第九話:あるべき迷い

「じゃ、ボクいるもの準備してくるから。カイトはちょっと待ってて」

 小春は玄関で靴を脱ぎ捨てると、家の奥の自分の部屋に向かっていった。

「……はあ。元気なのはいいことだけど」

 夏花さんがため息をつく。

「さて、開人君。大事な客を、それも小春の相棒を玄関で待たせるわけにはいかない。キミも上がるといい」

「あ、はい。ありがとうございます」

 一礼し、靴を脱ぐ。

「こちらへ」

 先に上がっていた大秋さんが手招きする。

 小春の家は、玄関から見て真っすぐ前に続く廊下と、左右に伸びた廊下がある。

 大秋さんの行く先は、左に向かう廊下だった。

「キミも、謎が好きなのかい?」

 彼についていくと、こちらを向くことなく、唐突に大秋さんが問いかけてきた。

「……」

 おれが答えに窮していると、大秋さんは笑った。

「別に、正直に答えたらいい。キミを試しているわけじゃあない。答えがなかったからって、娘の相棒をやめろとは言わんさ」

「はあ……そうですか」

 当たり障りないことを言ってこの場を凌ごうかと思ったが、それは失礼にあたるだろう。しかも小春の父親だ。こちらの嘘なんて簡単にバレるに違いない。

「僕は謎そのものというより、謎がなぜ人を引き付けるのかが気になっています」

「ほう」

「僕自身、謎が面白いことはわかってます。けどなんで面白いのかがわからない。小春を見て、それを知りたいと思いました」

「なるほど、面白い視点だ。楽しみにしてるよ。キミがどういう答えを見つけるのか」

 廊下の突き当りにある障子戸を、大秋さんが開ける。

「入りたまえ」

「……お邪魔します」

 招かれるままに入る。部屋は、広さとしては十畳くらいだろうか。おれの部屋よりも少し大きい。

 障子戸の向かいには木枠の窓があり、そこに接するようにデスクが置かれている。デスクにはモニター、キーボード、紙や筆記用具などが雑然と散らかっている。しかし、部屋の真ん中の座卓には物が一つも置かれていなかった。

 壁際は、全て棚で埋まっていた。左手側には本が、右手側には深緑色の紙表紙のファイルが詰められていた。ファイルの背表紙には、年号とファイルの内容について書かれていた。

「これは……」

ファイルの内容は、“強盗”、“殺人”、“誘拐”と、物々しいものばかりだった。例えば棚のある段には十年前から去年までの強盗事件をまとめたものがずらりと並んでいた。

 その中には、行方不明事件に関するファイルの棚もあった。しかし、六年前から現在までのファイルはごっそりと抜けていた。

「気になるかい」

「え、ああ、まあ」

「ここにあるファイルには、過去に私が捜査に関わった事件の資料が収められている。そこの行方不明事件に関してもそうだ。ただ、六年前からのものは先月小春に全て渡したよ」

「はあ……」

 さすが小春の父親と言うべきか。親子揃って謎の調査をやっているらしい。小春もいずれこうなるのだろうか。

「警察……なんですか?あるいは探偵とか」

「私は警察ではない。どちらかと言えば探偵が近いだろうな。もともと大学で教員として都市伝説の研究を行っていたのだが、趣味で個人的に刑事事件の調査もやっていてね。最初は勝手に首を突っ込んでいたから警察にも邪険に扱われたものだよ」

