第四話:西側のベンチ
早朝の伊谷市を、新品の自転車で駆ける。
気温自体は過ごしやすいくらいでちょうどいい。しかし道路から立ち上る湿気がまとわりついて気持ち悪い。肌が息苦しさを覚えているかのようだ。
「いいかいカイト、ボクは駅の付近を調べる。キミは駅から離れて、日の光が当たりそうな場所を探すんだ」
荷台に座る小春が言う。
自転車を漕ぎつつ、おれは頷く。
「つっても、どこを探しゃいいんだ?日が当たるところなんて、いくらでもあるぞ」
「今までの傾向から、人が多い場所はない。ってことはビルの屋上とかじゃあない。丘の公園とか、人目がなくて、日の当たる場所にいる可能性が高いだろうね」
家から五分程度で駅の付近まで来た。
「あそこが現場みたいだね」
小春がおれの左肩にあごを載せ、少し先を指さす。確かに、駅付近に人や車が集まっている。朝だというのに、通勤・通学ラッシュくらいの人だかりができている。
「行ってみよう!」
小春にぐいぐいと背中を押される。気を入れて、ペダルを踏みこむ。
近づくにつれて、ざわめき声が大きくなった。どうやら報道関係者もいるらしく、アナウンサーらしき人物が状況を伝えている。
「……本日未明にツイーターに投稿された動画の現場がこちらです。一時間ほど前に警察が到着しました。周囲はようやく明るくなってきた頃ですが、既に人が集まってきて……」
「思った以上に多いな。見えないぞ」
現場の様子を覗こうとするが、人垣に邪魔されている。駅の像がぽつんと突っ立っている以外は何もわからない。
「まったくだ、先を取られたね。けどこうすればっ、と」
「うわ!」
急に自転車が振られ、倒れそうになる。何とか両足をついて事なきを得た。
「おい小春……」
「おおっと、動かないでくれたまえよ!今荷台に立ってるんだから」
小春の手がおれの両肩を圧迫する。
「出来るだけ短くで頼む」
「……なるほど、現場はあの路地か。街灯の位置からして、間違いなさそうだ」
おれのことは気にせず、といったご様子だ。
「けど変だな……なんでパトカー二台しか停まってないんだ?規制線の周りに二人いるってことは、現場を見てるのは最大で六人?いやでも、普通パトカーに乗るのは二人だけだし……ってことは今現場を見てるの二人だけ?鑑識車のバンも無い……どうなってるんだ?」
「もうとっくに終わった、ってわけじゃないのか?」
「いや、それはないだろう。さっきアナウンサーの人が言ってたけど、警察は一時間ほど前に来た。としたら、もう詳しめに現場検証してるんじゃないかな」
「ってことはなんだ、警察が一時間ずっと立ちぼうけってわけか?」
「うーん、それもおかしい話だよね……よし」
両肩の重みがふっと軽くなる。小春が荷台から軽やかに飛び降りた。
「カイト、こっからは別行動でいこう。手はず通り、キミは伊谷市で日の光がよく当たりそうなところを調べてくれ。ボクはここで情報を集める」
「了解だ」
小春が人ごみの中に潜っていったのを見て、おれは駅から逆の方向に自転車を走らせる。
「にしても、日が当たるところか……」
小春の考えに沿えば、みどりさんは今頃日の光を浴びている、ということになる。
けど、本当にそんなことがあるのか?
画像や動画のほとんどでみどりさんが太陽を見ていたのは事実だ。けど、そんなの偶然なんじゃないだろうか。人間、生きてりゃ空を見上げることなんていくらでもある。
ただ、正直そんなことはどうでもいい。
彼女が植物人間だろうがエイリアンだろうが関係ない。
とにかく、見つけなければならない。本当に“そう”だったとしたら、彼女を見つけるのはおれの義務だ。“そう”じゃなかったとしても、確認しないといけない。
その気持ちが、自転車を進ませていた。
段々と建物の背が低くなる。駅から遠ざかっている。
この辺りになると、ぽつんぽつんと広い公園やグラウンドが出てきたりする。とはいえ、そう簡単に発見できたなら苦労はない。フェンスに沿って眺めてみたり、自転車のまま中に入ってみたりするが、それっぽい人影はない。せいぜい、老人が体操をしているくらいだ。
小春から連絡があるかと思いスマホを取り出してみても、通知はない。時間は午前五時半。朝日は稜線から顔を出し、伊谷を照らしている。早く、一分でも一秒でも早く見つけないと。
そうこうしている間にもペダルをこぎ続けるが、一向にみどりさんはいない。
「あれっ?」
と、川沿いを走っている時だった。
ゆらゆらと揺れる、緑色の束が見えた。
まさか。いや、そんなはずは。
と思いつつも、自然にペダルを踏み込む力が強くなる。
もし本当にいたらどうしよう。おれも殺されるのだろうか。いや、小春の推理だと、みどりさんは青年に傷つけられたから反撃したに過ぎず、決して自分から危害を与えるような人間ではない。
いやでも、その推理が当てはまるのはあの殺された青年だけで、おれに限っては見た瞬間に殺される可能性だってある。
不安が高まる。心臓が過剰に拍動する。手先が震え、汗をかいているはずなのに寒い。
しかし、その不安は杞憂でしかなかった。
「あっ……」
目の前には、確かに緑色の束がゆらゆらと揺れている。
しかしそれは、ただの柳の木だった。
遠くから見れば、緑の髪の毛に見えてもおかしくない。ちょうど、人間の頭の高さくらいに葉がある。
「はあ……」
