第二十三話:それが答えだよ
「小春!」
おれが磔にされている向かい側の壁が開き、そこから小春が入ってきた。
堂々と、ゆったりとした歩調でこちらに近づいてくる。その険しい目に宿る意志は強い。
「小春ちゃん……小春ちゃん!」
信濃は恍惚な表情で小春に視線を送る。
それを隙と見た高砂が拘束から逃れようとするが、信濃は許さない。
「邪魔するな!」
信濃は高砂の頭を床に叩きつけると、懐から手錠を取り出して両手両足にかける。
「高砂!」
「……」
高砂は小春に向かっていく信濃を睨みつけている。唇の端が切れて血が流れているが、見た目ほど重傷ではないようだ。
「小春ちゃん……本当に会いたかった。会いたいのはいつものことだけど、今日だけは特に」
両腕を広げ、まるで神と相対しているかのような口調の信濃。
「凄く嬉しい。だってこれって、私を選んでくれたってことでしょ?あの男じゃなくて私を迎えに来てくれたってことなんでしょう?……ああ、小春ちゃん、昔の私にそっくり。拒絶されるのが怖くて人から距離を取る。けど本当は受け入れてほしい。そして、そんな自分を受け入れてくれる人に依存して、離れなくなる。辛かったよね、私ならその痛みがわかる。私なら、貴女と一緒にいられる」
「……聞きたいことがある」
小春は信濃の言葉には答えず、毅然として逆に問いかける。
「キミは、ボタニカロイドの一連の事件に関わっているんだな?」
「その通り!私はボタニカロイドを作る側!小春ちゃんの大好きな、謎!」
「ボク達に伊谷市の行方不明者のことを伝えたのは、最初から拉致してボタニカロイドにする気だったから」
「そう!本当は眠らせて連れ帰って、私が全部お世話してあげるつもりだったけど……さすが小春ちゃん、そんな罠には引っかからなかった。だから貴女の味方をして、あの場に居合わせた人間を拘束した!」
「……笑わせるよ。警察っていう肩書を過信してしまった。本当はあの喫茶店の人たちの逮捕なんてしてなくて、ボクらに調査をさせないためにあの喫茶店を引き上げる手筈を整えてたんだ」
「その通り!」
「目的は何だ?何故キミは彼らを作ったんだ?」
「そんなの決まってる。小春ちゃんに会う為」
「……どういうことだ」
「小春ちゃんは謎が大好きだから、こちら側にいればいつか必ず会える。私のことを見てくれる。思った通り、小春ちゃんは私を見てくれている。そして……今なら貴女を私のものにできる」
「……こんなことしなくても、連絡くれれば会うよ。きっと、キミのものにはならないけど」
「それじゃダメなの!」
信濃は虚空の偶像に向かって手を伸ばす。
「ただ会うだけじゃダメ!顔を合わせるだけじゃ、私は何も満たされない!もっと小春ちゃんが欲しくて欲しくて壊れそうになる!その小さな顔に可愛い目、少し低い鼻、美味しそうな唇、包まれたい胸、触れていたい太もも、舐めたい足、ちょっと尖っているけど甘い声、私を受け入れてくれる心……私は芦引小春の何もかもが欲しい!だから私はここにいる!愛してるの、小春ちゃん!」
信濃は目を見開き、口の端から唾液を垂らして小春に近づく。
「だから私の人形になって!貴女をボタニカロイドにすれば、貴女は一生に私の傍にいられる!さあ、私にあなたを頂戴!」
「……やっぱりね」
小春は空に向かって呟き、徐にポケットから催涙スプレーを出して構えた。
「それは……何?」
信濃が足を止め、呆然と小春を見る。
「どういうこと?ねえ小春ちゃん、どういうこと?なんで?なんで私にそれを向けるの?ねえなんで?」
小春は答えず、催涙スプレーを構え続ける。二人の間の距離は五メートルもない。十分に射程範囲内だ。
