることも出来ない。

 立ち往生していると、部屋を揺らすように警報音が鳴り響いた。薄暗い緑色だった部屋が、赤色灯に照らされる。

「アラート。総員十分以内に退避して下さい。繰り返します。十分以内に避難して下さい」

「カイト……」

 小春は呆然と、涙目を浮かべておれの手を握っていた。普段の彼女なら無理矢理にでも突破口の糸口を探しているだろうが、父親が事件の黒幕であることと、彼から怪物呼ばわりされたショックからまだ立ち直れていない。

 デッドエンドだ。

 このまま、死を待つしかないのか。

「……はあ」

 ため息をついたかと思うと、徐に高砂がおれに手を差し出し、何かを要求してきた。

「開人君、ナイフ貸してくれる?」

「え?」

「早く」

 急かされるまま、ナイフを渡す。刃渡り十五センチ程のナイフ、その刃が赤い光を反射する。

「隙を作るくらいなら私に……いや、ボタニカロイドのきゅうに出来る。もちろん、二人に逃げるタイミングは図ってもらうけど」

「ちょっと待て高砂、何する気だ!」

「見ればわかるでしょ。こいつら私が何とかする」

「待て、一人であの人数どうにかできるわけないだろ!」

「それも見ればわかるでしょ。けど貴方と芦引が逃げるだけなら何とかなる」

 高砂はふう、と息を吐き、ボタニカロイドの壁と対峙する。

「……結局、これが一番良いの」

 ナイフの柄を握りしめる。

「相手はボタニカロイドだったけどね、私は一度人間として生まれた誰かを殺してるの。こんなのは貴方達みたいな人間とは生きられないし、生きていてはいけないの」

「そんな……でもさっき!」

「ストップ」

 振り返ることなく、後ろにいるおれに向かって手の平を突きつける。

「……何も言わないで。お願いだから」

 彼女の表情はわからない。しかしこの判断が彼女にとって苦痛なものであることは、絞り出すような口調から明白だった。

 ……高砂莉子を取り戻したのに。

 先ほどの涙を思い出す。あの涙には、生きたいという彼女の願いが込められていた。

 なのに、その自分を犠牲にして、彼女はこのまま……。

「そんなことさせるわけないだろ!……そうだ小春、スタンガン貸してくれ!」

「え?あ、はい……」

 小春が差し出したスタンガンを手に取る。これなら、三人が生き残る確率はかなり高くなるはずだ。

「ダメだよ」

 しかし高砂は振り返り、スタンガンを持つおれの手に触れた。

「高砂……!」

「ねえ、開人君」

 高砂はおれの言葉を遮る。

「実はもう私、“きゅう”に戻りかけてる」

 その顔から、徐々に表情がなくなる。霧がかかっていくように、曖昧になっていく。

「だからもしかすると、もう二度と高砂莉子にはなれないかもしれないんだ。……だから、最後のお願いです。私の名前を呼んでください」

「……っ!」

“もし開人君も私を好きでいてくれるなら。

 私のことを名前で呼んでください。”

 その願いを、おれは知っていた。

 何故ならそれは、あの手紙の最後に書いてあった事だから。

「莉子……」

 四年の歳月が過ぎて、叶った願い。

 自分の名前を聴いて、高砂はほんの少しだけ笑った。

「ありがとう、開人君」

 そしてそっと、おれの手からスタンガンを抜き取る。

「最後に名前を呼んでくれたのが、開人君で本当に良かったです」

 それが、高砂莉子の最後の意識だったのだろう。

 言い終わると、彼女は弾け飛ぶように目の前のボタニカロイドの壁に突っ込んでいく。

「……行くぞ、小春!」

 小春の腕を掴み、扉に向かって駆け出す。

 高砂がナイフとスタンガンを振るい、それに向かってボタニカロイドの波が押し寄せる。

 一切声を立てずに刃を相手に突き立てる高砂。それを受けてばたばたと模型のように倒れていく緑の少年少女。

「うわああああああ!!!」

高砂の左側のボタニカロイドの波に向かって肩から体当たりする。いくらボタニカロイドとはいえ、高砂に注意を向けていては対応が遅れる。まともにタックルを食らったボタニカロイドが尻もちをつき、連鎖的に他の個体の足が止まる。そしてはっきりと、扉までの道が開いた。

「行くぞ!!」

 再び小春を引っ張って走り出す。

「小春!」

部屋を出る直前、後方から、大秋の大きな声が飛んできた。

「せいぜい、自分の半身を傷つけないことだ!それを失えば、もう人間ではいられないだろう!」

「……っ!」

 しかし小春は僅かに声を漏らしただけで、振り返らず、ボタニカロイドの間を真っすぐに突き進む。

 そして、廊下へ出る。警報の赤い光によって照らされている。

 ボタニカロイド達の壁から逃れたことに少し安堵する。

 振り返ると、高砂が今なおナイフを振るっていた。しかしたった一人で五十人超のボタニカロイドの制圧など不可能だ。段々と、ボタニカロイドが漏れ出てくる。彼らは真っすぐにこちらを追いかけてきている。

