第三話:“みどり”さん
「うん……?」
暗い部屋の中で、不意に目が覚める。
金縛りだとか、知らない天井だったとか、そういうおかしなことが起こっているわけではない。
体は動くし、ここは自分の部屋だ。
“みどりさん”なる全裸の少女についてあれやこれや考えてたら部活が終わり、帰宅し、そして諸々済ませて就寝した。
たまにトイレや寝苦しさで起きる時はあるが、特にそういうのもない。たまたま起きてしまっただけか。
全く、こっちは気持ちよく寝ていたというのに。
そう思い目をつぶる。
ごろごろ……どん……
雷の音が聞こえる。遠くはなさそうだ。
もしかすると、さっき鳴った雷鳴で起きてしまったのかもしれない。無性にイライラしてしまう。眠りを妨げた罰は思い。当然、自然現象なので誰が悪いというわけではない。だが、その責任の所在のなさがゆえに、怒りがくすぶり続ける。
ごろ……どんどん……
布団を被って寝ようとするが、変に色々考えたり、腹を立てたりしたせいで目が冴えてきている。時計を見ると、午前三時ごろだ。五時とかならそのまま起きていようかと思ったが、三時だと早すぎる。辺りもまだまだ暗い。
どん……どんどん……
寝られない間に、雷の音は大きく、絶え間なくなっていく。これはなかなか酷い。停電の被害が出ているかもしれない。
どんどんどん……どんどんどん……!
いやちょっと待て、さすがに一撃一撃のスパンが短すぎやしないか。
どんどん!どんどん!
それに雷というよりは、壁とかドアを叩いているような……
ピンポーン。
「カイトー!カーイートー!」
ピンポンピンポーン。
「そういうことかァ!」
全身がばねになったかのように素早く起き上がり、ベッドから降りて玄関へ。
「やっっと出た!いつまで待たせるんだい!」
ドアを開けると、懐中電灯を持ち、カッパ姿の小春がいた。
「いや、今何時だと思ってるんだ……!苦情来たらどうする」
「そんなことはどうでもいいのだよ!」
「よくない」
「あーっ!とにかくお邪魔するよ!お邪魔します!」
「こらちょっと待て!せめてカッパを脱げ!」
とりあえず、びしょ濡れのカッパを玄関のハンガーにかけさせる。くるぶしの少し上まで隠れる長靴を履いていたようなので、靴下が濡れていないのが救いだった。
そして手に持っていた、ライトの辺りが妙に刺々しい懐中電灯を靴箱の上に置き、やけにせわしなくポケットからスマホを取り出す。
「大変なんだよ!これを見て!」
興奮し、おれにくっつくようにしてスマホを見せてくる。
この様子からして、みどりさん関連の話だろうな、とは感づいていた。しかし、一体何をそんなに切羽詰まっているのだろう。写真も動画も部活でさんざん見たはずだが。
「え……?」
その映像は、寝起きのイライラ、もやもやを全て吹き飛ばした。
雨が降りしきる夜。街灯に照らされた緑髪の人間が“二人”いた。
片方の髪は肩まである。上下白っぽい服を着ている。体格はそれなりにたくましい。おそらく性別は男性で、青年と呼べるくらいの年齢だろう。
もう片方の髪は背中まで伸びている。全裸で、華奢な体格。部活で見た写真と背格好が一致する。みどりさんだろう。
そんな奇抜な髪色の人間が二人いる事も十分驚きなのだが、問題はそこではない。
華奢なみどりさんが、自分より大きい緑の青年の首を掴み、持ち上げていた。
青年の四肢はだらりと垂れ下がり、顔は力なく天を仰いでいる。
それだけで十分に察しがついた。
青年は、死んでいる。
動画の撮影者だと思われる人物の荒い呼吸と、雨音だけがあった。それ以外何も聞こえない。
十秒ほど経った時、不意にみどりさんがこちらを向いた。
その瞬間、撮影者は踵を返して逃げたのか、映像は乱気流に遭ったように乱れて途切れた。
「……何なんだ、これ」
いや、動画の意味はよくわかっている。
みどりさんが人を殺したのだ。全裸の不審者、なんて生易しいものから、殺人犯へと変わったのだ。
しかし、そう呟かずにはいられなかった。
「ついさっき、ツイーターにあがった動画だ。寝る前に見てたら流れてきた。おそらく、みどりさんが人を殺したとみて間違いないだろう」