思わず深い息を吐いた。これがみどりさんを見つけられなかった落胆から来たのか、みどりさんがいなかった安堵から来たのかはわからなかった。
体から力が抜けて、その場に座り込みそうになる。それを何とか堪えて、再び自転車のペダルを踏みこむ。
冷静な自分が、何馬鹿なことやってるんだ、とあざ笑う。動画に映っていた“みどりさん”の顔を見間違えている可能性もあるだろう、と。
けど、そうじゃない。
冷静な思考が機能するなら、最初からそうしてる。今のおれを支配するのは、感情以外の何物でもないのだ。
川沿いを上り続ける。ここまで来ると、駅付近とはまた異なった雰囲気になる。建物が減り、自然が増える。特に、においと音が変わる。青々しい空気が漂い、虫や鳥の鳴き声が降り注ぐ。
木を隠すなら森の中と言う。
人が、それも緑髪の少女が隠れるには絶好の場所ではないだろうか。
それに、ここからもう少し上ったところには山を登る階段がある。山と言っても、それほど高くはない。小学生の時に登り、その当時でも苦せず頂に立った記憶がある。
そう、頂上だ。
あの山の頂上は開けていて、太陽の姿が直に拝める。朝日を浴びるには、絶好の場所だ。
道の傾斜が険しくなる。立ち漕ぎでやっと進むくらいだ。
「うん?」
と、その時。
道の先に何かが見えた。
それは、またしても揺れる緑色の束だった。
この道は山の間にあり、今の時間は陰になって日光が当たらない。
それでも、その“束”はきらめいていた。火を灯しているように、自らの命を主張していた。
緑色の束はすっと右へ、山の中へ吸い込まれていくように消えた。
後ろを振り返ると、柳の木が見えた。
……違う。
その葉を見て、直感した。
今見た緑と、あそこにある柳の緑は全くの別物だ。
再び前を向く。そこは山に挟まれた川と、道があるだけだ。それらは何事も無かったかのように佇んでいる。
その代わり映えの無さに、逆に不安を感じた。
この先に、彼女がいるかもしれない。
ペダルを踏みこみ、道を駆け上がる。傾斜の険しさを一切感じなかった。
進んだ先に石の階段があった。木々に挟まれるようにして、頂上へと続いている。小学生のときに登ったのと同じ山だ。
変わっていない。小学校六年生の校外学習で登った時と少しも。
「これは……」
階段を見ると、泥の足跡があった。まだ水分が残っているから、着いて間もないものだろう。特筆すべきは、それが人の、しかも裸足の跡であることだ。現代日本で、いくらわんぱくな子供でも裸足で山を登ったりはしないはず。
つまり、そういうことなのか。
「っ……」
思わず息を呑んだ。
音を立てないように自転車から降りる。
そして、ゆっくりと階段を登る。
山の中はまるで違う世界のようだった。
今来た川沿いの道とは違い、木の葉が擦れる音しかしない。
だからこそ、普段は気にならない自分の足音が耳につく。裸足の足跡の主に気付かれないように、呼吸も少なくする。
足跡は上に続いている。
そうだ、小春に連絡しておかねば。足跡の写真を無音カメラで撮り、“正体を確認したらすぐ伝える”というメッセージを添えて送る。
ひた……ひた……
「っ!」
上の方から、湿ったような音が聞こえてきた。濡れた足で床を歩く時のような音だ。
より一層注意を払って気配を消す。
次第に、山の頂上が見えてきた。それほど長い距離を歩いたわけではない。しかし異常に疲れを感じる。そして、疲労と共に緊張が高まっていく。
最後の五段に差し掛かる。もう心臓が破裂するんじゃないかと思う程拍動していて、落ち着きなんて少しもなかった。
最後の石段、その横の木に身を潜めて頂上の様子を窺う。
「……!」
この山の頂上には、伊谷市が一望できるようにベンチが置いてある。右手側、東を向くように二基。左手側、西を向くように二基。ちょうど今の時間だと、右手側のベンチに座れば朝日が拝める。
そして彼女は西側の、登ってきた階段から一番遠く離れたベンチに座っていた。
ベンチの左側に腰掛け、緑色の長い髪の毛は背もたれの後ろに垂らされている。西からの風で、髪の毛がなびいている。そうしておけば、朝日がよく当たるのかもしれない。
そう、それはまるで光合成をしているようだった。
……見つけた。
あれが、みどりさんだ。
ほぼ髪の毛しか見えないし、顔も顎の先くらいしかわからないが、彼女が今伊谷市を騒がせている“不審者”であることは一目瞭然だった。
みどりさんは今、髪を日に照らされながらじっと前を向いている。眼下には伊谷の街が広がっているが、そちらには僅かばかりも視線を向けない。街を挟んだ向こう側には山があるが、それを眺めているとも思えない。ただ目がそちらを向いているだけ、そんな具合だ。普通なら誰もが感嘆する景色に何の反応も示さない様は、ある種の気味の悪さを醸し出していた。言うなれば、体中あざだらけの子供が笑っているような、そんな感じだ。なまじ、緑色の髪の毛が強く命を主張している分、そのロボットのような態度に違和感は増す。
本当に彼女は、ヒトではないのかもしれない。そう思わせるだけの印象を抱かせた。
すると、みどりさんは徐にベンチから立ち上がった。
「私に何か用ですか」
そしてこちらを振り向き、問いかけたのだった。
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