第十六話:そう、嘘はね。
「あの日から、ボクはずっと一人だった」
小春が天井を見上げ、遠い目をする。
「勿論、両親はずっと味方をしてくれたし、挨拶くらいはするクラスメイトもいた。だけど自分の好きなものを家族以外誰とも共有できなかった。家族がいるじゃないかって言うかもしれないけど、母さんや父さんはボクを見守ることを一番に考えてる。だから同じ目線で楽しさは共有できない。この孤独は咲ねえを傷つけた当然の報いで、ボクへの罰なのかもしれないとも思って、無理やりに受け入れた。けど少しずつ、それを抱えきれなくなった。……ねえカイト。ボク達が最初に会った時のこと、覚えてるかい?」
握ったままのおれの手を、固く握りなおす小春。
「覚えてるよ。職員室の隣で、おれが小春の書いた学校の七不思議の調査について読んでた時だ」
「そう。……今の話を聞いたらおかしいと思わないかい?自分の好きなものを自分の中に抱え込もうとしていたはずの人間が、でかでかとあんなものを作って。しかも、それを読んでいる初対面の生徒に声をかけるなんて」
言われてみればそうだ。
小春は過去に人を自分の好きなものに巻き込まない、と決心したはずだ。なのに自分が調査した謎を公開し、それを読んだおれに声をかけた。明らかに決心とは矛盾している。
「……簡単な話だよ。好きなものを自分の中に抑え込んだ結果、逆にボクは好きなものを誰かに認めてほしいと思うようになってしまった」
小春が微笑をおれに向ける。その表情は脆さを露呈していた。
「キミがボクの書いたものを読んでたのを見て、すっごく嬉しかった。半分くらいパニックになって、気が付いたらキミに話しかけてた。しかも、キミはボクの書いたものを凄い、面白いって言ってくれた。もう感動が全身に広がって、五年間今まで抑え込んできたもの全部溢れた感じ。最初はそこで何とか踏みとどまったけど、次の日には全然ダメで……その後のことはキミも知ってる通りだ。半分パニックになった状態でキミを調査に誘い、キミのこと傷つけちゃって、またパニックになって……あの時はどうしたらいいかわからなくて、引きこもるしかなかった。キミが家に来た時、凄く怖かった。咲ねえのこと思い出した。けどキミは、ボクのことを認めてくれた。ボクの好きなものを、受け入れてくれた。……そういえばさ、さっきボク、半日に一回ここに来たいって言ったよね」
「ああ」
「冗談だと思う?」
「さっき聞いた時は、冗談だと思ってたよ。でも……」
「うん、そう。実はそこそこ本気だったんだよ」
苦笑する小春。当然ながらふざけているわけではない。自分の気持ちに対して半ば呆れつつも、それが本気だと認めている。
「ボクのことを受け入れてくれるキミと、ボクはずっと一緒にいたいと思ってる。でも怖いんだ。もしかするとキミは、あの時の咲ねえみたいに調査なんて全く興味なくて、不満をため続けてるんじゃないか。“あの時のボク”みたいに、ある日突然ボクから離れようとするんじゃないかって」
「まさか。都市伝説の何が人を引き付けるかを明らかにしたいと思ってるし、おれが小春の前から消えるとか、絶対あり得ない」
「うん、わかってる。誰よりもわかってる。けどキミと一緒にいればいるほど、その裏で怖さを感じてしまう。その怖さが消えるのは、こうしてキミと一緒にいる時だけ。だから、どんどんとキミから離れられなくて……ごめんね、ボク重すぎるよね」
「……確かにそうかもしれないけど、別にそれが悪いとは思わないよ」
さっきの話を聞けば誰だって納得する。五年間、抑えに抑えていたものをようやく吐き出せる相手が見つかったのだ。それがどれほど大きなことだったかは、小春の様子を見ていればよくわかる。
「まあ、おれんちでよければいつでも来てくれ。よっぽどのことがなけりゃ大丈夫だから」
「カイト……キミは、本当にボクにとって最高の相棒だよ。今の話を聞いても、キミはボクのことを受け入れてくれる」
しかし言葉とは裏腹に、小春は更に強くおれの手を握った。
「でも、そう思えば思うほど、やっぱり怖い」