「くそっ、走れ!」

 小春の手を強く握り、全力で走り出す。背後から、無数の足音が追ってくる。それは大きく、増えていく。

 地獄の底から伸びてくる無数の手が、絡めとろうとしてくる。

 しかしこのまま走り切れば、ぎりぎり間に合うはずだ。いや、間に合う。間に合わせるのだ。そう考えないといけない。じゃないと、体が恐怖で凍りついてしまう。

「封鎖します。封鎖まで三十秒前」

 しかしその時、警告が響き、ブザーが空気を震わせる。

「カイト……」

「走れ、走るんだ小春!」

 おれは自分自身も鼓舞するために声を上げた。

 廊下の前方、施設の出口の天井から、灰色の壁のようなシャッターがじりじりと下りてきていた。あれが閉じてしまうと、二度とこの地下から出られなくなってしまう。

「セクター封鎖十秒前、九、八……」

「こんなところで……!」

 とにかく腕を振って、足を動かす。単に走っているから、というだけでなく、焦りや不安で心臓が過剰に拍動する。肺に十分な空気が行き渡らず、苦しい。

 けどそれがどうした。

 帰るんだ。小春と一緒に。

 シャッターの五メートル前まで来た。もう既におれの肩の高さまで閉じている。

「小春、おれにしがみつけ!」

「え、わ、わかった」

 こちらに引き寄せると、小春はおれに身を預け、肩にしがみついた。

 そして彼女を抱いたまま、足から滑り込んだ。

 下げた頭の真上を、灰色の塊が通過していく。

 そして次の瞬間には、ずしんと閉じたシャッターの重みで廊下が揺れた。

「地下施設、封鎖完了」

 シャッターの向こうでアナウンスが流れる。どうにか閉じ込められる前に逃げ出せたようだった。

「くっ……はあ、ぁっ……」

 体が酸素を求めて喘ぐ。目の前がちかちかする。

「……こ、小春っ……!」

 腕の中で震える小春に声をかける。

「はあ、はっ……カイト……っ」

 彼女も息を荒げ、苦しそうにしている。

「……行こう。もたもたしてると爆発する」

「地下施設爆破・焼却一分前。職員は避難してください」

 おれの言葉に応えるように、シャッターの向こうで警告が流れる。

 地下施設の出入り口からは、地上に向かって長い階段が続いていた。時間までに、これを登り切らねばならない。

「そうだね……つっ……!」

 肩を貸し、彼女を立ち上がらせようとしたが、唐突に小春の力が抜ける。再び地面に膝をついてしまう。

「どうした、小春!」

「ごめん……右足首怪我したみたいで、うまく歩けない……」

 小春は再び立ち上がろうとするが、がくりと崩れる。

 冷や汗が出る。

 文字通りの致命傷だ。歩けないようでは逃げることもままならない。

「……地下施設爆破・焼却開始。地上旧校舎爆破二分前」

 ずん、と足元が大きく揺れる。それに続けて、シャッターの奥から爆破音が聞こえた。

 まずい、本気でまずい。

 階段はまだまだ続いている。このまま二人、手をこまねいていればどうなるかは、あまりにも明白。

「カイト……」

 小春が、おれを呼ぶ。

 その声は弱弱しく、瞳からは力が消えかけていた。

 それだけで彼女が何を言いたいかわかった。

 おれ達は、今や本当の相棒になるための一歩を踏み出した。依存ではなく、お互いがお互いのことを真に理解し、受け入れている、そんな関係に向かって。

 ずっと一緒にいたいと、お互いが思っている。

 だからこそ、こんな状況でお荷物になってしまったら、考えることは一つだ。

「ボクを……」

「断る!」

 けどそんな事、許すわけがなかった。

 小春の左わきにおれの首を挟み、ズボンの右腰側を思い切り掴み、腕力に任せて彼女を引きずる。

「ま、待ってカイト、ボクは……」

「何勝手に死ぬ気になってんだよ……!」

 足元の揺れは大きくなっている。踏み出す足が絡め取られそうになるくらいだ。背中に徐々に熱を感じている。いや、熱というよりは炎と呼ぶべきか。実際に燃えているわけではないが、熱波が息の根を止めようと襲いかかってくる。

