第十一話:知りたいのか、避けたいのか
目が覚めた時、空は暗くなり始めていた。
結局、あのまましっかりと寝たらしい。少し体は痛いが、寝起きにしては頭は冴えていた。
照明は消えていて、窓から入ってくる薄い光だけが部屋を照らしていた。
「……」
いつからそこにいるのか、きゅうは座ったまま、じっと窓から空を見上げていた。
彼女の横顔を見ていると、何だか感傷的な気分になる。
心のない少女は、何を見ているのだろう。梅雨の曇り空を見て、何を思うのだろう。
心があった時の彼女なら、どんな表情をしていたのだろう。少なくとも、今みたいな全くの無表情ではないだろう。「晴れるといいね」なんて言っていたかもしれない。
「ずっとそうしてるのか?」
声をかけると、きゅうはゆっくりとこちらを向いた。
「おはようございます。今日は太陽が出ていたのでずっとこうしていました」
「おれ達が寝てから?」
「はい」
壁にかかった時計を見ると、時刻はもう十八時に迫ろうとしている。こんな時間まで寝ていたおれもおれだが、きゅうは今まで僅かばかりも窓の前から動かなかったのか。
お年寄りが縁側でぼんやりと日を浴びているイメージが浮かんだが、だとしても八時間近く動かないなんてことはないだろう。
「ホントに感情がないんだな……」
改めて実感する。
何にも心動かされず、ただじっとする。それはまさしく植物だ。
「そういえば、小春は?」
首を伸ばして、ベッドの方に視線を向ける。
「すー……すー……」
ふいごのように息を立て、寝ていた。相変わらず布団を抱きしめ、顔を埋めている。息苦しくないのだろうか。
「カイトさんに一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
不意に、きゅうが尋ねてきた。
「ん?いいよ。答えられる範囲なら」
「貴方は小春さんのことを愛しているのですか」
「はい?」
まさかそんなことを聞かれると思っていなかったので、素っ頓狂な声を出してしまう。
「なんで急にそんなこと?」
「確認のためです。もしそういった関係であれば私は自分のふるまいを考える必要があります」
「愛……」
その言葉を考える。単に好きとか好意とか、そういったものとは少し違う感情。人と人を繋ぐ感情。
正直、よくわからない。
おれにとって小春が大切な存在であることは間違いない。しかしそれが“愛”かと問われると……どうなんだろう。
「さっきも言ったけど、別におれ達はそういう関係じゃないし……」
全く回答になってないな、と思う。
「回答になっていません。私は貴方が小春さんを愛しているかと聞いています」
見事にそれを指摘される。
「……わからない、じゃダメか?」
「“わからない”というのは?」
「言葉のままの意味だよ。おれが小春に“like”を感じてるのは事実だ。でもそれが“love”なのかはわからない。まあ、おれにとってそうであるように、小春にとってもおれが必要であってほしい、とは思うけど」
「なるほど」
きゅうは頷く。
「ちなみに、きゅうからはどう見えてるんだ?」
「私から見て貴方達に愛があるようには見えません」
そうやってはっきりと言われると、少しイラっとする。自分で認識していたとしてもだ。まあ、きゅうにおれたちを非難する気はないのだろうが。
「人の感情はわかるんだな」
「申し訳ありません。私に感情はありません。しかしそれが何かは理解しています」
もしそれが本当なら、彼女の有り様は非常に歪なものに見えた。
「ま、とにかくそういうことだ。正直よくわからん」
「人間とは理解しがたいものだと学習しました」
そう言うときゅうは立ち上がり、キッチンに向かう。水切りカゴに置いてあるコップを手に取り、それに水を入れて飲む。どうやらおれに聞きたいことはもうないらしい。
「そういえば、ずっと何も食べてないのか?」
「はい。食事する必要はありません」
きゅうは即答するが、にわかには信じられない。立ち上がり、冷蔵庫や妹が持ってきた紙袋を確認する。お菓子や果物は一切減っていなかった。
「……ふう」
きゅうがコップの水を飲み干して、息を吐く。その仕草は少しだけ人間らしく見えた。
「……なあ、きゅう」
「はい」
「仮に、だ。仮にきゅうは元々人間だったとして」
「はい」
「……その、元の人間の記憶があるとか、そういうのはないのか?」
「ありません」
決められたルーティーンのように、きゅうは回答した。
「そう、なのか。それは何と言うか……良かったな」
「良かったとはどういう意味ですか」
「いやその……もともとその体は別人のものだったわけじゃないか。その人の嫌な記憶が流れてくるとか、そういうのは大変そうだな、って思っただけだ」
「そのようなことは起こっていません」
「……まあ、そうなんだろうけど……わかったよ」
「ただし理解していないことがあります」
「と言うと?」
「時々私自身の記憶がなくなります。今朝気付くと私はあのベンチに座っていました」
あのベンチ、というのは山の頂上のものを指しているのだろう。
「日光がよく当たって、人もいないから選んだ、って感じじゃなかったのか?」
「違います」
「あ、そう……ボタニカロイドも色々あるんだな」
「はい」
きゅうはしばしおれの顔を見た後、再び先ほどと同じようにベッドの脇に腰を下ろした。
彼女の姿を見て、勝手にため息が出た。
おれはきゅうに対して何を思っているのだろう。きゅうをどうしたいんだろう。
彼女を知りたいのか、避けたいのか。
今朝、きゅうを探し回っていた時は彼女を知りたかった。その存在を、この目で確かめたかった。
だけど彼女が手の届く範囲に来てからは、避けたい気持ちがどんどん強くなっている。上手く視線を合わせることもできない。
自分がきゅうをどうしたいのかわからないから、適切な距離感を測り切れないままでいた。
「んん~っ……」
ベッドの方から、間延びした声が聞こえてくる。小春が起きたらしい。
「おはよう、小春。もう六時だけど」
「ん……おはよう、カイト。おなか減ったー」
「ご飯にするか。……っていうか、よだれ」
「あ、ホントだ……」
小春は自分の口元を雑に拭う。ぼんやりと半目で、まだエンジンはかかっていないらしい。
「ちょっと待て。布団は無事か?」
「布団……あ、よだれついてる」
小春が抱きしめていた布団をなぞる。明らかに液体らしきものが糸を引いていた。
「布団カバーそれしかないのに……雨降ってるから洗濯物あんま干せないし……」
「ん~、別にいいじゃないか。どうせキスしたら口に入るんだし……」
「おれたちそういう関係じゃないだろ」
「……じゃあマーキング」
「犬か」
「犬じゃなくて相棒だよ……。ご飯食べたい」
「……わかった、買ってくるよ」
寝て起きて食事ってやっぱ犬じゃないか……という感想は胸に留めた。
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