第二十五話:染色
「……これからどうするつもりだ?」
高砂が落ち着いてからしばらくして、小春に問う。
「決まってるだろう。施設のこと、ボタニカロイドのこと……全てを暴いて、この事件を終わらせる」
そう言って小春は傍らに膝をつく高砂を見やる。自分の興味だけでなく、高砂莉子のことを知った以上この事件を解決しなければならない、という意思を感じる。
「ホントは一人で終わらせるつもりだったけど……まさか二人ともいるとは思わなかったよ」
小春はスマホの画面を見せる。高砂に殺されそうになった時と同じ、追跡アプリだ。
「まあその、こっちも色々あったんだ」
「大方、逃げ出したきゅうちゃん……いや、高砂さんを追ってきたら捕まった、って感じでしょ」
「……正解だよ」
「だろうね。キミのことだし」
小春はいたずらっ子のように笑った。ただ、おれと高砂に何があったかは聞こうとしなかった。
「というわけだ。ホントはこの施設を案内してほしかったんだけど……頼めそうにはないね」
小春は、膝をついておれにもたれかかっている高砂を見る。先ほど小春が言っていた“ダメージ”がまだまだ抜けていないのだろう。
「さっきも言ったけど、キミは一度ボタニカロイドに戻ったほうがいい。そうしないと……」
「……余計なお世話だから」
壊れかけたスピーカーのようにブツブツと言葉を発し、高砂は立ち上がろうとする。しかし一人で立てるような状態ではなく、結局おれの肩を借りた。
「……進むのはやめといた方がいいんじゃない。藪を突いて、蛇どころじゃないものが出てくると思う」
徐に小春を向く高砂。泣き腫らして、彼女の目の周りは少し赤い。顔も少しやつれているように見える。
「覚悟の上だよ」
「覚悟すればいいって問題じゃないと思う。この先にあるのは……」
ちらりと、高砂が廊下の奥を一瞥する。先に行けば行くほど暗くなっていくように見える。その様は、大蛇の喉元のようだ。おれ達は既に藪の中どころか、化物の体内にいるのかもしれない。
「大丈夫だよ。……何となく、わかってるから」
そう言う小春に違和感を覚えた。普段の彼女なら、謎の中心にいるこの状況で不敵な笑みを浮かべ、楽しんでいるはずだ。しかし今は違う。ぐっと奥歯を噛みしめ、拳を握り、怯える自分をこの場に繋ぎ止めているかのようだ。
「何か知ってるのか、小春」
「知ってるってわけじゃない。ただ……可能性があるってだけだ。そう、可能性が」
自らに言い聞かせるように、可能性と繰り返す。
その言葉は一体何を意味するのだろうか。
非人道的な実験が行われているとか、毒々しい色の水に満ちた円柱型のケースに人間が入れられている、とかだろうか。
けどそういった物理的なものよりは、もっと心理的なものに耐えようとしている。
彼女自身、その正体についてはまだ推測の域を出ていないのだろう。確固たる自信を持っているようには見えない。だから彼女の考えをここで聞き出すのは得策ではないように思われた。
「わかった。今はとりあえず進もう。話はその後だ」
「……キミのそういうところ、ホントに助かるよ」
ふっと脱力するように笑うと、小春はポケットから鞘付きのナイフを差し出してきた。
「これはキミが持っておいてくれ。さっき咲ねえが持ってたものだ。ボクはもちろん、おそらく高砂さんよりも、キミに預けるのが一番信頼出来る」
「……そうね。私が持ったら、開人君や、この先にいるあいつを殺しかねない」
「じゃあ持っておくよ。……また殺されそうになるのは嫌だし」
小春から渡されたナイフを手に取り、ポケットに入れる。この先に誰がいるか、何があるか知らないが、このナイフを使う機会がないことを願う。
「そうしてくれたまえ」
おれの冗談に、小春と高砂は小さく笑う。しかし二人とも、明らかに無理をしているように見えた。
「……じゃあ、行こうか」
廊下の奥へと向かう。
「……にしても、なんだよここ。気持ち悪いな」
窓は無く、延々と続く白色の壁と、それを照らす蛍光灯。気を抜くと、自分がどこにいるのかすらわからなくなる。途中に現れるドアに書いてある数字で、辛うじて前に進んでいると実感出来る。今は「6」だ。
「そういうデザインだと思う。心を壊すための」
おれの肩を借り、足を引きずるように歩く高砂が言う。