「小春ちゃんだけは……小春ちゃんだけは、私のことを好きでいてくれる。あの時、そう言ってくれた」
「……小学一年生の時の話だよ。残念だけどボクは、今のキミを好きにはなれない。ボクは、謎を解決するために、キミと決別するためにここにいるんだ」
「……そっか」
信濃は項垂れる。
「そっか、小春ちゃんは解決する側か。私、間違えたんだ」
「……ああ、間違えてるよ。けど……やり直せないわけじゃない」
小春は催涙スプレーを降ろす。
「ボクにとって、今のキミは怖い。キミが向けてくるその気持ちを、ボクは受け取れない。だけどお互いに変われるなら……ボクはもう一度、キミとも一緒にいたい」
「……やっぱり、小春ちゃんは優しい。こんな私に、まだチャンスをくれる」
信濃の声に嗚咽が混じる。
「けど、もうダメ」
よろよろとふらつきながら小春に近づいていく。
「っ!」
小春は再度催涙スプレーを構えようとしたが、信濃にその手を押さえられる。
「うっ……!」
信濃が小春の手首を強く握る。よほどの力が加わったのか、小春は思わずスプレー缶を落とす。
「小春!」
身を捩って何とか小春のもとへ行こうとするが、拘束は全く解けそうにない。焦りが身を焦がす。
「……何の、つもりだい」
「……」
信濃は、持っていた銃を小春に差し出した。
そして囁いた。
「撃って」
「え……?」
「ほら早く、受け取って。あと一発だけ入ってるから。この距離だったら素人でも当てられれる」
くすり、と笑う声が聞こえてきた。
「そうしてくれれば、私は最後に小春ちゃんの顔を見て死ねる。それに……初めて殺した人間として、貴女はずっと私のことを忘れない。」
「……そんなことすると思うのかい?」
「しなかったらあの二人を殺す。その後貴女をボタニカロイドにして、私の奴隷にする」
「……」
小春は信濃を強く睨みつける。かつての相棒に対してとは思えないほどの敵意に満ちている。
「……そうかい。じゃあ元相棒のよしみだ、殺してやる。けどそれはキミが自分自身の罪を、ちゃんと法の下で償ってからだ。何故そうすべきかは、キミが一番わかっているはずだ」
「残念だけど、もう手遅れ。私はもう落ちる所まで落ちてしまった。何をしようが、もうこの歪みは直らない。今を過ぎれば、私はもう止まらない。だから」
信濃は小春の左手に銃把を握らせ、その銃口を自分の腹に押し当てた。
「私を助けて、小春ちゃん」
「……咲ねえ」
小春は苦悶の表情を浮かべる。
今の信濃咲音は狂人だ。だけど小春にとって信濃は元相棒で、本当は仲良くしたい存在なのだ。
「……嫌だよ、咲ねえ。どうして、こんなことになったんだよ。ボクが悪いの?ボクと相棒にならなければ、キミが苦しむことはなかったの?」
「違う。小春ちゃんは悪くない」
信濃は首を横に振る。その表情は、憑き物が落ちたように穏やかだった。
「悪いのは全部私だから。自分の気持ちを抑えられなくて、貴女の小さな体に全てを背負わせようとしてしまった。全部全部私が悪いの。だから」
信濃は銃から手を離し、腰の後ろで手を組む。微笑みすら浮かべていた。自分が天国に行けると確信しているようだった。
「さあ、撃って」
「咲ねえ……」
ぐっ、と小春が歯を噛みしめ、目を閉じる。
その時だった。
信濃の組んだ手。それが一瞬、きらりと光って見えた。
それが何かを頭で理解する前に、おれは叫んでいた。
「ナイフだ!!小春!!」
ほんの一瞬だけ。
おれの声で、ほんの一瞬だけ信濃が動揺し、動きが固まった。
そのコンマ何秒の間に小春が後ろに飛びのく。しかしその手に催涙スプレーはない。これではただの時間稼ぎにしかならない。
「一緒に死んでよ、小春ちゃん!!!」
