第十二話:人形と所有者

 テレビをつけると、ニュースをやっていた。

 内容は、“伊谷市 青少年殺人事件”だった。

「やっぱり、ボクも含めてこういうネタは大衆好みだよね」

 菓子パンを口に頬張りながら、小春が言う。食べているのは“チョコカスタード蒸しパン”で、よくある黄色の蒸しパンをチョコでコーティングしたものだ。しかもパンの中にはカスタードクリームが入っている。カロリーの権化のような商品だ。

 “過激な動画が流れます。苦手な方はご注意ください”とテロップが出て、例の動画が流れる。相変わらず、緑髪の少女が同じく緑髪の少年の首を絞めている。

 ワイプのキャスターやコメンテーターが険しい表情をしている。ツイーターを見ると、ショッキングな映像に対し不快感を露わにする人も多い。

 しかしおれも小春も、食事の片手間に流し見出来るくらいには慣れてしまっていた。

 まあ、事件の真犯人が目の前にいるのだ。しかも、余計なことをしなければ彼女がおれ達に危害を加えることはない。緊張感も薄れる。

『動画は今なお拡散し続けられているようです。これについてコメンテーターの山口さんはどう思いますか』

 スタジオ内の山口なる初老の男性が、話を振られて少し前かがみになる。最近テレビは見ていないが、彼はどういう人物だったか。たしか、タレントとかだったような気がする。最近は慈善活動にも力を入れているとかなんとか。

『不快な気分です。加害者の少女は指名手配してすぐ逮捕しないといけません……』

「期待してなかったけど、やっぱりめぼしい情報はなしかあ」

 ごくっ、と喉を鳴らして小春がパンを飲み込む。

「正直、おれたち以上に情報持ってる人いないと思うけどな」

「ま、それもそうだね」

 小春がきゅうを一瞥する。彼女もぼんやりとテレビを見つめているが、何を考えているのかはわからない。いや、もしかすると何も考えていないのかもしれない。

『伊谷市は当分の間、全ての公立校を全日休校にすると発表しています。また、加害者・被害者の両名に関して、警察は身元調査を……』

「そういえば、あの男は知り合いなのか?」

「いいえ」

 きゅうに尋ねると、彼女は防犯カメラのように首を回してこちらを見た。

「けどあの緑の髪の男もボタニカロイドだよね?」

「そうだと思います。しかしボタニカロイド同士の交流があったわけではないので正確にはわかりません」

「感情がないんじゃ、仲良くなろうにもね。まあそれはそれとして、彼がきゅうちゃんを始末しに来たボタニカロイドなのは間違いないだろうね。放置していい存在じゃないし、やるなら身内で処理したほうがいい」

 そして、それに失敗してしまったわけだ。おかげさまで日本全国、果ては世界中に知れ渡る事件になった。

「ただ、一つ気になるんだけどさ」

 小春は人差し指を立て、きゅうに向き直る。

「キミ、どうして施設の外に出てきたんだい?そんなことしなければ、命を狙われたりもしなかっただろう?」

「処分されそうだったからです」

「処分……つまり、殺されそうだった?」

「はい」

「理由は?」

「わかりません」

 きゅうは首を横に振った。

「わからないっていうのは?」

「そのままの意味です。ある日突然殺されそうになりました。そして気付いたら私はこの伊谷の町にいました」

「記憶が無いってことか……厄介だな。どこまでなら覚えてるんだい?」

「殺される寸前までは覚えています」

「キミを殺そうとした人間のことは?」

「覚えています」

「何だって!その人間の名前は!」

 小春が立ち上がり、体を前のめりにする。ほぼ机の上に乗っているような体勢になっている。

「覚えてるのか、そいつの名前」

 おれも身を乗り出してきゅうに尋ねる。

 もしその人間が誰だかわかれば、一連の事件に関する重大な情報になる。きゅうがいた施設についても何かわかるかもしれない。そうなれば、この事件の解決への大きな一歩になる。

「わかりません」

 しかし、きゅうはかぶりを振った。

「マスターの顔や声は覚えています。しかし名前は一度も名乗らなかったのでわかりません」

「じゃあ人相でもいい!覚えてることを話して!」

 小春はわらをも掴む勢いでまくし立てる。

「出来ません」

 しかしそれも届かなかった。

「私はマスターの詳細について話すことを許されていません。そう命令されています。だから小春さんにも開人さんにも話すことはできません」

「……どういうことだい、きゅうちゃん。キミは契約上保護されているけど、それはボク達の調査に協力するという条件があってだ。ここでボクの質問を拒否するのなら、相応の理由を聞かせてもらおうか」

