第十一話:実現

 病院からタクシーに乗り、二十分ほどでおれが住むアパートに着いた。駐車場を横切り、郵便受けの中身を確認する。

 ピザ屋のチラシなど、今日もゴミになりそうなものばかり入っていた。

「そういえばさ」

 不意に小春が口を開く。

「親に連絡しなくてもいいのかい?急に来ちゃったわけだけど」

「いらないよ。一人暮らしだからな」

「え、そうなの?カイトって遠いところの出身?」

「いや、出身自体は内埜だ。伊谷から六駅だから遠くはないけど、小六の時に校外学習で来たくらい」

 部屋の前の通路を通り、一〇四の前へ。ドアノブに何もかかっていないことを確認し、安堵した。カギを取り出し、ドアを開錠。

「へえ……じゃあなんでわざわざ一人暮らししてるんだい?電車で通えるだろ?」

「んー、おれちょっと親と上手くいってなくてさ」

「え、あ……そうなんだ」

 小春はばつが悪そうに視線を斜めに向ける。

 正直、親との不仲に関しては今更どうとも思っていない。だからそこに気を遣ってもらう必要も無いが……さすがに無視は出来ないみたいだ。

「っていうか、こないだそういうこと完全に無視しておれんち来ようとしてたよな」

「あの時は、その、深夜テンションで」

「深夜テンションで男の家に来ようとするなよ……」

「い、いいじゃないか別に!それにもしものときは催涙スプレーが……」

 と、スカートの上から自分の右太ももを触り、ハッとした。

「……そうか、さっき全部使い切ったんだった……」

 ゆっくりと、おれに目を向ける。

「あ、あの、”我慢死”しそうになったらいいけど、今日は心の準備ができていないのだよ……」

「見境なく女子を襲うとでも?」

 いくらなんでもそんな人間ではないし、こっちだって相応の準備はしておきたいタイプだ。

「他の護身用の道具買っとこ……」

「そうだな、そのほうがいい。……はい、どうぞ入ってくれ」

 ドアを開け、小春を先に行かせる。

「おじゃまします。……へぇー」

 小春はしげしげと、興味深そうに部屋の中を見回していた。

「何もないけど、まあくつろいでくれ」

「確かに、何もないね。ボクの部屋とは大違いだ」

 小春は座卓の脚に立てかけるようにカバンを置き、ちょこんと座った。

「ま、趣味とかもないし、引っ越してきたばかりだしな。七畳だと、ちょっと広すぎるくらいだ。……何か飲む?」

「あ、ほしい。喉乾いちゃった」

「はいよ」

 冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注ぐ。ついでにチョコレートもあったので、一緒に出す。

「にしても……そうか、カイトは一人暮らしなのか……」

 小春は腕を組んで、じっと何かを考え始めた。

「……一応聞くけど、どんな良からぬことを考えてるんだ?」

「むっ、良からぬとは失礼な。下校時間過ぎても、ここなら部活の続きが出来るな、と思っていただけだ」

「おれんちを勝手に部室にしないでくれ」

「部室なんてちゃちなものじゃないよ。言うなればここは拠点だ!学校よりもよっぽど設備も整ってるしね!それに……」

 両手を腰に当て、大きな胸をこれでもかとばかりに反らす小春。

「ボクがいれば寂しい思いもしなくていいよ?一線さえ超えなけりゃ、ずっとここにいてもいい」

「はあ」

 ……正直、ちょっとありかもしれないと思ってしまった。

 自分から親元を飛び出してきたとは言え、時たま、どうしても漠然とした不安にさいなまれてしまう。それは大きく、ゆっくりとだが確実におれの首を絞めてくる。

 小春がいればそんな気持ちとは無縁でいられる気がする。

「いや、んなこと出来るわけないだろ」

 だからといって、おいそれと承諾するほどおれは馬鹿でもない。

 第一、おれも小春も高校生なのだ。いくら何でも毎日いる気ではないだろうが、それでも男女が一つ屋根の下に共にいる、というのは状況的にまずい。もし一緒に部屋に入るところを見られでもしたら絶対面倒なことになる。教師には怒られるだろうし、生徒には冷やかされるだろう。差し入れをしに来た妹と鉢合わせでもしたらたまったものじゃない。