少し顔を上気させて、小春は語る。
彼女とは正反対におれは胸の辺りに不快感を覚えていた。
今見た動画は人が刺されたり、撃たれたりする様子を直接的に示したものではない。しかし内容の異様さから、文脈的に色々なものを察してしまう。寝起きには少々刺激が強すぎた。
「カイト、今からは部活の時間だよ。彼女の正体を突き止めて、すぐに探しに行く」
「お、おい、正気か?相手は人を殺してる。そんな奴のところに行ったら、おれたちまで殺されるぞ」
「そんなことはわかってるよ!でも、ここで止まれるわけがないだろ!?」
目を輝かせて、顔を寄せてくる小春。彼女の全身が小刻みに震えている。おそらく恐怖ではなく、期待からくるものだろう。
「こんな展開、生きてて一回あるかないかだよ!」
「待て、そんな軽いもんじゃないだろ!もうみどりさんを都市伝説として扱っちゃだめだ。あれは殺人犯だ」
「それがどうしたっていうんだ!今までだって、散々色んなところに行ってきたじゃないか!旧校舎は人を使った実験施設で、“悩みを解決するアカウント”は人身売買の拠点!今更、殺人くらいで怖気づいていられるか!」
小春の口調が次第に熱を帯びる。旧校舎も“悩みを解決するアカウント”も、都市伝説が真実か否かは結局わからなかった。しかしみどりさんは違う。最悪の形で、現実となってしまったのだ。
どうにかして彼女を説得せねばならない。
しかし説得程度で小春が折れるなら苦労はない。
どうしたものかと思い、何気なく小春のスマホに目を向ける。
画面には、みどりさんが青年の首を片手で掴んでいる映像がリピートされている。
見れば見るほど嫌な気分になってくる。青年からは一切の“生”が感じられない。なのに外面上は生きている人間と何ら変わらない。そのアンバランスさがあまりにも不気味だ。背筋が冷え、勝手に肩に力が入ってしまう。
そして、不意にみどりさんがこちらを向いた。
「え?」
と思ったすぐそのあとには、映像は乱れていた。
「ん、どうしたんだい?もしかして何か気づいた!?」
「いや、その……も、もう一回見てもいいか?」
「もちろん!」
小春からスマホを受け取る。動画プレーヤーを操作し、みどりさんがこちらを向いた瞬間で止める。画質は粗かったが、みどりさんの顔はしっかりと認識できた。
嘘だろ。
頭がその言葉でいっぱいになった。
「カイト?」
小春がスマホを持っていたおれの手をどけ、顔を覗き込んできた。
「どうしたんだい?何か凄い顔してるよ?」
「え?あ、いや、悪い」
「別に謝らなくていいけど……あ、何か気づいたんだね!?」
「いや、ちょっとびっくりしただけだ。本当に緑の目なんだって」
「え?……ああ、まあそうだけど……まあ、そうだね」
小春は興奮のやり場を失ったのか、少し拍子抜けした表情をして、おれの持つスマホに目を落とした。
彼女の視線がおれから外れたことに安堵し、思わず息を吐いた。
「…………小春」
しばらく間を置いて、彼女に声をかける。
「なんだい?」
「……探そう。“みどりさん”」
「……!」
そう言うと、小春は露骨に驚いた顔を見せた。
「珍しいね、キミの方からそんなことを言うなんて……ま、いいか!キミもこの謎の重大さがわかった、というところだろう」
「まあ、な」
「じゃあ、何はともあれこの動画だ。今日の深夜にツイーターに上がって以来、猛烈なスピードで拡散されてる」
小春は再び動画を再生する。
動画はショッキングな内容ではあるが、正直今のおれにとってそれは全く問題ではなかった。“みどりさん”の正体。それを突き止めることが最重要ポイントだった。
「この動画は伊谷で?」
「ああ、そうみたいだ。ツイートに位置情報が載ってたよ」
これだけの映像だ、その投稿も調べればすぐ見つかるだろう。
そう思い、ツイーターで“伊谷 殺人”と調べてみる。
現在時刻が午前三時半だというのに、既に何千ものツイートがされているようだ。明らかに公序良俗に反する内容ではあるが、とっくに日本のトレンドとなってしまっている。動画も、少し調べればすぐ見つかった。しかし。