「私は貴方達と協力関係にあります。それは私の安全を保障します。しかしマスターとの関係は私の存在に関わる関係です」

 きゅうがおれ達に緑の瞳を向ける。その視線は今まで以上に人形のようだった。

「つまり、ボク達よりも、マスターの方がキミに対して持つ権限が大きいと?」

「はい」

「なるほどね……」

 小春が口元に手を当ててじっと考える。

「なるほどって、どういうことなんだ?」

「えっとね、どういうたとえをしたらいいか難しいんだけど……カイト、スマホの契約とか行ったことある?」

「ん、ああ。あるよ」

「あれってさ、親とか代理人が行っても大体出来るんだけど、ボクら本人が行かないとできないこともあるじゃない?」

「つまりこういうことか?きゅうがスマホだとして、おれや小春は代理人。だからおれ達ができることには限りがある。だけど契約者本人のマスターなら、きゅうの全ての権利を持ってる、と」

「ああ、そういうことだよ」

「……にしても、“スマホ”か」

「言いたいことはわかるよ。このたとえですんなりと理解ができる、っていうのはきゅうちゃんが道具として利用されていることの証だ」

「はい。私はマスターの人形です」

 中学時代、社会の授業で奴隷制度について学んだ。当時は単なる歴史という認識でしかなかった。しかし今、少なくとも目の前の“ボタニカロイド”という存在は自らを“人形”だと称している。これを奴隷と言わずして何と言えばいいのか。

 きゅうと出会って以来、このようなことばかりだ。今まで話でしか聞かなかったようなことが、目の前に現れる。知らなかっただけで、気づいたときには首に刀を突き付けられているような、背筋が凍る恐怖。

「……けど、それにしては妙だ。きゅうちゃん、仮にキミが奴隷だとして、じゃあ何故マスターの下から逃げ出しても命令に従っているんだい?施設から逃げ出したとしても、奴隷ならもう一度マスターの下に戻るんじゃないの?」

「はい。人形である私はそうすべきです」

 意外なことにきゅうは頷いた。

「しかし何故か私は戻ることができません」

「戻ることができない?」

「まず私は施設がどこにあるかを知りません。処分されそうになり気が付いたら道路の上に立っていました」

「だとすると何とか施設を探そうとするものだけど、そういうわけでもない」

「はい。声が聞こえます」

「声?」

 きゅうが両手で頭を抑える。

「あそこに行くなという声がずっと聞こえます。そしてそれに抗うことができない。だから私はただひたすらに逃げていた」

 その口調に抑揚はない。しかしそれは、今までで初めて見せたきゅうの人間らしい姿だった。

「処分されそうになった時の記憶がない、っていうのが何か重要そうな気はするな」

「確かに。突き詰めていくべきところだろうけど……何分、記憶がないんじゃあね。うっすらとでも覚えてない?」

「……」

 きゅうは中空を見つめたまま、彫像のように静止する。おそらく今記憶を探っているところなのだろう。

「非常に曖昧ですが記憶に残っていることがあります」

「本当かい!話したまえ」

「処分される寸前に激しいものがありました」

「激しいもの……?何だいそれは?」

「明確にはわかりません。しかし何かが私の中で暴れていたことを覚えています」

「自分の中で暴れていたって……それって!」

 勢い余り、机を叩いて立ち上がる。

「……ああ、そういうことだよ、カイト」

 小春はきゅうを見据え、神妙に頷いた。

「きゅうちゃん、キミにはまだ感情が残ってるかもしれない」

「いいえ。ボタニカロイドである私には感情がありません」

「いや、そうとしか考えられないよ。キミは殺される直前に抵抗したんだ。死にたくない、って。そう考えると、キミの言う“声”についても納得がいく」

「今の私には感情はありません。だから矛盾は生じません」

「今のキミはそうかもしれない。けどもし感情がないんだとしたら、なんできゅうちゃんはそのまま処分されなかったんだい?命令すれば、マスターはボタニカロイドを思いのままに出来るはず。ボタニカロイドの処分の時なんて、動くな、なりなんなりの命令が出ていたはずだ。それに対してきゅうちゃんは自分から抵抗したんだ。こんなこと、ただ従うだけの存在には絶対に出来ない。きゅうちゃんになる前の人格が、一時的に目を覚ました、以外はね」