「えぇーっ、なんでだよぅ!別にいいだろ一人なんだから!」

「そうは言っても同棲するわけにはいかんだろ。たまに来るならまだしも」

「……ふうーん」

 おれの返答を聞き、小春がニヤリと笑った。

「なんだその顔は」

「たまにならいいんだね?“たまに”なら」

「待て、たまにっていうのは“まれに”あるいは“思い出したように”って意味だ。ちゃんとわかってるよな?」

「カイト君、ボクを何だと思ってるんだい。ちゃんと“ボクの基準で”たまに来る予定だよ」

「小春の基準って?」

「半日に一回くらい」

「それは“常に”だ!まれにでも思い出したようにでもない!」

 下手をすれば、家族よりも頻度が多いだろう。

「カイト、ボクたちは相棒だぞ?相棒っていうのは、そもそも離れる時間があっちゃダメなのだよ。半日なんて、恋人の二週間くらい長い」

「んーな理屈……あー、わかったよ」

 言い返そうと思ったが、諦めた。おそらく何を言ったところで小春は食い下がってくる。それに、おれに彼女を突き放すことはできない。

「さすがカイト!これでボクたち一緒だね!」

 小春は無邪気に笑っている。その顔を見ていると、まあいいかと思った。今のおれにとって一番大事なのは小春と一緒にいることだ。後のことはまた後で考えるとしよう。

「……さて、じゃあ本題に入ろうか」

 コップに入った麦茶を飲み、ふぅと一息。スイッチが切り替わったように真剣な表情になる小春。カバンの中からタブレット端末を取り出し、メモのアプリを立ち上げた。

「今回の“悩みを解決するアカウント”とそれにまつわる都市伝説。ボク的には、多分マジだと思う」

「……そうだな」

 基本的におれは都市伝説はただの物語だと思っている。しかし今回ばかりは否定できない。

「普通に考えて、飲み物に睡眠薬とか入れないだろ。なんかヤバいことするとき以外」

「ああ、その通りだ。そしてそのヤバいことっていうのが未成年誘拐の可能性は大いにある。とりあえずその線で考えよう。取り調べで高橋達がどんなことを言うのかが楽しみだ」

 小春はにやりと笑う。都市伝説がほぼ実現したと言えるこの状況、彼女にとっては願ってもない話だろう。

 さすがにおれにはそんな余裕はない。思い出すと背筋に寒気が走る。一歩間違えれば、おれは今頃どこかに連れ去られていたかもしれないのだ。

「カイト」

 小春がそっとおれの手に自分の手を重ねる。

「ボクがいるよ」

 彼女に言われて、初めて自分の手が震えていることに気が付いた。

「……ああ、ありがとう。まさか、あんな風に誘拐されかけるとは思ってなかったから……」

「うん。落ち着くまで、こうしてるから」

実際に“悩みを解決するアカウント”と相対していたときは何も思わなかったが、今はあれがどれほど恐ろしい状況だったかわかる。情けない話だが、自分の意志では震えを止められそうになかった。

 今のおれにとって小春という存在がどれだけ支えになっているか、それを実感した。

「にしても、あのアカウントの目的って何なんだろうね?なぜ未成年の誘拐を?彼らの言う“施設”って?」

「目的はおれにはさっぱりだけど……施設ってなんだっけ?」

「高橋が言っていたあれだよ。キミが倒れそうになったときの」

「……ああ、あれか」

 少し思い出せなかったが、そういえばおれが睡眠薬で倒れる前に高橋が言っていたような気がする。「私たちは施設を持っています」と。

「けど、公的な児童福祉施設だって可能性はあるよな。睡眠薬を飲ませたのも、施設側が強制的にでも入所させる必要があると判断したからかもしれないし」

「いや、ないね。少なくとも公的なものじゃない」

 小春はタブレットを操作すると、インターネット上のフリー百科事典のページを見せてくる。

「児童福祉施設に関するページなんだけど、ここを見てほしい。こういった施設への子供の入所は、基本的に児童相談所や市町村が決めるんだ。だけど高橋の話を考えるに、彼らの施設は公的機関の認可なしに入所が出来るんだと思う」