先ほど拘束されていた部屋を思い出す。あの上下左右全てが白で、音もしない空間。あそこにいるだけで、軽く幻覚を見た。やはりあれは人工的な煉獄のようだ。
「多分、この場所の全ては心を壊すために作られている。さっき電気流されて、それが止められた時、しばらく何も考えられなかったよね?」
高砂に頷きで返す。
「あれを何回も続けられるとね、ある時気づくの。痛みも何も感じなければ、楽なんだ。心をなくしてしまえばいいんだって。そして、徐々にボタニカロイドの人格が出来る」
「……っ」
「まあ、私は心なんてなくなれって思ってここに来たから、ボタニカロイドになるには合ってたのかもね」
高砂の話を聞き、胸が潰れそうになった。
あの痛みを、高砂は何回受けたのだろう。彼女がもがく姿が頭に浮かび、耳の奥で悲鳴が聞こえた。その苦しみはおれ一人の死などでは到底贖えない。助けられなかった代償は、
あまりに大きい。
「カイト」
気づくと、小春がおれの手を握ってくれていた。
「小春……」
「ボクがいるよ」
その一言だけで、涙が出そうになった。自分が味方だ、と言ってくれることが今のおれにとって何よりの支えだった。
……昨日までだったら、彼女を薬として見ていた時なら、これで終わっていたかもしれない。
しかし今は違った。
小春はおれを支えようとしてくれると同時に、おれの支えを欲しているのがわかった。この先に待ち受けるものは一人では太刀打ち出来ない。だから、キミの力が必要だ、と。
「ありがとう」
そう言って、彼女の小さな手を握り返した。
その後も、長い廊下を進み続ける。
すると、今まで左右にしか見えなかった数字が突き当たりに現れた。そこに書かれた数字は、「0」。
「……ここが一番奥」
高砂はおれの肩から緩慢な動きで離れ、こちらを振り向く。その瞳が強く問いかけている。ここから先に行けば、もう戻れない。引き返すなら今だ、と。
扉の向こうに、全てがある。
「ボクは大丈夫だ」
小春がおれの手を離し、懐中電灯型のスタンガンを手に取る。当然ながら、彼女がここで引き下がることはないだろう。
そして今回ばかりはおれも同じだった。持っていたナイフの鞘を外し、柄を握る。
高砂をボタニカロイドにさせた当事者として、この事件を見届けなければならない。そんな思いを自分の内に強く感じる。
「じゃあ、行こうか」
高砂はドアの横にある機械の画面に自分の顔を向ける。画面上で彼女の瞳がフォーカスされ、十字のカーソルが緑色に光る。
すると、一切音を立てずドアが横に開いた。
「これは……!」
その部屋に照明は無かった。
しかし明るかった。
光は、四列に並んだ、円柱型の大きな水槽のライトから来ていた。緑色の水を通しているため、部屋はぼんやりとその色に染まっていた。
「染色機」
高砂は水槽に近づき、憎々しげにその名を告げた。
「なるほどね」
小春は染色機を軽く叩く。ごぽり、と大きな泡が緑色の水に生まれた。
「さっきの白い部屋と違って、こっちは人間の体をボタニカロイドにするための部屋。そういうことだろう?」
「そう。詳しいことは知らないけど、ここに一週間くらい漬けられたら細胞が変わってしまうの。私も、そうだったから」
周囲に林のようにそびえたつ染色機の光を浴びて、高砂の緑の髪が不気味に輝く。
「何だよこれ……マジで、こんな……」
まるで、養殖場だ。今まで散々ボタニカロイドの非人間性を目の当たりにしてきたが、改めて見せられるとやはりショックが大きい。ただ、染色機に入っているボタニカロイドは見当たらない。
「……向こうも、わかってるんだろうね。ボク達がここに来るって。だから写真を撮られたりするリスクを避けるために、全ての容器を空にした」
「ああ、わかっていたとも」
不意におれ達のものではない声が部屋に響く。三人はそれぞれに、部屋の奥に向かって身構える。
緑の光を身に受け、その人物は現れた。
ぎらついた、執着的な好奇心を示す目をするその人物には、心当たりがあった。
一人は芦引小春。
そしてもう一人。
黒い髪を後ろに撫でつけ、百八十センチ以上はあるだろう長身の男。
「……お父さん」
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