「……というと?」
「カイト、キミは優しい。こんなボクを受け入れてくれる。けどボク、キミのことがわからないんだ。普段何をしていて、何が好きで、何が嫌いで、どんな生き方をしてきたのか。相棒なのに、一緒にいればいるほどわからなくなった。何回も言うけど、キミはボクにとってかけがえのない存在なんだ。それは絶対。けどどうしても何かが届かない!何かがボクの不安を煽るんだ。このままじゃボクはキミを信じたいのに、その前に不安で潰されてしまう!だから!」
小春がじっとおれを見る。
「キミのことを、教えてほしい」
おれはその視線に困惑した。
「おれのこと……?」
「そう、キミのこと。キミはボクの話を聞いてくれるけど、あまり自分の話をしない。……ボク、キミのことを知りたいんだ。大丈夫、キミがそうしてくれたように、ボクもキミの言うことは全て受け入れるから」
「……」
小春はきつく唇を噛みしめ、こちらを見続ける。おれが何を言ってもいいように身構えているのだろう。彼女の本気は伝わってきた。
しかし、おれの意識は小春にはなかった。小春の背後にある机の、二段目の引き出しのことを考えていた。
あの中には、今の自分を形作ったものがある。それを見せれば、全てを小春にさらけ出すことになるだろう。きっとそれを、小春は今求めている。
もしかすると楽になれるのかもしれない、と思った。
おれの過去を小春は全て受け入れ、慰めてくれるかもしれない。そうなればずっと続くこの苦しさが普段よりも紛れるかもしれない。
「……ちょっと待っててくれ」
そう言って立ち上がる。小春はおれが離れないよう反射的に腕を引いたが、こちらの意図を察して恐る恐る手を離す。
そして目当てのものを取りに行くために、“キッチン”に向かった。
「それは……紙袋?」
おれが手に持ったものを見て、小春は首を傾げた。
「ああ。これ、おれの妹がたまに持ってきてくれるんだ」
「妹がいたんだ……」
紙袋の中に手を入れ、いくつかある中から一通の封筒を取り出す。
「中、見てもいいのかい?」
「……一応、それはなしで。おれは正直見られても問題ないけど、書いたのは妹だし」
「そっか……ごめんよ。気になっちゃって」
「いいよ。まあ内容を簡単に言うと、“できるだけ帰ってこい、せめて連絡はしてほしい”って感じだ」
「連絡も取ってないのかい?」
「ああ。さっきは不仲って言ったけど、おれ、親から見放されてるからさ。だから対して遠くもないのに高校一年生で一人暮らしもさせられてるって感じなんだ」
「え……」
想定外だったのか、小春が口を半開きにして呆気に取られる。
「……そう、だったのか。でもなんで」
「おれんとこ、父親が省庁で働いてて、俗にいうエリートなんだ。で、母親は専業主婦なんだけど……うちの母親、おれを父親みたいにエリートにしたかったみたいでさ。けど残念ながらおれはそんなに頭が良くなかった。母親はおれを折檻するレベルで勉強なりスポーツなりさせたけど、成績は伸びなかった。その結果おれは見切りをつけられて、今はおれが果たすはずだった役回りを妹がやってる。そういう感じなんだ」
この話は事実だ。一応おれは小学生まで何もかも上手くいっていたのだが、中学生からは逆に何もかもダメになった。
「ま、それ以外は普通の人間だよ。今も昔も」
封筒を紙袋に入れ、キッチンに置きなおす。
「カイト!」
背後から小春が声をかけてくる。
「……キミが、どういう境遇なのかはわかった。ボクはキミの相棒として、精いっぱい隣にいる」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
おれはキッチンの方を向き、紙袋を片付けつつ返答する。
「……だから、もしキミが他に何か抱えているなら、教えてくれ!ボクは必ず受け入れるから!」
その言葉を聞いて、一瞬体が強張った。
「……教えてくれって?どういうことだ?」
「……もしキミが、他にボクに隠していることがあるなら、言ってほしいんだ」