「ということは、高橋たちの施設は児童福祉施設じゃなくて、個人が運営している”駆け込み寺”っていう事になるのか」

「そうだね。とすると、更におかしな点が浮かび上がってくる」

「更におかしな点?」

「単純な話だ。お金だよ」

 小春は文字入力の手を止め、腕を組む。

「高橋の話によれば、既に彼らは多くの人間を保護している、って言ってた。じゃあ、そのお金はどこから湧いてくるんだ?仮に施設が一時的な避難所だったとしても、食費、光熱費、カウンセラーを雇う給料……挙げれば挙げるだけ出費はかさむ。児童福祉施設なら国や自治体が払ってくれるだろうけど、個人がやってるような駆け込み寺にそんな余裕があるとは思えない」

「つまり、高橋の言う保護施設なんてのは相談者を誘拐するための嘘で、そんなものはない、と?」

「そうだね、“保護施設”なんてものは存在しないだろう」

「ん?」

 小春の言い方が妙に引っ掛かる。

「“保護施設”なんてものは、っていうのはどういう意味だ?」

「もし、だ」

 小春は右手を唇の下に当て、険しい表情をする。

「“保護施設”とは別の“施設”が存在するとしたら?」

 謎かけのようなことを言う小春。

「別の施設、ってどういうことだ」

「……カイト。ここのアパートの壁は薄いかい?」

 急に小春が顔を寄せてきて、やけに潜めた声で聞いてくる。

「壁?……まあ、薄くはないけど。でっかい声出したらさすがに響くと思う」

「じゃあ小さい声で話す。そして、一度しか言わない。記録にも残さない。理解できなかったら、ボクの戯言だと思って忘れてほしい」

 普段の真剣な時とは明らかに違う表情と声のトーン。一体何を思いついたかはわからないが、その剣幕に自然と体が緊張してしまう。

「……いいかい」

 一度すっと息を吸い込んで、小春は言った。

「“施設”には、誘拐された未成年が収容されている。そしてその維持費用は、誘拐された者達を商品とした人身売買によって捻出されている」

「なっ……!」

 滅茶苦茶だ。

 この二十一世紀に、しかも日本で人身売買だと?

「い、いくら何でも飛躍し過ぎだろ」

「それはどうだろう」

 小春はタブレットを操作すると、以前見せてきた未成年の行方不明者データを画面に表示させた。

「伊谷市の未成年の行方不明者数は三十名余り。そもそもこの数字が異常だ。本来行方不明で多いのは高齢者で、地方都市なんて、彼らと未成年を合わせて年間で三十名に足るか足らないかくらいだ。なのに伊谷市は未成年だけで三十名超。しかも、彼らは誰一人として見つかっていない。全国で行方不明者の所在が確認される割合はおよそ九十九パーセントなのに、伊谷市の未成年の行方不明者はその確率がゼロパーセントだ」

「警察の怠慢……で片づけられる状況じゃないよな」

「ああ。日本の警察は優秀だ。彼らが六年もの間、三十人の行方不明者の居所を掴み損ねていたとはとても考え難い。じゃあどういうことか。簡単だ、“悩みを解決するアカウント”が誘拐してきた者たちの存在を隠蔽しているんだよ。そして、隠蔽の方法は主に二つ。まずは海外に売る。実際、海外では売買目的での誘拐事件が後を絶たないらしい。手順さえ踏めば、お金に換えることは可能だろう。二つ目の方法は、施設から一歩も出さない」

