第三部:その苦しみを見送るために

第一話:緑、全裸、不審者

 今日も雨が降っている。梅雨だから。

 すっかりこの曇天にも慣れてしまった。梅雨入りしたときは嫌な気分になったものだが、今は退屈さすら感じてしまう。

 けれど退屈なのは、とても幸せなのかもしれない。

 もし最後の退屈だと言われていたら、おれは今日をどうやって生きるのだろう。

「不審者に気を付けるように」

 不審者か。

 どうせどこぞの男がみだりに声をかけたとか、痴漢を働いたとか、そんなところだろう。

 雨にのしかかられるように、おれはまた憂いの底に沈もうとしていた。しかしその感覚は、担任の中屋が発した次の一言で吹き飛んだ。

「えー、不審者は女性……というか少女。特徴は緑色の長髪に緑色の目。最近、伊谷市を全裸でうろついているところが目撃されている」

 中屋は至ってのんびりした口調でそう言った。

 しかしクラス内は波を打ったように静まった後、嵐が来たように騒がしくなった。

 騒ぎこそしなかったが、おれも動揺していた。

 なんだ、それ。

 緑色の髪と目を持つ少女が全裸でこの伊谷市を徘徊している?

 さっぱり意味がわからん。現実味を全く感じない。

 聞き耳を立てずとも、男子が浮ついた発言をしているのが聞こえてくる。

「はいはい、静かにー。もしそんな不審者を見つけたら、すぐ警察に連絡するように。間違っても、変な気は起こすな。それと、写真や動画を撮ってSNSに載せるような真似はするな。お前らの失態を俺の監督責任にされちゃかなわん」

 一応中屋は担任の真似事のような発言をしていたが、クラスのほとんどが聞いていなかっただろう。

 皆、ツイーターでこんな書き込みが、とか、ニュースサイトでこんな記事が、とかそれぞれに情報収集を始めている。初めて聞いた人間からすれば、そりゃ面食らうのも当然だろう。

 不審者の話もそうだが、おれは、クラスメイトとは別の意味でも驚いていた。

 まさか、一昨日辺りにあの都市伝説マニアから聞かされた事が本当だったとは。

「はい、じゃあ気をつけて帰れよ」

 中屋は騒ぐ面々を叱る素振りも見せず、SHRを終わらせた。そして遠慮なく教室から出て行った。

「うっふっふ」

 やたらとご機嫌な含み笑いをして、小春がおれの席に近づいてきた。

「カイト!これは良い事を聞いたねえ!やはりボクの目に狂いはなかったようだ!」

 その大きな目を爛々と輝かせている。

「……まさか、ホントにいるとは思わなかった」

「何を言ってるんだい。都市伝説は現実かもしれない。ボクらはとっくに経験したばかりじゃないか」

「まあ、な」

 四月の旧校舎と、五月の“悩みを解決するアカウント”を思い出す。正直、最初は噂程度にしか思っていなかった。それを無理矢理謎に仕立て、調査していた。

 旧校舎の謎は、本当にただの怪談だった。伊谷高校七不思議の“旧校舎では実験が行われている“などという事実はなかった。敷地内を調査中(不法侵入中)に男性三人組に見つかったが、彼らはただの清掃員でしかなかった。

 “悩みを解決するアカウント”もそうだと思っていた。伊谷市の青少年の行方不明者増加と、カウンセリングと称した誘拐・拉致行為を行っているとする“悩みを解決するアカウント”を無理やり結び付けたものでしかなかった、はずだった。カウンセリングに行くと飲み物に睡眠薬を混ぜられた。逃げようとするとおれと小春以外の喫茶店内の全員が取り押さえようとしてきた。最終的に彼らは警察によって逮捕された。しかし喫茶店は一晩で消失した。その後喫茶店にいた人物に取り調べが行われたが、彼らは人形のように、今も無言を貫いているらしい。

 そして今回の“緑の不審者”だ。しかしこれは今までとは違う。緑で全裸の不審者少女は、“確固たる事実”として観測されている。さすがにただの井戸端話では済まされないだろう。

「……追うんだな?」

「当然だ!こーんなチャンス、生きてて何回あるlptpか!」

 小春はおーおきく両手を広げ、今回の機会の貴重さを語る。

「今回も大変そうだな……」

「ほら早く準備して!部室に行くよ!」

 そう言うと、小春はおれのカバンから勝手に買い置きしていたパンを強奪。封を開けぱくぱくと食べ始めた。

「あ!それ残してたクリームパンだぞ!」

「ふぁいふぉがほほいほがわふい」

「飲み込んでから喋ってくれ。……半分残しといてくれよ」

 急いで荷物を詰める。

「ご馳走様!」

 全く邪気のない笑顔で言う小春。

 クリームパンは欠片一つも残っていなかった。

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