 ははは、と高笑いをする大秋さん。

「最近はようやく警察にも顔が利くようになって、かなり自由に捜査をさせてもらえるようになった。もうすっかり大学もやめてしまったよ」

 一見すると紳士に見えるが、やはり小春の父親だ。小春の謎があればどんどん首を突っ込んでいく修正は、彼の遺伝なのだろう。

「さて、とりあえず座りたまえ」

「はい」

 言われるがまま、卓に面した座椅子につく。大秋さんは、おれの対面に腰を下ろした。

 自分の友人の親と一対一になった経験など今までない。当然ながら緊張してしまう。彼の、静かでありながら有無を言わせぬ佇まいを見せられるとなおさらだ。

「緊張する必要はない。娘の恩人に、何か物騒な真似など出来るはずがない」

 大秋さんは微笑する。

「恩人……ですか?」

「ああ。キミのおかけで、小春は笑顔が増えた。本当に感謝している」

 そう言うと、大秋さんはおれに向かって頭を下げた。

「いや、そこまでされるようなことは」

「ここまでしたくなることをしてくれたんだよ。キミは」

 そう言われて、おれが小春と関り始めた頃を思い出す。

 あの時の小春は、今とは全く違う印象の人間だった。いつも下を向き、貝のように押し黙っていた。明らかに他人を避けているような印象だった。

 改めて思い出すと、小春は四月とは明らかに別人になった。

「……小春のためになれたのなら、僕の存在にも意味があるんだって思えます」

「これからもよろしく頼むよ」

 大秋さんはそこで、ふう、と息を吐く。まるでそうすることで、自分の中のスイッチを切り替えたようだった。実際、その目にはつい先ほどまでなかった険しさがあった。思わず、再び居住まいを正す。挨拶は終わりだ、と告げられたような気がした。

「“怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬように心せよ”、という言葉を聞いたことはあるかい?」

「うん……?何か、聞いたことあるような響きではありますけど」

「ではこのフレーズはどうだろう。“おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”」

「ああ、それは聞いたことあります。けどそれが一体……?」

「小春はこの先、いつか深淵を覗くだろう」

「深淵……ですか」

「ああ、必ずだ。その時キミがどういう役回りなのか、楽しみにしているよ」

「それはつまり、小春が怪物になるかもしれない、ということですか」

「ああ、その通りだ」

 大秋さんは神妙に頷く。おそらく彼の中にはそう確信するだけの根拠があるのだろう。

 小春が怪物。そう考えた時、最初に思いついたのは彼女の今までの行動だった。

旧校舎を調査した時、彼女は清掃員に向かって催涙スプレーをかけようとした。七不思議の一つを調査するために、男のおれと狭い掃除用具入れに何の抵抗もなく入った。“悩みを解決するアカウント”の時は、おれを巻き込んで自分からアカウント主と直接会った。

 どれも、“普通”の人間はやらないことだろう。

「けど小春は、何かやって、それが悪いことになってしまった後は必ず反省してます。すぐに怪物になるとは思えません」

「それでは遅い、ということはキミもわかっているだろう?本来、やってしまった後の反省ではなく、やる前の迷いとしてあるべき思考が、既に彼女からは失われている」

「……」

 不承不承ながら、彼の言う通りだ、と思わざるを得なかった。

 ただ、自分の娘に対してあまりに他人事過ぎるんじゃないだろうか。親なら、それを娘に直接伝えるべきではないのか。

「他人事にするしかないのだよ」

「!」

 おれの思考を読んだかのように、小春父は言った。

「ああ、すまない。明らかに私に対して強い視線が向けられた気がしてね。つい」

 一家そろって、おれの思考を表情から読み取れるらしい。

「じゃあ失礼を承知で聞きますけど、何故そのような態度を?」

「私が言っても意味がないからだ。だから、どうしても一歩引いた態度を取らざるを得ない」

「意味がない?」

「ああ。私も、そうだからな」

 そう言うと、小春父は左側を、ファイルの詰まった本棚を見た。

「最近は直接警察から依頼が来るような場合もあるが……大抵は、私が独断で調査したものだ。警察や、妻の制止も聞かずに」

 ……なるほどな。

 小春は父親の姿を見て育ったのだろう。その父親が咎めたところで、小春の調査への執念は消えるはずがない。

「私にとって調査はもはや呼吸に等しい。これをやめるということは、私の死と同義だ。そんな人間が、一方的に小春を止めることはできないだろう。だからこそのキミだ」

 大秋さんは立ち上がる。

「一歩引いたところから謎を見るキミなら、小春のいいパートナーになれるだろう。私はそう信じているよ」

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