「……」

 きゅうは何も言わない。何も言えないというのが正しいだろうか。彼女からすれば、自分の記憶にない事をあれこれ推理されているのだ。反論など出来るはずもない。

「……まあ、あくまで推測に過ぎないんだけどね」

「そうだな。ここからはどうする?」

「アプローチを変えよう。ボタニカロイドが作られていたという施設だ」

 小春はタブレットを取り出し、地図アプリを起動する。伊谷市の図面が表示される。

「早速だけどきゅうちゃん、自分がいた施設の場所のことを聞きたい」

「正確な場所はわかりません」

「それはそれでいい。記憶がないんだし、掘り返すつもりもないよ。どんな場所にあったかとか、周囲の風景とか、そのレベルでいいよ」

「地下から出てきたことはわかります」

「地下か……」

「はい。施設にいた時に階段を登って光合成をしに行ったことを覚えています」

「なるほど。とは言っても、地下のある施設なんて考え出したらきりがないね。具体的な場所さえわかれば、あとは芋づる式に色んな事実を紐解けるかも、と思ったんだけどね」

 「うーん」と腕を組んで小春が唸る。

「申し訳ありません」

「きゅうちゃんが謝ることじゃないよ。まあ、さっさと解決してしまいたいところではあるけどね」

 小春はとんとん、とタブレットの側面を叩く。

「おそらく、いやほぼ確実に、施設は伊谷市内にある。いくらボタニカロイドとは言え、簡単に県境を越えられるほどの体力はないだろう。それに、今までの発見報告は全部伊谷市で

のものだしね」

「つってもさ、小春。目撃情報が集中していたとしても、伊谷が最初に訪れた場所だとは限らないよな」

「うーん、それもそうだね……どうかなきゅうちゃん、最初に撮られた時のことは覚えてる?」

「私が意識を取り戻してからすぐでした」

「なるほどね……。きゅうちゃんが最初に目撃された場所がここだ」

 小春がタブレットを少し操作し、おれ達に見せてくる。

「そして、施設で処分されそうになってから目撃されるまでの間、きゅうちゃんは記憶がない」

「はい」

「ということは、施設から逃げ出してしばらくは、きゅうちゃんは人間だったのかもしれない」

「なんか、二重人格みたいだな」

「ボクはまさにそうだと思ってる。二重人格、正式な病名は解離性同一性障害。この病気は、普段の人格と別の人格のときで記憶が共有されていないことも多いらしい。もし実際に“きゅうちゃん”が別人格で、他に“元の”人間としての人格があるんだとすれば、ある程度行動の予測が立てやすい」

「予測って、どんな?」

「単純な話だ。人間だったという事は、感情があったということ。殺されそうになったのだから、恐怖、焦り、動揺でパニック状態になっていたはずだ」

「……なるほどな」

 今朝、きゅうに殺されかけたことを思い出す。あんなにもパニックに陥ったのは、人生で初めてだ。殺されそうになった以上、きゅうの中のもう一人も思考できるような余裕はなかったに違いない。

「普通全裸で外に出たのなら、大抵は人気の少ない道を通ろうとする。しかし目撃された時、きゅうちゃんは道のど真ん中にいた。つまり、施設から人目なんか気にせずに、恐怖に任せて突っ走ってきたということだ。とすれば、ある程度長い距離、割と広めの道を通ってきたんじゃないかと思う」

 小春が画面に置いた二本の指を近づけて、地図を縮小する。

「きゅうちゃんの運動能力にもよりけりだけど、とりあえず第一発見場所から半径二キロ程度を想定してみよう」

 目撃場所が駅から二キロほど南の地点。そこを基準のXとして西北西の方角に行けば、小春の家がある。ただ、その辺りには地下がありそうな施設は無い。ほとんどが家屋だ。Xから東、南の方向には、もはや家屋すらほとんどない。畑や田んぼばかりだ。

「見る感じ、駅付近が一番妥当そうだな」

「まあ、この地図を見る限りじゃそうかもね……いや、ちょっと待って……ちょっと待って!」

 小春がいきなり大きい声を出し、タブレットを奪い取る。眉間にシワを寄せ、前のめりに地図を睨む。

「ど、どうしたんだよ急に」

「……殺されそうになったんだとしたら、とにかく遠い場所に逃げようとしたはずだ。多分、ほとんど曲がってない。精々、一回か二回。ここから東に行きつつ、広い道の交差点は……二つ。これを辿って行くと……」

 おれの問いかけには一切答えない。ぶつぶつと、思考が言葉となって湧き出している。

「……マジで?」

 そして、全ての機能が落ちたかのように、ポツリと呟いた。

「小春、まさか施設の場所が……!」

「……ああ」

 ことっ、と、心ここにあらず、という様子で小春はタブレットを置いた。

「いいか二人とも、よく聞きたまえ」

 画面上、きゅうの第一発見場所を震える指で打つ。

「ここから、東に行くんだ。田んぼの間の広い道を通りつつ、途中の交差点で左に、そして右に曲がる。すると、ここに辿り着く」

 小春の指が止まる。そこは、田んぼでも畑でもない、フェンスに囲まれた敷地。

「……え、嘘だろ……?」

明確に名前は示されていないが、オカルト研究部はその場所を知っていた。

「伊谷高校旧校舎だ」

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