信濃がナイフを振り上げ、小春に向かって飛び掛かる。
「咲ねえっ!!」
小春が銃を放り投げ、右のポケットから何かを取り出す。そして、それを信濃に向かって突き出した。
「あ゛ぁっ!!」
うめき声が上がり、二人は倒れこんだ。
「はあ、はあ……っ!」
立ち上がったのは、小春だった。信濃の下から這い出た彼女は、右手に黒い懐中電灯を持っていた。その懐中電灯は、バチバチと痛みを想起させる音を鳴らした。
「あぁ、ぐ、あああぁぁぁ……!!」
信濃は腹を押さえ、うずくまったまま動かない。
「スタンガン……!?」
小春の持っている懐中電灯。たしか昨日、おれの部屋に飛び込んできた時に持っていたそれは、スタンガンでもあった。
「はあ、はあ……」
息を荒げつつ、信濃の手を蹴る。持っていたナイフが飛ばされて床を転がるが、信濃は呻いたまま起き上がることすら出来ない。
「痛い……痛い、痛いよ、小春ちゃん……!」
嗚咽が混じるその声を無視して、小春は信濃のジャケットの懐から鍵の束を取り出す。
「くっ……!」
小春が顔をしかめて左腕を抑える。よく見ると、着ていたシャツが切られ、その下の肌が赤色に染まっていた。
「大丈夫か小春!」
「……」
小春は右手をおれに突き出し、気にするな、と意思表示した。
そして高砂の元へ近寄って彼女の手足の枷を外す。
「きゅうちゃん、悪いけど……信濃にこれを着けて来てくれ。手足にね」
「……」
高砂は無言で自分が着けていた手錠を受け取り、信濃の元へ向かう。
今はきゅうが高砂莉子であることを、小春は知らない。小春は少し怪訝な顔をしたが、追及はしなかった。
「今、外すから」
こちらは見ずに、小春は壁に鍵を差し込む。カシャっ、という音と共におれを拘束していた金属のベルトが外れる。いきなりだったので、少しバランスを崩しそうになる。
「……」
それを、小春が無言で支えてくれた。
「つっ」
しかし彼女は顔をしかめた。ナイフで切られた腕が痛むのだろう。
「悪い、大丈夫か」
「かすり傷だから」
「そ、そっか。……ありがとう、小春」
「……」
応えず、小春はスタスタと歩き出す。
おれは彼女とは逆方向に歩を進める。そこに、テープだらけの封筒が落ちていた。
それを拾い、信濃を拘束している高砂に目を向ける。
これを見て、高砂は何を思ったのだろうか。
「何してるんだい、行くよ」
小春が肩越しに視線を投げてくる。
「あぁ、うん」
封筒を再びポケットに入れ、早足で小春に追いつく。
「終わった」
高砂が近づいて来る。いまだに腹を押さえている信濃の両手足に枷がつけられていた。あれだと、もう満足に動けないだろう。
その姿は、あまりに哀れだった。
先ほどのやり取りを見れば、彼女が小春に依存していたことは明白だ。そして、その様はあまりに狂気的だった。
けど初めは、愛だったはずだ。純粋にお互いのことを信頼し、お互いのことが好きだったはずだ。
彼女はどこで間違え、どこで変わってしまったのだろう。
「とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
「待って……!」
小春の声に最も早く反応したのは信濃だった。
「……どうして……!どうしてなの小春ちゃん!」
嗚咽の混じる信濃の声。彼女は手錠をかけられた両手を小春に伸ばす。しかし悲痛な呻き声を上げ、またうずくまる。
「お願い……私を捨てないで……!私のそばにいて!私を受け入れて!小春ちゃん……!」
叫び続ける信濃を小春は一瞥する。
「……それが答えだよ」
そう一言だけ呟き、外に出た。
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