「他に?」
冷蔵庫を開けて何かを探すふりをして、顔を完全に隠す。
「……何言ってるんだよ。今言ったのがほぼ全て。おれは落ちこぼれってことだ」
「ホントなのかい?」
「ああ」
「信じていいんだよね?」
「当然だ」
「じゃあ例えば……例えばだ。キミは…… “悩みを解決するアカウント”に関わるような秘密を、ボクに隠しているわけではないよね?」
「……」
思わず息を呑みそうになるのを無理やり堪えた。ただ、嫌な汗をかいていた。冬じゃないのに、体が芯から凍えたように冷たかった。
どうして。
どうしてそんなことまでわかるんだ。
「なーに言ってるんだ、んなわけないだろ」
おれはわざと大きな声を出し、冷蔵庫を閉めた。
「っ!?」
すぐそばに小春がいた。いつの間にか、冷蔵庫の扉の向こう側に来ていたようだった。
「……」
小春はおれを見つめ続けていた。無表情ながらそのあまりの威圧感に、思わず後ずさる。
「……そう、だよね」
ふっとそう呟くと、小春も一歩後ずさった。
「……ごめん、ボクが悪かった。キミのこと信じられないなんて、相棒失格だ」
苦笑する。その表情に先ほどの威圧感はなかった。
「あ、ああ……」
「ホントにごめん。……うん、そうだよね」
確認するようにもう一度呟き、小春はまたテーブルのほうへ戻っていった。
その時の小春は、まるでおれが嘘をついていないことを自分自身に言い聞かせているかのようだった。
今話したことは決して嘘じゃない。おれは実際に親から見捨てられているような状態なのだ。小学生から中学生になったときに成績が伸びなかったのも間違いない。
ただ問題は、小学六年生のときにあったある出来事、学業不振のきっかけについて伝えていないことだ。
けどこれはもう言えない。
机の二段目の引き出しを見る。
“悩みを解決するアカウント”に関わってしまった今、その真相を小春に伝えることはできない。
「……そういえば、さ。信濃さんって警察官として戻ってきたってことになるんだよな?」
気まずい沈黙が降りる前に話題を変える。
「そうだね。……最初に見たのは今年の四月の初めだった。正直、怖かったよ。最後に会ったときから一切連絡とってなかったから」
「今って、あの人とどういう関係なんだ?」
「警察官の知り合いとして接しているつもりだよ。ボクの今の相棒はキミだ。それは絶対だから。でも……」
小春が机の上で組んだ自分の手に目を落とす。
「あの人は、どう思ってるんだろうね」
「……」
少なくともおれの目には、信濃は今でも小春に好意を抱いているように見えた。おれに対する敵意や、小春との溝に対して滲ませていた悲しさは、そういう類のものだった。
けどそんなことは小春だってわかっているのだろう。信濃と接しているときに時折見せる表情が、そして今の表情が、それを物語っていた。
「あ、そうだ」
話題を変えたかったのか、不意に小春が思い出したように顔を上げる。
「今後のことを考えて一つ提案なんだけどさ、位置情報のアプリ入れないかい?」
「位置情報のアプリ?地図じゃなくて?」
「うん、こういうの」
小春がスマホの画面を見せてくる。アプリストアの、あるアプリのダウンロード画面らしい。説明を見ると、“家族との位置情報共有アプリ”と書いてある。登録した人のスマホの位置情報を確認することができるアプリらしい。
「今後ボク達、調査で別行動する時もあると思うのだよ。これがあると安心かなって」
「ああ、まあ確かに」
「あと、キミが家にいる時にふらっと行ける」
「……本当の目的それじゃないのか?」
「……ダメかい?」
小春はしょんぼりと肩を落とし、小さく首を傾げてこちらを窺う。
「……大丈夫だよ」
「ふふ、やった」
先ほどの悲し気な態度はどこへやら、小春はにっこりと笑顔を浮かべた。
「もしかして、計算済みか?」
「嘘はついてないのだよ」
小春は小さく肩をすくめた。
「……そう、嘘はね」
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