「けどこのままじゃカイトも死んじゃう!ボクがお荷物になるくらいなら、せめてキミだけは……!」

「おれも同じだよ!」

 大きな塊が砕け、それが爆ぜる音が一層大きくなる。

「小春だけは死なせたくない!だったら答えは一つだろ!」

 視線を上に向ける。階段は残り三分の一。

「思い出せ!芦引大秋を!」

 小春の体が一度大きく、そしてその後小刻みに震える。

「あの男はおれ達の前から逃げて、このままじゃ謎はまた闇の中だ!それをまた引きずりだすのが、おれ達のやることだろ!」

「カイト……そうか、そうだよね」

 小春の肩に力が入る。それと同時に、彼女が纏う空気が変わる。

「ごめん。ショックでどうにかなってたみたいだ。……絶対に、ここから出る!ボク達は二人で生きるんだ!!」

 その時、特段大きな爆発音が轟き、周りが一瞬にして赤い光に包まれた。背後からの圧が体にぶつかる。

「地上旧校舎爆破・焼却一分前」

 アナウンスが流れた。

 振り返ると、シャッターが爆発の影響で、階段の中頃まで吹き飛んでいた。露わになった地下施設は炎に染まっていた。

「行こう、カイト!」

 炎に照らされ、小春の顔が見える。その表情に翳りは無かった。真っすぐと上を見つめ、左足だけで階段を登る。

「ああ、行こう!」

 足を踏み出す。息はとっくに切れていたし、気を抜けばその場に倒れてしまいそうだった。

 だけど、それでも踏み出すこの一歩は未来に繋がっている。

 その確信が、力を生む。

「……よし!!」

 階段を登り切った。とっくに日が落ちて暗かったが、すぐ目の前に玄関が見えた。あとは少しでもここから遠くへ行き、爆発の勢いから逃れられる場所に身を潜めるだけだ。

 靴箱の間を通り抜け、昇降口の扉からついに旧校舎の外へ。

「あ……」

 しかし夜の闇はおれたちを嘲笑うように、隠していた現実を突きつけた。

 目の前に延々と広がるグラウンド。遮蔽物になりそうな塀は遥か前方だった。

「地上旧校舎爆破・焼却三十秒前」

 普通に走れたとしても、三十秒で校門に辿り着くかどうかの距離だ。手負いの状態では到底たどり着けない。

「まだだ!」

「っ!」

 小春からの一喝で目が覚める。

 そうだ、まだ三十秒あるんだ。絶望するのは、最後まで足掻いてからでいい。

「地上旧校舎爆破・焼却二十秒前。十九、十八……」

 闇雲に離れようとしてもダメだ。校舎から離れても、爆風で飛ばされた破片に潰されてしまうかもしれない。

 かと言ってこの広いグラウンドには遮蔽物のようなものは……。

「あれだ!」

 小春が右に向かって引っ張ってくる。

 その先にあったのは、焼却炉だった。それを取り囲むコンクリートの塀は、二人が身を隠すには十分な大きさがあった。

 急いで焼却炉に向かう。

「爆破・焼却十秒前。九、八……」

 旧校舎からアナウンスが漏れてくる。

 急げ。

 急げ。

「六、五……」

 あと十五メートル。十メートル、五メートル……。

「三、二、一……」

「小春!」

 最後、おれは小春を抱えて、焼却炉の影に飛び込んだ。

 その直後だった。耳をつんざくような音と、地震のような地鳴りと、押し潰されそうなほどの圧が襲ってきたのは。

「……」

「……」

 倒れ込んで、おれは目をつぶっていた。

 もしかしたら自分も小春も死んだんじゃないかと思うと、怖かった。

「……カイト」

 小春がおれを呼ぶ。

 恐る恐る目を開ける。

 目の前に、小春がいた。地面に仰向けになった彼女に、おれは覆いかぶさっていた。

 彼女の頬に触れる。柔らかく、暖かさを感じる。

 彼女もおれの頬に触れ、目を細めた。

 互いが互いの生に安堵した。

「……よかった」

「……ああ」

 小春の上からどく。彼女の背を支え、起き上がるのを助ける。

「これは……」

 空は暗かった。

 しかし周囲は昼のように明るかった。

「なんだこれ……」

 おれと小春は、呆然とそれを見ていた。

 三階まであった旧校舎は、もはや原型を留めていなかった。

 爆破よって崩れ落ちた瓦礫の山は、炎に覆われていた。それ自体がまるで巨大な生物のようにごうごうと唸りを上げ、波打っていた。

「くそっ……くそっ!」

 小春が強く地面を殴りつける。

「このまま逃げられると思うなよ!」

 そしてコンクリートの塀に手をついて立ち上がり、強大なそれを睨みつける。

「次はボク達が、必ずお前を暴き切ってやる!それまでせいぜい、闇の中で待っていろ!」

 そう啖呵を切る小春の瞳から、一筋の涙が流れた。

 ――これが、三ヶ月にもわたる、一連の事件の終末だった。

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