第八話:親
言うが早いか、小春はおれを連れ出した。自分の荷物を運ぶのを手伝え、ということらしい。
「さすがにあの部屋に三人はきついだろ」
道を歩きつつ、小春に文句を垂れる。
「けど現実的に、ボクもキミんとこに泊まるのが一番だ。ボクはきゅうちゃんをずっと観察できるし、三人常に一緒なら話し合いだってしやすい」
「まあ、そうだけど……」
家に女の子が二人もいる状況が面倒なのは既に目に見えている。一人なら、しかもきゅうなら何とかなりそうな気がしているが、小春もとなると話が変わってくる。
「夜になったら帰る、じゃダメなのか?連絡があるなら電話とかすればさ」
「いや、微妙だね。電話の内容を、お母さんやお父さんに聞かれるかもしれないじゃないか。そうなったら非常に困るだろう?それとも何だい、“夜”に、邪魔されるとヤなことでもあるのかい?」
「ない。んなもんはない!」
「じゃあ、いいでしょ?」
にやにやと笑う小春。
まあ、どうせ何を言っても小春が意思を曲げないであろうことは明白だ。一応の抵抗はしてみたが、意味はなかった。無駄に体力を使っただけだった。
「……この件の間だけにしてくれよ?」
「当然だよ。キミのプライベートを漁るような魂胆はないしね。……それにさ」
小春が真面目な口調になる。
「キミときゅうちゃんを二人だけにしておくのは正直不安だよ。もしまたキミが殺されそうになったら……。ボクがいればなんとかできるかもしれない。相手は人間じゃないけど、ヒトの体だ」
小春が右の太ももに触れる。彼女はそこに催涙スプレーを装備している。前回の“悩みを解決するアカウント”の調査では助けられた。
「おれ、助けられてばかりだな」
相棒のはずだが、彼女には文字通り助けられてばかりだ。今日なんて、命すら救われた。
「何を言ってるんだい。助けられてるのはボクの方さ。キミがいなけりゃ、そもそもボクはここにいないんだから。今は大変だけど……この二か月、楽しく過ごせたのはキミのおかげさ」
小春は少し遠い目をする。出会ってすぐの頃を思い出しているのだろうか。
「だからキミは、もっとボクを頼っていいのだよ」
「そう……なのかな」
「じゃないとボクたちは……いや、なんでもない。忘れてくれ」
小春は手と頭を振る。まるで今言おうとしたことを掻き消そうとしているみたいだった。
「そうそう。これは少し真面目な話なんだけどさ」
周りに聞こえないようにか、小春が普段よりもトーンを下げて言う。
「なんだ?」
合わせて、彼女の声がはっきり聞こえる位置まで顔を近づける。
「くれぐれも、ボクの親に調査の話はしないようにね。というか、あの部屋の外ではどこでも厳禁だ。親もボクがこないだの事件の調査をしていることはわかっているだろうけど、絶対に“彼女”のことは話さないでね」
「……ああ、わかってるよ」
もとより誰にも話す気は無いが。用心はしておくべきだろう。
ただ、住宅街に人影はほとんどない。そろそろ駅に近いし、普段なら伊谷生やサラリーマンがそれなりにいるはずだ。
みな、外出を控えているのだろう。こんな時にわざわざ外に出ようと思うのは、例の事件を知らないか、よっぽど何も考えていないか、これ以上事件に巻き込まれないことを知っている者くらいだろう。
おれと小春はどう見られるだろう。まあ精々、学校が休みになったことに気を良くしたバカップルが遊びに出ていると思われるくらいか。
小春の家付近に来ても、人の少なさは全く変わらなかった。
「あ、小春!」
芦引家が見える位置まで来た時、小春の母、夏花さんがおれ達を見つけて駆けてきた。
「あ、お母さん、ただいま……」
「ずっと連絡返さないで何してたの……!」
開口一番、夏花さんは安堵と不安がないまぜになった表情をして娘との距離を詰めた。
「え、何って、カイトの家にいたんだよ。ちゃんとメッセージは残してたじゃないか」
「そんなことはわかってるの!さっきからずっとカカオにメッセージ入れてたのに、既読も付かないし……!」
「あ、そうなの……ごめん、気付かなくて」
「本当に心配したんだから……!」
