第十三話:決定的な証拠

 外は雨が降っていた。大雨ではないが、雨粒一つ一つの重さをカッパのフードを叩く音で感じる。

 雨の夜は家にこもっている方が好きだ。しかし、今日はそうもいかなかった。

「あそこだ」

 田んぼばかりの開けた土地の真ん中に、ポツンとあるその場所。

 伊谷高校旧校舎だ。

 二ヶ月前、おれが小春と始めて行った調査で訪れた。当然、あの時のことははっきりと覚えている。

「ん……?」

 旧校舎に近づいてきたところで、先を行く小春が足を止める。

「どうした?」

「カイト、きゅうちゃん、ここでストップ」

「わかった」

「はい」

 小春の指令通り、おれときゅうは足を止める。三人頭を縦にして、駐車してあったトラクターの影から旧校舎の正門を窺う。全員カッパ姿で、きゅうに至っては面が割れないように黒縁の伊達メガネとマスクを着けている。側から見ると不審な集団に見えそうだ。

「あれ見て」

 小春が少し小声で言い、正門を指差す。

 そこには、警備員が二人立っていた。

「あんな人たち、前はいなかったよな?」

「うん。四月の時は、堂々と正門から入れたくらいだからね」

「中の工事が進んだ……っていうわけでもないか」

 フェンス越しに敷地内を見やるが、シートで囲われているとか重機が入っているとか、そういう様子はない。

「でも、どうするんだ?あれだと、中に入るの難しそうだぞ」

「簡単だよ、直接彼らに聞きに行けばいい。運が良ければ入れるかもしれないし、無理でも中の情報が得られれば上々。よし、じゃあ質問はボクがする。カイトは正門に何か変なところがないか確認。きゅうちゃんはここから、警備員の顔を見ておいてくれ」

「……了解」

「わかりました」

 きゅうをその場に残し、おれと小春が正門に近づく。

 それにしても、小春が妙に冷静なことが気になる。いや、それは良いことではある。ただ、いつもだったらもっと興奮しているはずだ。旧校舎に初めて来た時のように暴れ出しても不思議ではない。しかし今の小春にそんな気配は全くない。まあ、そうなる可能性がないとは言い切れないので、ある程度情報を得た段階で、小春に待ったをかけたいところではあるが。

「あの、すいません。私たちこの辺りを調べているのですが、ここは何なのでしょうか」

 普段の小春なら間違いなく言わないだろうことをさらりと吐く。五月の調査の時も思ったが、パニックにさえならなければこういう時の演技が上手い。不自然さなくやってのける。まあ、学生が夜八時頃にこんなところに来る、という状況がそもそも不自然かもしれないが。

「……」

 若い警備員の男性はうんともすんとも言わない。

「すいませーん、いいですかー。ちょっとお聞きしたいんですけどー」

 少し声を大きくしてみたようだが、一切反応はない。のれんに腕押しという言葉がぴったりだ。

 手助けできるならしたいが、おれは不用意に口を挟まないほうがいい。何せ考えが表情に出る。そこからどんなボロが出るかわからない。本音を言えば、ここに来ることすら嫌だった。

いや、旧校舎のことを調べるくらいでは、あの件には至らないはずだ。それに、ここの情報を得ておくことはおれにとってメリットがないわけではない。

とにかく、自分の職務を全うしよう。できることはそれしかない。

 今、おれ達は正門の左側の警備員に接触している。正門の右側にも警備員がいる。彼の年齢も、おれたちとさほど変わらないだろう。

 ぼんやりと警備員の男性を見ていると、彼の頭上で何かが光った。

 暗闇の中、目を凝らす。防犯カメラの赤い光が明滅しているようだった。旧校舎を囲むフェンスに設置されている。レンズはしっかりとこちらを向き、不審な動きがあるか監視している。

 しかし、前回来た時にあんなものはなかった気がする。そもそも、たかが旧校舎のセキュリティをここまで強くすることに何の意味が?。勿論、工事の邪魔をされたくないのはあるだろうが、警備員か防犯カメラのどちらかでいいような気がする。

 あるいは、そうしなければならない理由があるのか。

 『旧校舎では謎の実験が行われている』?

 ……いや、そんなはずはない。

 実際、四月に来た時も人はいた。しかし彼らは単なる清掃員だった。人影は、旧校舎のオーナーが雇った作業員のはずだ。そこに超常現象も、都市伝説もない。

 だから、話はそれで終わりになるはずだ。ここで人間を作り替える実験なんてやっていない。

 と、今までだったら思っていた。

 けどおれたちは、ボタニカロイドという存在を目の当たりにしてしまった。

「……そうか」

 警備員に一方的に話しかけていた小春がため息をつく。聞いていた限り、警備員は声一つ出さなかった。それに業を煮やしたのか、彼女はもう一人の警備員に近づいて行く。

「すいませーん、ちょっといいですかー」

 声をかけるが、彼からも反応はない。警備員二人とも、彫像のようだ。動く気配は皆無。

「……」

 ちなみに来た道を振り返ると、きゅうがトラクターの陰から双眼鏡を手にこちらを窺っているのが微かに見えた。彼女がいる場所は暗いが、旧校舎の正門は街灯に照らされている。こちらからでは、注意して見なければトラクターすら見えない。

「……撤収!」

 二人目の警備員と接触していた小春が声を上げ、身を翻す。

 小春の背を追う。警備員から何の情報も得られず、意気消沈しているかもしれない。と思ったが、意外にも前を行く小春の足取りは重くない。

 追いついて顔を覗き込むと、彼女は小さく頷いていた。

「何か収穫があったのか?」

「ああ。あ、きゅうちゃんお疲れ様」

「はい」

 小春の指示で身を潜めていたきゅうと合流し、改めてその場所で身を寄せる。

「もう少し、彼らを観察していこう」

「彼らって、あの警備員?」

「もちろんだよ」

「けど、もう散々見たじゃないか。これ以上何かあるか?」

「決定的な証拠ってやつだよ」

 小春が角から顔を出し、警備員を見る。

「そんなのがあるのか?」

 角から顔を出しつつ、小春に聞く。

「キミも、彼らの正体についてはある程度予測がついているだろう?」

「……一応」

「けど、あの二人が警備員として特殊な訓練を受けている可能性も、僅かながらある。だから、完全な証拠をゲットする」

「何か目星がついてるのか?」

「ああ。今、ボクらがここに来て三十分が経った。だから、そろそろでもおかしくない」

 何をそろそろだと言っているのかはわからないが、とにかく警備員を見続ける。

 それから十分ほど経過した時だった。

「……ん?」

 あれほどまで動かなかった警備員が二人とも動いた。並べた両手の平を空に向け、顔付近の高さまで上げる。そしてその手を、自分の口に付けた。

「やっぱりね」

「あれは……もしかして水を飲んでるのか?」

「ああ、そうだ。きゅうちゃんも、およそ一時間に一回水分補給をしていたからね」

 普通の人間なら、ペットボトルや水筒から水分補給するはずだ。間違っても、雨を飲もうとは思わない。

「……ってことはつまり」

「間違いないよ。彼らはボタニカロイド。そして伊谷高校旧校舎は、製造所だ」

 小春の体が震える。

「繋がった。全てが繋がった」

「……」

 おれも、がつんと頭を殴られたような衝撃を受けていた。

 いや、でもまだ大丈夫。

 おれの過去には届いていない。

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