第七話:尋問
「つまり、決して小春のおっぱいを見たかったわけではないと」
小春の部屋に二人分の布団を敷いてすぐ後。おれはダイニングにいた。
対面で、夏花さんが机に両肘をつき、手を組んでいる。娘の着替えを覗いてしまったことについて、取り調べを受けていた。
「……はい。何の前情報もなく一緒に寝ることになっていたので、さすがに気が動転して……」
あれは過失であり、不幸な事故である。そりゃ、制服がパツパツになるほど張った彼女の体に興味はある。しかし覗きなど邪道だ。
「ふむ。一つ聞きたいんだけど、今まで小春とはどのように付き合ってきたの?」
「どのように、と言いましても……同じ部活メンバーとして、一緒に活動してきたとしか……」
「つまり、貴方は小春と恋人的な意味では付き合ってない、と?」
「ええ、はい」
今日の田波も含めて頻繁に勘違いされるが、おれと小春は恋人ではない。平日も休日も大体一緒にいるが、それだけだ。だからこういうことを聞かれると、非常にめんどくさい。“付き合ってるの?”と聞いてくる時、大抵質問者の中ではおれは小春と付き合っていることが前提になっている。だから否定してもそれを認めない。”恋愛感情はない”と弁解したところで、そんなものは証拠にはなりえない。自分の心の有り様などいくらでも偽れることを、高校生にもなれば自然に理解しているからである。
ただ、母親なら話は別だ。娘がわけのわからない男と付き合っていないか見定めようとするのは当然だろう。
「ふうん……そっかあー」
おれの返答を聞いた夏花さんはため息を吐く。そして組んでいた両手を頭の後ろに回し、体を反らす。ぱきぱきっと、背骨が鳴る音が聞こえた。ついでに、服の上からではあるが、彼女の胸の大きさを視認した。おそらく小春並みか、それ以上だった。娘の半裸を見た手前、凝視するわけにはいかなかったので、大まかにではあるが。
「ずっと一緒にいるって聞いてたし、今日も一緒に寝るみたいだし?せめてどっちかは好きだと思ったけど、違うのかー」
「はあ……あ、一応言っておきますけど、一緒に寝るって言い出したのは小春です」
「……あー、だから“相棒”なのね」
夏花さんは妙に納得したように頷く。
「あの子、一緒にいたいって思った人とはずーっとくっついてたいタイプだからね。物理的にも心理的にも」
「確かに、そうかもしれないです」
一か月前と比べて、小春は明らかにおれと一緒にいようとすることが増えたような気がする。おれの家に泊まろうとしたり、ココアを返さないと不機嫌になるのもそういう意味なのだろう。
「ごめんねー、早とちりしちゃった。最近、小春ちゃんがたくさん木瀬君の話をするから、つい、ね」
夏花さんに先ほどまでの厳しさはない。口調ものんびりとしている。お茶をすする姿が何とも似合っている。
「そんなに話すんですか」
「そうなの!この間も、“カイトはボクといつも一緒にいてくれる、一番の相棒だ”って。あの子、本当に嬉しそうだった」
「そ、そうですか」
そうやって思ってくれるのは素直に嬉しい。彼女の力になれているのだと実感する。少し気恥ずかしさはあるが。
「……木瀬君。小春ちゃんと一緒にいてくれて、ありがとう」
不意に夏花さんは真剣な表情になり、頭を下げた。
「え、いやそんな、感謝されるようなことでは」
おれは慌てて手と首を振り、否定する。
彼女と知り合ってかれこれ一か月になるが、おれのほうから一緒にいようとしていた、という感じではない。知らないうちに彼女に振り回されていた感があったので、むしろ“受け身過ぎだろうか”と思っていたくらいだった。今日だって勝手に一緒に寝ることになっていた。
「ううん、感謝したいの。だって……あんなに元気な小春ちゃんを見るの、小学生の時以来だから」
すっと目を伏せる夏花さん。きっと彼女の頭の中では、元気じゃなかった時の小春が思い出されているのだろう。小柄な体が、更に縮こまったように見えた。それだけで、小春がどれくらい辛い生活をしてきたかがわかった。
「小学校五年生くらいだったかな。元気がない日が何日か続いてたから、”どうしたの?”って聞いたの。そしたらあの子、こう言ったの。“ボク、おかしいの?”って。当然私は何もおかしくない、って言った。……けど、そう言い切るには少し時間がかかった。あの子が他の子よりも違うことはわかってた。小学生が思い描く女の子らしさ、みたいなものは全くなくて、かといって男の子のようにあろうとしたわけでもない。ただただ、自分が好きなことをずっとやろうとする。そういう子が周囲に上手く溶け込めないのは、学校っていう狭い空間だったら当然なんでしょう。けど、あの子に悪意は微塵もないし、それがあの子の一番の魅力だってことは親の私が何よりもわかってる。元気をなくす少し前までは理解のある友達がいたんだけど、結局……だから木瀬君があの子と仲良くしてくれて、本当に嬉しいの。ごめんなさいね、暗い話しちゃって」