「あれ、最初のツイート出てこないんだけど」
殺人の動画を投稿している拡散目的のアカウントはすぐ見つかった。しかし、みどりさんの動画の撮影者と思われる人物のアカウントが出てこない。
「え、嘘」
小春がおれのスマホを覗き込み、指で画面をスクロールして投稿を流し見ていく。
「ホントだ、消されたのかな……まあいいや、スクショ撮ってるし。ほら、これだよ」
小春がカバンから出したタブレットの画面を見せてくる。
“やばいってこれ”
という文面と動画、そして伊谷市の位置情報が載せられたツイート画面だ。投稿を見ただけで、異様さを感じる。
アカウント主のアイコンはアニメのキャラクターで、名前も本名ではないだろう。これだけでは誰が撮ったのかまではわからない。
ツイート画面には、アルファベットと数字で示されるユーザー名も載っている。試しにそれを検索してみるが、該当するユーザーはいない。
「アカウント自体も消えてるみたいだな」
「そうなんだよね……。もしかして、あまりに拡散されたから怖くなって消したのかな?あるいは、誰かに消されたか」
「消された?誰に?」
「そこまではまだわからないな。でも、誰かに消されたのだとしたら、そうすることがメリットになる人たちがいるんだろうね」
「メリットねえ……まさかみどりさん本人が?」
「そんなまさか、と言いたいところだけど、その可能性もなくはないね。例えばあのツイートがされた後に、みどりさんが撮影者からスマホを強奪。画面がロックされないままだったスマホは、容易に操作でき、ツイートの削除も簡単だった、とか」
もしそうだった場合、撮影者はどうなったのか。考えるのも嫌な話だ。
「それにしても、このもう一人の緑髪の人は誰なんだろな」
適当なアカウントで見つけた動画を再生して、ふと思う。
「みどりさんの関係者、と考えるのが、妥当そうではあるね」
「でもそうなると、仲間割れってことになるよな?」
「それはどうだろう。個人的には、関係者とは言えても仲間と言ってしまっていいものかは微妙だね」
小春は自分の手で口元をそっと覆う。
「例えば、もし仲間なのだとしたら、何故彼は服を着ているんだろうね」
「……確かに、言われてみれば」
みどりさんは全裸だ。しかし青年は白っぽい作業着姿。仲間なのだとしたら、この構図は妙だ。
「ボク的には、そもそも何故みどりさんが彼を殺さなければいけなかったのか、ってとこが凄く気になる」
「動機か」
小春は深く頷く。
「この動画が上がるまでの、みどりさんの人物像を思い出してみたまえ。彼女は最初に存在が確認されて以来、一切人には危害を加えていないはずだ」
今日部活で見た資料では、道を歩いていたり、水を飲むようなものばかりだった。
「あくまでも“不審者”であって、“殺人者”ではなかったな」
「なのに今日になっていきなりの殺しだ。理由があったと考えて間違いないだろう」
みどりさんには、青年を殺さなければならない理由があった。
「でも人を殺すのって、相当な理由が必要だよな。頭が焼き切れた人間じゃない限り」
「そうなんだよね。今まで人に危害を加えてないことを考えるに、みどりさんはよっぽどのことをこの人にされたのかもしれない」
動画の中でみどりさんに首を掴まれ、宙に浮かされている青年。
「正当防衛……」
小春がふっと呟く。
「もしかすると、最初に殺そうとしたのはみどりさんではなく、男の人からだったのかもしれない」
「この人が?」
「ああ。そうじゃないと、みどりさんの今までの行動と矛盾してしまうんだよ」
「……確かに、今までみどりさんは自分から人は殺していないもんな」
そんな彼女が今日になって突然人を殺す、というのは筋が通らない。
「けど、じゃあ男の人は何故みどりさんを殺そうとしたのか、って話になるよな」
「そうなんだよね……」
「うーん」と唸り、小春は考え込む。しかし打開策は見つからない。彼女にわからないことが、おれにわかるわけもなかった。
かれこれどのくらい思案していたかはわからない。気付くと、外から鳥の鳴き声が聞こえていた。
