第十話:ボクの相棒

「……」

 なんだ?

 目を開くと、見知らぬ白い天井だった。照明の明かりが痛い。

 こんなアニメやドラマのテンプレみたいなことが本当に起こるとは、とのんきな感想が湧いた。

 体を起こす。白いシーツのマットレスと掛布団。そして鼻につく消毒液の臭い。

 どうやらここは病院らしい。ベッドはカーテンで仕切られているが、ざわざわと人の声や器具の音がする。

 一体なぜこんなところに、と思ったところで記憶が蘇る。

 そうだ、喫茶店ノワールで倒れたんだ。個室に乗り込んできた三人を信濃が現行犯逮捕したところで、気が抜けたのだ。その時に、コーヒーに入っていたと思われる睡眠薬が回ってしまったのだろう。

「……から、何度も言わせないでよ」

 ふと、どこかから見知った声が聞こえてきた。柵に手をついてベッドから降りる。少しふらついたが、それ以外体調に問題はない。

 カーテンを開ける。どうやらここは一時的な処置室のようだった。看護師や患者が行きかっており、その先の廊下に小春がいた。扉の角に隠れて上手く見えないが、険しい表情で誰かと話している。僅かに見えるジャケットの袖と、聞こえてくる声から、それが信濃だとわかった。

「……ど、……たはず。……は……にならないって」

「……かに、今日はね。けどそんなことは問題じゃない。カイトは……」

 と、信濃と口論していた小春が不意にこちらを見る。

「カイト!」

 周囲の目も気にせず、小春はこちらに駆け寄ってきた。

「よかった、ちゃんと起きれたんだね」

「ああ、とりあえず大丈夫だ」

「そっか……先生からは危険性の少ない睡眠薬だって聞いてたけど、ちゃんと起きれたみたいでホントによかったよ」

 笑顔と泣き顔が混ざったような表情を浮かべる小春。

「あ、木瀬さん!起きたんですね」

 看護師の一人がこちらに気づく。

「ちょっと先生呼んでくるので、待っていてください」

 そう言うと、看護師は部屋から去って行った。

「えっと、とりあえずどういう状況か教えてくれ」

「あ、そうだね……」

 そして小春から説明を受ける。

 大方の予想通り、おれはコーヒーに混ぜられた睡眠薬のせいで意識を失ったそうだ。その後おれと小春は救急車でこの病院まで来て、ノワールに残った信濃が後の処理をし、先ほど合流したらしい。そして今に至るとのことだ。

「その……ごめんよ、カイト」

「ん?なんで小春が謝るんだ?」

「こうなったのは、半分ボクのせいでもあるんだ。昨日の作戦会議の段階で、睡眠薬を使って拉致する方法を考えておくべきだった。まさかそこまではしないだろう、って高をくくってたよ」

 小春はぐっと拳を握りしめ、悔しさを露わにする。

「まあ、とりあえず大事じゃないから大丈夫だろ。それより小春は?飲んだよな?」

 高橋に飲めと言われたとき、小春も出されたオレンジジュースを飲んでいた。

「……みっともない話だけど、飲み物が出た時に気が付いたんだ。あの高橋って人、ボクたちに飲み物飲むかって聞かずに、最初からコーヒー飲めるかって聞いてきた。で、ボクが断ったら勝手にオレンジジュースにした。もしかして飲み物に混ぜた薬でも飲ませる気なんじゃないかって。だから、飲むふりして口に含んで、それをグラスに戻したんだ」

「なるほどな……あの状況でよくそこまで思いつくな」

「いや、ボクの失態だよ。昨日の内に気づくべきだった」

「そういう時のために私がいたんでしょ、小春ちゃん」

 廊下から信濃が歩いてきた。

「……まあ、確かにね。けどいつもキミがバックにいるわけじゃないし」

「私ならいつでも」

「何を言ってるんだい、キミは警察だろ。ボクにはカイトがいる」

「……」

 そう言われ、信濃はおれを睨む。相変わらず小動物程度なら殺してしまうくらいの強さだ。

「そんな奴に小春ちゃんは守れない。今日だってこのありさま」

「いやだから、それはボクの責任だってさっきから言ってるじゃないか。……ボクの相棒はカイトだ。いい加減わかってよ」

「……」

 信濃は顔を曇らせた。あからさまな表情ではないが、深い悲しみが浮かんでいる。その表情には見覚えがあった。先日、学校の調査をした帰りに一瞬見せたものだ。

「……」

 それを見て、小春も視線を伏せた。彼女も悲しそうにしていた。ただ信濃とは違い、そこには罪悪感のようなものが含まれていた。

 重たい沈黙が落ちる。がやがやとした処置室の音が耳に障る。

 二人に掛ける言葉を探したが、見当たらなかった。彼女たちが抱えているものは、おれが介入したところでどうにかできるものではないように思えた。

「木瀬さん!」

 沈黙を破ったのは、先ほどおれに待てと言った看護師だった。

「あ、はい、なんでしょう」

「先生に確認してきました。もう帰ってもらって大丈夫です。ただ、まだ少しふらつくとは思うので、帰る時はバスやタクシーを利用するようにしてください。そちらのお二人が付き添ってくれるともっといいのですが……」

「あ、ボクが一緒に行きます。大丈夫です」

「ん……?あ、はい、ではお願いします」

 看護師は少し不思議そうな顔をしてから去っていった。女子の小春が「ボク」と言ったことに違和感があったのだろう。

「じゃ、行こうか、カイト」

 小春はおれを支えるように腕を掴んでくる。少し気恥ずかしさはあったが、安全には変えられまい。ありがたく甘えることにした。ゆっくりと足を進める。

「ねえ小春ちゃん、タクシー乗るまでだよね?」

 おれ達を見て、信濃が聞いてくる。

「何の話だい?」

「そいつタクシーに乗せたらそのままバイバイだよね?」

「いや、カイトの家まで送るつもりだけど?」

「待って、いくら何でもそこまでする必要……」

「咲ねえ」

 小春は立ち止まり、振り返らず信濃に言った。

「ボクの相棒は、カイトだ」

「……っ」

 小さく信濃が息を呑んだ音が聞こえた。しかし小春は聞こえていなかったのか、あるいは聞こえなかった振りをして、歩き出す。そうして、この場を後にしたのだった。

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