「いえ、大丈夫です。それに……これ以上話していただく必要もありませんよ。彼女の過去は、彼女自身から聞いた方がいいと思いますし」
小春が語っていないことを母親から聞いてしまうのは、小春が過去を話さない“理由”や話したくない“気持ち”をないがしろにすることに繋がるだろう。そんなことはしたくない。
「……そうね、ごめんなさい。何だかあの子のことで抑えていた気持ちが溢れちゃって……こんなの、私が楽になるだけだわ」
「いえ……おれも出過ぎたことを」
「ううん、それこそ気にしなくていいの。今の言葉を聞いて、安心したから。貴方に、小春を任せても大丈夫だって。小春のことをそんなにも大事に考えてくれる、優しい貴方なら」
その言葉は、嬉しかった。
けど同時に、針のようにおれの心に刺さった。
本当にそうだろうか。おれは小春を大事に考えているだろうか。一瞬、自分に対する疑いが胸をよぎった。
だけど夏花さんの言う通りだ。小春は最初に会った時より、今の方がよっぽど楽しそうだし、魅力的だ。
「小春がそれを拒まない限り、おれは彼女の隣にいます」
結果論でいい。おれと一緒にいることで彼女が少しでも元気になれるのなら、それに越したことはない。
「ありがとう、よろしくね。……けど」
夏花さんの穏やかな表情に、再び影が差す。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何でもないの」
夏花さんは歯切れが悪い。
そんな物言いをされると、気になって仕方がない。
「もしかして、おれと小春のことで、何か……?」
「いや、その……ええとね」
夏花さんは言葉を飲み込み、俯く。そのまましばし何かを考えてから、徐に口を開いた。
「 “過ぎた薬は毒になる”。それだけは覚えておいてね」
「……」
その言葉は、冷水のようにおれの全身を打った。
「……洗濯物畳まなくちゃ」
再びの沈黙の後、夏花さんは立ち上がった。
「あの、それってどういう……」
背中に嫌な汗を感じる。心臓がやけに鼓動を打つ。
聞かずにはいられなかった。
「……ううん、何でもないの。きっと私の思い過ごしだから」
とぼけたように言うが、表情には憂いのようなものが残っている。
「思い過ごしって……もしかして、おれと小春の関係が悪くなる、みたいなことですか?けど、一か月一緒に過ごして、仲は良くなってると思ってます」
現に彼女の家にこうして呼ばれているのだ。クラスメイトのほとんどと関わらないあの小春が、嫌いな相手に対してそんな真似をするはずがない。
「うん、それはわかってる。いきなり貴方達の関係が悪くなるとは思わない。むしろ、これからもどんどん仲良くなっていくと思う」
「だったら……」
「……けどね。仮に相棒だったとしても、その終点が必ずしもハッピーエンドだとは限らないの」
そう言って、夏花さんはダイニングから出て行った。
ハッピーエンドだとは限らない。
それはつまり、おれと小春が仲違いする、そういう終わり方があるということなのか?
そんなことが本当にありうるのか?
夏花さんは何を根拠にそんなことを?
昔、小春に何かあったのか?確か先ほど、小学五年生まで理解のある友人がいたと言っていた。そのことと何か関連が?
「はぁー、おさきー」
襖が開き、風呂上がりの小春が入ってきた。ジャージ姿で首からタオルをかけている。
「おやカイト、ここにいたのかい。母さんと何か話してたの?」
おれがいるとは思わなかったのか、目をぱちくりとさせている。
「……ああ、特に他愛のない会話を」
「ふーん?」
小春は特におれのことは気にせず、冷蔵庫を漁っている。顔をしっかり見られなくてよかった。今は勘繰られると困る。
「そういや泊まっていくんだし、キミもお風呂入ったら?」
冷蔵庫の扉から顔をひょっこりと出し、提案してくる。
「そうだな……けどおれは最後でいいよ。旅館じゃないんだし、他人の入った後の風呂は嫌だろ」
「んー、どうだろ。かあさーん、先カイトお風呂でもいいー?」
家じゅう響きそうなくらい大きな声で言うと、夏花さんの「おっけー」という間延びした声が聞こえてきた。
「ってわけだし、お風呂行っといで。ボクは部屋で待ってるから」
「了解、サンキュー」
できるだけ小春と顔を合わせないようにダイニングから出て、後ろ手に引き戸を閉めた。
「……」
小春と話している最中も、頭の中では先ほど夏花さんに言われたことがループしていた。
終点は必ずしもハッピーエンドとは限らない。
「……まさか」
いや、そんなことはない。
おれは小春とこれからも親しい関係でいられると信じている。そうしようと努力しているし、現に今家に呼ばれるような仲にもなった。
けど何故だろう。
そんな未来があり得るのかもしれない。そう思った。
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