第三話:ヘビー級

「……」

 放課後、部室。おれの対面に座る小春は、むすっとしていた。

「あの、小春」

「……」

 話しかけても何も言わない。頬を小さく膨らませて、じっとこちらを見てくる。

 拗ねている。おそらく授業中でもココアを返さなかったのが気に入らなかったのだろう。いつも通りと言えばいつも通りだ。

「……一応釈明しておくけどさ、あの席じゃ教卓の辺りから丸見えなんだよ。スマホなんていじれっこない」

 一応言い訳をしてみるが、これで収まるなら苦労はない。普段であれば、このまま小春に恨めしげな眼を向けられながら、十分くらいおれが壁打ちするような状態が続く。ある程度慣れてきたとは言え、許してもらえるかどうかと少しそわそわしてしまう。

「……わかってるもん」

「お?」

 しかし今日は違った。わずか二言目で返事をした。

「カイトの席がスマホ触れないのくらいわかってる!わかってるのだよ、そんなことは!」

「そ、そうか」

 理屈で理解できても、心情的に納得できないということだろうか。

「まあその、悪かったよ」

 おれが謝るのも変な話な気がするが、それで矛が収まるならいいだろう。典型的な事なかれ主義の発想だが、これが最善のときだってある。

「けど授業中はやめてくれないか。いくら何でも返せない」

「……じゃあ、あの子と話すのやめてほしい」

「ん?あの子?」

 予想外の要求が来て、思わず聞き返す。

「キミの前の席に座る子だよ。仲良さそうに話してたじゃん。名前知らないけど」

「え、田波のことか?」

「……」

 名前を出すと、更に仏頂面になった。

 どうやら、おれが田波と話していたのが気に食わなかったらしい。

「あのな。端から見てどうだったかは知らないけど、おれ別にあいつと仲良くしたいとか全く思ってないぞ」

 むしろ嫌いである。

「……そうなのかい?横顔しか見えなかったからあのときは表情読めなかったけど……」

 そう言いつつ、小春は大きな目を更に開いておれを凝視する。

 小春は表情から人の考えを読むのが得意らしい。特におれは顔に出やすいらしく、何かあったときはたびたびガン見してくる。性的なことを考えている時に“今何考えてるんだい?”と問い詰められたりするので、普段であれば少し怖いところである。ただ、今回は一切やましいことは考えていない。であれば、逆に彼女の顔読みが無罪の証拠になるだろう。

「……嘘は言ってないみたいだね」

 確認が取れたのか、彼女はほっと息を吐いて弛緩した。

「まったく、紛らわしいことをしないでおくれよ。心配になったじゃないか」

 冗談のような口ぶりだったが、本気で安心しているように見える。 

「心配にって、何にだよ?」

「……キミが、あの子のところに行くんじゃないかって」

「あの子って……田波か?」

 まさか、という思いだったが、小春は強く頷いた。

 もしかして、おれが田波と喋っていたことに嫉妬したのか?だから、それを妨害するためにココアを送ったのか?

 ……いやいや、さすがにそれはないだろう。おれたちは相棒ではあるが、恋人ではない。田波との会話も意見を求められたから返しただけだ。ジェラシーを燃やすような場面ではないはず。

 考えられる可能性としては、たまたまココアを送ろうとした時におれが田波と話していたのが気に食わなかったということだろうか。

「おれ別にクラスの人と仲良くなろうとか別に思ってないから、気にしないでくれ」

「そうなのかい……?」

 小春が再びおれを凝視する。

 だがこれも紛れもない本心である。人間関係なんて、一番信頼できる仲間が数人いればいい。ネットワークを広げれば広げるだけ、面倒事は増えていくのだから。その点、今小春とだけ仲良くしているこの状況は自分としては非常に合っている。

「……わかった」

 小春は頷いた。やれやれ、これで気は収まっただろう。

「じゃあカイト、もう今後他の子とは話すんじゃないぞ」

「待て待て、なんでそうなる」

 もう一度自分の中で確認する。おれと小春は恋人ではない。

 しかし今のは明らかに重い。ヘビー級にもほどがある。

「だってカイト、ちょっとよそ見したらすぐ誰かと話してるのだよ!」

「そうは言ってもな、全く話さないのは無理だ」

 イメージとして、おれはクラスメイトのココアの“友だちリスト”にはいるけどほとんどやり取りはしない、それくらいのいてもいなくてもいい立場を望んでいる。

「一人ぼっちは逆に目立つから、挨拶はしておこう、くらいのノリだよ」

「……それでも、気づいたら誰かと仲良くなってそうだもん」

 小春は視線を自分の膝に落とす。

「……ボク、カイトだけはどこにも行ってほしくない。もしボクじゃない誰かとボクよりも仲良くなって、明日からオカルト研究部行かない、とか言われたら……ボク、また一人ぼっちになっちゃう……」

 声を震わせ、首をすくめる。何も知らなければ、そんなの単なるネガティブな妄想だと一笑に付してしまうかもしれない。そんなことあるわけないじゃん、と慰めてしまうかもしれない。

 けど小春は本気だ。彼女はこの学校に入学してから、いや、おそらくその前からずっと誰にも理解されずに孤立していた。傲慢かもしれないが、彼女にとっておれは相棒であり、最後の砦なのだ。その砦が消えたら自分のいる世界が崩れ、また孤独の闇に囚われてしまう。

 そう考えると、たとえ恋人じゃなくても、小春がおれに対して重くなるのは当然のことなのかもしれない。

「家族以外で頼れるのは、もうキミだけなんだ、カイト……」

 小春が顔を上げる。その目には少し涙も浮かんでいる。

 本来なら、NOと言うべきだろう。クラスメイトの誰とも話すな、なんて全く現実的ではないし、理想の高校生活とはかけ離れていくことになる。

「……わかった」

 しかしそれが小春の要求である以上、おれは従うほかない。

 穏やかな学校生活も必要だが、それを達成するにあたり小春を不機嫌にしていては本末転倒だ。

「カイト……!」

 小春がぱっと顔を輝かせる。

「まあ、いきなり全部無視っていうのはできないけど、時間かけてやっていく。約束するよ」

「……うん、わかった。ボクもできるだけ一緒にいるから、キミが……」

 と、何か言おうとしたところで小春は開いた口を閉じた。

「うん?おれが何だ?」

「……いや、何でもないよ。気にしないで」

 そう言って、小春は笑った。けどその表情には影があった。

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