「……なんで、そんなこと」

「まあ単純かつ当然の理由としては、金稼ぎだろうね。人身売買の相場なんて知らないけど、安くないのは明らかだ」

 傷ついた子供を騙し、売り飛ばす。

 幼い命と金を量る悪魔の天秤。

「……都市伝説、なんだろ」

 吐き捨てるように言葉が出た。

 悩みを抱えていた子供達。すがるような思いで彼らは助けを求めていた。それをたかが金のために誘拐し、身を売り飛ばし、残りのごみを溶かす。同じ人間の所業とは思えない。

「こんなことあってたまるか。全部都市伝説で、フィクションだ」

「……残念だけど、ただのお話じゃなかったんだ」

 小春は神妙な口調で言う。

「きっと、本当の事件に繋がってる」

「マジかよ……」

「明日、もう一度ノワールに行こう。信濃さんにも協力してもらって、あそこの調査をする」

「……こうなったら、おれもとことん付き合うしかないな」

「そうかい、嬉しいよ。……でも今度は、キミを危険な目には遭わせないようにしないとね」

 小春はそう言うと、少し暗い顔をした。

「今日はごめん。コーヒーに睡眠薬が入ってるって気づけなかった。……本当に良かったよ、ただの睡眠薬で」

 小春は両手でおれの手を握った。

「救急車の中でキミを見てるとき、とっても怖かったんだ。何回も何回も呼んだのに、目覚めなくて……もしかしたらこのまま、キミが、消えてしまうんじゃないかって」

 握ったおれの手を持ち上げ、額につける。体温を通して、おれが生きていることを確かめているかのようだ。

 おれからすれば寝て起きただけだが、彼女の感じた不安はとてつもなく大きかったのだろう。

「生きてるよ、おれは」

「……うん、わかってる。けどやっぱり、今日キミがこんな目に遭ったのはボクのせいだ。四月の調査だってそうだ、いつもこんなボクを大切にしてくれる人を傷つけてしまう……!」

 小春は顔を上げ、おれを見る。先ほどまでの謎に対してワクワクしていたときとは違い、その瞳は不安で揺れている。

「ねえカイト、次は失敗しないからさ、今度こそキミが傷つかないようにするからさ、お願いです、ボクのこと見捨てないでください……キミの隣にいさせてください……」

「小春、ちょっと待て、落ち着け……」

「ま、待って!お願いもう二度としないから!お願い、ボクを見捨てないで……」

 両手で小春の肩を掴もうとしたが、彼女はおれの手を両手で握って放そうとしなかった。放せばもう自分のもとに帰ってこなくなるかもしれない、という不安がはっきりと表れていた。

「大丈夫、大丈夫だから」

 空いているほうの手で、小春の肩に触れる。

「……いいか小春、おれたちは相棒だ」

「うん……」

「だから見捨てるなんてしない。今こうして一緒にいるのが何よりの証明だ」

「カイト……」

 小春は少しだけ、おれの手を握る力を更に強くした。

「ありがとう……本当に、ありがとう。キミだけだ、こうしてずっとボクの隣にいてくれるのは……」

 正直、彼女に聞きたい気持ちはある。なぜそこまでして、おれが彼女から去ってしまうことを恐れるのか。

 しかしそれは、きっと彼女の根幹に関わる部分だ。安易に掘り返してしまったが最後、癒せない傷を負わせかねない。

「ああ」

 だから聞かない。その代わりに、こうして一緒にいる。これだけしかできないが、それが彼女には必要だと思っている。

「……キミは、何も聞かないね」

「言いたくないことは言わなくてもいい」

「ありがとう」

 小春は小さく笑う。

「……でもボク、きっとこのままじゃダメだと思うんだ。このままキミの隣にいたいって言うだけじゃ、ただの気持ち悪いストーカーだ。……まあ、今でもキミにとってはストーカー同然なのかもしれないけどさ。……幻滅されて相棒じゃなくなるかもって考えると怖いけど、このままじゃ、ボクたちの関係はいつか破綻する。だから、聞いて」

 じっとこちらを見て、ゆっくりと口を開いた。

「ボクは昔、信濃咲音と相棒だった。そして彼女を、傷つけてしまった」

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