カーテンを開けると、朝日が入ってきた。もうすっかり夜は明けてしまったらしい。スマホを見ると、もう五時前だった。
空はまばらな雲こそあったが、久しぶりに晴れていた。ただ、爽やかさはあまり感じられなかった。寝不足の日は、どうも感受性が失われている気がする。そんなものに構っていられるほどの余裕がないだけなのかもしれないが。
「あちゃー、もう朝かー」
小春が隣に来て、両手を上げて体を伸ばす。
「こーんなにも爽やかな朝なのに、推理が進展しないと心も晴れないよ」
小春は空気を楽しめるだけの余裕があるらしい。おそらくろくに寝ていないだろうが、何というバイタリティだ。
「カイトは……ちょっと寝不足みたいだね」
こちらの顔を覗き込み、小春が苦笑する。
「……まあな」
「学校行くまでちょっと寝る?ボク、時間になったら起こすよ?」
「いや。寝不足だけど、体はもう起きた」
人間というのは無駄によく出来ていて、朝日を見ると起きたような気がしてしまうのだ。だから今から横になったところで、浅い睡眠しか取れないだろう。逆に疲れそうだ。
「にしても、今日は晴れそうだな」
「そだね。……おや、このアパート、花壇があるんだね」
小春がベランダの向こうを指さす。
そこには、赤茶色のレンガ造りの花壇があった。
「ああ。大家さんの趣味だってさ」
普段はあまり気にしていないが、改めて見ると綺麗なのだろう。黄色、ピンク色、赤色。それぞれの花が整えられた芸術作品のような美しさを備えつつ、“自分は生きている”という命の強さを感じさせる。特に今は朝焼けに照らされて、雨粒がアクセサリーのように花びらを彩っている。
欲を言えば、寝不足じゃない日に見たかったところだ。
「綺麗に咲いてるね。名前は何なんだい?」
「確か……ジニアだったっけな」
ここに越してきた時、大家さんがそう言っていた気がする。確か花言葉も言っていたような。しかし二か月以上前の話だから、すっかり忘れてしまった。
「最近雨ばっかりだったし、枯れなくて良かったね」
「ああ。日光出てるし、まだまだ咲いてられそうだな」
「うん。さすがに、ずっと雨ばっかりじゃね。光合成も、でき、ないし……」
「小春?」
不意に小春の口調がトーンダウンする。真剣な表情で顎に手を当てて考え込んでいる。
「動画に映る彼女……空を見上げていて……瞳の先は空、緑の髪は……」
途切れ途切れに、言葉を紡ぐ小春。
「いや、まさか……けど常識が通用しないとしたら?そう、もはや人間ではないとしたら?考えろ、“みどり”さんは……そうか!!」
その瞬間、小春は弾けたようにテーブルに置いていたタブレットに飛びついた。
「お、おいなんだ、何か思いついたのか?」
「太陽だ!!」
「太陽?」
小春は、動画を再生しているタブレットを突き出してきた。
「画像も、動画も!彼女はそのほとんどで太陽を見ている!もしホントにそうなら、公園やグラウンドで撮られたことも矛盾しない!」
「そ、それがどうしたんだ?」
「よく考えたまえ!植物が生きるのに必要なものは何だ!」
「しょ、植物?」
花壇に視線を飛ばす。
「空気と、水と……」
「あと一つは!」
「に、日光だろ……ってまさか!?」
小春の言いたいことを悟り、頭を殴られたような衝撃を感じた。
「本気で言ってんのか!?いくら何でも……」
「本気だ!思い出して!みどりさんが水を飲むシーンはあったけど、今までに何かを食べたシーンはなかっただろう!」
「そんな話があるか!じゃあみどりさんが服を着てなかったのは!」
「単純な話だ!植物は服を着ないだろ!」
無茶苦茶すぎる。
しかし、その考えが間違いだとは思わなかった。
熟考したわけではないが、感覚として理解していた。もしみどりさんが“そう”なら、昨日散々議論して手詰まりだった様々な問題が解決する。
「急いで準備したまえ!」
「わかってるよ!」
気が付くと、体が動いていた。
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