夏花さんは小春を強く抱き締めた。嗚咽を漏らすような音が聞こえる。よっぽど心配していたのだろう。
小春が母親に心から愛されている存在なのだと、否が応でもわかる瞬間だった。
「……あれ?小春、貴女荷物はどうしたの?出て行く時、何も持ってなかったの?」
「ああ、それはその……」
小春が口ごもる。いくら彼女と言えど、自分がこれから何をするつもりなのかを言うのは気が引けるらしい。
「……その」
しばらく黙ってから、重たそうに話し始めた。
「実は、カイトの家に置いて来たんだ」
「開人君の家に?」
「うん……今日から何日間か、彼の家に泊まろうと思ってさ」
「何言ってるの!?」
小春の両肩を掴み、信じられないという表情でその顔を覗き込む夏花さん。
「駅で起こった事件を知ってるんでしょ!子供だけでいいわけないじゃない」
「いや、まあ、そうなんだけどさ……」
「普段ならともかく、今はダメ。すぐ開人君の家にいって、荷物を持って帰って来なさい」
「でも……」
「持って帰ってきなさい。いい?」
以前会った時とは別人のようにきつく言う。しかし母親ならばそれも当然なのかもしれない。殺人事件があった以上、自分の目の届くところにいてほしいものだろう。
しかし、小春は頷かない。それも当然だ。おれ達はきゅうと契約している。ここで小春がきゅうの下に戻ってこないとなれば、何らかのペナルティがあるだろう。
親子の問題に対し、部外者のおれが介入しないほうがいいのは理解している。かと言って、このまま押し問答が続くのも良くない。
どうすべきかと逡巡していたところ、救いの手は意外にもあっさり訪れた。
「好きにさせてやればいいじゃないか」
玄関から男性が現れる。身長はかなり高い。おそらく、百八十センチは優に超えている。黒色の髪を後ろに撫でつけていて、体格は細くもなく太くもなく、といったところか。
「お父さん」
小春が彼を見て呟く。
小春の父親、芦引大秋だ。以前小春の家にお邪魔した時に会った。その時は椅子に座っていたので、こんなに身長が高いとは知らなかった。
大秋さんは自分の娘を見下ろす。その目は穏やかだ。
「思う存分やればいいさ」
「お父さん……」
夏花さんが半ば呆れたように言う。
「あのね、今は普段とはわけが違うの。この子の身に何かあったら……」
「そうそうないさ。日本の警察は優秀だ。誰よりも私が知っている」
「そうだけど……」と、夏花さんは反論したそうにするが口ごもる。
「何、情報は私が常に得ておく。小春のことだ、例の殺人事件を調べているんだろう?」
「……うん」
「それに、小春には開人君がついているさ」
大秋さんがおれに目を向ける。
「小春のこと、頼んだよ」
「あ、は、はい……わかりました」
身の引き締まる思いだった。先ほど、小春は何かあった時に対応するためにおれの家に泊まると言った。それはつまり、小春自身がきゅうから危害を加えられるリスクを負うということだ。であれば、彼女を守るのはおれの役目だ。
「はあ……」
夏花さんが大きくため息をつく。不安は全く拭えていないだろうが、こうなることがわかっていたように見える。
「……もういいです。でも二つだけ。お父さんが警察から貰った情報は、すぐ私に報告してください。仕事中でも、調査中でも。いい?」
「はは、わかってるさ」
「それとあと一つ、開人君」
「え、あ、はい?」
いきなり夏花さんの視線が飛んでくる。そして、彼女は一瞬神妙な顔をした後に、おれに向かって深く頭を下げた。
「うちの小春が、本当にごめんなさい。またきつく叱っておくので……どうか、どうか娘をよろしくお願いします」
それは嘆願だった。
母親が、自分の娘の命を見ず知らずの他人に預ける。それはどれだけの苦悩を生むのだろう。
彼女に会う度に思う。小春は、愛されて育ってきたのだと。
父親と母親から向けられたその愛を、万が一にも途切れさせてはいけない。
「……頑張ります」
頷く他なかった。
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